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《鬼神》の恋

 重なり連なる急展開。私はすでに理解することをやめて、ぼうっと目の前の出来事を眺めていた。

 舞台はどこかの洋館だかお城だか。登場人物はご婦人もといアリシアと、屈強な戦士といった体の若い男。二人は先程から延々と言い争っている。

 最初は突然のプロポーズ!? とドキドキして見守っていた展開も、今は通せだの通さないだの、渡せだの渡さないだの、最近どこかで聞いたような言葉の応酬である。そんなやり取りが五分ほど続いており、さすがに飽きた私はここがどこなのかを考えていた。

 あの身体が浮くような感覚は、以前ステッキを取りに来たおじいさんのときと同じだ。だから、私が見ているのは多分夢。記憶と呼び変えてもいいのかもしれないし、記憶を夢として見ているのかもしれない。

 どちらにしても、ただの夢じゃないことは確かだ。確証があるわけじゃないけれど、これが全部私の妄想だとは思えないもの。

 これも《やすらひ堂》の力なのだろうか? 私は店の全て知っているとは言い難いし、ありえることだとは思う。でも、だったらどうして店長はこの場にいないのだろう? 私だけが巻き込まれたのだろうか。

 口論のトーンが変わり、私の意識は再び眼前に集中した。


「アリシア、分かってくれ。俺にはその鏡が必要なんだよ。この十年間、ずっと探していたんだ」

「わたくしだって! 世界中を歩き回って、ようやく見つけたんですわ。もう絶対に手放さない。あなたなんかに、渡せるもんですか」


 アリシアは男の懇願を撥ね付けるように言い、立ち去ろうとした。その細腕を、あっという間に距離を詰めた男が掴む。


「何をっ? 離して!」

「いーや、分かってくれるまで離さない」

「はなし……っ」


 思わず、私は声をあげそうになった。

 揉みあう二人の体が壁にぶつかり、激しい音を立てて鏡が落ちたのだ。

 一瞬にして、ホールに静けさが満ちる。

 鏡が割れたと思った私は、慌てて二人のもとに駆け寄った。だが、彼女らが私に気付いた様子はない。これが誰かの記憶の中だとしたら、部外者の私は干渉できないというわけだ。

 ということは、思う存分近寄れる。

 鏡を心配したのは私だけではなかった。他の二人も同じだった。ただ、その理由は私と二人とで大きく異なっているような気がする。私は神器が損なわれることを恐れた。一方、アリシアと若い男は鏡の特別な力を必要としているようだ。おそらく鏡が割れてしまえばその力も失われてしまうのだろう。

 よくよく考えれば、心配しなくても鏡が割れるはずはなかったのだ。だって、少なくとも百数十年後の世界では無事《やすらひ堂》に保管されているのだから。

 安心した私は、一つの疑問を抱いた。

 アリシアの言っていた、『世界中を歩き回って』とはどういう意味だろう? ウォーレン家の家宝なんだから、ずっとアリシアの手元にあったんじゃないのか? そもそも、どうしてそんなものがウチの店にあるのだろう。

 ――首を傾げる暇があるなんて、随分と余裕だ。二回目だからだろうか。

 男は白い歯を見せて、場違いなほどに快活な笑みを浮かべた。


「ふぅ。傷ひとつないようだな」

「カイル、あなたねぇっ。乱暴をするから、こんなことになるのよっ。あなたのそういうところ、昔っから変わってないわね!」

「なんだよ、ガキの頃はそういうところが好きだって言ってくれたじゃないか」

「なっ」


 あらまあ。見る見るうちに茹蛸みたいになって。あのご婦人にも可愛いところがあったのね。


「そんなこと言ってません!」

「言ったよ。ほら、フェリシラがガキ大将に苛められてて、俺が助けに入ったとき」

「あれは相手が嫌な奴だったから、胸がすかっとしてつい口が滑ったのです。決して、絶対に、本心なんかではありません!」


 図星を指されると逆上するところは、昔から変わっていないらしい。

 男の方も分かっているようで、憎らしいくらいニヤニヤしている。おっと、人のことは言えない。気付いたら私もニヤニヤしている。

 だが、男は冗談のつもりでなく本気だった。ふと笑いを引っ込めると、切実な思いを込めてアリシアを見つめた。


「嘘言うなよ。お前は昔から乱暴者の俺が好きだったろ。だから俺は」

「言わないで!」


 アリシアは悲鳴に近い声で叫んだ。

 目に涙を浮かべ、子供のように嫌々をする。全身に悲壮感が漂っているのは何故か、と私は心の中で彼女に尋ねたが、当然のように返答はない。


「お願い、その先は言わないでっ」


 アリシアの悲しみが伝染したように頭がぼうっとして、手足が痺れるような感覚すら覚えた。

 何かおかしい。辛うじてそうと分かるものの、次の瞬間には何がおかしいのか、どこがおかしいのかも分からなくなる。はっきりとした自覚と心地の良いまどろみが同居する世界。これは、あれだ。

