第6話 招かれざる使者
ヴェルヒェン王都の空気は、覚えているよりも重かった。
馬車から降りた瞬間、ルルが私の襟の中に潜り込んだ。
三つの尾をぎゅっと体に巻きつけている。
(……ルルも、緊張しているのか)
展覧会の会場は王宮の大広間。各国の魔法技師が技術を展示し、王族や貴族が視察する──表向きは、そういう催しだ。
ヴェインが隣を歩いていた。騎士団の正装に身を包んだ彼は、普段とは違う雰囲気をまとっている。
「リーゼル。何かあったら、すぐに言え」
「大丈夫よ」
「大丈夫じゃないときも、そう言うだろう。だから言っている」
「……ヴェインって、たまにすごく的確なこと言うわよね」
「たまにか」
「たまに」
返す言葉を探していると、大広間の扉が開いた。
すでに多くの人が集まっていた。各国の紋章を掲げた展示台が並び、魔法陣の模型や資料が陳列されている。
ブランシュタット公国の展示台は、隅のほうだった。小国の扱いとしては、妥当と言えなくもない。
けれど、そんなことはどうでもいい。
私の目が吸い寄せられたのは、会場の中央。ヴェルヒェン王国の展示台。
そこに掲げられていたのは──
(……私の、設計図だ)
表面上は王太子の名前で発表された防御魔法陣。しかし、設計の骨格は紛れもなく私のものだった。
細部が変えられている。いくつかの数式が差し替えられ、見た目は「別の設計」に見えるように加工されている。
だが、根幹の論理構造は同じだ。
魔法陣の中核にある流路設計──魔力の通り道を決める部分。ここには設計者の思考の癖が出る。
私の癖だ。
分岐点での角度の取り方、流路の接続順序、安全弁の配置パターン。
(専門家が見れば、わかる)
展示の準備を進める。
私が用意したのは、鉄触媒防護結界の実演模型。小規模だが、実際に稼働する魔法陣を展示台の上に構築した。
蒼白い光が浮かび上がると、近くにいた他国の技師たちが足を止めた。
「鉄を触媒に? 聞いたことがないぞ」
「魔力の散逸を逆利用する設計ですか。これは面白い」
「理論的に成立するのか? 実証データは?」
「坑道での実地試験データがあります。三ヶ月間の連続稼働記録です」
「三ヶ月! 従来の防護結界の保持期間の三倍ではないか」
「しかも鉄鉱山という、従来型にとっては最悪の環境で、か」
年配の技師が身を乗り出した。
「失礼だが、これはあなた独自の理論なのか。どこかの研究機関の成果では?」
「独自の理論です。ブランシュタット公国の鉱山で、一から組み上げました」
「一から……たった半年で?」
「基礎にあたる部分は、以前から温めていた構想があります。この公国の鉱山が、それを実証する環境を与えてくれました」
技師たちが互いに目配せした。明らかに、興味を持っている。
(まずは、ここまで。あとは明日の実演で──)
小さなざわめき。関心の目が集まる。
そのとき──
「素晴らしい展示ですね」
声が、上から降ってきた。
金髪碧眼。完璧に整えられた微笑み。
オルヴァルト王太子。
半年ぶりに見る顔だった。心臓が一拍だけ早くなったが、それだけだ。
「お久しぶりです、殿下」
「ああ、リーゼル。元気そうで何よりだ。小さな公国で、こんな面白い研究を続けていたとは」
小さな公国。わざと言っている。
隣にセレーネが控えていた。銀髪が照明に輝いている。
「まあ、リーゼル様。お久しぶりですわ。ご壮健で何よりですこと」
「セレーネ様もお変わりなく」
「ええ、おかげさまで。殿下のおそばで、とても幸せですわ」
微笑みの裏に、牽制がある。「私が王太子妃の座にいる」という宣言だ。
別に、欲しくもなかったけれど。
オルヴァルトが展示に目を戻した。
「ところで──この鉄触媒の理論、どこかで見た気がするな」
心臓が冷えた。先手を打とうとしている。
「恐れ入ります。この理論は、ブランシュタットの鉱山で得た着想から──」
「いや、違うな」
オルヴァルトが微笑んだまま、首を振った。
「これは、私が三年前に発表した防御魔法陣の延長線上にある。基礎理論は同じだ。元研究員なら、当然その影響を受けているだろう?」
周囲の視線が集まる。王太子の言葉は、重い。身分の差が、発言の信頼性をそのまま決めてしまう世界だ。
(……ここで反論しても、「元部下の逆恨み」にされるだけ)
唇を噛みそうになった。けれど。
「おっしゃる通り、基礎理論には共通点がございます」
笑顔を保つ。
「しかし、この鉄触媒理論は鉱山の地質条件から導き出したものです。実演をご覧いただければ、設計思想の違いがおわかりいただけるかと」
「実演?」
「はい。明日の実演と審査の場で、両者の魔法陣を公正に比較していただければ」
オルヴァルトの目が、一瞬だけ細くなった。
公の場で比較される──それは彼にとって望ましくないはずだ。
「……なるほど。それは楽しみだ」
彼は微笑みを崩さず、去っていった。
ヴェインが背後から近づいた。
「大丈夫か」
「ええ。予想通りの展開よ」
「予想通りにしては、手が震えている」
見られていた。
「……少しだけ」
「少しだけ、か。なら大丈夫だ」
「何でそう思うの」
「本当にまずいときは、あんたは震えない。黙って手帳を開く。震えているうちは、まだ余裕がある」
「……私のこと、よく見ているのね」
「護衛だ。見るのが仕事だ」
ヴェインは何も言わず、私の隣に立った。ただ、立っているだけ。
それだけで、呼吸が楽になった。
夜、宿舎に戻って手帳を広げた。
ノックの音。
扉を開けると、ヴェインだった。手に小さな包みを持っている。
「テオドール公からだ」
中身は、ブランシュタット公国の紋章が刻まれたブローチだった。
銀の台座に、青い鉱石がはめ込まれている。
「正式な公国の代表技師として、展覧会に臨んでほしい──とのことだ」
「代表……技師」
半年前、私は名前すら奪われた。
今、別の国が私に名前を与えてくれている。
「……伝えてください。必ず、結果で応えると」
「ああ。それと──」
ヴェインが少し言いよどんだ。珍しいことだった。
「ブローチの石は、この国の鉱山で採れるものだ。テオドール公が選んだらしいが……似合うと思う」
「……ヴェイン。それは、テオドール公の言葉?」
「……俺の言葉だ」
一瞬の沈黙。
「ありがとう。大事にするわ」
ヴェインが頷いた。扉を閉める直前、彼が一言だけ付け足した。
「俺も、信じている」
扉が閉まった。
ブローチを胸に留め、鏡を見た。
半年前の自分とは、目の色が違う。
──明日、王太子の嘘を、静かに暴く。




