[1DP]ハプニング
【ワナビ】(名) 作家志望者に対する呼称。差別的ニュアンスを含んで用いられることもある。語源は『Want to be』、もしくは省略形の『Wanna be』。
この物語を、愛すべきワナビに捧げる──
* * * * * *
他人の家のドアノブを回したら、開いちゃいました。
そんなお茶目な経験、お持ちだろうか?
僕はある──というか現在進行形で、絶賛体験中だ。
事前にアポイントを取らなかったものの、紆余曲折あって目的のマンションの部屋へたどり着いた。そこまで順調だったのに、インターホンに応答がなく、途方に暮れた末のチャレンジが功を奏すなんて。
『苦肉の策』といえど、泥棒になった気分が拭えない。
「すいませーん。カギが開いてたもので」
僕は小声で謝罪した。尋ね人が不在でも、断っておくに越したことはない。
間髪入れず退散しかけた僕の動きが止まる。ドアの隙間から一瞥した光景が、あまりに凄惨だったから。
──台風一過のごとく散乱した玄関。
レディースの靴や傘、物の詰まったビニール袋などがほうぼうにぶちまけられている。
ってゆうかもしや、
「荒らされてる……のか? ひょっとすると空き巣の仕業、だったりして」
僕の中に芽生えた罪悪感が霧散する。むしろ悪を憎む心が燃え上がった。
か弱き女性の家を狙うとは、卑劣な犯罪者め。もしもまだ中に潜んでいるなら、『パンチ』という名の鉄槌をお見舞いしてやろう。
「お邪魔します」
正義の味方といえど、人として最低限の礼節は守るべきだ。僕は入室の挨拶を済ませ、玄関でスニーカーを脱ぐ。入口から続く廊下も物が散らかり放題だった。
目を覆いたくなるのは、何も室内の惨状だけじゃない。種々雑多な要素がミックスされた鼻をつくにおいも、またしかりだ。納豆を連想させる、すえた異臭すら漂ってくる。
思わず総毛立った。
これって、こそ泥程度のレベルだろうか。もっと深刻な事件の渦中にあるのでは。たとえば殺傷──
いや、憶測はやめよう。百聞は一見にしかず、じゃないか。
廊下の突き当たりにドアがある。リビングに通じているのだろう。
浅い呼吸のまま、僕は扉を開けた。
カーテンを閉めきっているのか、リビングは暗い。暗闇に目が慣れるまで、しばしかかる。やっと薄ぼんやり輪郭が見え始めて、
「────っ!!」
僕は両手で口元を覆った。でないと絶叫してしまいそうだったから。
居間も大量の物であふれている。そしてリビングの中央付近で、うら若き女性があおむけになっていた。倒れているというより、袋や紙束などに埋まっている感じだ。
まさか……死体遺棄?
体中から冷や汗が噴き出してくる。思考停止状態になり、次なる行動に移れない。
僕にできたのは、ここに至るまでの経緯をなぞることだけだった。
* * * * * *
さかのぼること十日前──
放課後、僕は大井坂高校の図書室で一人席に着いていた。四人掛けのテーブルだけど、相席の生徒はいない。広々とした机で愛機を広げ、無我夢中でキーボードを打鍵する。
僕は図書委員でなく、由緒正しき帰宅部だ。そして宿題を片づけているわけでも、ましてや予習や復習の最中でもない。
僕がしていること……。
ずばり〝執筆〟だ。小説を書いている。
小学生のころ『プロの物書きになる』と一念発起し、中三でライトノベルの新人賞に投稿を始めた。悲しいかな、いまだ鳴かず飛ばずだけど。
今書いているのは通算で三作目となる物語だ。『三度目の正直』を信じて、せっせと作業に励んでいる。
執筆なら家でしろ、と思われる方もいるだろう。でも僕の場合、自宅だと大抵はかどらない。誘惑が多すぎるからだ。
テレビ番組や未消化の録画アニメ、インターネットにゲーム、加えて積ん読状態のラノベ。無意識的にそれらへついつい手が伸びてしまい、熱中した末就寝時間になってました、なんてこともざらだ。
その点、高校の図書室は理想の環境といえる。まず見渡す限り格式張った本だらけで、僕を惑わすエンタメ要素が皆無。そして適度に静寂が保たれている。
我が校が指折りの進学校でもないせいか、在籍する生徒諸君は図書室を積極的に利用しない。もしかすると校舎四階の角っこに、この空間があること自体、忘却のかなたかも。
従って煩わしい喧騒はなく、執筆へ没頭するのに、うってつけともいえる穴場なのだ。僕にとって、ベストプレイスかもしれない。
