第31話:失うということ_4
「お帰り!」
「あ、あぁ、ただいま」
なんでもない顔をして隼人は出迎えてくれたリコへ返事をした。笑っているつもりだが、全く普通に笑えている気がしない。カラカラになって貼りつく喉で咳ばらいをしながら、隼人は部屋へと入っていった。
「毎日大変だね」
「うん。……でも、それも今週まで、かな」
「え、そうなの? これまた急だね」
「一人専任で入れる子が出たから、俺は用なし」
「最近は結人も桐人も眠ってから帰ってきてたもんね。定時で帰れそう?」
「最初すぐは難しいかもしれないけど、落ち着けば帰れると思う」
「まだ何か忙しいの?」
「中途半端に参加しちゃったから、引き継ぎとか作成途中の物とか色々あって」
「そっか。それはそれで大変だね」
「あぁ。早く落ち着いてほしいよ」
息をするように嘘を吐く。昔は苦手だった嘘も、隼人は器用にこなすようになっていた。正直に話したところで、喧嘩になるのは目に見えている。自分で自分の尻拭いをしたが、その仕方が何より歪だった。文字通り自分で処理をした結果、残るのは脳みそだけになったのだ。言えるわけがない。
残業しているはずの自分は違法賭博に呆け、残業代として持ち帰ったお金とプレゼントは、それで稼いだお金だ。株と偽るには限界があり、あまり多くは残せない。残せなかった結果、もう隼人にはなにもなくなっていた、どうしても残しておきたかったもの以外。
「そういえば、最近物減ったよね?」
「あー……ほら、三人目産まれるから、少しでもスペースはあったほうがかなと思って。服とか準備したら結構収納埋まっちゃったし、これからオモチャも買うし、オムツやお尻拭きの消耗品も増えるから。置き場ほしいじゃん?」
減らしたのは、交換してきたブランド品にアクセサリー、時計等々の嗜好品だ。すべて隼人が管理していたもので、箱や袋にしまったままになっていた物が多数あり、そのまま返したのでかなりのスペースが空いていた。お互い特にはクローゼットの中身を見ないようにしていたが、クローゼットとから見られていい物を出して部屋の中に置き、手に入れた物をその空いたクローゼットのスペースに置いていた。それを元に戻しただけなのだが、確かに表に出ていたものは見えなくなったためスッキリしたように見える。
「そういうこと。ありがと、助かる」
「もっと減らせたらいいんだけどな、リサイクルショップに不用品持って行ってもいいかも」
「私の昔のアクセサリーとか、ブランド物のバッグとか出してもいいよ?」
「いいのか?」
「うん。だって使わないものも多いし。それに、隼人に最近もらった物もあるしね」
「ちゃんと使ってくれよ?」
「勿体なくて使えないかも」
『それなら返してほしい』とは、口が裂けても言えなかった。
「あ、あのさリコ」
「ん?」
「これから、残業がなくなって、そうするとその、収入が減るじゃん?」
「うん、それはそうだね」
「それでさ、そうすると生活って……どう?」
「んんんー……そうだなぁ」
リコは考え始めた。
「今までの貯えがあるから、そんなに苦しいことはないと思うけど……。ベビー用品って結構お金使うしね。よく食べるようになったら食費かな? 私も仕事に復帰できればいいけど、隼人も育休中は手当だけだから給料もらうよりは減っちゃうし、純減かも。半年経つと、貰える手当も減っちゃうしね」
「そっか……厳しい、かな」
「贅沢しなければ貯えでなんとか……って感じ。何泊かする旅行とかは難しいかも。もう少し産まれる前に貯金できたらいいけど、私も隼人も限界があるじゃん?」
「そうだよな……」
「隼人が売っても良いっていうなら、もらった物も売るけど……。もらい物だからさ、抵抗あるんだよね。自分が買った物なら全然なんだけど」
「……また買うから売って、ってなったらゴメン」
「いいよー別に。生活の方が大事!」
もう二度と、あんな無理な賭け方はしない。――隼人はそう誓った。
「……ってか、なんかそんなにヤバかったっけ……? もしかしてリストラされるとかあるの?」
「い、いや! そんなことはないけど……」
リコの疑問ももっともだった。突然『生活はどうか』と聞かれ、そのあとに『売れるものは売っても良いか』と聞かれたら、何か問題があるのでは? と思うのは当然である。隼人の質問の仕方は少々不自然で、引っかかるのも当たり前だろう。
