店長と守護霊
店に入るなり、高慢な態度で命令口調。
一目で面倒くさそうな匂いを嗅ぎ取った私は、店長の着物の裾をぐいぐいと引っ張って、小声で批難した。
「店長。あれ、私に押し付けるつもりでしたね? あの面倒くさそうなの!」
「お客様は神様です。暴言はよしなさい」
「店長こそ心にもないこと言わないでください。神様でもお金は払ってもらいます」
「どうせタダ同然で引き取った呪いの鏡だ。さっさと渡して帰ってもらえ」
「そんなわけにはいきません」
まるで揉め事はご免だとでも言いたげである。私だって嫌だけど、だからって人に押し付けるのは感心できません。それに売り物をただで渡そうとするなど、商売人の風上にも置けない。
なおも言い合う私たちに我慢ができなくなったのか、高慢ちきなご婦人は苛々した口調で割って入った。
「ちょっと、あなた方! わたくしの話を聞いていましたの!?」
「え? 何か言ってましたか?」
「むきぃ! わたくしがどれだけ高貴な身分なのか、そしてその鏡が我がウォーレン家の家宝となった由来をとくと語ってさしあげましたのに!」
「そんな長く語ってましたか……?」
「念波で!」
あー、そりゃ無理だわー。私人間だからー。
ひとしきり喚くと落ち着いたのか、ご婦人は居住まいを正してコホンと小さく咳をした。
「――まぁ、いいですわ。所詮は人間ですものね。これくらいの無礼は、寛大な心で許してあげましょう」
それを聞いて、私はふと思い出す。
この美しい女性も《鬼神》なのだ。どこからどう見ても人間と変わらないのに。それどころか、こんな綺麗な人は写真の中でだって見たことがない。腕も腰も細いのに出るところはしっかり出ていて、見ているだけでもご利益がありそう。
「なんですか? 人のことをジロジロ見て」
「いい機会だから観察しようと」
「……いい度胸ですわね。あなたが死んだらわたくしが魂食らってやります。もっとも」
おや?
ご婦人は物憂げな視線で私を――いや、私の手の中にある鏡を見つめた。
「わたくしがそれを手に入れたら、もう関係ありませんけど」
気になる言い方をする。私には何のことやらさっぱりだったが、驚いたことに店長には通じたようだった。
「まさか、鏡の中に入るつもりか?」
「そのために捜し求めてきたんですわ。――あなたはこの鏡のことを少なからずご存知のようですわね」
ご婦人は魅惑的な、それでいて攻撃的な微笑を浮かべた。
私は知らず知らず鏡を抱きしめる。彼女に渡してはいけないような気がしたのだ。
そんな私にご婦人は荒々しく息を吐き、話を逸らすように店内を見回した。
店には、鏡の他にも色んな神器がある。刀剣、中国風の壷、双六、天使を模ったレリーフ。他にもたくさん。それらに込められた意味を私は知らない。店長は、その一つ一つに正当な持ち主がいて、彼らの手に渡るのを道具たちは今も待ち続けていると言っていた。やすらひ堂はそんな神器たちの言わば仮の宿なのだと。
「それにしても、不思議な場所。ここへ辿り着くのに百数十年かかってしまったわ。いったいどんな魔法が掛けられているのかしら」
「ひゃく……!?」
驚く私の頭に、店長はぽんと手を載せた。
「《やすらひ堂》は誰もが訪れていい場所ではない。ここに眠っている神器たちは、どれも強い力を持っている。それらをねこそぎ奪おうとする鬼神がいないとも限らないんだ。だから、例えあなたのように資格を持っている者でも、きちんとした手順を踏んでもらわねばこの店の敷居を跨ぐことはできない。まぁ、百年以上彷徨った例はさすがに聞いたことがないが」
「お黙り。わたくしのせいではありませんわ」
やけに丁寧な説明口調だなと訝しんでいると、上から降ってくる呆れたような視線のおかげで、店長はご婦人にではなく私に説明していたのだと分かった。
なるほどねぇ。だからお客があんなに少なかったんだ。
店番が必要な理由もこれで分かった。店に人がいない、次はいつ来られるか分からないと来たら、どんな善良な鬼神だって神器を持っていっちゃうかもしれない。それでは、お店とお客双方のためにならない。私たちは、本当にその人に必要なのかどうかを判断して神器を渡さなければならないのだ。それが、《やすらひ堂》で働く人間としての責任。
単なる神器取扱店ではない。神器たちの仮の宿。私たちのお客様は神器を求めてやってくる鬼神だけではなく、神器そのものもお客様だということ。
色んな考えが頭の中に渦巻いて、ちょっと混乱しそうだったけど、店長が言いたいことは何となく分かった。
店長が私に『好きにしろ』と言った意味。あれは、こういうことなのだ。私がどうやって彼らを認めるか。どうやって私を認めさせるか。
改めて《やすらひ堂》の特異性を思い知った気分だ。
だが、ことはそう簡単ではない。
ご婦人は鏡をご所望だけど、私はこのままでは彼女に鏡を渡したくない。何故だか分からないけど、危険な予感がするのだ。心臓がどくどくと早鐘を打って――いや、この感じ? 直に振動が伝わってくる!?