 帰ろうとしている。私の意識が、元の世界に。


「分かってくれ、アリシア。俺にとっては、お前も、妹も――フェリシラも、どちらも大切なんだ。俺の大切な家族なんだ」

「嘘っ。本当に大切なら、無茶なことしないでよ!」

「聞いてくれ、アリシア。俺はあいつを取り戻す。だから、鏡を。俺を、あいつのいる鏡の世界に――」


 視界が暗転する直前、一歩踏み出した男の足が鏡の中に吸い込まれるのを見た。

 男は消え、鏡も消えた。

 呆然と佇むアリシアを残して、私も消える。




 目を覚ました私を待っていたのは、見慣れた《やすらひ堂》の店内……ではなく、どこまでも落ちていけそうな高い空と、風と、草原と、アリシア・ウォーレンだった。

 彼女は店を訪れたときの格好で、私に気付くとふっと柔らかな微笑を浮かべた。姿かたちはそのままでも、店に来たときとも記憶の中とも異なる雰囲気を纏っている。疲れ果て、それでいて希望を捨てていない目。見ていると、理由の分からない不安に見舞われる。


「一つだけ、あなたに話しておきたくて」


 何の説明もなしに、彼女は突然本題を切り出した。聞きたいことがたくさんあるのだが、店長と違ってアリシアは質問を許してくれそうにない。

 彼女はこうしている時間も惜しいというかのように、すぐさま口を開いた。


「わたくしには、仲の良い友達が二人いたの。二人は兄妹で、カイルとフェリシアと言ったわ。カイルは小さい頃から暴れん坊で、フェリシアはニコニコして彼に付いて回ってた。『仕方ないなぁ、お兄ちゃんは』っていうのが彼女の口癖でね。人間の彼らとわたくしが友人になれたのは、奇跡だったと思うわ。そう、とても残酷な、ね」


 アリシアは話したがっていた。だから私は何も言わずに彼女を見つめた。


「二人と出会う前、わたくしは一人ぼっちだった。大きな城に、たった一人で暮らしていた。父様も母様も人間に滅ぼされて、わたくしだけが取り残された。だから寂しくって、つい彼らを受け入れてしまったの。後悔したときにはもう遅くて、フェリシアがあの鏡に吸い込まれた後だったわ。その後、鏡もどこかへ行ってしまって、青年に成長したカイルも戦争に行ってしまった。

 わたくしは鏡を探した。あんなもの、本当は二度と見たくなかった。でも、放っておくことはできなかった。わたくしの城に置いておくのが、いちばん安全だったのよ。だけど、やっぱりそれは間違いだった」

「――カイルさんも、妹さんと同じように吸い込まれてしまったんだね」


 アリシアははっとして、唇を噛み締めた。顔が蒼褪めているのは、今なおカイルさんたちとの思い出に縛られているから。大好きな人たちとの思い出は楽しいもののはずなのに、どうして彼女を苦しめているように見えるのだろう? あの鏡っていったい何? なんの権利があって、アリシアたちを引き離すの?

 私は言い知れない怒りと失望を感じながら、アリシアの気持ちを想った。

 彼女が鏡を求めていた理由が、やっと分かった。

 彼女は、鏡を追っていたのではない。大切な友人たちを追って《やすらひ堂》に辿り着いたのだ。

 私には、もう彼女を止められない。そんな権利なんて、ない。


「わたくしは、乱暴者のカイルが好きだった。考えなしで、すぐ喧嘩して、でもそれはいつも誰かを守るためで。大切な何かを守るためなら、彼はどんな無茶だってやった。そんな彼が好きだったの」


 どんなに傷ついても、諦めきれない。誰しもそういった存在を抱えているものなのかもしれない。


「だから、わたくしも行くわ。無理だと分かっているけれど、忘れるなんてできないから」

「……鏡に吸い込まれると、どうなるの?」


 私の問いかけに、アリシアは首を横に振った。分からない、の意味だろう。しかし、吸い込まれた者たちが鏡の中で生き続けているという希望の意味も、そこに込められているような気がした。

 そうであってほしい。無理なのかもしれないけど。私には、願うことしかできないけれど。

 風が爽やかに吹き、髪を揺らす。隣で気持ち良さそうに目を眇めるアリシアさんは、まるで女神みたいに神々しかった。


「ところで、あなた言いましたわね?」

「へ? なんて?」


 聞き返すと、アリシアは口をへの字に曲げて、


「今の鏡の所有者は《やすらひ堂》だと」


 ああ、確かに。言いましたね、そんなこと。


「わたくしは、まだお金を払っていません。ですが、払う気もありません」

「え、ちょ、万引き宣言?」


 なんて堂々とした態度。しかも美人なので様になっている。宣言の内容は別として。


「ですから、所有権はあなた方のままです。いいですわね?」

「いいって、どういう意味?」

「ま、元はウォーレン家の家宝ってことは、大目に見て差し上げます。手放したかったことは事実ですからね」


 おい、質問に答えろ。


「よいですか? しっかり探すのですよ」


 おーい。アリシアさーん。


「あ、そうそう。魔法の言葉を忘れていましたわ」


 質問にこーたーえーてー。

 って、あれ? 私の声、聞こえてない?


「あなたが信じてくれて嬉しかったわ。だって、最近の人間ってこういうの信じないでしょう? ミチヒサって子はともかく、あなた、見るからに普通だし。だから、一生忘れないようにハッキリ刻み付けておくわ。

 これはね、全部ほんとのはなしよ」

「……!?」


 不意に、頭がぐらりと傾いだ。地震でも起きたのかと思ったけれど、違う。激しい眩暈を起こしたのだと気付くのに、数秒もかからなかった。

 今なら分かる、気がする。

 強制終了されるパソコンの気持ちが。

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