an original(4)
爆音がし、サロはとっさに身を伏せた。
反射的に腰から小型セミオートマチック拳銃を抜いて構える。ワルサーPPKを模して作らせたオーダーメイドの拳銃とは長い付き合いだ。
音の出所と震動からして、上階で何らかの爆発があったのかもしれない。
サロのいるラジオ局の一階部分には、一緒に潜入しているハートが情けなく身を伏せる姿しか見当たらない。分散させて先行させた十名ほどの警官隊の全体、または一部が襲撃を受けたと考えるのが自然だろう。
「どうした? 何があった?」
無線機で先行隊に呼びかけるが、ジャミングが掛かっていてノイズしか聞き取れなかった。ラジオ局を制圧するだけあって、相手にその筋の専門家がいるようだ。
ハートと合流して慎重に二階への階段を上がる。二階からは粉塵が小さく舞い降りてきた。
粉塵を掻き分けるようにして階段を上がりきると、血だまりの中に何本かの足と、腕が落ちていた。少し離れた場所には半分焦げた人間の顔面があった。顔面は肩から先の辺りまでしかなく、その先は抉り取られているかのように存在しなかった。それらを認めた瞬間、強烈な臭いがサロの鼻腔を貫いた。
警官隊二三人がまとめて吹き飛ばされたのだろう。壁には血と肉片がこびりついていた。
「うえっ」遅れて来たハートが惨状を見つけ、口を押さえうずくまる。
「情けないぞ」
言おうとして、サロは口をつぐむ。言ったところで無駄だと分かっていたし、無理もないと思った。それにサロ自身も、逆流してきた胃液を飲み込まねばならなかった。
ハートが落ち着くまでの間、サロは周囲の安全を確保し、トラップを確認した。ピアノ線とハンドグレネードを用いた安易なトラップだが、前時代的な分タチが悪い。もしテロリストが正面で一瞬だけ姿でも見せてやれば、足元のピアノ線に気づくのは至難の業だろう。
多くのテロリストは資金や物資の不足、また密告制度への警戒から、こういった原始的な手段を用いたテロ活動を今なお行ってる。
「自爆テロじゃないだけマシか」
つぶやいて、サロはハートを無理やり抱き起こした。侵入がバレた以上、上階に立てこもっているテロリスト達がどういった行動に出るか予測がつかない。
「何で僕たちがこんな危険な目に遭わなきゃいけないんですか」
涙声になって訴えるハートを見て、サロは少し申し訳ない気持ちになる。 基本的にこういったテロの制圧や突入に関して、サロやハートは指示を出すだけで現場に踏み込むことは少ない。だがサロはどうしても気になっていた。ここ数日、目や耳にするようになった、自分の知らない言語について。
「生存者はいるか?」
人工言語ヴァンノで呼びかけるが、フロアから返答はない。テロリストの待ち伏せがいたらこちらの位置を知られた可能性があるため、ハートを連れてすぐに場所を移動する。
「二人一組になり、周囲を警戒しながらフロアを探索しろ。トラップに十分注意しろ」
ハートと後続してきた警官隊に指示を出し、二階フロアを探索するが、人の気配はなかった。
窓の外では日が上り始め、サロの気を焦らせた。情報統制もいつまで保つか分からない。それどころか、現在もテロリストが流すラジオが拡散され続けているのだ。サロは最後の扉を蹴り開けて中に銃口を向けるが、部屋は無人だった。
「このフロアには生存者もテロリストもいないようですね。おそらくさらにに上の階へ上がったんでしょう」
多少の落ち着きを取り戻したように見えるハートの言葉に、サロも同意する。ハートとはフロアの捜索が終わり次第、階段の前で合流する手はずになっていた。
警官隊の一部に二階フロアの制圧支持を出し、サロとハートは再び階段の前に立った。すでに粉塵は晴れてしまい、はっきりと露出した死体を直視しないように注意する。
「よし、上がるぞ」
「はい!」
十分ほどかけて、同じ調子で三階と四階の制圧を終える。相変わらず先行した警官隊たちの姿も、テロリストの姿も見られなかった。
精神的なものが大きいだろう、ハートや同行していた警官隊の表情にも疲労がうかがえた。
電波を飛ばすための設備はこれより上の階に集中しているため、サロは気を引き締めて五階への階段を一歩ずつ上がった。ハートと五名の警官隊がそれに続く。
用心深く階段を上り終えたところで、サロは踊り場の部分に人がうつ伏せになって倒れているのを見つけた。
「誰だ!」
サロは反射的に銃を抜いて頭部に照準を合わせる。その照準の先を、ハートが横切っていく。サロは慌てて引き金から指を離した。
「あれは警官隊の制服ですよ。怪我をして倒れているのかも!」
