表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
14/16

an original(7)

 あえて人の多い通りを歩き、何度かタクシーと地下鉄を乗り換えるうちに尾行の気配はなくなった。

 ほとんど無意識のうちにその作業を実行したサロは、その間、ずっと家族のことを思い出していた。

 私の家族……最後に会ったのはもう何年前になるのだろう。

 サロは都内の大学に入るために家を出るまで、父親と妹の三人で暮らしていた。裕福な家庭ではなかった。副都心の地下層にある寂れた店舗の、奥にある居住スペースに三人で住んでいた。

 店舗は父親が経営していた。店の名は『機械人形店ズーマ』、機械人形職人である父が機械人形を作成するアトリエと、展示スペースとが一体型になった店舗だった。

 機械人形といってもできる動きは限られている。ティーカップを口に運ぶ、本のページをめくる、笑いかける……。だが、人間と見まがうほど精巧な人形が、さも人間のように動くのを見て、多くの人が決して安くはない額を払って機械人形を購入していった。

 サロも幼い頃は、その前時代的な遺物の虜になった一人だった。特に十八世紀末のフランスで流行したシャンソンである『きらきら星』のメロディを口ずさむ若い女性の機械人形は幼いサロのお気に入りで、父親の目を盗んでよく歌を聴きに行ったものだった。

 職人気質であり、平気で家族にも手を上げる父をサロは憎んでいたが、同時に彼の作る人形を愛していた。だが、心から憎い人間が愛するものを作り出すという矛盾じみた感覚を、サロは成長するにしたがって受け入れることが難しくなっていった。

 サロは勤労者共産高校を主席で卒業し、特例として世界政府がエリートを養成するための大学に入学すると同時に家を出た。家に残した妹から父が死んだという便りがあったのは、それから三年経ってからのことだった。

 ふと周りの景色に意識を戻すと、そこは既に見覚えのある風景になっていた。ここに立ち入るのは十年か――それ以上ぶりではないだろうか。

 虫の群がった電灯はほぼ半数が割られるか明かりが消えたまま放置され、その明かりに照らされて、等間隔に鉄製のドアが設けられている。地下層は巨大なアパートメントだが、同時に牢獄のようでもあった。この居住区には四畳半ほどの部屋が数百も並んでおり、貧困者たちがそこで惨めな暮らしをしているのだ。

 天上が低く圧迫感を感じる通路には、薄汚い浮浪者が横になっており、辺りには家畜のような臭いが漂っていた。派手な化粧をした四十を過ぎた女が数人立って、通り過ぎる男に声を掛けている。彼女らは自分を買ってくれる男を探して、共同で借りている安部屋へとしけこんでいく。

 サロの父の店舗があった商業区は、この居住区より多少はマシな区域だった。居住区を通り過ぎると、人通りも増え始め、まともな身なりをした人間もそれなりに目に付いた。

 ああ、こんな店もあったと、サロは懐かしさから辺りをじっくりと見回しながら歩いた。そんなサロを、商業区を歩く人々は宇宙人でも見るような目で一瞥していった。居住区と比べて多少は清潔で安全な通りとはいえ、黒く光るスーツを着た女にとって場違いな場所であることは間違いなかった。


『機械人形店ズーマ』が近づくにつれ、サロは本能的に引き返すべきじゃないかと考え始めていた。


 サロは世界政府言語統制局第一課の課長として、未知の言語について世界政府に全てを報告する義務があったが、現在は独断で動いており、完全なる越権行為といえた。

 それどころか、サロは私的な感情でテロ組織と交流を持とうとしているのだ。もしこのことが公安局にでも露見すれば、言語統制局の倉庫番に回されるか――最悪の場合は処刑さえあり得るだろう。

 だが、妹とテロ組織につながりについて知りたいという欲求が、未知の言語について知りたいという欲求が、サロの足を前へと動かした。

 意外なことに、『機械人形店スーマ』の看板は昔のまま掲げられていた。父は他界したはずなのになぜ……そう思うと同時に、サロは嫌な予感を覚えてその場から横向きに思い切り飛び込んだ。

 態勢を立て直し、先ほどいた場所を振り返ると、一メートル九十センチは

あろうかという大男が、サロが立っていた場所に鉄製のパイプを振り下ろしていた。

 何だ、この男は――? 考える間もなく、自分が先ほどまでただの通行人だったはずの男たちに取り囲まれていることに気づき、サロは舌打ちする。もしやあの手紙は罠だったのか? それともこいつらは、私が言語等政局の人間と気づいて腹いせに乱暴しようとしている? それともただの強盗か?

