表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
婚約破棄されたので定時退社します ~追放された宮廷魔法師は隣国で溺愛されて最強になりました~  作者: 渚月(なづき)


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

9/10

第9話 王宮の回廊にて

鑑定書は、三十ページに及ぶ分厚いものだった。


テオドール公の応接間で、私はそれを一ページずつ読んだ。


結論は明快だった。


「ヴェルヒェン王国が発表した防御魔法陣と、リーゼル殿の設計記録に記された魔法陣の流路設計には、設計者固有の構造的特徴が一致。改変の痕跡はヴェルヒェン側の設計に集中しており、リーゼル殿の記録がより原型に近いと判断する」


手が震えた。


「……認められた」


「ああ」


テオドール公が紅茶を注いだ。いつもの、穏やかな手つきで。


「よくここまで耐えたね、リーゼル殿」


「テオドール公のおかげです。最初に居場所をくださったのは、あなたですから」


「居場所を活かしたのはあなた自身だよ。さて──これを受けて、ヴェルヒェン側には正式な回答を求めることになる」


「王太子がどう出るか……」


「予想はつくかね」


「逃げるでしょうね。責任を他に押しつけて」


「リーゼル殿、よくわかっているな」


「三年間、近くで見ていましたから。あの人は、窮地に立つほど笑顔が完璧になるんです」


テオドール公が少し寂しそうに笑った。


「才能ある若者が、才能を正しく使えなかった。それもまた、制度の歪みがもたらす悲劇かもしれんな」


予想は当たった。


ヴェルヒェン王国からの公式回答は──


「防御魔法陣の著者表記の誤りは、事務的な手続きの不備によるもの。責任者として、魔法技師カイル・ヴォルフを処分する」


カイルに全ての責任を押しつけた。


「……やっぱり」


笑顔のまま責任を他者に転嫁する。オルヴァルトの、いつものやり方だ。


しかし、今回は状況が違う。


鑑定結果は中立国を通じて各国の学会に共有されている。「事務的な不備」で押し通すには、疑惑が大きすぎた。


ヴェルヒェン国内でも声が上がり始めていた。学会誌の信頼性は担保されているのか。王太子の研究成果は本物なのか。


マルグリットから手紙が届いた。


(「ヴェルヒェンの学者たちが独自に検証を始めた。流れは変わりつつある」)


ヴェインが工房に来た。定時の鐘は、まだ鳴っていない。


「どうしたの? 珍しいわね、定時前に」


「ヴェルヒェンから使者が来ている」


「……王太子から?」


「いや。セレーネ嬢からだ」


予想外だった。


使者が持ってきたのは、セレーネからの親書。


(「王太子殿下は、カイルの処分で事態を収束させるつもりです。しかし私は、このまま真実が歪められることに耐えられません。直接お会いしてお話ししたいことがあります」)


「……セレーネが?」


「罠の可能性は」


ヴェインが即座に言った。


「高いわ。でも──」


手紙をもう一度読む。


筆跡に乱れがあった。セレーネの社交文書はいつも完璧に整っている。この乱れは、感情が制御できていない証拠だ。


「焦っている。何かを恐れているのよ」


「根拠は」


「筆跡。セレーネの字は社交界一と言われるほど美しいの。でもこの手紙は、三箇所でインクが滲んでいる。手が震えていた証拠よ」


ヴェインが感心したように眉を上げた。


「……あんたの観察眼は相変わらずだな」


「会うわ」


「ひとりでは行かせない」


「わかってる。一緒に来て」


「言われなくても行く」


国境近くの中立地点で、セレーネと会った。彼女は一人で来ていた。


銀髪は乱れ、顔色が悪い。社交界の華と呼ばれた面影は薄かった。


「来てくださったのね」


「用件を聞くわ」


「……王太子殿下は、私を切り捨てるつもりよ」


「どういうこと?」


「カイルの処分だけでは収まらないと、殿下も気づいている。次に責任を押しつけられるのは私。『セレーネが嫉妬からリーゼルを追放するよう進言した』という筋書きを用意しているの」


「あなたが追放を進言したのは事実?」


「……事実よ」


セレーネの目が潤んだ。しかし、今回の涙は──計算ではなさそうだった。


「あなたが邪魔だったの。王太子の隣にいるべきは私だと思っていた。でも──」


「でも?」


「殿下は最初から、私のことも道具としか見ていなかった。あなたの研究を盗むための婚約であり、私はその後釜の飾り。それに気づいたのは、つい最近よ」


「いつ気づいたの」


「鑑定が決まった夜、殿下が側近に言ったの。『セレーネには退場してもらう。侯爵家の娘程度、替えはいくらでもいる』と」


声が震えていた。


「……それを聞いて、どう思った?」


「最初は信じたくなかった。でも、思い返せば殿下は最初から──誰に対しても同じだったわ。必要なときだけ笑顔を向けて、不要になれば切り捨てる」


「私もそうだった」


「ええ。あなたのときに気づくべきだった。でも私は、自分だけは違うと思い込んでいた」


セレーネが目を伏せた。


「愚かでしょう」


「……愚かではないわ。信じたい気持ちは、誰にでもある」


自分に言い聞かせるように、言った。

かつての私も、同じだったから。


「セレーネ。あなたが持っている情報を、鑑定委員会に証言する気はある?」


「証言……」


「あなたが知っている事実──王太子がどのように研究成果を横取りしたか、その過程を証言してくれれば、事務的な不備という嘘は完全に崩れる」


「でも、そうしたら私も共犯として──」


「追及される可能性はある。でも、自分から証言した人間と、逃げた人間では、世間の扱いが違うわ」


セレーネは長い沈黙の後、背筋を伸ばした。


「……わかった。証言する。もう、誰かの駒でいるのは嫌」


セレーネが立ち上がった。

去り際に、一度だけ振り返った。


「リーゼル」


「何?」


「あなたのこと、ずっと憎んでいたわ。でも──今は、少しだけ羨ましい」


「……何が」


「自分の足で立っているところが」


セレーネは背を向けて歩き出した。その背中は、震えてはいなかった。


帰り道、ヴェインが隣を歩いていた。歩幅を、私に合わせて。


「あの女を許すのか」


「許してはいないわ。でも、利用はする」


「……冷たいな」


「冷たくないわよ。彼女だって被害者の一面はあるもの。オルヴァルトに利用されていたことには変わりない」


「あんたは強くなったな」


「あなたのおかげよ」


「俺は何もしていない」


「上着をかけてくれたでしょう。パンを届けてくれたでしょう。手袋を置いてくれたでしょう」


ヴェインが黙った。耳の先が、わずかに赤い。


「それと、廊下で一晩中見張ってくれたでしょう」


「……あれは騎士の務めだ」


「騎士の務めで耳が赤くなるの?」


ヴェインが早足になった。

私も歩幅を広げた。


ルルが二人の間を飛び跳ねて、きらきらと光っていた。


──セレーネの証言が鑑定委員会に届けられた翌日、ヴェルヒェン王宮から緊急の招集状が届いた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