7.信仰は、ときに忘れた記憶を呼び起こす -前編-
世界は、まるで静かな眠りへ就くかのように水没した。でも、世界が水没した当初だけは……人々から”神”と崇められている存在が目を覚ましていたのではないか?と考えている。
世界が水没した当初、人間達は駆け足のように過ぎる一日一日を生きていくのが精一杯の状況だったのに、その裏ではありとあらゆる宗教が対立と争いを深めていく。やれ、我ら主の加護があったから生き延びたとか、我らの教典には予言が記されていたとか……。くだらない争いは子供の喧嘩みたいに収集がつかなくなり、ついに死傷者すら出してしまった。それを境に数多くの宗教が淘汰され、有名な宗教は活動規模を縮小していく。
これは確かな話ではないが、数多くあった宗教の大半は同じモノだったと言われていた。言葉、考え方、価値観など色々な理由によって細分化されてしまったらしい。同じ道を志しているはずなのに、分かり合える事すら難しいのは……世界が水没しても変わる事がなかった。
廃れるものがあれば新しいものが生まれ、連続性を持つ生命の象徴であるかのように世界が水没してからも新しい宗教は生まれていく。
大きな傾向の一つは、食物起源神話が元になったと思われるハイヌ・イェンゼン教だ。世界が水没した最初に現れた聖女と言われていて、自ら傷つけた傷口からありとあらゆる食べ物を生み出すことが出来たと言われている。飢えに苦しんでいた人々はその光景を見た途端、飢えを忘れて彼女をバラバラに切り刻んであちことへ埋めてしまった。するとそこから、五穀が自然に生じて人々に食べ物を与え続けたらしい。人々は自分たちの罪を贖おうと、彼女を一柱の神と同等の存在として信仰を始めたと伝えられている。
もう一つの傾向として、山や海を神聖視して崇拝するように、水没した世界そのものを崇拝の対象とする水没信仰だ。人間の力など遠く及ばない雄大さや厳しい自然環境に圧倒され恐れ敬う感情、それと同じく大地に根付いて生まれる穀物や野菜や果物などの実りに対する感謝の感情が発展し、水没した世界そのものが神霊が宿る、あるいは降臨する場所と信じられ祭祀が行われている。
こちらは聖人や聖女ではなく実存する世界そのものを信仰の対象としているが、根本の一つに“食べ物”が深く関係しているところはどちらも似ていた。水没した当初は衣食住のすべてが困難だった事による願望が生み出したのかもしれないが、これも解釈の違いによって袂も別ったのかもしれない。
打楽器や打弦楽器、体鳴楽器や青銅楽器と共に人々の合唱が一段と大きくなった事で、私の意識は現実へと戻された。周囲は見渡す限り海で、私はおよそ十二フィートはあるサーフボードに腰を下ろして浮かんでいる。そして、遠くに見える砂浜を見ながらロッドを握りしめていた。そうだ、私はボードの上でお祈りをしてから釣りをしていたのである。そのとき、水の中へ沈んでいた釣り糸が強く引いている事に気付いた。
「かかったっ!!」
バランスを崩してボートから落ちないように十分注意をしながら、釣り糸を静かに手繰り寄せていく。自分の気配を殺しながら慎重に糸を巻いていき、釣り糸を引く力が弱まったところを見計らって一気に力強くリールを巻き上げた。“バシャッ”と音を立てて海面から現れたのは、肥えてはいるものの細長くて平たい身体をした下顎の発達している魚である。釣れても小物だろうと思っていたので、これは嬉しい誤算だ。
魚から再び砂浜の方へ視線を向けると、まだ多くの人達が集まって楽器の演奏とともに合唱を続けている。
「儀式は……無事に進んでいるようだな」
ロッドのリールをロックすると、新たに釣り上げた魚を別の針へ通して海面へ投げ入れた。そのままウエストポーチにロッドを固定して自由になった両手でパドルを持ち直すと、砂浜の方へ向けてボートを漕ぎ進めていく。
浜に近づくにつれ、水辺に集まっている人達が鮮明に見えるようになってきた。彼らはそれぞれが手に楽器を持って、なにか大きなモノを取り囲んでいるような円陣を組んでいる。さらには演奏と合唱の中に金属の輪を沢山ぶつけ合うような音と、歓声が混ざり出した。
「神と同格なる水と共に舞う彼らに祝福を。永久に結ばれし、死しても新たなものとなって再び結ばれん事を」人々が声を合わせてさらに高々と歌い始めると、円陣の中にいる“何か”が細い水しぶきをあげ始める。
何かと……表現されていたのは、両手両足に鈴や大小さまざまなリングが付いた腕輪や足輪やベルトを巻いた一組の男女だった。膝丈まで海水に浸った彼らは、お互いの攻撃が紙一重で命中しない間合いを維持しながら格闘技とダンスを織り交ぜたアクロバティックで独特の動きを見せていく。細い水しぶきは動きによって舞い手が起こしたもので、その動きへ追随するように手足や帯に付いた鈴や沢山のリングが共鳴音を奏でた。
これは『カテドィエラ』と呼ばれる競技で、打楽器や打弦楽器、体鳴楽器や青銅楽器が奏でる伴奏と共に、儀式的で動物の動きを模倣した動きやありとあらゆる体制から放つ足技が中心の土着格闘技だ。水没信仰ではお祭りや婚姻の儀式、無論鍛錬などで幅広く行われている。婚姻の儀式では夫婦となる男女が過去現在未来の苛立ちや不安を武舞としてさらけ出し、儀式の参列者は祝いの意味を込めて夫婦となる男女に花を持たせるのだ。
