第三話 Ⅱ
「貴方が気絶させられた理由は?」
籠目が決して短気ではないと知っているクラッドは、そのことが気になり聞く。ランドルフの返答は「わからない」という期待外れのものだった。
「何か気づいたことは? 行動や言動、雰囲気に違和感を覚えることは?」
「…それは次の問いではないか?」
畳み掛けるように問うと、ランドルフはクラッドの顔色を伺いつつもそう言う。
その反応にクラッドは笑みを深めながら「そうですね。では、どうぞ」と右手で促した。
クラッドは基本的に籠目以外どうでもよい。死んでいてもいいし、生きていてもいい。ただ、籠目と自分の邪魔さえしなければ良いのだ。
だが、あえて好きなタイプを言うならば、分をわきまえている者と言える。
その点から、クラッドは始めよりもランドルフへの好感度は上がっていた。マイナスがプラスになった程度ではあるが。
籠目はクラッドのこの辺りがダークとそっくりだと思っている。性格が合わないのも単にフィーリングが合いすぎる所為だと。二人が反論すると分かっているので本人達に言ったことは無いが、それは賢明な判断と言えるだろう。同族嫌悪は根が深いものだ。
「勇者殿は何者なんだ?」
ランドルフはクラッドの笑みに一瞬見とれた後、そう言った。
「何者、ですか。中々に抽象的な問いですね」
クラッドは腕を組みながら窓の外を見る。窓から見える庭には秋桜に似た花が一面に咲いており、派手さはないが愛らしいと思えた。
「敢えて言うなら、強者でしょうか」
その答えに「間違ってはいないが」とランドルフは呟く。疲れたように「ふぅ」と溜息とも取れない言葉を吐いた。
「では先ほどの問いの答えだが、勇者殿が変だったな」
半ば投げやりにランドルフが言う。先ほどのクラッドの答えで精神的に疲れたようだ。
「変とはどの様に?」
だがクラッドはそんなことを気にせず、と言うか気にするわけもなく先を促す。
「急に泣きそうな顔をしたんだ」
その時の光景を思い出すようにランドルフは明後日の方向を見ながらそう言った。
クラッドは信じられない言葉に反応が返せず、笑顔のまま考え込む。
無関心の残酷さを持ちながら、半身に子供のような好奇心も持つ男。賢王であり独裁者。これがクラッドから見たダークである。決して泣きやすい性格ではない。寧ろどうすればあれが泣くというのだろうか。王という立場から泣くことが難しいのもあるが性格的に泣くことはありえない、とクラッドは思う。
信じられない思いでクラッドは「それで?」と聞いた。
その言葉にランドルフは眉を顰める。
「それで、と言われても俺は次の瞬間には気絶させられていた」
ランドルフの返答に今度はクラッドが内心眉を顰める。彼が嘘を吐いている可能性も考えていたが、その様な雰囲気は感じられない。
クラッドは人の嘘を見破ることに関しては絶対の自信がある。これは決して自信過剰などと言うことではない。観測者の元で十二年間従者として働いてきた結果、自然と身についたものだ。
しかしこの話が事実だとすれば、ダークに一体何があったと言うのだろうか。ほぼ確実にこれが籠目様を困らせた原因の一端だろう。そう思うとクラッドの思考はどんどん沈んでいく。
黙り込んでしまったクラッドにランドルフが次の質問を投げかけようとした時、突然クラッドは立ち上がった。
そして次の瞬間、ノックもなく部屋の扉が大きな音を立てて開く。そこには籠目を抱きかかえたダークが立っていた。籠目は意識があるのかないのか、反応がない。
「籠目様!」
クラッドは一目散にダークに駆け寄った。
籠目を引き受けようと手を伸ばすと、以外にもダークはあっさりと彼女を引き渡す。その眼は愛おしげに細められていて、クラッドはいつも通りのそれを怪訝に思うと同時に安心した。
ダークがいつも通りならば籠目様も決して悪い状態ではないのだろう、と。
「クラッド」
籠目をソファーに寝かせようと背を向けたクラッドにダークが声をかける。「何です」と、クラッドは振り向かずに聞いた。
「何故、此奴がいる」
不機嫌そうな声でダークが言う。その視線の先にはランドルフがいた。殺気の含まれたそれにランドルフは顔面蒼白である。
それとほぼ同時に籠目の閉じられていた瞼がぴくりと動いた。ゆっくりと瞼が開かれる。
