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婚約破棄されたので定時退社します ~追放された宮廷魔法師は隣国で溺愛されて最強になりました~  作者: 渚月(なづき)


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第3話 小さな工房と最初の依頼

書状の差出人は、マルグリット。

王立魔法院の元院長であり、私の研究者としての師にあたる人だ。


中身は簡素だった。


(「あなたの論文が、今月の王立学会誌に王太子の単独著者名で掲載された。知らせておく」)


それだけ。慰めも、謝罪も、助言もない。

事実だけが、乾いた筆致で記されていた。


手が震えた。怒りではない。悔しさだ。


わかっていたはずだった。私の名前が消されたことも、王太子が成果を横取りしたことも。


けれど、「掲載された」という事実の重みは、想像以上に胸を圧した。


ルルが手帳の上から飛び降り、私の手の甲に額を擦りつけた。

白銀の毛並みが、仄かに光っている。慰めているのだ。


「……大丈夫よ、ルル」


声に出すと、少しだけ本当になった。


手帳を開く。三年分の設計図、演算の過程、失敗の記録、修正の痕跡。

すべて私の筆跡で書かれている。


(今は、目の前の仕事をする)





翌日から、工房での日々が始まった。


ブランシュタット公国の鉱山は、公国の経済の要だ。

しかし、坑道の崩落事故が年に数件起きており、防護結界の整備が急務だとテオドール公は言っていた。


最初の依頼は、東の鉱山の坑道入口への防護結界の設置。

規模としては大きくないが、地質と魔力の流れを読み間違えれば結界は三日と持たない。


まずは現地調査だ。


鉱山に向かう馬車の御者席に、なぜかヴェインがいた。


「護衛だ」


私が何か言う前に、彼はそう言った。


「護衛って、鉱山までの道にそんな危険が?」


「山猪が出る。たまに魔獣も」


「魔獣は最近も?」


「この半年は出ていない。だが油断はしない」


ルルが私の肩の上で、ふん、と鼻を鳴らした。

精霊獣である彼女にとって、山猪は脅威でもなんでもないらしい。


鉱山に着くと、坑夫たちが作業の手を止めてこちらを見た。

視線に歓迎の色はない。当然だ。よそ者の女が突然現れて、結界を張ると言われても信用できるはずがない。


年配の坑夫が腕を組んで、私を値踏みするように見た。


「あんたが新しい術師か。随分若いな」


「リーゼルです。よろしくお願いします」


「前の術師は半年で逃げたよ。この鉱山は魔力が安定しなくてな、結界がすぐ薄くなる」


「安定しない原因は把握していますか?」


「知らん。術師が三人来て三人とも匙を投げた、としか言えんな」


有益な情報だ。三人が失敗しているということは、通常の手法では対処できない何かがある。


私は手帳を開き、坑道の入口に手をかざした。


魔力の流れを読む。地脈の方向、岩盤の密度、湿度、温度。

すべてが結界設計の変数になる。


「……この岩盤、鉄分が多い」


「ああ。ここは鉄鉱山だからな」


隣にいたヴェインが答えた。


「通常の防護結界だと、鉄が魔力を散らしてしまう。結界が薄くなる原因は、おそらくこれね」


「それが崩落事故の原因か」


「直接の原因ではないけれど、間接的には。結界の定着率が下がると、振動の吸収が甘くなる。積み重なれば崩落のリスクが上がるわ」


年配の坑夫が怪訝そうに眉を寄せた。


「他の術師は、そんなこと言わなかったぞ」


「鉄と魔力の干渉は、あまり研究が進んでいない分野ですから。でも、対処法はあります」


「あるのか?」


「理論上は。鉄そのものを結界の触媒にすればいい。散逸する魔力を逆手に取る設計です」


坑夫たちが顔を見合わせた。

半信半疑、というより、七割疑わしいという顔だ。

当然だろう。言葉だけでは何も証明できない。


「少し時間をください。設計を変える必要があります」


ヴェインは頷いた。急かしもしない。疑いもしない。


「必要なものがあれば言え」


「鉱山の地質図と、過去の事故記録があると助かる」


「手配する」


三日間、私は工房に籠った。

鉄分による魔力散逸を逆手に取り、鉄そのものを結界の触媒にする設計を組んだ。

これは私がヴェルヒェンで研究していた複合魔法陣の応用だ。


壁に設計図を貼り、演算用紙を床に広げ、ルルが邪魔をしに来るのをかわしながら作業を進めた。


四日目の夕方、坑道に試験設置を行った。


魔法陣が地面に浮かび上がる。蒼白い光が坑道の壁を這い、天井まで覆う。


坑夫たちが集まってきた。


「……光ってる。前の術師のときは、こんなに光らなかったぞ」


「魔力の定着率が上がった証拠です。光量は定着率にほぼ比例するの」


年配の坑夫が恐る恐る結界に触れた。


「あったかいな。前のは冷たかった」


「鉄の触媒特性を利用しているので、結界に温度が生じます。冬場の坑道作業にも──」


「嬢ちゃん。これ、ずっと持つのか?」


「定期的な保守は必要ですが、理論上は従来の三倍は保持します」


坑夫たちの表情が変わった。警戒が、興味に変わっている。


「……やるじゃねえか」


年配の坑夫が、ぶっきらぼうに言った。

褒め言葉だと気づくのに、少し時間がかかった。


小さな成功。ほんの最初の一歩。


定時の鐘が鳴った。

ヴェインが工房の扉を開けて、無言で外を指さした。


「まだ微調整が──」


「明日でいい。飯を食え」


「もう少しだけ──」


「リーゼル」


名前を呼ばれて、手が止まった。

この人に名前で呼ばれたのは、初めてだった。


「……わかった」


仕方なく手帳を閉じて立ち上がると、工房の入口に紙袋が置いてあった。

中身はパンとチーズと、小さな林檎。


「誰が用意したの?」


「テオドール公の命令だ。技師が倒れたら困ると」


「テオドール公の命令、ね」


「……何が言いたい」


「パンの切り方が丁寧すぎるわ。テオドール公が切ったにしては几帳面ね」


ヴェインが黙った。

ルルが紙袋に鼻を突っ込み、林檎をくわえて得意げに尾を振った。


帰り道、夕焼けが鉱山の稜線を染めていた。

ヴェインは隣を歩いていたが、何も言わなかった。


沈黙が、不思議と心地よい。


「ヴェインさん」


「ヴェインでいい」


「……ヴェイン。この国では、いつもこんなに静かなの?」


「静かなのは嫌いか」


「いいえ。嫌いじゃない。……少し、慣れないだけ」


ヴェルヒェンの宮廷は常にざわついていた。派閥争い、噂話、お追従。

誰もが何かを演じ、何かを隠していた。


ここには、それがない。


ヴェインは小さく頷いただけだった。


宿舎に着いて鍵を開けると、ルルが真っ先に窓辺のクッションに飛び乗った。

三つの尾を扇のように広げ、くるりと丸まる。

もう自分の居場所を決めたらしい。


(……私も、見つけられるだろうか)


手帳を机に置く。マルグリットからの書状を、手帳の最後のページに挟んだ。


証拠は、まだ足りない。

けれど、ここでなら積み上げられる気がした。


──翌朝、工房の扉に一枚の張り紙があった。

「鉱山の魔法技師募集」に応じたのは、私だけではなかったらしい。


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