ハートは倒れた男を助け起こそうと腰をかがめた。その瞬間、サロは背筋に氷が這ったような悪寒を覚えた。こんな場面を、どこかで見たことがある――その場面に思い至った瞬間、サロは大声を出しながら走り出していた。
「バカッ、ブービートラップだ!」
大声で叫ぶが、ハートはすでに倒れた男に手を掛けてしまった後だった。サロはハートの体に思い切り体当たりをするような形で突き飛ばし、その勢いを消さないまま駆け抜ける。一ミリでも死体から離れなければならなかった。あっという間もなく閃光が瞬く。ぱぁんと破裂音が鼓膜に突き刺さると同時に、サロは背中に衝撃と熱風を感じた。体がふわりと浮き上がる。
「ぐぁぁぁぁぁぁぁッ!」
サロはハートと共に一メートルほど吹き飛ばされ、肩から前方の壁に叩きつけられると、腰から地面に落ちた。打った肩と腰がひどく疼いたが、それ以上に背中が焼け付くように熱かった。目の前がちかちかとし、意識が朦朧とした。
「う……」
うめき声を上げながら、先にハートが起き上がる。殺傷能力のそれほど高くないハンドグレネードだったが、サロが突き飛ばさなければ致命傷を負っていただろう。そのサロが自らの代わりに大怪我をしているのを見つけ、ハートは慌ててサロを抱き起こした。
「先輩……しっかりしてください、先輩!」
サロは薄く目を開けてハートの様子を観察してから、
「無事そうだな」と無感動に漏らした。とっさの判断とはいえ、らしくない行動をしたことへの照れが、そこには含まれていた。
「痛っ!」
改めて背中へのひどい痛みを感じる。背部の火傷――深さ自体はそれほどではないが、背部前面に広がっていることだろう。グレネードの破片もいくつか刺さっているかもしれない。辺りにはサロの服と髪、そしてブービートラップに使用された警官隊の男の焦げた異臭が漂っていた。
「だ、大丈夫ですか? すみません……僕の注意が足りなかったばかりに」
サロは目に涙を浮かべて謝罪する。鼻からは鼻水が垂れ落ちていた。その様子を見て、サロは思わず苦笑してしまう。
「何で笑うんです。人が心配しているのに……」
「すまない。こんな緊迫した場面でも、緊張感のない男だと感心してな」
「何ですか、それ……」
納得いかない、というような顔をしてみせるハートに、サロは声をかける。
「私は大丈夫だ、幸い命に別状はない。最上階へ上がるぞ。少し肩を貸してくれ」
傷を負ったからといって、このまま引き返すわけにはいかない。そんなことをすれば、一度でも世界政府がテロ行為に屈したこととなる。それは政府の築いた秩序の一端が崩れ落ちることに他ならない。それ自体はサロにとって別に構わなかったのだが、それは同時にサロの現在の地位の剥奪と、粛清を意味していた。
「駄目ですよ。そんな大怪我をしているのに、無茶です」
それにサロは、このテロ行為がただの単発のテロとして終わるとはどうしても思えなかった。後ろに何か深い、陰謀めいたものが隠れている予感がどうしても拭い去れなかった。
「この事件ももうすぐ終わる。そしたら病院でもどこでも行くさ。その前に、奴らが何をしようとしているのか、私が暴き出してやる」
サロの気迫に屈する形で、ハートは諦めてサロに肩を貸した。
後続していた警官隊に、五階の捜索とサロの援護の二手に分かれるよう指示し、サロはハートに寄りかかりながら最上階である六階への階段を上った。ラジオ局内の探索を行ううちに、サロはテロリストたちは最上階で待ち構えていると確信していた。
携帯端末で出した資料によると、最上階にあるのは収録用のホールと大会議室、そして放送を送出するためのマスターコントロールルームだ。
一歩踏み出すごとに背部に焼きごてを当てられたような痛みが走った。既に額からは大量の汗が噴き出している。それでもサロは歩みを止めず、ついにマスターコントロールルームの前に立った。
フロアに人影はなく、防音なのかマスターコントロールルームの中からも人の気配はしなかった。だが、サロはテロリストたちがこの部屋の中にいると確信していた。
指でサインを送って、ハートに扉の横に待機させる。サロ自身は扉の前でワルサーを構えて立った。警官隊は二人の後ろに立たせた。
3……2……サロは指を折っていく……1……0。
大きな音を出して、ハートによって扉が開け放たれ、サロは部屋の中に銃口を走らせた。
「動くな! 言語統制局だ」
一人……二人……三人……部屋にいる人数を把握すると同時に、サロは交互に照準を合わせていった。三人のうちの一人が銃を手にしているが、発砲してくる様子は見られない。見渡す限り人質の姿はみられなかった。
