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3.食べ物は記憶を蘇らせるもの -前編-

 世界は、かつて人間が忘れそうになっていた”食べることの大切さ”を教えるかのように水没した。

動植物はわからないが、水没する予兆に気づけなかった人間達にとって、生きていく環境の変化と同時に食環境の変化は驚異……災害と言い換えても過言ではない。

 回復が早かったのは、主に根菜など生命力の強い野菜だった。それらはどんなに環境が変わっても素早く自分たちを順応させていく。次は米などの穀物で、元々は水や湿地が多い場所で繁殖していたこともあったり、水害に対処してきた長い歴史があったからだろう。被害が酷かったのは元々水辺では育てた事がないモノや、特定の症状に対応できるように徳化して遺伝子組み替えされたモノだった。それらは世界が水没した際に負ったダメージが酷くて人が食べられないモノへと変わり果ててしまっていた。それ以上にダメージを受けてしまったのは食肉で、水没したことで生き物が生息する場所が大幅に減ってしまった事と急激な生息環境の変化に年々と生息数は減少を続けている。

 食肉用と位置付けされている動物の生息数が減ったことで食肉全体は変動相場制に変わり、数の減少と反比例するかのように価格は高騰していった。もはや嗜好品の領域と言っても過言ではない。食用肉の変わりに食べられるようになったのは、世界が水没するまえにベジタリズムと呼ばれる思想を持った人が食べていた大豆やキノコの菌から作られた代用肉と呼ばれるタンパク質を固めた食べ物だ。食感は脂気の無いハムみたいなもので、そのままだとかなり味気ない。色々な味付けが家庭で試みられているので、家族……もしくは地域ごとに味はまったく変わっていった。ある意味、郷土料理と言えなくもない。


 コンロの火に掛けていた巨大な蒸篭が発する湯気を眺めながら、私はおはぁが話してくれた事を思い出していた。私に料理を教えてくれたり、仕事にしたいと思わせるほどの興味を持たせてくれたのは両親だけど、食べ物に関する歴史や知識を教えてくれたのはすべておばぁである。

- そうそう、名前にお肉って付いていてもパンを作る要領で -

- 料理に限らずすべての事に歴史があるんだ -

- さすが、私の孫。飲み込みが早い -

 コンロの火を止め、しばらく蒸した後で蒸篭の蓋を恐る恐る開けてみた。私はおばぁの言葉をおまじないのように繰り返しながら、包んでいた布巾を開いていく。その中から蒸篭の大きさいっぱいに大きく膨らんだ代用肉が見せると、私は安堵の溜息を漏らした。

「良かった、今回も上手くいった……」

両手で抱えられそうな大きい代用肉を特注のまな板へ乗せると、一センチ程度の厚さで五~六センチ角の大きさに切り分けていく。後はコレを量で五等分にしてそれぞれに味付けをすれば下ごしらえの完成だ。

「……あれ?」

 厨房で調理をする音が勝っていて今まで外の音がそれ程聞こえていなかったが、それでも蒸気をあげる音が止んでいたおかげで聞き慣れた心が落ち着く音を耳が聞き取る。でも、こんな時間にこの音を聞くのは……かえって妙だ。

 何かあったのかと不幸な想像に勝手に掻き立てられてハラハラし始めてしまう。それは二度三度と沢山の薄い金属を一度にしならせるような音を発した後、とてつもなく質量がある物体が水面を切り裂いていくような音を発した。

「やっぱり、郵便屋さんの飛行機。おにぃ、どうしたんだろう?」

 音の事が気になってしまい、味付け作業の手を休めて店の出入り口を凝視しながら聞き耳を立てていると、二つの足音が店の方へ近づいてくる。それらは立ち止まることなく、店のドアを開けはなった。

「おばぁって、裏?」

そう言いながら私の兄が店に入って……いや、帰ってきたのである。

「ちょっと、おにぃ。帰ってきたんだから、ただいまぐらいちゃんと……」

 最後まで小言を言おうとしたとき、彼の後ろにいる初老の男性と目があった。初めて見かける人だけど、この人はおにぃが連れてきた人なんだろうか?

「その人に何か食べさせてあげて。お金は俺が払うから」

 彼は厨房の横にある通路から顔だけ出してそう言うと、またすぐに行ってしまった。私は事情がまったく飲み込めなかった事もあってか、さっきまで兄が顔を出していた場所をジッと見つめながら身動きする事を忘れてしまったかのように立ち尽くしてしまう。

「な、何か?」

「スイマセン、僕の事でご迷惑をかけてしまって」

 初老の男性の言葉で我に返ると、私は改めて男性の事を見た。その男性は線が少し細くて、長い髪を一つに束ねている。藍鉄色のケープと洋服から見える皮膚はまさに初老と言い表せる深い皺が何本も覗いて見えた。そういえば、おばぁに見せてもらったおじぃの写真に……少しだけ似ているような気がする。

「う、ウチの兄が何かご迷惑を掛けるような事でも? 申し訳ありません」

 彼は優しそうな笑みを浮かべながら、静かに首を横へ振った。

「いえ、寧ろその逆です。僕が彼に迷惑を掛けてしまいまして……。そのうえ、ご飯を食べさせてくれると言うので連れてきてもらったわけです」

 私への迷惑は度外視なのね、お兄ちゃんのバカ。心の中で溜息を漏らしつつ、一応お客さんなのだから粗相の無いようにしなければ……と、私は気持ちを切り替えた。

「こちらへど……」

 カウンターから出て男性を席へ案内しようとすると、その人はお店の中をゆっくりと見回しながら何か感慨に耽っている。

「どうかしましたか?」

 男性は私の言葉に我を取り戻すと、優しそうな笑みを再び私の方へ向けてきた。

「あっ……いえ。お店の中を見させてもらっていたら、何だか懐かしくなってしまいまして」

 その言葉を聞いて、私は男性の顔をジッと覗き込んでみる。私がここで働くようになってもう数年が経つが、この人の事は一度も見かけたことがなかった。私が知らないとなると、おばぁがお店をやっていた頃だろうか?

「以前にも、このお店へ来たことがあるんですか?」

「少し記憶が朧気なあって断言はできませんが、何故かそんな気がしたんです」

 この人は一体何を言いたいのだろう? 私は思わず首を傾げそうになってしまった。男性がカウンター席の隅へ腰掛けるのを見て慌てて厨房へ戻ると、彼へメニューブックを手渡す。

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