恙無くカテドィエラが終了すると、その後は水没信仰の仰院(他の宗教で言う神父のような役目をこなす者)が神の一部である海に放たれた祝福されし食料を授かって晩餐に料理を出すことになる。
………
……
…
そう、さっきまでに釣り上げた魚こそが祝福されし食料なのだ。
「あっ、仰院様。お帰りなさい」
円陣に加わっていた一人が、海から帰ってくる私の姿を見つけて手を振ってくれる。私は物心ついたときから、この水没信仰を頑く信仰していた。
どうして、水没信仰を信仰することにしたのかは、私自身も覚えていない。
「神と同格なる水と、共に住まう我らに今日一日の加護を」
いや、何か酷くそこの記憶だけが曖昧なのだ。強く覚えているのは、何かに見惚れていたことで水没信仰を始めた……ということだけ。今では、一体何に見惚れていたのかもわからない。
水没信仰を信仰すると決めたとき、両親は私を祖父に預けて出て行ってしまった。祖父も長く水没信仰の仰院をしていた人で、今私が使っているボードも元々は祖父のモノである。
「神と同格たる土と、共に住まう我らに今日一日の喜びを」
沖から大分離れた海の真ん中に約十二フィートのボードを浮かべて、私はその上に正座した姿勢からボードの表面に額がつけられる程の深い礼を繰り返した。昨日はロッドなどの色々な釣り道具を持っていたが、今日は普段通り余計なモノを一切持っていない。祈りを捧げる服装や場所は特に指定されていないが、水や土に近い場所が良いとされていた。祖父は何をどう解釈したのか、いつもボードで波の上を漂いながら祈りを捧げていた。だから、祖父からボードを譲り受けた際にそのスタイルまで勝手に譲り受けたのである。
ふと、祈っている祖父の姿を思い出す。祖父はどうして、海と一体一の状態で祈りを捧げる事にしたのか……私はまだスタイルを受け継いでも、その答えを見つけられないでいた。
祈りも終えて浜へ戻ろうとパドルで漕ぎ始めたとき、砂浜の波打ち際に誰かが佇んでいる事に気付く。どんどん浜へ近づいていく事にその人の姿はハッキリとしていき、その人は体付きがしっかりした男性で、褐返色のような色をした長い髪を一つに束ねていた。あまり見かけない帽子を被って藍鉄色のケープと洋服を着ているその人は、手には大きなトランクバックを持っている。何か不思議なオーラを感じさせる彼は、海ではなく浜へ向かっている私の方をずっと見ていた。少なくとも、私の友人や知人ではない。水没信仰は入信するのに仰院や司祭の洗礼を受ける必要も無いので、婚姻などの儀式が必要なとき以外は訪れる人も少なかった。……まぁ、ボードの上に立ってパドルを漕いでいる人が珍しいのだろう。
「サーフィンは、皆知っているのになぁ」
砂浜に上がってから男性へ挨拶すると、彼は深々と頭を下げてきた。しかし、顔を上げた途端に笑い始めていたけど……。
「そうですよね。そりゃぁ、そうだ」
私には、彼がどうして笑い出したのかまったく検討がつかなかった。
「どうかしましたか?」
「いえ、スイマセン」
彼は呼吸を整えると、スッと背筋を伸ばす。
「教会の外観をしたカポエイラの練習場があると言うので、見学しに行こうとここまできました。そしたら、ちょうど海の上で何かをしているあなたを見かけたので……」
「カポエイラ?」
不思議な単語が出てきて、私は思わず首を傾げてしまった。でも、いつ頃聞いたのかは思い出せないが、初めて聞く言葉ではない気がする。
「えっと、ダンスのように動きながら戦う格闘技……って言えば良いのかな? 蹴り技が多くて、相手に攻撃を当てないようにしながらやるんです」
そこまで聞いて思い付く言葉は一つしかなかった。
「それは、『カテドィエラ』って言うんですよ」
確かに今私が住んでいるところは、元々は祖父が廃屋と化していた別の宗教が利用していた教会を買い取って改修したものである。水没信仰は教会を必要としないので、男性が言ったように『カテドィエラ』の練習場や宿泊場として今も利用されていた。
「なるほど、『カテドィエラ』と言うんですか」
砂浜に置いていた自分の荷物から洋服やタオルを取り出して着替えを済ませると、私は大きなサーフボードを抱えて練習場の方へ歩き出す。
「『カテドィエラ』に興味があるんですか?」
男性も一緒に歩き出すのを確認すると、歩きながら『カテドィエラ』について掻い摘んで説明した。
「『カテドィエラ』は、宗教と深く結びついている格闘技なんですね」
男性に一通り説明が終わることには、海からの潮風から建物を護る防風林を抜けて教会が姿を見せる。外観だけで言えば、本当に歴史ある由緒正しい教会のように見えていた。
「多分、この時間なら誰かしら鍛錬を行っていると思いますので……」
教会の扉を開けようとしたとき、不意にノイズが酷いラジオの音が聞こえてくる。
- こちらは……の……です。か……ですが……しく -
ノイズのせいで途切れ途切れではあるけど聞こえてきたパーソナリティの声は、どこか聞き覚えのある懐かしい声だった。一体、何処で聞いたんだろう?