ゆえに僕は本を借りるわけでもないのに、足しげく図書室に通っている。頻度だけみれば、立派な常連になるだろう。
陣取る席もおおむね決めている。受付カウンターから最も離れた、窓のない隅のテーブル。四方八方を分厚い書物に囲まれ、雑音のはびこる余地が限りなく低い場所だ。
「…………」
もはや定位置といって差し支えない聖地に鎮座し、僕は無言で物語を紡いでいる。
実にインドアで孤独な作業だ。でも僕の性には合っている。
紳士淑女の皆さん、刮目するがいい。未来の大作家はこうして誕生した──
スタンディングオベーションの喝采を浴びる空想に旅立つ直前、背後にまなざしを感じた。注視しているのか、やたら熱視線だ。
い、いつから忍び寄られていた? 僕、声に出して演説しなかったよな。
座り姿勢で、こわごわ振り返る。
はたして、女の子が一人いた。
亜麻色のツインテールに、ぱっちり二重まぶたの整った容貌。体格は小柄で華奢だ。短めのプリーツスカートに黒ニーソという最強の組み合わせで、武装している。
「な、何か用かな。高嶺那々美さん」
彼女は、僕と同じ二年三組のクラスメイトだ。ただし接点らしい接点がなく、おのずと他人行儀になってしまう。
しかしよそよそしい態度は、高嶺さんの気分を害さなかった模様だ。というか、それよりも気がかりな事案が存在するらしい。
「御子柴くん、そのちっこくてかわいいパソコン、なんていう機種なの? 触らせてもらっていいかな」
鈴を転がすような甘い声で問うた。
通常であれば持ち主の了承を得てから行動に移るのが、マナーだろう。されど独特な感性の高嶺さんは、もろもろの手順を割愛した。
端的に述べて、僕に有無を言わせずマシンを手に取ったのである。
「へぇ~、見た目通りとっても軽いのね。あ、キーボード折り畳めるんだ。ユニーク。あれ、でもマウスもタッチパッドもないや。どうやってカーソル動かすんだろ」
高嶺さんはためつすがめつした。
「そ、それは携帯用のデジタルメモ帳なんだ。ワープロと思ってくれていい。だから文章編集以外のソフトは入ってないし、インターネットにもつながらない」
「持ち歩くワープロ?」高嶺さんがつぶらな目を丸くする。「初めて見た。外観はノーパソとほとんど変わらないんだね。ふむふむ、興味深いな」
スカートのポケットから使いこまれた手帳を取り出して、スケッチしだした。
この時代錯誤な代物は、父のお下がりだ。
父さんが昔、持ち帰った仕事を自宅でこなす用途で購入したらしい。でもスマートフォンやタブレット全盛の昨今では不便なため、押し入れの隅に追いやられていたところを僕がもらい受けた。
物書きするうえではテキスト入力できさえすればいい。ネット接続可能だと、かえって気が散る。多機能じゃないのが、僕にとっては利点だった。この機械単体では印刷できないため、別途PCとの連携が入り用になるのが難点だけど。
「もういいでしょ。返してよ」
僕がワープロを取り返そうとすると、高嶺さんはマタドール然と身軽にかわした。遠ざかるように、デバイスごと対面の席に移動する。
「せっかちなうえ、ケチね。減るもんでもなし、ゆっくり観賞させてくれても──んんっ? このレイアウトって」
高嶺さんが本体でなく、液晶画面に注目しだす。
「小説かしら。書きかけってことは、御子柴くんのオリジナル作品?」
うぐあっ。よりにもよって同級生に、まずいものを目撃されてしまった。母親に十八禁本を発掘されたに匹敵する失態だ。
彼女の問いに対して、僕は肯定も否定もできなかった。ただ、ほっぺたが熱を帯びてくるのだけ感じる。
「ワープロ駆使する小説家の男の子、か。今日は初めて尽くしね。経験値上がったかも」
僕の回答を待たず、高嶺さんは自己完結したらしい。『真骨頂』と言うべきか、唯我独尊のきらいがある。
「僕は、まだ作家じゃない」
「目指しているってこと? ナナ知ってるよ。そういう人、〝ワナビ〟っていうんでしょ」
「だいたい、合ってる」
厳密には一般文芸を除き、ライトノベル作家になりたい有象無象をカテゴライズするネットスラングだけど、僕は該当するので言葉尻をとらえない。
ふ~ん、と鼻を鳴らして高嶺さんはワープロと僕を交互に眺める。