 様々な思いが脳内に浮かんだが、考えている間はなさそうだった。

 五人の男たちは、一メートルほどの距離を保って、サロに襲い掛かる機をうかがっていた。サロはその場でゆっくり回転しながら拳を上げて、男たちを牽制する。

 サロは太ももに隠した拳銃に手を伸ばしかけるが、考えを改め、胸にしまっておいた特殊警棒を振り出した。ここで目立てばテロ組織と繋がりがあるとみなされ、最悪の場合は処刑だ。拳銃は最期の切り札として取っておくべきだろう。


「お、お、お、お前は、せ、せ、政府の人間だな」


 言語野刺激術を受けた人間特有の吃音で長身の男が言うので、サロは「そうだ」と短く答えた。「だったら何だ?」

 すると男が、今度は『流暢な発音』で、未知の言語を用いてこう言った。


「だったら死ねよ!」


 男が再び振り下ろした鉄パイプを、サロは特殊警棒で受け流した。鉄パイプは派手な音を出してコンクリート地面に穴を空ける。手ががくがくと震えた。マトモに受けていたら手首の骨が粉砕していただろう。

 後ろにいた金髪の男がサロの動きを止めようと抱きついてくるので、サロは後頭部を逸らして男に頭突きする。男がのけぞると同時に振り返った勢いで警棒を振りぬき、サロは男の顎を打ち抜いた。金髪の男は白目をむいて倒れた。

 倒れた男の左右にいた、二人の若い男たちが前に出てくる。サロが警棒を振ると長身の男と中年男はひるんで少し下がったが、若さゆえか二人に怯えた様子はない。

 二人はほぼ同時にサロに襲い掛かった。前蹴りと拳が同時に飛んできて、警棒を持っていない方の手で蹴りを防いだが、拳をまともに喰らって眉毛の横から出血した。「痛ッ!」サロの口から小さな叫びが漏れる。さらに第二弾の攻撃が同時に飛んでくる。サロは攻撃を防げないと判断し、バックステップで攻撃を避け、特殊警棒をこちらに向かってきていた中年男に向けて投げつけた。警棒は中年男の頭に当たり、男は呻き声を上げてうずくまった。サロは空いた両手で蹴りを放った若い男の伸びきった足を掴むと、さらに男の足を引っ張り、その上から足で体重をかけた。ボキリという音とともに若い男の膝が壊れ、若い男は叫び声を上げた。

 顔を上げると、鉄パイプを持った長身の男と若い男、頭から出血した中年男の三人が、同時にこちらに襲いかかろうとしていた。若い女だと思って油断するというもの、もう期待はできなさそうだ。

 若い男の蹴りを避けると同時に、最も注意しなければならない鉄パイプが落ちてくる。一瞬のうちに避けるのは不可能と判断し、両手首をクロスさせてその接点で衝撃を受けるが、両方の手首に激痛が走る。おそらく折れただろう。だが、サロはひるまず長身の男との距離を詰め、男の鼻先に頭突きを喰らわせる。距離がなければ鉄パイプも役に立たないし、両手が使えない今、このような戦い方をするしか方法はなかった。男の鼻から血が噴きだし、距離を取ろうとする男を追いかけもう一度頭突きをしようとした――瞬間に、「オラァ!」という掛け声と共に飛んできた中年男の前蹴りに吹き飛ばされ、体重の軽いサロは『機械人形店ズーマ』の壁に激しく肩を打ちつけた。両の手首を中心に、全身が鈍い痛みに包まれていた。眉毛の横から出血した血によって視界は半分ほど消えていた。憤怒の表情をした三人の男たちが距離を詰めてくる。

