第三話 Ⅷ
次から第四話に入るので、少し短めです。
レインの足が深々と刺さる。それは動脈を挟み込み、魔力を流し込んだ。セルロワの頭には幾つもの映像が取り留めもなく流れる。
十分程、セルロワはその状態で歩き続けた。その足には迷いはなく、違和感はない。大通りに出る少し手前でレインは足を引き抜いた。彼はレインを落とすように軽く手を振る。レインは軽やかに地面に降りると、現れた時と同じように姿を消した。
単純な話と言えば、それまでだけれどね。映像を見たセルロワは、感慨も無くそう思った。彼は右手で髪をかき上げた後、大通りを城に向かって歩き出す。その何気ない仕草に、彼が大通りに出た時から集まっていた視線が更に集まった。中には顔を真っ赤にしている者も少なくはなかったが、彼は全く気にしない。彼ほどの美貌になると、コンクエストウェールンスでも注目の的なのだ。
城と城下町の間には森が存在している。城壁の役割も果たしているそれは、大通りから続く一本道以外に道らしい道はない。よく知らない者から見ても、道を外れれば迷うだろうことが解る作りになっていた。
セルロワは大通りから態とはずれ、森の中に入り込んだ。半ばまで来たところで、辺りに人がいないかを『水文里』で確認する。水文里は、魔力を自分中心に水文状に広げ、周囲のモノの形や生命反応を視るものだ。水文の大きさは術者の実力次第で大きく変わる。
誰もいないことを確認した後、セルロワは籠目の元へと移転した。
「ご苦労様」
城の書庫で読書に耽っていた籠目の前に、セルロワは現れた。何の前触れもない事だったが、彼女は平然と彼を労う。とは言え、視線は文字を追い続けているが。
「陛下、本日もご機嫌麗しく何よりだね。仕事は簡単だったから問題ないよ」
そんな籠目の態度を気にすることもなく、セルロワは笑顔で答えた。
部下が敬語で無いのは、観測者領では当たり前のことだ。観測者と部下の繋がりは、尊敬と知識欲で繋がっている。その尊敬は個人差があるものの、緩やかで穏やかなものだ。勿論、部下の中には敬語を使う者も存在するが、それは個人の意思に委ねられている。
「それならよかった」
籠目はそう言うと本を閉じ、セルロワを案内した。二人は書庫にある大きな窓の下の木椅子に腰かける。丸机と椅子が二つあるだけの簡易な空間だったが、二人ともリラックスしていた。
書庫は本棚以外大理石で出来ており、どことなく冷たい雰囲気を醸し出している。けれども、本棚と本のお蔭でかなり温かみが増していた。
クラッドがセルロワと同じように移転で現れ、二人に紅茶――コンクエストウェールンスの物だ―—を振る舞う。二人の間にはのんびりとした空気が漂い始めた。紅茶と紙、インクの香りは二人にとって日常的にあるものだ。
「なんか、こうしていると城にいるのと余り変わらないね」
「確かに。でも城の椅子の方が座り心地はいいかな」
セルロワの言葉に籠目はクスクスと笑った。彼女の右斜め後ろに控えているクラッドも小さく笑う。
観測者領の共同作業室は、大きな窓の下に縦二メートル横三メートルの木机が置いてある。椅子はラパンチェアーだが、クッション部分が布製なことを除けば木製だ。
「それで、何が分かった?」
セルロワが紅茶を半分程飲んだのを見た後、籠目は机に両肘を乗せて手を組み、そこに顎を乗せて聞いた。彼は背もたれに深く腰掛け、口を開く。
「ごく単純でありふれた内容だったよ。特異なことは一つもない」
籠目は「話して」とセルロワを促した。
「陛下からすれば、いや、僕らからすれば聞きなれた不幸な話だよ。第四王子は特別何かを持った子供ではなかったし、末っ子の上に第六側室の子という事もあり、周囲の関心はかなり低かったみたいだね。小さい頃には随分寂しい思いをしたみたいだよ。そんな時に出会ったのが彼らさ」
セルロワは口を湿らせる程度に紅茶を含む。
「確かによくある話だね。孤独を癒してくれた相手なら親密な関係なのも頷ける」
話に面白みや意外性を期待していたわけでは無かったので、籠目に落胆はない。セルロワも籠目と同じような表情で先を続ける。
「これだけでも陛下は十分先が解っていると思うけれど、続けるよ。第四王子は勉強や礼儀作法も最低限の事しか教えられていなかった様でね。それらの知識も彼らから教わったものだそうだよ」
「つまり、ランドルフさんは王族にも関わらず、根本から獣人側の人間ってことか」
籠目は紅茶を一気に飲みほすと静かに立ち上がった。セルロワもそれに合わせて立ち上がる。二人はならんで歩きだし、書庫を出た。クラッドは当然、籠目の後ろを付いてくる。
「獣人とランドルフさんの間に何か裏があるのかと思ったけど、意外なほど何もなかったね」
籠目は歩きながら口を開く。彼女がちょっと拍子抜けといった感じで言うと、セルロワも「そうだね」と答えた。
「取りあえず、ランドルフさんの事はもういいや。でも、チャート=フラウニーの事は調べておいてくれる?」
籠目は『召喚』で一冊の本を呼び出すと、セルロワに渡した。召喚は印をつけたモノを自由に呼び出すことのできる転移の応用術だ。
セルロワは籠目に渡された本をパラパラと読むと、「…なるほど。確かに面白そうだね」と笑みを浮かべて言った。艶を含んだそれは無駄に色っぽい。だが、幸か不幸かこの場にはその笑みに何かを感じる様な輩はいなかった。コンクエストウェールンスでも目立つと言っても、色香の面ではダークの方が遥かに上だ。
「うん。引き受けるよ。この本は持っていってもいいのかい?」
セルロワが本を持ち上げながら聞く。その本はチャート=フラウニーの著書である『世界の副題』だ。当然ながら、これは本物ではない。籠目が『反映』で映した偽物だ。この術は名の通り、モノをそっくり映す術である。生き物の場合は生きてはいないが、魔術の場合は威力もそのままに映すことが出来る。ただし、術者が対象者よりも強い場合に限るが。
「構わないよ。宜しくお願いね」
籠目はそう言うと足を止めた。二人は丁度ダークに宛がわれた部屋の前に到着し、扉の前で向かい合う。
「私は基本的にダークの傍にいるから、会いに来るときは姿を消して来てね。他の人に見られると面倒だから」
「わかったよ。…では、旅行を楽しんで」
セルロワはひらりと手を振り、移転で消えた。