私は反射的に鏡を自分の胸から離した。
私の手の中で、鏡はそれ自体が生き物であるかのように動いていた。
何かを求めてる。いったい何を?
「さあ、いい加減その鏡をお渡しなさい」
「い、いやです」
「なんですって?」
咄嗟に言ってしまった私に、ご婦人は目を吊り上げて怒った。
「正当な持ち主たるわたくしが命じているのです。その鏡は、ここにあっても仕方のないものですわ。道具に道具としての本分を全うさせるのが、あなた方の役目ではなくて?」
その通りなのだが、全面的に同意したいのだが。
一度口にしてしまったことは仕方がない。自分のコミュニケーション能力の無さを呪いながら、私は必死に言い繕った。
「渡さないと言っているのではなくて。その前に、理由を教えてほしいんです。そうまでして欲しがるには、何かわけがあるんでしょう? それを教えてください」
「聞いてどうするのです。あなたに関係があって?」
「大有りです。正当な権利者か何か知りませんけど、今の所有者は《やすらひ堂》なんです。ですから、この鏡をほいほい渡すことが良いことなのかどうか、考える責任があるんです。それに、今のあなたってどう見たって周りが見えてないですもん。あたり構わずイライラしちゃって、せっかくの美人が台無し――」
「あ、な、た、に、関係ありません!」
腹の底から張られた大声に、私は思わず身を竦めた。そこまで怒らせるようなことを言っただろうかと思い返して、事実は時として人を逆上させるのだと誰かが言っていたのを思い出す。
「渡さないと言うのなら、力ずくで奪うまでですわ。覚悟なさいっ」
んん、気のせいかなっ? なんか彼女の周りにオーラのようなものが見える。金ぴかに光ってて、うわー綺麗。趣味わるー、などと思ってたら、オーラの一部が小さな礫となり、弾丸のように真っ直ぐ私に向かって飛んできた。
私の目には、オーラが一瞬強い光を放ったとしか見えなかった。が、衝突する寸前、礫は水を掛けられたみたいにジュッと蒸発して消えた。
間一髪。本能で助かったと察したものの、状況は何一つ分からないまま、今更のように心臓がどくどくと波打ち始める。
ぎこちない動きで店長を見やると、無敵のポーカーフェイス男は一つも動じることなく突っ立っている。腕組みとかしちゃって余裕だ。私なんて、危うく怪我するところだったらしい、くらいにしか理解できていないのに。
しかし、私以上に混乱しているのが攻撃を放った本人であるご婦人だった。目を丸くしたり顔を青くしたり口をパクパクしたりと、何やら忙しそう。だが、そのおかげで私への攻撃は一発で済んだのだ。私としては、ありがたいと思うべきか。二発目も目の前で消えてくれるとは限らないし、そうでなくとも心臓に悪い。元はといえば彼女を怒らせた私も悪いのだが。
それにしても一体何が起きたのだろう。今まで怒り心頭だった人が一転混乱に陥るなんて、きっと余程のことが起きたのだろうね。なんて他人事みたいに言ってみる。
「あの、店長」
「なんだ、有馬冴」
「よろしければ、今の状況を説明していただきたいのですが」
「ん」
と頷いたものの、店長はしばらく虚空を見つめたまま黙していた。
ようやく口を開いたと思ったら、
「何から話せばいいものやら」
「できれば詳細かつ簡潔にお願いします」
「難しい注文だな」
と言いつつも考えてくれる辺りが店長らしい。だから、質問する側としても躊躇いがない。店長は店にいないことも多いから、学べるときに学んでおきたい私としては非常に助かる。
たぶん、私の考えを店長はお見通しなのだろう。その上で私の希望に応えてくれている。感謝しなきゃいけないなと思いつつ、私は店長の言葉を待つ。
長いようで短かった沈黙の後、やっと口を開いた――と思ったら、答えたのは彼ではなく別の誰かだった。
「キミを守ったのはね、この家の守護霊の力だよ、冴ちゃん」
なんだって? レイ?
その直後、私は非常に珍しいものを見た。店長の眉がぴくりと神経質に撥ねたのだ。だが、私はそのことに感動する暇もなかった。突如背後から肩をぎゅうううっと掴まれ、悲鳴を上げたのだ。
「つまり僕の力。感謝してね? するよね勿論?」
「します! しますから離してください!」
簡潔すぎて理解し難い説明だったが。
それはとにかく、痛い、とっても痛い! 健康時におけるマッサージチェアくらい痛い!
