第29話 辰
目を開けると、不思議な世界にいた。
最初に見たのは、自分の姿だった。しかし、人間の姿ではない。ボールに手足を取ってつけたような、珍妙な姿だ。
「それが貴様の本来の姿だ。気分はどうだ?」
聞き覚えのある、脳内を揺らすような重厚感のある声。
振り向けば、無機質な世界にポツンと椅子がある。そこに王様のように座っている者がいた。
人間の姿をしているのに、強大で崇高な存在であると、一目見ただけでわからせられるようだった。
だからこそ、正体には確信が持てた。
「……あなたが十二支の辰、龍堂辰幻さんですよね」
「いかにも。吾輩は十二支第5位、辰。まずはここまでたどり着けたことを讃えよう。神の精霊よ」
――十二支第5位、辰。動物とするには少々怪しい、伝説の生き物、龍。天空から動物たちが走る姿を見て興が乗り、途中から競争に参加したとか。
空を飛べる時点で、競争に有利だ。始めから参加していれば圧倒的だったかもしれない。
龍堂辰幻、彼が目の前にいるということは、申弥さんのまじないは成功した。
俺が今すべきことは、亜未さんの苦しみを解くために、彼の協力を求めることだ。
「……辰幻さんっ、むぐ」
(口が……動かない……!?)
しかし口が縫い留められているようで、急に喋れなくなる。
「貴様の言いたいことはわかっている。全て見ていたからな」
全て見ていた? ならどうして、探している仲間の元へ行かない? 苦しむ亜未さんの力になろうとしない?
「それは、吾輩も呪いにかけられているからだ」
自信満々に答えられて、面食らう。呪いをかけられているというが、亜未さんのように苦しんでいる姿もない。
だいたい、なぜ彼は俺の思考を読めるのだ。話せないし、呪いにかけられているのは俺の方じゃないのか。
「人の世で言う退職祝いというわけだ。実に興味深い。吾輩を水晶内の空間に閉じ込め、出られなくするものだ。貴様もそう思わんか?」
いや、聞かれても喋れない。退職祝いが呪いってなんだそれは。「祝い」の文字と「呪い」を間違えているんじゃないのか。
「ほう? 祝いも呪いも表裏一体。まじないと呪いは根源が異なるだけで、同一の能力だ」
「…………」
辰幻さんは俺の思考を読んで一方的に話し続ける。なるほど。やはり十二支。彼もまた厄介だ。
「トリが貴様らを雛鳥に変え、場をやり過ごしたように。呪いであっても、使い方次第で時に良き結果をもたらす。逆も然り。まじないも行き過ぎれば、良くない方向へ変化を遂げるのだ」
「はあ……なるほど……」
あ、喋れた。
彼は何だかとても深い話をしているような気がする。頭には入ってこない。脳が理解するのを拒んでいる。
ただ、結局のところは、呪いにかかっていてここから出られないのだとわかる。
十二支が連絡を取れなかったり、なかなか見つけることができなかったりするのは、そのせいなのかもしれない。
「その通り。解呪条件は不明。外部からの接触の一切を遮断し、吾輩を幽閉するためのもの。実に愉快だ」
「ゆ、愉快……でも、俺はここに来ることができましたよね。それはどうしてなんでしょう?」
「貴様が神の近縁故と見るか、選抜が原因で発生した新たなまじないの影響と考えるか……悩みどころだな。ここから出て解明したいものだ」
彼は閉じ込められているとは思えないほど、上機嫌であった。呪いとまじないへの、熱烈な探究心が伝わってくる。
ここから出たい。それだけは俺も同じ気持ちだ。一刻も早く脱出して、亜未さんを助けてもらう。
だけど、そもそもどうして辰幻さんなんだろう。彼は5位、すなわち奇数で陽。
巳乃さん曰く、陽は呪いに弱いとのことだったはずだ。
「やはり何も覚えていないのだな、貴様は。自業自得とはいえど、ヒツジが少々不憫だな」
「え?」
「吾輩は既に、ヒツジが苦しめられているであろう呪いの原因はわかっている」
辰幻さんはそう言いながら、俺の方向を指した。振り向くが、誰もいないし何もない。
「お、俺……?」
どういうことだ。俺は呪いは使えないし、無力な精霊。亜未さんに危害を加える、そんなことは一切考えていない。
「ヒツジはどうして苦しんでいるか。思い出して見よ」
亜未さんが苦しんでいる理由……? それは、呪いだ。丑理さんは言っていたこと、たしか……呪いを解こうとして……
(一神セレン……これだけは忘れるな……!)