部屋の奥にはテレビモニターのようなものやつまみ、コード類がひしめいており、そこから例の聞いたことのない言語を繰り返しラジオ放送として流していると思われた。
三人の様子を観察し、サロはすぐに違和感に気がついた。突然の襲撃のはずが、三人に慌てる様子が全くみられなかったのだ。まるで突入してくるのを待っていたかのような――。
「そこのお前、武器を捨てろ。すぐにだ」
銃を手にしているのは汚らしい身なりをした男だった。裏路地で屋台でも引いていそうな、無精ひげを伸ばした四十過ぎの男だ。横に控える二人の男はまだ二十台だろう、おそらく無精ひげの男がリーダー格だ。
「聞こえているのか、早く武器を捨てろ!」
ハートが激昂して叫んだ。珍しく迫力のある声だった。
聞いているのかいないのか、男はサロたちのほうをちらりと見るだけで動きを見せる気配はなかった。あの言語についての情報は聞き出したいが、状況からして射殺も止むなしか……サロは軽く引き金を絞った。
「よ、よ、ようやく来たか。ま、待っていたぞ」
発砲の気配を察してか、男がようやく口を開いた。
言語野刺激術の影響を大きく受けたのだろう、男の言葉は不明瞭だった。だが言語野刺激術の影響の大きさと世界政府への反乱の意思の小ささは、必ずしも反比例しない。
「お前たちはどこのグループに所属しているテロリストだ? 何が目的でこのようなことをする? ラジオで流している言語はお前たちが開発したものか?」
矢継ぎ早に質問するサロに向けて、若い二人の男がくつくつと笑い声を漏らした。サロは二人に銃口を向ける。
「何が可笑しい?」
サロの言葉に、今度は若い男のうちの一人が答える。無精ひげの男と違い、こちらは流暢な発語だった。
「別に、ただテロリストグループはこの街にあるだけでも十を超えている。そのどれもが過激なテロ行為を繰り返し、世界政府の転覆を狙っている。お前たちには俺らがどのグループの所属かも分からない。政府はテロリストの行動を全く掌握できていない。これがどういうことか分かるか?」
男の言葉に、サロは無言で首を振った。無精ひげの男ではなく、この若者こそがこの中のリーダー格ではないか、サロはそう考え始めていた。
「革命の日が近いということだよ。全てのテロ行為はそのために行われている」
「そんなことはさせない。お前たちのような危険思想を持った兵隊たちに世界を明け渡せるものか」
「お前も心変わりするさ。今日はそのために来たんだ。死ぬことを受け入れてな。俺たちはもうすぐ死ぬ。だが、その死には意味がある。なぜならボスがそう約束してくれたからだ。地獄にいる俺たちを失望させないでくれよな」
サロには意味の理解できない言葉を言い終えると、男は無警戒な動作でサロのほうへ歩みだした。その手には白い紙切れが握られていた。
「動くな!」今にも発砲しそうなハートに向けて片手を上げ、サロはそれを制す。背中がひどく痛んだが、そんなことは気にしていられない。
「うちのボスからの手紙だ。受け取ってくれ」
男が差し出した手紙を、サロは手を伸ばしてゆっくりと受け取った。その間中、男は笑顔でサロのことを見つめていた。次の瞬間、破裂音が響いたかと思うと、男の笑い顔が弾け飛んでいた。
ぱぁん、ぱぁん!
続いて響く破裂音に、とっさにサロは手で顔を守るような仕草をした。その手に生暖かい液体と、柔らかい物体が降りかかるのを感じた。ゆっくりと顔を上げると、三人の頭のない男たちが地面に倒れこむところだった。男たちが歯にでも仕掛けていたであろう爆弾で自害したことを悟るのに、少しの時間が必要だった。
部屋の床と壁の大半は血と脳しょうで染まっていた。サロとハート、そして警官隊たちは、しばらく呆然として、この世のものとは思えないその光景を眺めていることしかできなかった。
「これで、終わったんですね……」
やがてつぶやかれたハートの言葉はひどく憔悴しており、彼の精神的疲労の深さを伺わせた。
遅れてやってきた警官隊たちに後処理を任せて、サロはハートの肩を借りてラジオ局を後にした。人質は大会議室に集められており、全員が無事だった。
火傷は思っていたより重症で、サロは病院へと運ばれる途中で意識を失った。その手には男が最後に渡した手紙が握られていた。
被害は大きかったが、サロにとってそこまで珍しくもないテロ行為のひとつのはずだった。
だが、この日を境に謎の文字が街に急速に増え始めることになる。サロがそれに気づくのは、三日間の後に病院で目を覚ましてからだった。