ようやく解放された私は、カウンターに突っ伏してぜいはあと大きく呼吸した。
こ、これが死後霊とやらの力なのか。底知れないパワーを感じる。ただし物理的。霊なのに。
と、そこへ怒りを含んだ店長の声。
「八萬さん、うちの店員に悪戯をするのはやめてもらえますか」
「悪戯だなんてー。ちょっとした挨拶だよ。ほら、この子うちに来てから二年にもなるのに、一回も顔合わせたことなかったじゃん? だからその分、力が入って」
「今日が初なのは守護霊のくせにいつもフラフラと出歩いてるあなたの問題でしょう。まったく糸の切れた凧じゃあるまいし」
「すごいよねそれ。僕って死んでからも規格外なんだ。褒めて褒めて」
「褒めない。いいからさっさと位牌に帰れ」
霊なんだから死後って当たり前なんじゃないのと胸中で文句を言いつつ、頭上で交わされる言葉の応酬を遠いラジオかテレビの声を聞くかのように耳に入れる。軽い酸欠のせいで内容まで頭に入ってこない。
「あれ、冴ちゃん死んだ?」
「縁起でもないこと言わないで下さい。キミも早く起きろ!」
店長は男の死後霊(?)に怒鳴ると、私の頭にチョップを落とした。
痛い。なんで叩く。
涙目になって起き上がると、底抜けの笑顔でヒラヒラと手を振る半透明の男性がいて、私はひっと息を呑んだ。
「大丈夫だ。先程は不覚を取ったが、もう二度とキミに触れさせはしないから」
「あ、こういうの知ってる。らぶらぶっていうんだ」
「違う!」
加えて言うならばー。
店長が怒鳴ってる姿も初めて見た。
あ、いかん。私まだ少し頭がふらついてる。ご婦人のオーラ攻撃に死後霊さんの強烈肩揉み、とどめは多分店長のチョップ。そういえば、なんで店長は怒ってるんだ?
怒っているといえばもう一人。あのーお二人さん、お取り込み中のところ申し訳ないんですが、ご婦人のオーラが凄いことなってます……。
怒髪天を衝くと言うが、さすがに妙齢の美人さんの髪が逆立ったりなんてことにはならず、言葉の意味をただただ形相だけで表している。いや、むしろそれだけで十分だ。これでもし頭が昭和のパンクファッションみたいなことになってたら、おそらく私は吹き出してた。
だが、現実は冗談では済まされないことになっているようだ。放って置かれたショックが攻撃を打ち消されたショックを上書きしたせいか、ご婦人のお怒りは死後霊の握力を軽く凌駕しているようにも見える。それも仕方ないだろう。往々にして、誤った上書き保存のダメージ値は想像をはるかに超えるのが世の倣い。そのためかどうかは別として――。
「もう許しませんわっ。馬鹿にしてっ。この家ごと吹き飛ばしてやる!」
「ちょっと待ってください! お、落ち着いてっ」
「問答無用!」
って響きが格好いいよね。やられる方は堪ったもんじゃないけど。……なんて言ってる場合ではなく。おい、あんたらまだ言い争ってるのかよ! この状況で!?
男二人は頼りにならない、私の言葉は力を持たない。何この場違い感。過積載じゃね?
おろおろしていた私は目を瞠った。
ご婦人のオーラに当てられて、壁にかかった思い出のひょっとこが煽られる。天井近くに舞い上がったそれは、突然、何の前触れもなくパキンと割れた。
「あ――」
愛嬌のある――間の抜けたとも言う――まん丸の目が、悲しげに歪んだ気がする。
やすらひ堂は神器たちの仮の宿――。
その瞬間、私の怒りが爆発した。
「ちょっと待てええ! アリシア・ウォーレン!」
私の口から飛び出したのは――なんと、男の声!?
ふわっと身体が宙に浮くような懐かしい感覚。そのときにはもう、店の内装は見えなくなっていた。
床も壁も天井も、一面灰色。まるで魔王の城に入り込んだかのような錯覚。目の前には数段の階段。ちょっと広い踊り場があって、そこから二階へ続く階段が左右に分かれている。
踊り場の壁には、私が後生大事に抱えていたはずのあの鏡。そして、その手前に豪奢なドレスに身を包んだご婦人が冷たい目でこちらを見ていた。
「まだ何か用ですの? 腐ったドブネズミが」
え、それ私のこと?
きょとんとする私の背後から、
「まだも何も、一つとして始まっちゃいねえ。ウォーレン家の鏡をいただくまではな」
伝法な口調の男が、私をすり抜けるようにして眼前に姿を現した。
遠近法を抜きにしても、ご婦人――アリシアさんをすっぽり隠してしまうくらいの巨体。服の上からでも屈強な肉体が見て取れる。声だけで判断するならば、まだまだ若そうだ。三十路は超えていないだろう。
男の声には不器用さと、幾分かの温かみが感じられた。
「今日こそ貰うぜ。ウォーレン家の秘宝。そしてアリシア、お前をな!」
……もう、何がなんだか。