第二話 Ⅴ
突然思考を止めた籠目をダークは不審に思い、いつも通り念鏡を使用した。籠目が思考を止めることは珍しい事だが、全く無い事ではない。実際、今までも何度か籠目の思考が止まったのをダークは見て来た。大抵の場合、その理由は驚きからである。
だからこそ、ダークは籠目を不審に思った。この話の流れで、籠目が思考を止めるほど驚く理由が全くわからないのだ。
しかし念鏡は発動したものの固い壁に邪魔をされ、籠目の思考に届く事はなかった。術を妨害した固い壁は籠目が心に張った『障壁』である。
その事実に、今度はダークの思考が止まった。ダークは今まで一度も籠目に拒絶された事が無かったのだ。
別に籠目に秘密が一切ない訳ではない。半身と言っても所詮は他人。言えない事や知られたくない事は当然ある。
だがそれにもかかわらず、ダークが今まで籠目に拒絶された事がなかった。
それは単に籠目が今までダークに違和感を与えないようにしていたからだ。
秘密と言うものはその存在を感知されないからこそ秘密と言える。感知されてしまえばそれは秘密ではなく隠し事だ。
籠目は普通なら――相手が半身ならば尚更――洩れてしまうだろう秘密特有の違和感を完璧に消していた。その為ダークは籠目の秘密に触れる事が無く、拒絶されることも無かったのだ。
しかし今回の事は籠目にとって驚きの事実であり、当然ながらそれに対する心構えも無い。隠す云々以前に驚かない様にする事さえできなかったのである。
籠目にとってのダークとは「信頼できる人」であり「大切な人」だ。
つまり、恋愛対象ではない。
そんな相手に突然、『番』だと言われれば思考が停止するのも無理はないだろう。
何しろ番とは、悪魔にとっても竜人にとっても唯一無二の相手である。変わりは決していない。しかも断った場合、悪魔なら監禁、竜人なら発狂する。相手の為にも自分の為にも、断ることは不可能であった。
頭が回らない状態にも関わらず、籠目が障壁を張れたのは生存本能が成せた技と言えるだろう。
二人はお互いに何とか問題を解決させようと頭を回転させた。
籠目の場合、一番の問題は今後のダークに対する対応であった。
自分が驚いた事でダークが不信感を覚えたことも、障壁を張ってしまった事でそれをより募らせたことも籠目には予想が付いていた。
だから籠目は番であった事実を知らなかったのをダークにはっきりと告げようと決めた。嘘を吐くことは籠目の信条に反するので、真実を言う以外に言えることがないのだ。
しかし、これだけでは答えは不十分である。「何故障壁を張ったか」という説明には成らないのだ。
知らなかったという事はダークを驚かせるだろうが怒らせることはない。隠す必要がない事を何故隠したのかと言う疑問を持たれるのは必須である。
だが籠目には上手く誤魔化す手が浮かばなかった。
よって、今後の対応に焦点が当てられるのだ。
案は幾つかある。
一つ目は、ダークからの逃亡。今までも仕事が詰まっているという理由から長期間会わないことがあった。ルルーシュとクラッドの協力を得れば難しい事ではない。欠点はダークの気持ち次第で直ぐに決壊してしまう事だ。いつもの場合、ダークが理由を理解して譲ってくれていたにすぎない。実力行使をされれば負けてしまうのは目に見えている。
二つ目は、無かったものとして振る舞う。ダークが障壁を張った理由に聞いてきたら無視し、念鏡を使われたら障壁を張る。欠点は何時までダークがそれに耐えられるかと言う事だ。ダークは籠目に対しては決して横暴ではない。
だが籠目の事を何でも知ろうとする性質があった。今まで念鏡を使わせて済ませてきたツケが回って来たのだ。正に自業自得である。
三つ目は、全てを話す。これは一番現実的と言えた。一つ目も二つ目も所詮は時間稼ぎにしかならず、必ずこの三つ目に辿り着く。欠点は、ダークの反応が未知数だと言う事だ。籠目にとってこれは一番怖い事と言える。
籠目はダークが好きだ。
あり得ない例だが、籠目はダークに殺されても恨まない自信がある。寧ろ、殺させてしまった事を謝るだろう。
それほどまでに籠目はダークの事が好きだ。愛していると言っても過言ではない。
しかし、それに恋愛感情は一切含まれていないのである。そして理由は色々あるが、ダークもそうだと思い込んでしまっていたのだ。
はっきり言って、ダークを誤魔化せる自信が籠目にはある。
これは聖王であり、籠目の父である十夜から盗んだ技だ。嘘を吐かず、沈黙とそれらしい言動で上手く相手の思考を誘導するのである。人脈確保の際に大いに活躍する技だ。