 こうなっては仕方がない――。

 サロがスカートスーツの太ももに隠した拳銃に手を伸ばした、その瞬間だった。


「daim!(やめろ!)」


 未知の言語での叫び声が聞こえ、場にいた人間が一斉に声の方を向いた。

 そこに立っていたのは。成長したサロの妹――ニナの姿だった。固体識別番号は……もう覚えていない。片目に白い眼帯を巻き、妊娠しているらしくお腹が大きくなっていたが、その勝気な目と女にしては高い身長は紛れもなく妹のものだった。


「久しぶり」言語野刺激術を受けていないのだろう、ニナは流暢な発音の英語で言うので、サロも英語で答える。

「元気にしてた?」今度はフランス語だ。サロは訝しがりながらも、懐かしい顔に向けてフランス語で返答する。

「ずっと会いたかった」今度は日本語だ。


 サロはちらりと周囲に集音器がないか探ったが、この辺りに置かれていないようで、盗聴の心配はなさそうだ。

 中国語、イタリア語、スペイン語、韓国語、アラビア語……旧言語で二人は再会を喜び合い、最期にニナは「仲間が迷惑をかけちゃったね」と人工言語ヴァンノで言ってから、


「手当てをするから中に入りましょ」と未知の言語で言って笑った。

「ああ、入らせてもらおう」


 サロは未知の言語で応答した。そのくらいの会話ができる程度に言語の解析は済んでいたし、何よりサロは過去にその言語のことを知っていたようだった。サロが未知の言語を使用したことにより、サロを襲った男たちの中からざわめきが漏れた。

 ニナは昔と変わらない勝気な笑みを浮かべて『機械人形店ズーマ』の扉を開けてくれた。店の外では先ほどの男たちが介抱しあいながら、こちらを睨みつけている。

 店に一歩足を踏み入れた瞬間、懐かしさがこみ上げてきた。店内はサロが出て行ったままの状態で保存されているらしく、見覚えのあるいくつかの機械人形が鎮座して、どこかぎこちなく動き続けていた。『きらきら星』のメロディを口ずさむ機械人形は、残念ながらそこにはなかった。売れてしまったのかもしれない。

 ここがテロ組織に関わる重要な場所であることは、サロにも察しがついていた。だが、ここは自身の記憶にとっても重要な場所だった。今のところ、サロはこの場所を通報するようなつもりはなかった。今のところは――。


「手はどう? 折れてそう?」ニナは今までずっと一緒に過ごしてきたみたいに、サロに向けて話した。

「右は大丈夫だが、左手首がおそらく折れている」

「手当てをするわ」

「頼む。終わったら父の仏壇の場所を教えてくれ。最低の父だったが、参っておきたい。もう二度と機会はないかもしれない」

「え……?」


 ニナがきょとんとした顔をするので、サロは不審がって尋ねる。


「もう何年も前に父が死んだと電話を寄越しただろう。独自のルートで確認もしている」

「あ、ああ。そうだったね、父さんの仏壇を参りたいなんて、ちょっと意外だったから。でも残念ね、仏壇はここには置いていないの」

「そうか……」


 ニナは立ち上がると、雑誌と包帯を持って戻ってきた。骨折の応急処置をするためのものだろう。その雑誌が反政府的な記事が掲載されたとして、数年前に発行禁止処分になっていることを、サロは見逃さなかった。


「ぶっちゃけ、気づいているんでしょ?」


 手首と頭の傷の応急処置を済ませ、コーヒーを二つ持ってきたニナははにかみながら言う。


「ああ、先日大規模なテロ行為を実行したばかりで、ここのところ新たな未知の言語を流布している反政府組織、その組織を指揮しているのはお前なんだろう?」

「ビンゴ☆」

「どうして私にあんな手紙を送った? 私は言語統制局の人間だぞ。もし私があの手紙のことを密告していれば、今ごろお前も、私を襲ったお前の仲間も首と胴体が離れ離れになっていただろう。それにあの言語はなんだ? あんな言語、今まで見たことがない!」

「まあまあ、今はそんな難しいことは言いっこなしで、とりあえず」


 ニナは昔と変わらない笑顔をみせると、未知の言語でつぶやいた。


anlunanおかえりなさい

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