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私の居場所

「月光に晒すととめどなく清水が溢れる水瓶……マジで? いいなぁ、私それ欲しい」


 水道代が浮くじゃん。

 心底羨ましそうに溜息をつくと、私は手にしていた糸綴りになった本をカウンターの上に置いた。

 午後二時三十分。本日も来店ゼロ。

 夏まっさかりのめでたく気温35度超え。太陽は今日も平常運転である。壊れかけの扇風機しかない店だけど、奥が襖全開のおかげで風が通って涼しい。ちなみに風鈴はうるさいので外された。

 近所の居酒屋から貰ったお古の椅子に紺色の座布団を敷いたのが、この店での私の定位置だ。バイト三年目、この場所は店長にも渡さないぜと内心息巻いている。


 ここは、和洋折衷の骨董品屋《やすらひ堂》。表は江戸時代の小さな呉服屋といった風情だが、奥に入ると見た目以上に広いことが分かる。

 店長の瀬戸川に聞いたところ、この辺り一帯は昔から瀬戸川家の敷地だったらしい。こんなに広いのに店長の家族を見かけないのは、一人で住んでいるからなのかな。家族に関しては教えてくれなかったけど、別に秘密ってわけでもなさそうだからいずれ聞いてみようと思う。

 もっとも私がそんな話を聞くことになったのは、つい先日ひょんなことからやすらひ堂の本当の姿を見てしまったからで、それまではごく普通の寂れた骨董品店だと思っていた。

 そう、やすらひ堂はただの寂れた骨董品店ではない。なんと、鬼神(おにがみ)専門の神器取扱店だったのです……。鬼神といっても姿は人間と変わらないし、神器といわれても何のこっちゃ、なのだが。

 そんな私を待ち受けていたのは、果てのない暗記と暗記、そしてまた暗記の毎日だった。といっても、まだ三日目だけど。頭の悪い私には永遠とも思える地獄の試練である。

 何を暗記しているのかというと、私がさっきまで必死に読んでいた本――やすらひ堂に保管されている神器を記した目録だ。神器の名前と能力、入手した日付、場所、譲り受けたのなら前の持ち主の姓名などなど、事細かに記録されている。本というよりカードの集まり。一枚につき一つの神器が記録され、それらを糸で綴じているのだ。中には、和紙を半分に折った古いものも挟まっている。

 その数、数十。これで全てと言いたいが、残念ながらほんの一部である。

 最初に目録を渡されたときは、これだけでも結構な数があると思っていたけど、実際はこの何倍もの神器が瀬戸川家には保管されているという。店先に並べることができないくらい危険だったり、逆にしょーもなかったりする神器は、蔵に眠っているらしい。

 私が読んでいる第一目録は、ほとんどは店に並んでいる神器を集めたものだ。過去置いてあったものも含んでいるので、実際に並んでいるのはこれより少ない。(ただし、店長によれば一度店を出て行った神器が戻ってくることも少なくないらしい。まるで嫁の出戻りのようだ)つまり、これ全てを覚えたとしても、第二第三の目録暗記が待ち受けているということ。

 ――途方もない。


「ううっ。頭痛い……」


 本当に途方もない。だけど、諦めるつもりはない。やっと見つけたんだ。逃げ場じゃない、私の居場所。

 目録を渡してくれたということは、本格的にやすらひ堂の一員として私を認めてくれたということじゃないか? 店長はそんなこと一言も言わなかったけど、私はそう解釈してる。もし違ってたら恥ずかしいどころの騒ぎじゃないけど、違ってたら違ってたで、意地でも居座るつもりだ。

 とはいえ。

 ごつん、と額をカウンターにぶつけ、ちょっと休憩のポーズ。

 もう限界。休ませて。

 脳みそのオーバーヒートを防ぐため、私はしばし目録のことは頭から追い出した。

 風が入るとはいっても、表の熱気も少しは伝わってくる。紺地に白で鋤と書かれた布製のコースターに、コップについた雫が垂れて染みをつくる。

 風鈴の音が聞こえないのが、少し寂しいと感じた。店の前は車も滅多に通らない。時折自転車の駆ける音が通り過ぎる以外、水を打ったような静けさが辺り一帯を取り込んでいた。

 ひんやりとしたカウンターを頬に感じながらそっと目を閉じると、瞼の裏に、鮮やかな夜の花が咲き誇る。

 紅や金に夜を染めては、果てしのない大気の中に散っていく花火。間近で見た、最後の打ち上げ花火。

 あの夜、私の両親は事故で死んだ。花火大会のため交通の流れがいつもと違うことに焦った別の車が、二人の車に横から衝突したのだ。両親の車は電柱に突っ込み、助手席に乗っていた母は即死。重体だった父も、翌日病院で息を引き取った。

 私が花火大会なんかに行かなければ、両親は私を探して車になんて乗らなかった。あんなことにはならなかった。全部私が悪いのだ。私が二人を殺し、春樹から両親を奪ったのだ。春樹だけではない。親戚、友人、同僚、色んな人が私の両親を好いていた。そんな人たちから、私は――。


