[2DP]背水の陣
「作家志望って、隠さないといけないことなの?」
依然として高嶺さんのうちには、疑念が錯綜している模様だ。
「小学生ならまだしも、将来の夢を猛烈アピールするのって滑稽だろ。しかも僕の場合、珍獣に近い職業の〝小説家〟だよ。鼻で笑われるのが目に見えて……」
高嶺さんが僕の発言にかぶせる。
「ナナは漫画家になりたい。いいえ、何がなんでもなるの。全然恥ずかしいことじゃないよ」
しくじった。彼女はパンピーと一線を画する、レアケースだったか。
外見だけを査定基準とするならば、高嶺那々美は大井坂高校が誇る屈指の美少女だ。黙っていれば求愛者が引きも切らず、殺到するだろう。
でも実態として男子連中は二の足を踏み、彼女と懇意になろうとしない。理由は単純明快。
彼女が一風変わっているから。
高嶺さんは「プロの漫画家になる」と惜しげもなく表明している。そして身の回りのありとあらゆる行動規範を、「芸の肥やし」と言ってはばからない。作品を豊かにするためなら手段を選ばないのだ。
数々の武勇伝があるものの一例を挙げるなら、女子の告白シーンを描くため、好きでもない先輩に告ったりする、とかだ。悪気がなかったにせよ、相手が真に受けちゃったものだから、さあ大変。
「一緒に帰って、カラオケでも行くか」と意気揚々たる彼氏に高嶺さんは、
「カラオケなら一人でどうぞ。ナナはもう取材できたから。でもおかげさまで真に迫ったエピソードとなりそうです。ありがとうございました、親切な先輩」
まさかの告白した側による一刀両断、という急転直下を迎えた。ついでにこの一連のくだりは二十四時間以内の出来事、という点も忘れず追記しておこう。
人ごとだから「ほほ笑ましいや」などと、のんきにしていられるのだ。けれど僕が当事者であれば、遠巻きに静観してもいられない。
どうやって風変わりな彼女を説得すべきか。僕は沈思黙考した。
「なんかさ、がっかりだよ。ひょっとして同志かも、って思ったのに」
高嶺さんと同類とみなされるなんて、僕も願い下げだ。決して口に出せないけれど。
「御子柴くんの覚悟って、その程度なんだね。小説書いてるのも、所詮はお遊びなのか。趣味なら趣味でいいんじゃない。生涯ノンプロのまんま、のらりくらりやればいいんだし」
高嶺さんには縁遠い生き方なのだろう。露骨にしょっぱい顔つきになっている。
「ぼ、僕だって、出版社が主催する新人賞に応募したことくらいあるさ!」
口にしてから激しく後悔した。僕は頭に血が上っている。
高嶺さんと真っ向から張り合って、なんになるんだ。聞き流して愛想笑いでも浮かべれば、何ごともなく過ぎ去ったかもしれないのに。
でも聞き捨てならなかった。同じ穴のムジナ扱いが、殊のほか業腹だったのかな。
「小説のコンテストってこと?」
もうあとには引けない。たとえ自滅の道しか残ってないにせよ、転がり続けるだけだ。
「あ、ああ。プロになるための登竜門だよ」
「へぇー。結果はどうだったの?」
僕は返答に窮した。ただし黙秘は逃げだと思ったので、口ごもりつつも言う。
「二回とも……一次審査で落ちた」
「一次というのがどういう位置づけなのか、見当つかないんだけど」
「ライトノベルの新人賞は、何段階かの選考を経て受賞作を決めるんだ。出版レーベルの賞によって最終選考が三次だったり、五次だったりとまちまちだけど、暗黙の了解として編集者が読むのは二次からが多い。つまり一次は足切り的な様相を呈しているというか」
「要するに一次落ちは、門前払いってことかな」
高嶺さんに核心をつかれて、僕はぐうの音も出なくなる。
「公衆の面前で夢を語れず、水面下でも芳しい成果を残せてないってことか。それってナナ的には道楽で、思い出づくりの域を出てないって認識なのね。何か反論ある?」
ここで沈黙すれば、僕の敗北が確定する。支離滅裂でもラリーを続けねば。
「そ、それだけ豪語するからには、高嶺さんもデビューのめどがついてるんだよね」
我ながら、負け惜しみっぽかった。しかし前言は撤回できない。
「んーん」
高嶺さんが首を横に振ったのを見て、溜飲が下がった。次の瞬間には、僕の小物ぶりに自己嫌悪を覚えたけれど。
「ナナは出版社に持ちこみして、担当編集がついているぐらいかな。雑誌に載るのは当分先の話だと思う。やるせなくて悔しいよ」
即座に浮かれ気分が吹き飛んだ気がした。
高嶺さんはデビュー間近じゃないかもしれないが、着実に一歩踏み出している。終始足踏み状態の僕とは雲泥の差だ。
