第5話 物語から下りる準備
第8話完結予定です。
婚約破棄宣言をする二時間前――。
「アレクシス様! 殿下!おいこら寝た振りすんな、このバカ。親不孝者の、恩知らずが!」
「寝ていない。それに、ダレン。お前の暴言も全部聞こえてたからな」
「じゃあ、育ての恩を仇で返す高貴でお馬鹿な王子様、ご所望の女性を手配しましたよ」
いつの間にか、馬車が一軒のタウンハウスの前に止まっていた。ダレンは幼い頃からの側近――、いわゆる乳兄弟という関係だった。
「口止めは? 絶対に口外しない者を選んだんだろうな? 後で両陛下に脅しにかかるような人間ではただではおかないぞ」
「そこは、大丈夫。俺の名にかけて保証します。彼女は秘密を漏らさないし、忠義を尽くして役を演じてくれるよ」
「それならいい」
現在、叔父上の治世のお陰でしっかりと国が機能している。俺はそれで十分だった。
別に幼い頃に死別した父に、愛情を持っていたわけでもない。
これまで育ててきたくれた両陛下にこそ恩義を感じている。
これが、俺なりの舞台の下り方だった。
「でもさ、陛下ともう一度話し合ったほうがいいんじゃないですか?」
「いや、あの方々には俺の事を見限ってもらいたいんだ。いつも俺の事を気にかけてくださった。レオナルドは随分と寂しい思いをしただろう。陛下もレオも、もう解放されてもいい」
この期に及んで、まだ俺を説得しようとしているらしい。この乳兄弟は、本当に情が深い。
「それよりも、俺が行動に出た後の後始末が心配だな。ディライト公爵令嬢には最大限の手配はしたが……」
「新聞には、あなたの一大ニュースが載ることでしょう。それに、この国で彼女を貶められる人間なんています? 才女として有名な完璧な淑女です。次の日には求婚者の列が出来ているはずですよ」
――そう。それならば思い残すことはない。
派手に、それも恥をさらして王籍を抜けられる。
「あの頃は良かったな……。お前と、リゼ、それにレオナルド。何も知らなかった頃は、身分も何も関係なかった」
「なにを甘いことを言っているんだか……。やっぱりあなたは王族に向いていない」
「そんな事は、俺が一番に知っている」
ダレンは側近だが――。
エリーゼとは会えなくなってしまった。
「リゼ――、エリーゼはまだ行儀見習いのままか?」
「ああ、あなたの婚約者のディライト公爵令嬢の侍女をやっていますよ」
「そうか……。はぁ、結局俺は誰の『王子様』にもなれない半端者だな」
幼い頃のエリーゼ。
絵本の中の『王子様』と俺を比べて、いつも俺のほうがいいと言ってくれていた。
ダレンの妹なんだから、聞けばよかったのに、何故か今まで勇気がでなかった。あの、美しいピンクゴールドの髪が忘れられない……。
「リゼは……、その、婚約は? いや、元気か?」
「ああ、俺も最近会ってないけれど。あいつは今、恋に夢中らしいです。正直、妹のそういう話は聞きたくないんですけどね」
ズキン、と胸が軋む音がする。
ゆっくりと目を閉じて、深呼吸をする。
そう。感傷は必要ないんだ。これから破滅に向かうと決めたはずだろう。
しかし、閉じた目の裏に浮かぶのは幼い頃からずっと慕ってきてくれたエリーゼの姿だった。
「――最後に会いたいな」
「ん?何か言った?ご所望の『娼婦役』のお相手のご登場です。演ると決めたなら、ちゃんと演じて下さいよ」
「ああ、わかっている。今更、俺が怖じ気付く心配か?」
ため息をつきながら、ダレンが念を押す。
「何があっても、その場に合わせて。あなたの目的は、ちゃんと理解してますよね?」
「ああ。穏便にレオナルドに王位を譲る。それが目的だ」
「それならいいです。想定外の事態に醜態をさらして、更に混乱を招きたくないですから!こっちも色々と大変なんです、全く」
ダレンには色々と手を回してもらった。新聞社の件も、『娼婦役』の女性の手配も――。
「お前には、今まで本当に苦労をかけたな」
「なにを今更。これから沢山、苦労をかけるつもりでしょうに」
そうだ。これから、俺は盛大な茶番劇を演じて、その後始末を彼に任せる事になっている。
「お前には、ずっと頭が上がらないな」
「じゃあ、これからは敬語なしでお前に接する。そして、俺を兄だと認めるなら許すよ。アレクシス」
「ははは。昔はよくそれで喧嘩したな」
同い年の乳兄弟。どちらが年上で兄だ弟だとよく喧嘩したものだ。
「さあ、今日のパートナーのレディを迎えに行くぞ。名前は――。何か希望あるか?あちらは全部お前の演技に合わせるだけだから」
いきなりのダレンの質問だ。
名前?
愛人役の名前ねぇ……。
ひとつだけ、思い浮かんだ名前に頭を振る。
「思いつかないな。ダレン、お前に任せる」
「ふーん。なら、じゃあ、ローズで。派手でいいだろ?」
――まぁ何でもいい。そんなイメージの女性なのか。ダレンが用意したのだから、普通の娼婦ではないだろうし、纏わりつかれる心配もない。
ゆっくりと馬車を降りる。
俺はこれから『恋人』を演じてくれる女性を迎えるべく、フットマンがドアをノックするのを待った。
「お待ちしておりました。どうぞ中でお待ち下さい」
すぐに通され、玄関ホールで女性を待つ。
「ここ、誰の別邸だ? 身分を知ったらお互いに面倒だったから聞かなかったが、まさか貴族令嬢に頼んだんじゃないだろうな」
隣のダレンを睨みつける。
明らかに、貴族か裕福な商家の家だ。
まあ、さすがに貧民や平民にこの役は務まらない。
だが、こちらの都合で相手に不都合を与えるのも心苦しい。
「大丈夫! うちの別邸! ルーベンス子爵邸だから!」
「何……? まぁ、妥当か」
そんな会話をしていると、あまり間を置かずに女性が階段を下りてきた。派手な赤色のドレスに大きく開いた胸元。
こちらの要望通りだった。
ダレンがエスコートのために階段を上がり、女性の手を取る。
何か小声で囁き合っているが、ダレンの恋人か?
――いや、こちらが頼み込んだ手前、聞くわけにもいかない。
念のために、俺は小声で告げた。
「ローズ嬢、今夜はよろしくお願い致します。話は通っていると聞いていますが、今宵貴方は会場中で様々な視線に晒される事になる」
「ええ、伺っております。大丈夫、全部私にお任せください。王子様」
深いブルネットに、緑の瞳。派手な化粧で美しく着飾った彼女は、妖艶に笑って言った。
この時の俺は、裏で『俺の為に』計画を立てている、有り難くも大切な――そんな人がいるとは気付いていなかった。