「私がクラッドに指示を出したの。聞いてなかったのね」
籠目の声もダークと同じぐらい不機嫌だった。
クラッドがソファーにゆっくりと下すと、「紅茶が飲みたい」と少し柔らかい声で籠目は言う。
「畏まりました」
クラッドは続き部屋の給湯室に向かいながら思う。ランドルフがダークに攻撃されたと聞いた時、何かダークの気に食わないことをしたのだろうと思い聞き流したが、それは籠目様に関することなのかもしれない、と。籠目が庇ったということから、それは無いだろうとクラッドは考えていたが理不尽な理由からならば庇うのも頷ける。
また、怒りを引きずらない性質のダークが明らかに以前の怒りであろうものを向けたのも不可解だ。正確には怒りを引きずらないのではなく、興味が失せるかその時に解消してしまうからだが同じことだろう。
ですが今のところ籠目様に危害を加える者がいないので問題はないでしょう、とクラッドは紅茶を入れることに専念した。
一方部屋では再びランドルフに攻撃しようとするダークを籠目が宥めすかしていた。
今はダークの怒りの理由を籠目は知っているし、竜人の番への執着も理解しているので好きにさせるのも有りだと思う。
だが、そんなことを知らないランドルフにとってはあまりにも不憫だろうということで、片手間にダークを止めているのだった。
“ダーク、その人は私のことを知らないんだから、敵意を向けるのは当然のことでしょう? だから殺気を飛ばすのは止めてあげなよ”
“そんなこと知るか。敵意を向けた時点で死ぬ覚悟は決めているだろう。問題ない”
“いやいや、攻撃してきたならまだしも敵意を向けただけじゃそんな覚悟は普通ないと思うよ”
少し前までの幸福感は一体どこに行ったんだと思いながら、籠目は目の前のソファーに座るランドルフを見た。
ソファーに寝転がってリラックスしている籠目とは違い、ランドルフはダークのほうを見たまま指一本たりとも動かさない。
“俺の番に敵意を向けたんだ。そんなことは言い訳にならない”
“この人は番っていう言葉も知らないよ。別に怪我も無かったんだから許してあげなよ。……あ、そっちにあるクッション可愛い。取って”
籠目がランドルフの横にあるクッションを見ながら言うと、ダークは無表情だった顔に笑顔を浮かべてそれを手渡した。
竜人の雄は総じて番の雌にお願いされるのが好きだ。勿論、そのことを籠目は知っている。ダークの考えを覆すのが無理だと悟った籠目が彼の意識を逸らすために態とそう言ったのだ。
“序に膝枕も”
クッションを抱きしめて上目使いで言う。
これは籠目が以前に従姉から教えて貰った技だ。『恋人への甘え方・可愛い編』らしい。他にも『恋人への甘え方・色気編』などもあった。
自分みたいな平凡顔がやっても無意味では? とやってから思ったが以外にも効果はあったらしい。
“可愛い”
笑みを浮かべてダークがそう言った。
愛しいという思いが溶け出している様な笑みに籠目は思わずダークの顔を凝視する。嬉しいという感情が流れ込んで来たが、それを感じるよりも先に籠目は納得をしてしまった。
書物や竜人、その番から彼らの生態について十分な知識を籠目は貰っている。だから自分がするお願いの効果がどれほどのものかも解っているつもりだった。
竜人の雄の雌への独占欲は異常だ。狂愛と言っても間違いはない。何しろ独占欲が強すぎるあまりに子供が出来ず、数が減少しているほどだ。種を残すという自然の摂理に反するほどの独占欲は異常以外の何物でも無いだろう。
それにも拘わらず、籠目が今まで会った番の雌は一人残らず雄のことを愛していると言う。籠目は彼女達のことを懐の大きな人達なのだなと思い、自分なら無理だと考えていた。
しかし、この笑顔を見て納得してしまう。こんな可愛い笑顔を見せられたら独占欲ぐらい我慢するわ、と。
籠目がそんなことを考えているとは露知らず、ダークは優しく籠目の頭を持ち上げるとその下に自分の足を滑り込ませた。優しく髪を梳くその手には愛情しかない。
今までも頭を撫でてもらったことはあったが、明らかに愛情を込められたそれに籠目は思わず顔をそむけた。
その結果、赤面しているランドルフが籠目の目に映る。
ダークの笑顔は同性にも効果があるのか、と籠目はダークの笑顔の威力を知った。