「まだ委員の仕事残ってるし、図書室に戻っていいかな」
硬直する僕に業を煮やしたのか、高嶺さんが口火を切った。
失念気味だったけど彼女は図書委員だ。だからこそ好奇心に突き動かされ、僕のワープロをのぞきにこれたわけで。
高嶺さんは僕が執筆する姿に、わずかでも興味を覚えたに違いない。漫画のネタになるかも、と食指が動いたのだろうか。そして持ち場を離れてまで、僕のもとへ訪れた。
しかしとっくに御子柴煌は用済みなのだろう。彼女はこっちを向いているものの、瞳に僕がまるで映ってない。路傍の石でも見るような、うつろな目線を注いでくる。
空気扱いの破壊力たるや、メガトン級だった。しばしば「『好き』の対義語は『嫌い』じゃなくて『無関心』」と耳にするけど、まさしくその通り。眼中にないのは、嫌悪されるよりも格段にこたえる。
だから、だろうか。
少しでも興味を持ってもらいたくて、僕はこんな暴挙に訴えたのかな。そうとでも考えない限り、つじつまが合わない。
「待ってよ、高嶺さん。そこまで言われて泣き寝入りしたら、男がすたる。だから僕と賭けをしよう」
「賭け、ですって?」
高嶺さんには心躍るフレーズだったらしい。やっと双眸に僕をとらえた。
「うん。僕が新人賞で再び一次落選したら、筆を折る。金輪際、物語は書かない。そうすれば僕が小説にこめる熱意、いや応なく伝わるよね」
「ほほ~う。のるかそるかのラストチャンス、ね。適度な緊迫感のある、そそる展開だ」
彼女は不敵な微笑を浮かべた。正統派ヒロインならしないであろう、よこしまな表情だ。
「どうせなら、対象となる舞台もあらかじめ決めちゃおうよ。小説新人賞って、どれも似たり寄ったりの規模なのかな」
「いいや、ピンからキリまであるよ。応募総数五百くらいのこじんまりとしたものから、一万の大台を超える最高峰までね」
高嶺さんが目を丸くする。
「一万人の中から、受賞作を選ぶの? ほえぇ~、気の遠くなる作業ね」
「厳密には、応募者と投稿作の数は一致しないんだ。一人一作まで、って決まりはないからね。同じペンネームで複数通過する強者も、珍しくない」
「じゃあ一万作の中から、いくつくらいが二次選考に進めるの?」
「例年通りなら、おおよそ一千作くらいかな」
「えっ。だったら第一関門で絞られても、ちっちゃな賞の全体数より多いじゃない」
数のうえでは高嶺さんの言う通りだ。表裏一体の〝光〟にばかり焦点を当て、〝影〟を見て見ぬふりすれば、ってただし書きがつくけれど。
「ナナとしても他人の夢破れる様をかいま見たら後味が悪いし、ちょっとくらいハンデつけてあげるよ。一番おっきな賞で一勝負といこうじゃない」
高嶺さんは手心を加えた気になっている。数のトリックにまんまとはまった、などとはつゆほども考えずに。
「確かに『ドライブ文庫』は他の出版社の追随を許さず、頭一つ抜けているよ。ライトノベルレーベルは乱立して混戦模様だけど、一強他弱とさえ言えるかもしれない。売上の規模に比例して『ドライブ文庫大賞』も国内最大級の新人賞だ。いやが応でも最難関になる」
「だって千人も通過するんでしょ。難関どころか、間口が広──」
「うん。九千作という壮絶な屍の山を踏み越えてね」
「あっ……」
高嶺さんは、やっと僕の意図をくんだらしい。
笑う人の陰には、涙をのむ人がいる。ドライブ文庫大賞の場合極端で、およそ九割の人間が緒戦で脱落を余儀なくされるのだ。
締め切りは年に一回十月の末日で、一次の結果発表は二月一五(なんの因果かバレンタインの翌日)。女子からチョコレートもらえない純情ワナビくんが、踏んだり蹴ったりでどん底へたたき落とされる、阿鼻叫喚渦巻くアニバーサリーだ。
そのあと二次・三次・四次と途中経過があり、最終的にゴールデンウィーク明けが最終結果の発表となる。当然段階ごとにふるいにかけられ、賞に届く人間は五~六人だ。単純な倍率でいえば東大合格よりも上。
いかに狭き門か、想像にかたくないだろう。
「御子柴くんは、応募したこと──」
「ないよ。なんやかんやで締切日、間に合わなくて」
正直なところ、理由はそれだけじゃない。敬遠した、という側面もなきにしもあらず。
僕が今まで送ったのは、規模が最小の部類の新人賞ばかりだ。初心者の肩慣らしって気分で投稿したのが裏目に出たのか、かすりもしなかった。
底辺でも手こずる現状なのに、いきなり最強クラスに挑むなんて無謀を通り越し、自殺願望と大差ない。だから僕は実力がついてから万全を期し、応募するつもりだった。