自分を疑って掛かる相手に有効なのだから、ダークを騙す事は籠目にとって赤子の首を捻るより容易い。
しかしこれを籠目はやるつもりが無かった。倫理的な問題もあるが、こんな理由でダークを失いたくは無い。
だから籠目の対応は結局の所一つしかなかった。
自分の気持ちも含めて全てを話し、ダークの反応を待つ。これに尽きた。
対してダークは、籠目の考えとは裏腹に障壁については全く考えていなかった。
ダークはまず、障壁を張られた事に驚きを感じていた。今まで一度も拒絶された事が無かったのだから、当然の反応だろう。
しかし、次に来たのは疑問では無く恐怖であった。解らないことへの恐怖もそうだが、拒絶されたという事実がダークに多大な恐怖を与えていた。
ダークは初め、この感情が何なのかを理解できなかった。何しろ今まで一度としてダークは恐怖を感じた事が無いのである。
死の恐怖や大切なものを失う恐怖。恐怖には様々な種類があるが、ダークはそのどれとも疎遠な存在であった。
不老不死になってしまうほど魔力は大量にある為、命の危険を感じた事など一切無い。大切なものもなどは今まで一度として持った事が無かった。ダークにとって籠目は番であり、初めて出来た本当に唯一の大切なものなのである。
この感情が恐怖だと理解した時、ダークは身動きが取れなくなってしまった。籠目に拒絶された恐怖は尋常なものではない。
ダークは恐怖に心を支配され、発狂したくなるのを必死に堪えて考えた。
こんな時どうすればよいのか。どうすればこの感情が消えるのか。
そして、その答えは案外すんなりと出た。
初めて『哀』を感じた時、どうしたか。初めて他人に当たれない『怒』を感じた時、どうしたか。
籠目に聞いたのだ。それを自分に与えた相手である籠目に。
そう思うと、ダークは直ぐに「籠目」と呼びかけた。声が擦れてしまったが気にしていられない。
念話を使わなかったのはまた拒絶されるかもしれないという事への無意識の回避だ。
詰問される覚悟を既に決めていた籠目は、戸惑う事無くダークを見上げる。そして思わず目を見開いた。
ダークは顔面蒼白で、苦しそうに表情を歪めていたのだ。
初めて見るその表情に驚きが隠せず声を掛けようとした時、籠目は手の下の存在が声を上げようとするのに気が付いた。
籠目とダークには長い思考の時間だったが、実際には一分と経過していない。ランドルフが状況を理解できないのも声を上げようとするのも変なことではないだろう。
だが籠目はランドルフの息が声に変わる前に触れている手から直接魔力を送り彼を卒倒させた。理不尽な行為に籠目の良心が痛んだが、ランドルフに騒がれては堪らない。ランドルフが完全に意識を失ったのを確認すると、籠目は五メートル程離れたダークの元に向かった。先ほどまでの覚悟など消し飛び、ダークの手を握り、目を見つめるだけで精一杯である。すると、ダークは幾分落ち着いた様で少し表情を和らげた。
だがその瞳に涙の薄い膜が張られているのに気付くと籠目はますます焦る。
「籠目、解らないんだ」
ダークは静かな声でそう言った。
「何が?」
焦りながらも籠目が優しく問いかけるとダークは強く手を握り返す。
「恐いんだ。籠目に拒絶されるのが」
籠目はダークの言葉を聞いて、内心舌打ちをした。
それはダークに対してではない。保身だけを考えた自分に対してだ。自分に拒絶されたダークがどう思うかなど、まったく考えていなかった。番で無かったのなら、先ほどまでの自分の考え方は正しいだろう。
しかし自分はダークの番だったのだ。
籠目は慎重に口を開いた。
「ダーク、さっきはごめんね。ちょっと驚いただけで、ダークを拒絶するつもりなんて無かったの。本当にごめんなさい」
籠目はそう言うと背伸びをしてダークの頬にキスをする。そうすると、ダークの恐怖は消えたようで顔色は普段のものに戻った。
「……そうか、良かった」
ダークは深い溜め息の後にそう言うと強く手を握ったまま籠目の顔中にキスを落とす。
しかし、そのキスが唇に落ちる事は無かった。
そう、これも籠目がダークの気持ちを勘違いした理由の一つである。悪魔も竜人も番以外の唇へキスをすることは絶対にない。
ダークは今まで一度も籠目の唇にキスをした事が無いのだ。
籠目がそのことも含めて話を聞こうとした時、タイミング悪くも部屋に近づいてくる足音が聞こえた。
クラッドではなく、ダークが発狂しかけました(^◇^)