「――ごめんなさい。ごめんなさい、ごめんなさい」


 くぐもった声がカウンターと私の間から漏れる。胸の底から溢れ出る言葉を抑えることができなかった。何度も何度も、数えるのが億劫なくらい繰り返した謝罪の言葉。どうして、楽しい思い出は掠れていくのに、罪の意識は消えないのだろう。誰かが私を許さないからか。それとも、自分が自分を許せないためか。

 と、そのとき、感傷を切り裂くように背後から聞き慣れた声が掛かった。


「なんだ、弟君と喧嘩でもしたのか」


 びくん、と跳ね起きる。足音も気配もなかったが、この声は間違いなく店長。なんて間の悪い男。涙が出る寸前だったのがせめてもの幸運だ。


「喧嘩もデモもしてません」


 意識したわけではないが、自分でも可愛くないと思う言い方になった。しかもなんか親父ギャグでた。

 店長は何の反応もなく私の脇に立ち、一番近い棚の鏡をカウンターに置いた――関係ないけど今日は和装だ。かなり似合っている。銀鼠色の長着を着流しに、立ち姿は大店の若旦那といった趣。古い日本家屋のせいでそう連想するのかもしれない。

 だが、その脇には店長の装いとはおおよそかけ離れた代物が抱えられていた。

 白雪姫の継母が使っていそうな、金ピカのゴージャスなウォールミラーだ。ただし、肝心の鏡は曇っていて何も映さない。やっぱりこれも神器で、何らかの不思議な力があるのだろう。店長が持ってきたということは、私が目下暗記中の目録には載ってないということで、ちょっとだけ安心する。いきなり店にあるものを取ってきて、この神器の名称を答えろとか言い出しかねないもの。

 なんてことを考えていると、店長がその鏡を見せながら思いがけないことを言った。


「もうすぐこれを受け取りに外国人風の女性がやってくる。キミの好きにするといい」

「へ?」


 間抜け顔の私に鏡を押し付け、さっさと奥に戻ろうとする店長。

 それっきり何の説明もないと分かった私は、慌てて店長の着物の裾を掴んで引き止めた。


「あの、受け取りって? なんで分かるんですか、そんなこと」

「呼び掛け――といっても、キミはまだ分からないか。これから来る女性とこの鏡は、深い因縁で結ばれている。その因縁が、ある種の兆候を俺に見せたのだ」

「……なんか、まだ色々ありそうですね」

「大いにある。が、キミには少しずつ説明するつもりだ。一度に言っても覚えられないだろう?」


 その通り。って、私から質問しておいて認めるのもなんだけど、本当にその通りなんだから仕方がない。


「もちろん、キミが望むのならばの話だが」


 店長は試すような目で私をじっと見つめた。私もそれに応えた。


「望みます。私、知りたいです」


 ――花火大会のチラシを見たとき、春樹は私を拒絶しているのだと気付いた。これからどう接したらいいのか分からなくて、一晩中悩んだ。向こうが私と関わるのを嫌がるというなら、大人しく無言を貫くべきなのかもしれない――一度は本気でそう考えた。

 でも、やっぱりダメだ。私は春樹と離れ離れになりたくない。家も、心も。

 偶然なのかそれとも必然なのか、私の目の前にチャンスが訪れた。

 私は、幼い頃から春樹が触れてきた世界――《小鬼》の世界に、私も足を踏み入れようと決意した。

 なぜなら、春樹の心を癒せるのは、今のところ小鬼だけだから。

 彼らの何が春樹を惹きつけるのか分からない。だからこそ、それを知るために降って湧いたこのチャンスを利用しようと決めた。とことん知って、いつか春樹の心を取り戻すんだと決めた。

 臆病者の私には、こんなことしかできない。正面きって話し合う勇気があれば、こんな回り道は不必要なのだ。

 それは分かってる。

 けれど、どの道小鬼――もとい《鬼神》について深く学ぶことは、自然な成り行きのような気がした。そう感じるのは、店長の存在のおかげかもしれない。単なる雇い主とバイトの関係と思っていたけど、それだけではない、信頼のようなものを店長から感じてる。私はそれに答えたい。心の底から、そう思っている。


 睨むように見詰め合っていたのは十秒か、それとも一分か。

 不意に店長は視線をはずし、店の入り口を見やった。気難しそうに口をへの字に曲げる。


「来てしまったか」


 その言葉に、私は反射的に振り返った。

 軒下に、夏空を背にして一人の女性が立っていた。スカートがふんわりと広がったドレスに、白いレースの日傘。日陰でも目立つほどの雪のような白肌に、中世ヨーロッパのご婦人のように高く結った金髪。どこからどう見ても西欧系の顔立ちだ。


「来たわよ。さあ、わたくしの鏡をお出しなさい!」


 真っ赤な唇のその女性は、流暢な日本語で高飛車に言い切った。

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