高嶺さんは長らく熟慮している。何か閃いたのか、指を鳴らした。
「今の提案はなしにしよう。おおまけにまけて、一番やさしいコンテストでいいよ」
彼女にとっては最大限の譲歩のつもりかもしれない。
でも侮辱でしかなかった。ワナビに対しても、出版社に対してもだ。
「新人賞に簡単なものなんてない。プロの作家だって、一次で落ちることあるんだから」
「一個くらいあるでしょ。答案用紙に名前書けば、百点もらえるタイプのやつ」
僕に冷静さがあったなら、取るに足らない世まい言と受け取れたのだろうか。
でも今の御子柴煌には、火に油でしかない。
「オーケー。そこまでコケにされて、黙っちゃいられないよ。受けて立つ」
「カッカしないでったら。コミュニケーションを円滑にするジョーク……」
「勝負のステージは一万の作品がひしめき、しのぎを削るドライブ文庫大賞。そこの一次審査をボーダーラインとする。通れば天国、落ちれば地獄だ」
「御子柴くんってメガネキャラにあるまじき、後先考えない人なんだね。男に二言ない?」
なんだよ、そのステレオタイプは。メガネ人も十人十色だっての。
そして、しゃらくさい。ことここに至って、次から次へと意見を翻すものか。男の一大決心をなめないで欲しい。
僕はうなずきでもって回答に代える。
「ふぅん、りょーかい。取り決めに従い、御子柴くんが負けたらワナビ引退ね。そしたらナナが負けた場合」
「えっ」突拍子もない進行で、僕の口から素っ頓狂な音が漏れる。「君も何か差し出すの?」
「じゃないと賭けが成立しないでしょ。御子柴くんだけリスク負うのは、不公平じゃん」
さもありなん、とばかりに高嶺さんが言い切った。女の子に使うべきじゃないかもだけど、男前なセリフだな。
「ナナの敗北条件は、御子柴くんが受賞──ってのはハードル高すぎか。ならナナとどっこいって視点で、担当の編集者がついたら御子柴くんの勝ちね。そしたらナナが御子柴くんの恋人になってあげる。うん。我ながら絶妙なバランス感覚のご褒美ね。いや、御子柴くんのほうがお得感あるし、大盤振る舞いだったかも。これもひとえにナナの寛大な心のなせる業。だけどこれくらいしないと盛り上がらないでしょ」
自画自賛の果てに高嶺さんは『やれやれ』という顔つきになった。
僕に発破をかけたつもりなんだろう。でも空条承太郎ばりの『やれやれだぜ』状態はこっちだっつーの。
僕と交際するのが、あたかも罰ゲームみたいじゃないか。これほど解せない仕打ちは、類を見ないぞ。怒鳴り散らしても許されると思う。
「お言葉だけど僕が彼女持ちであれば、前提からして成り立たないんじゃないかな」
「ええっ!? さえない御子柴くんと付き合う女の子がいるとは、思いもよらなかったな。妄想とか、ゲーム機の中にいる俺の嫁、とかじゃないよね」
大して仲良くもない異性に「さえない」とか、よくもまぁ面と向かって言えるものだ。はなっから僕がモテないと、決めてかかっている。いちいちかんに障る女の子だな。
「今のところリアルでも架空でも、特定の相手はいないけど」
『聞くも涙、語るも涙』の現状だろうと、虚栄心で見栄を張るのはもっと惨めだ。だから僕は素直に白状した。
「ふぅ~、やっぱいないんじゃん。びっくりさせないで。ナナが後れを取ったかと思ったじゃない。じゃあ御子柴くんにとっても、おいしいイベントよね。ナナみたいなとびきりの美少女と、あわよくばくっつける千載一遇のチャンス。俄然燃えてくるでしょ」
高嶺さんが満面の笑みを浮かべた。かわいさ余って憎さ百倍だな。
このたびの経験から、僕は真理ともいえる教訓を得た。
臆面もなく「とびきりの美少女」と自負するやつに、人格者はいない。自意識過剰の極致だ。人のふり見て我がふり直せ、だな。謙虚堅実を心がけよう。
「上等だぜ。吠え面かかせてやるからな、高飛車JK」
と対抗できれば、僕にも熱血系主人公の素質があったかもしれない。
でも実際僕が口にしたのは、
「そのときは、僕が愛される側だから。僕の要求には絶対服従だよ」
なんとも情けない切り返しだった。
「ええ。どんな願いも、けなげにかなえてあげますとも。たとえコアすぎてドン引きしちゃう、メガネプレイだってね」
勝利を確信しているのか、高嶺さんは余裕しゃくしゃくな応答をした。
だいいち『メガネプレイ』ってなんですか。視力の劣る人間を、見下すにもほどがある。
メガネを笑う者は、メガネに泣く──
我々メガネマニアの間で通説になっているジンクスを、実体験させてやろうじゃないか。