第四話 Ⅱ
籠目の声の余韻が消えると、共同作業室は途端にざわめきに包まれた。
けれども、それは非難や疑問などによるものではない。学校を作るという目的を達成する為の手段を話し合っているのだ。中には黙って彼女に視線を向け続けている者達もいる。だが、それも指示を仰ぐものであって非難などは一切含まれていない。この辺りが観測者である籠目が陛下と呼ばれる由縁だ。
籠目は決して部下に『陛下』と呼ぶことを強制していない。寧ろ、気軽に渾名を呼ぶように言っているぐらいだ。
籠目を陛下と呼ぶのも、観測者領にいるのも、彼女を慕うのも、全ては彼らの自由意思。彼女が何をした訳でもないのに自然と尊敬や敬愛が集まる。だからこそ、彼らは彼女を陛下と呼んでいた。
――当然のことだが、本当に何もせずにその様な感情を彼らが籠目に向けているわけがない。何もしていないように見えるほど自然に行う様々な言動が、彼らの思慕を集めるのだ。
「…取りあえず、何故その様な考えが浮かんだのか教えていただけますか?」
ざわめきの中、ルルーシュは籠目に問いかけた。雑音が一瞬にして途絶える。全員が再び視線を彼女に向けた。陛下の提案を実行するのは当然のことだが、その動機を知っていればより期待通りに動けると言う理由からである。
その問いに、愚問でも投げかけられたかの様に籠目は首を傾げた。
「皆は幼少時の教育が人の性格や信条にどれほど絶大な影響を与えるか知っているよね?」
籠目は部屋を見回し、全員に向ける様に話かけた。
「観測者領の仕事は、性質上、どんな内容でも第三者としての視点で行わなければならない」
観測者領に管轄を移す事を決めた際、一番初めに言われる言葉を籠目は口にした。これだけの言葉でも彼らの理解を促すには十分に足りる。ルルーシュを含め、全員が理解の色を示した。
しかし理解と納得とは違う。勿論、中には納得の色を浮かべている者もいるが、それはかなり少ない。代表するようにルルーシュが「それは答えになっていません」と言った。
「確かに学校というものは元来、国が望む民を作る場所と言う意味を持っています。機能としては間違っていないでしょう。ですが一部の例外を除けば、我々には関係のない事だと思われます。少なくとも、ここで半年も働けば自分本位の概念など嫌でも砕け散るでしょう」
ルルーシュの淡々とした言葉にほぼ全員が同意するかのように頷く。少数派――子供が殆どだ――は、他人事の様に彼らを見上げていた。
そんな彼らに籠目は得意げな表情を見せた。その顔が演技だと気付いたのはクラッドとルルーシュ、そして第一期の部下くらいだろう。セルロワが居たのなら彼も含まれただろうが、残念なことにこの場にはいない。
因みに、クラッドは籠目がルルーシュにタックルを決めた辺りから、部屋にある机の一つを茶会用に準備していた。何人かの部下もそれを手伝っている。当然、話はしっかり聞いていたが。
「私は一言も、住民達の為だけに学校を作るなんて言ってないよ?」
そんなクラッドの耳にいかにも得意げと言った感じの声が届いた。その言い方も演技だと気付いたが、そんなことはどうでもいい。
「…なるほど、人材不足を異世界の住民で解消しようと言うのですね」
ルルーシュはそう言いながら、考え込むように腕を組み、顎を撫でた。考える時の彼の癖だ。
この案に対する反応は大きく二つに分かれた。肯定派と否定派だ。部下達もまさか、メルティア以外を部下にするとは思っていなかったのだろう。
肯定派は、諦観に似た感情と興味を持っている様に見えた。現実的に考えて、籠目の案が中々の良案だからだろう。観測者領は確かに機能しているが、仕事を完璧に熟しているかというとそうではない。観測者領の仕事の本領は、世界の文化――成文化されていないもの、生物なども含む――を記録し、観測者に記憶させることだ。これは今のところ問題なく熟せている。けれどもその続きに、それらの文化の研究がある。問題になっているのはこれだ。今は部下の全てが文化を調べることに駆り出されており、研究はされていない状況にある。彼女の案はこの状況を完璧とは言えないものの、打開出来る手段といえた。その世界の住人を使えば効率が上がるのは容易に想像がつくだろう。
それに対して否定派は、更に二つのグループに分けられるのが籠目には嫌でも分かった。
一つは論理的に見て、この案が危険だというもの。確かに、異世界の者をこちらで作った学校に入れるという事は、ここの存在を知られるという事だ。野心を持った者にここを知られた場合、面倒なことになる可能性が完全にないとは言い切れないだろう。
もう一つは『テラン』否定派だ。テランは、簡単にいえばメルティア以外の生き物のことだ。要は普通の人である。ここの住人達はある意味、テランを恐れて移住して来たと言える。否定ではなく、恐怖とも言い換えられるだろう。
けれども、それらの問題は籠目の想定の範囲内だ。誰に質問されたという訳でもないが、彼女は解決策を口にした。
「いくつか問題は浮かぶと思うけど、それらは解決可能だよ?」
その言葉に再び視線が集まる。ルルーシュも考える体勢を崩さないものの視線は向けた。
「まず、この案が機能するまでの時間の問題だけど、これは仕方がないと割り切るしかないかな。でも一度流れに乗れば、毎年一定量の人材を確保できるのだから大した損益じゃないでしょう。次にこの世界を知られた場合、発生する問題。これも人材の選別で解消できる。…言い方が悪いかもしれないけど、元々の世界に絶望、または不満を持っている子供から青年までに狙いを付けようと思う。そういう人物なら、少なくとも母国と協力して何かをしようする可能性はかなり低い。そして、テラン否定派への対策だけど、これは学校の立地場所を工夫することで防げる」
籠目はここまで言うと、部下達をぐるりと見回した。否定派も含めて、ほぼ全員が納得の方向に傾いているのが解る。
「立地場所として考えているのはD-0218。ほぼ全員通学しているから知っていると思うけど、私の義兄が運営している私立華宮学園がある世界よ」
籠目を含め、観測者領に管轄される者達はほぼ全員、定期的にではあるが私立華宮学園に通学している。勉強などの理由ではなく、テランとの接触に慣れる為だ。メルティアの間では普通の事も、テランが相手では命を奪ってしまうことがある。例えば、竜人がメルティアである人間の手を力いっぱい握ったとしよう。同じ人間であってもメルティアの場合、魔術で肉体強化をするなどするので怪我を負うことはない。だが、それがテランの場合、手がもぎ取れるのは必至だ。こういうことを無くす為に、中等部に通える年齢に達した者から学園に通学することが決められている。また、学園では二人一組で行動することが義務付けられており、片方が問題を起こしても、もう片方が瞬時に助けられる体系になっていた。
この事からD-0218は彼らからすると、メルティアとテランの共同地域の様な扱いになっている。立地場所が私立華宮学園と知ったことで、否定派も不安は無くなったようだった。
「何か質問は?」
籠目が最終確認の意味を含めて質問をするが、声を挙げる者はいない。概ね納得という事なのだろう。彼女は最後に「追々問題が出てきたらレポートに纏めて提出してね」と言い、茶会用に用意されたスペースに移動した。ルルーシュと第一期のメンバー数人がそれに続く。他の部下達は素早く行動を開始した。