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婚約破棄されたので定時退社します ~追放された宮廷魔法師は隣国で溺愛されて最強になりました~  作者: 渚月(なづき)


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第5話 証明は静かに積まれる

王太子からの書状の内容は、予想の斜め上だった。


「ブランシュタット公国との友好の証として、合同魔法展覧会の開催を提案する」


友好。その言葉の裏にあるものを、私は嫌というほど知っている。


テオドール公は書状を読み終えると、紅茶に手をつけず、窓の外を見た。


「断る理由がない。それが厄介だ」


「おっしゃる通りです。大国からの友好の申し出を小国が断れば──」


「外交上の不利を自ら招くことになる。わかっておるよ」


「しかし、展覧会ということは、魔法技術の成果を公開するということですね」


「ああ。そして、あちらの展示品はおそらく──」


「私の論文をもとにした防御魔法陣、でしょうね」


テオドール公が渋い顔をした。


「あなたの技術と、盗まれた成果が、同じ場で並ぶことになる。皮肉な話だ」


「皮肉ですが──チャンスでもあります」


「ほう?」


「同じ理論をもとにした二つの魔法陣が並べば、どちらが原本でどちらが模倣かは、専門家の目には明らかです。論文は盗めても、設計者の思考の癖までは盗めません」


テオドール公がカップを置いて、じっと私を見た。


「確信があるのかね」


「あります。流路設計──魔力の通り道を決める部分には、設計者固有のパターンが出ます。これは意図的に消そうとしても、完全には消せないんです」


「……なるほど。つまり、指紋のようなものか」


「はい。まさにそうです」


「テオドール公。展覧会を受けてください」


「……覚悟はあるかね」


「あります」


テオドール公は紅茶を一口飲み、静かに頷いた。


「よかろう。受けよう」


帰り道、ヴェインが横を歩いていた。いつからいたのか、気配がなかった。


「聞いていたの?」


「壁が薄い」


「……嘘でしょう。あの応接間の壁は石造りよ」


「ドアが開いていた」


「……素直に言ってくれればいいのに」


ヴェインはわずかに口角を上げた。この人が笑うのを、初めて見た気がする。


「展覧会。俺も護衛として同行する」


「危険だと思う?」


「わからない。だから行く」


ルルが私とヴェインの間を行ったり来たりして、最後にヴェインの肩に乗った。


(この子、完全に懐いてるな……)


展覧会までの準備期間は二ヶ月。

私は新しい魔法陣の設計に没頭した。


鉄触媒の防護結界をさらに発展させ、坑道だけでなく、都市規模の防護にも応用できる設計を組む。

ヴェルヒェン時代の理論を基盤にしつつ、この公国で得た新しい知見を組み合わせる。


工房の壁一面に設計図が貼られた。床には演算用紙が散乱し、インク壺が三つ空になった。


ある日、テオドール公が工房を訪ねてきた。壁を埋め尽くす設計図を見て、目を丸くした。


「これは……壮観だな」


「すみません、散らかっていて」


「いや、感心しているのだよ。この設計図は全て展覧会用の新作かね」


「はい。鉄触媒理論の応用で、都市規模の防護結界を設計しています」


「都市規模……。それは、ヴェルヒェンの論文に載っている防護結界とは別物かね」


「根本的に違います。あちらは従来型の結界を私が最適化したもの。こちらは、この公国の鉱山で得た知見をもとにした全く新しい設計です」


「つまり、並べれば設計者の思想の違いが際立つ」


「ええ。それが狙いです」


テオドール公は設計図の一枚に手を伸ばしかけ、やめた。


「触ってもいいかね」


「どうぞ」


「……美しい線だ。数式は読めんが、この設計図が丁寧な仕事であることはわかる」


「ありがとうございます」


「勝てるかね、展覧会で」


「勝つ、というよりは……真実を見せるだけです。判断は、見る人に委ねます」


テオドール公が微笑んだ。


「そういう姿勢が、学問に向いているのだろうな」


毎日、定時の鐘が鳴るとヴェインが迎えに来た。


「帰れ」


「あと少し──」


「飯を食え」


「あとこの演算だけ──」


「冷める」


「ヴェイン、五分だけ──」


「三分」


値切られた。


紙袋がいつも置いてある。パンとスープ。日によっては果物も。


あるとき、紙袋の中に手袋が入っていた。

革の、作業用の手袋。私の手がインクで荒れているのを、見ていたのだろう。

何も言わない。手袋を置いて、去っていく。


(……こういうの、ずるいと思う)


カイルの動きも気になっていた。彼は展覧会の話を聞いて以来、妙に協力的になった。


「リーゼルさん、設計の下準備くらい手伝いますよ。同じ技師として」


「ありがとう。でも、核心部分は自分でやりたいの」


「もちろんです。邪魔はしませんよ」


笑顔の裏で、彼の目は私の設計図を追っている。

展覧会でヴェルヒェン側が優位に立つための情報を、ここで集めているのだ。


わかっている。だから、核心部分は見せていない。


手帳の写しはヴェインが預かっている。新しい設計の要の部分は、頭の中にしかない。


鉱山の坑夫たちが、準備を手伝ってくれた。


「嬢ちゃん、展覧会に出るんだって?」


「ええ。この鉱山の結界技術を見せてくるわ」


「へえ。うちの鉱山の技術が王都でお披露目か。大したもんだ」


「あなたたちの鉱山がなければ、この理論は生まれなかったの。感謝しているわ」


年配の坑夫が照れくさそうに頭を掻いた。


「やめてくれよ。俺らはただ穴を掘ってただけだ」


「その穴が、世界を変えるかもしれないのよ」


坑夫たちが顔を見合わせて笑った。

半年前、よそ者を疑いの目で見ていた人たちだ。

今は、私の味方になってくれている。


夜、工房の片づけをしていると、ヴェインが入ってきた。珍しく、手ぶらだった。


「リーゼル」


「何?」


「無理をしているだろう」


「していないわ」


「嘘だ。目の下のくまが日に日に濃くなっている」


反論しようとして、やめた。嘘をつく相手ではない。


「……少し、不安なの」


「何が」


「展覧会で並べたところで、誰が信じてくれるかわからない。私の言葉より、王太子の肩書のほうが重い。世界はそういうふうにできている」


「……」


「身分の差って、そういうことなの。同じ言葉でも、誰が言ったかで重みが変わる。私がいくら正しくても──」


ヴェインは黙って聞いていた。

それから、上着を脱いで私の肩にかけた。


「工房が冷える」


「……話を聞いてた?」


「聞いていた。だから上着をかけた」


「意味がわからないんだけど」


「冷えると思考が鈍る。思考が鈍ると不安が大きくなる。だからまず温めろ」


(……理屈っぽいのか、優しいのか、どっちなの)


「信じる人間は、ここにいる」


小さな声だった。けれど、はっきりと聞こえた。


返事ができなかった。喉が詰まって、言葉にならなかった。

代わりに、手帳を握りしめた。指先が震えていた。寒さのせいではない。


ルルが私の足元で、静かに光っていた。


──展覧会の開催が、正式に公示された。

会場はヴェルヒェン王都。

つまり、私は追い出された場所に戻ることになる。


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