「ねぇ、なにか問題でもあった? ……借金? 株で大損したとか……?」
「あ、いや、いや……。あー……うん、ごめん。……ちょっと、株でダメになった分があって……。でも! 俺の使える範囲の話だし、ただ、それがあったらもっと生活楽になったかなって思うと結構自己嫌悪でさ……」
「……そっか。でもさ、勉強量だと思おうよ! 私はノータッチを貫くよ? 口出したくないし、隼人も口出されたくないと思ってるから。生活費から持ち出したわけじゃないし、残業して頑張ってくれてるわけだし……」
「ありがとうリコ」
「でもでも! 困ったら言ってね? 育休から戻って、私も復帰したらその、お小遣い増やせるかもしれないし……」
リコの優しさが身に染みていた。自分のことなのに、家族を巻き込むことはしたくない。
「その時は言うよ。でも今は、本当に大丈夫だから」
「……うん、わかった」
「――パパ? ママ?」
「あ、結人起きちゃった?」
「んー……」
「ママ! ママ!」
「ありゃ、桐人も起きちゃった……」
「喋り声で起こしちゃったかな、ごめんな」
「あ! パパぁ!」
ニコッと笑って桐人が隼人へ抱き着いた。
「ねぇ、のどかわいた!」
「ぼくも!」
「お茶飲んだらお布団に戻ろうか?」
「はーい」
「結人、こっちにおいで」
「なぁに? パパ」
「一緒に写真撮るぞ。リコも」
「え、今から!?」
「今から。すぐ終わるから」
「なんでよ急に」
「いや、みんなで撮った写真少ないなと思って。リコだって妊娠中の写真撮ってないだろ?」
「だからって、何も今でなくとも……」
「撮ろう! って思った時に撮らないと、絶対忘れるもん。ほら、こっち!」
「もう……」
渋々リコは隼人に従うと、隼人の隣に行き結人を膝の上に載せた。
「はい、チーズ」
カシャ。
スマホのシャッター音が鳴る。隼人はこうして、一枚の写真を残した。自分がオリジナルである、最後の家族写真を。一度クローン体になれば、オリジナルに戻ることはできない。自分がオリジナルであったという事実を、記録を、隼人は残しておきたかった。少なくとも、この写真の中の隼人はオリジナルで、幸せそうに笑っている。せめてこの残りの時間を切り取り閉じ込めることで、自分は大丈夫だと思い込もうとしていた。
そして翌日。玄関にある姿見で全身の写真を撮った。『トラブルがあったから』と、昨日あのあとリコに説明をして、普段よりも早い時間に家を出ることにした。楓には既に連絡を入れてある。オリジナル最後の時間、本当は家族全員に『いってらっしゃい』と見送りをしてほしかった。だが、それをしてしまうと何とか保っていた気持ちが壊れてしまいそうで、泣きそうになりながら諦めた。まだ家族がスヤスヤと眠っている中、ひとりスーツを着て、会社へ行くフリをして家を出る。
いつもの場所に、楓の車が停まっていた。『手術前に少しぶらつきたいから、そのあと駅に迎えに来てほしい』とお願いしたら『俺もそれに付き合う』と返事が来たのだ。オリジナル最後の時間は、楓と過ごすことに決まった。といってもなにも特別なことはなく、朝早くから開いているカフェに入ってただ喋った。当日の飲食……水以外は禁止されていたため、隼人はなにも頼まない。
「なぁ、楓が手術したときってどんな感じだった?」
「俺? んー……あんまり覚えてないけど、身体の辛さ、みたいなのは全然なかったかな。胸は苦しかったけど、それは心臓もダメだったからだろうし、それ以外は全然」
「オリジナルのときと変わらない?」
「うん。普通に食べて飲んで、眠たくもなるし疲れもするし。怪我したら痛いし、悲しかったら涙も出るし、なんにも変わってないと思うよ」
「不安はなかった?」
「別になかったよ? 死ぬわけじゃないから、前より元気になれるかも! って思ったら割とワクワクしたし」
「流石楓」
「大丈夫だよ。あ、お前写真って残した? 俺、オリジナル最後の日に写真撮っててよかった! 思い出! って思ったんだけど、隼人も撮ったほうがよくないか?」
「撮ったよ、一応。家族と、俺一人でと」
「よし、俺とも撮ろうぜ」
「お? おう」
隼人のスマホと、楓のスマホでそれぞれ写真を撮った。
「術後も撮ろうぜ? 記念すべきフルボディ一日目」
「お前とが最初かよ」
「いいじゃん! な!!」
楓の軽口が隼人の緊張を解す。一緒にいてよかったと心底思いながら、ふたりはカフェを出て会場へと向かった。