「あっ、アマチュアっぽい誤字はっけーん。ここは『関節』じゃなくて、『間接』が正しいと思うなぁ。でないと、こういう動作になっちゃうもん」
おもむろに、高嶺さんは自らの手首に口づけした。
『なんのこっちゃ』と思ったが、すぐさま己の過ちに思い至る。
僕は『関節キス』と誤記載してしまったのだ。間違いの稚拙さと、異性に見とがめられたくない描写だったのが加味され、テンパり具合が最高潮に達した。
「能書きはいいから返して!!」
高嶺さんは一瞬目を見開いたあと、口角をつり上げて唇の前に人差し指を立てた。
彼女のリアクションから、現在地が静寂を尊ぶ図書室だったことを悟る。
恥の上塗りだ。穴があったら入りたい。
けどめげるな御子柴煌。乗りかかった船じゃないか。汚点を拭い去れないなら、恥を忍んで行動あるのみ。能動的にいかない限り、名誉挽回できないから。
僕は赤面しつつ高嶺さんに近寄り、愛機を奪い返した。キーボードを収納してフタを閉じ、乱暴にスクールバッグへ押しこむ。肩にかけるや否や、高嶺さんの手首をつかんだ。
「ちょっと、何するのよ」
抗議の声を黙殺して僕は手を引き、連行に近い形で図書室を辞去する。
高嶺さんは抵抗を試みたものの、所詮は女子の細腕。膂力なんてたかが知れる。
僕は階段で一階まで降り、上履きのまま非常扉を開放した。
非常口の外は体育館裏に直結している。桜の木があるものの、とうに春は過ぎており、枝も寂しい限りだ。日当たりが悪くじめっとしているので、生徒は好んで立ち寄らない。
一種の空白地帯、みたいな感じか。僕がこれからする行為を、他人の見世物にしたくない。人払いという観点でも、おあつらえ向きだった。
「いい加減、離してよ!」
高嶺さんが仏頂面で僕の腕を振り払った。つかまれていた上腕をさする。
「あざになったら、どうしてくれるの」
大げさにもほどがある。僕はさして力をこめちゃいなかったのだから。
僕はメガネのブリッジを中指で上げ、レンズの位置を調整した。いったん深呼吸して、機先を制するタイミングを見計らう。
よしっ、やるぞ! 僕は意を決して、
「高嶺那々美さん」
「な、何よ」
高嶺さんは、僕の鼻息荒い意気ごみに気圧されたらしい。ブラウスの胸元で、両腕をクロスさせる。
「な、ナナのあり余る魅力に欲情したからって、早まらないでね。フィクションと違い、乱暴されてよがる女子はいないの」
ぐふっ。とてつもない精神汚染だ。
僕は白昼堂々校舎で陵辱に及ぶ、ゲスの極みと曲解されたらしい。
ダメージは致死量だけど、へこたれるな御子柴煌。ここで折れたら、全部台なしになる。
出ばなをくじかれた感はあるものの、僕は深々と頭を下げた。
角度はきっちり45度。我ながら、美しいおじぎポーズだ。
「内緒にしてください。この通りです」
誠意をこめた哀願──それこそ僕の成し遂げたかったことだ。
あっけに取られたのか、高嶺さんはつかの間絶句する。
僕は顔を上げて、真正面から彼女を見据えた。
「学校に私物のワープロ持ちこんだことなら、言いふらさないけど。そんなことしたって特段メリットないし」
高嶺さん、とんちんかんなことをのたまっている。
語弊があったのかもしれない。補足しとくか。
「じゃなくて、僕が小説書いてること」
疑問が氷解して一件落着するかと思いきや、高嶺さんはますますけげんな面持ちになった。
「どうして?」
ストレートに問い返され、僕は面食らう。
「いや、放課後に帰宅しないで執筆するのって奇異でしょ」
高嶺さんは首をかしげた。風が吹き、ツインンテールの毛先がそよぐ。
遠回しな言いぐさがよくなかったかもしれない。単刀直入にいけ、ってことかな。
「学校終わったのに部活したり、友達と遊びもせず、ひたすら小説書いてるのって陰気だよね。中には『オタク』と勘ぐる人もいるだろうし」
僕はラノベ作家になることを夢見ているけど、公言してない。おおっぴらにしない理由は、前述の通りだ。
一般大衆には、【二次元キャラをこよなく愛する = 根暗】という共通認識がある。
そんな中「わいは萌え萌えライトノベルで一旗あげ、新世界の神となる」と宣言しようものなら、直ちに『イタい人』のレッテルを貼られてしまう。
僕は出る杭にも、引っこむ杭にもなりたくない。波風を立てず、粛々と物語を書く高校生活こそ至高と思っている。
褒められもせず、苦にもされず、そういうワナビに、僕はなりたい。