「貴様は……何者かに、記憶を操作されている」
必死に訴えかけられていた。忘れていた、記憶の断片。辰幻さんの言葉が、夢の中で見たはずの光景を修復していく。
同時に1つ、神の記憶を思い出した。
亜未さんの持つ呪いの強みは、他者を眠らせることは前提として、夢の内容を自在に操れることだった。
十二支の扱う呪いの中でも高位で、簡単には打ち破れない。相殺できるのは、向かい干支の丑。
彼が暴走しないための、ストッパーでもあった。
しかし、全ては思い出せない。
完全に理解したことは、動物の大将らしく、十二支には十二支にしか使えない、特別なまじないか呪いが与えられていたことだった。
「亜未さんは、俺の夢に入って、俺にかけられた呪いを、解こうとしたんですね……」
忘れていたことが悔やまれる。彼は俺のために身を挺して呪いを解呪しようとしてくれたというのに。
おそらく、操作されているのは神から与えられた記憶。俺が十二支について何も知らなかった原因なのだと思う。
「記憶操作系の呪いというものは、強力で構築に何世紀もかかる。その上解呪条件が特定しづらい。解呪に構築並の年数を要することもある」
「そ、そんな……俺にできることはないんですか……?」
簡単には解呪できない。何世紀もかかるという壮大なスケールが、たかだか生まれて1週間も経たない精霊にとっては、到底理解し難いものだった。
人間だって、生きられるのは長くて1世紀だ。
「クク……案ずるな。貴様を用いれば、簡単に解呪できるぞ」
頬に手を当てこちらの様子を窺い、彼の口元は弧を描く。そうして辰幻さんは、衝撃的なことを口にした。
「貴様という存在が消滅することだ、一神セレン」
「俺という存在が、消滅……?」
「寄生虫は宿主と命を共にしている。それと同様のことだ。貴様が消えれば呪いも消える。すなわちヒツジへの解呪反発も消える。簡単なことだろう?」
ああ、彼にとっては、さも当たり前のことなのだ。解呪のためなら、どんな倫理観のない方法であろうと試したいと、彼の爛々と輝く目が訴えていた。
俺が消えたところで、選抜がどうにかなるわけではない。それは、子音さんたちを見ていればわかる。
だから、役に立てるというのなら、俺のせいで苦しんでいるというのなら、命を差し出すことにためらいはなかった。
「……わかりました。俺を、殺してください」
声が震えた。それは恐怖からくるものではない。己の無力感からくるものだ。
辰幻さんの、爬虫類のような特徴的な目が大きく開く。
俺は手を摘まれ持ち上げられ、行く先は彼の口元であった。
「えっ」
俺は困惑した。何でこの龍は俺を喰おうとしている。胃液で溶かされるなんて嫌だ。殺すなら、亜未さんのためにも一思いにすぐ殺してくれよ。
「貴様にかかった呪縛。必ずや解明してみせよう」
それは彼が今まさにやろうとしている行動とは正反対に、優しげな声だった。DV彼氏ってこんな感じなのかなと余計なことを考える。
あ、喰われる。まあ、どうせこうなるなら、人間体だともっと生々しいからある意味よかった。
クジラがプランクトンを喰らうことと同じくらいにはなってるかな。
来世で十二支が変わっていなければいいな。子、丑、寅……のリズムが崩れるの、嫌だし。
どうかこの選抜でも負けず、信念を突き通して勝ってくれ。そう、心から願っている。
人間とは似つかない手を合わせて、そう祈った。
そうして、俺はこの世にさよならを告げた。そのはずだった。
メキメキと音を立て、この空間にヒビが次々に現れる。辰幻さんは俺を喰おうとするのをやめた。しかし俺は乱雑にポイと投げられた。
そして辰幻さんは椅子から立ち上がって、あの腹立たしいほどに輝く龍のキーホルダーのように、大口をあけて笑ったのだ。
「フハハハハ! なるほど、これは解呪条件に気づけぬはずだ! ここまで想定していたとは、神は侮れん!」
心底嬉しそうな姿だった。またもや俺が呆然とする中、辰幻さんは俺に手をかざす。
「……え、人間に戻った」
「貴様の勝ちだ。神の精霊よ」
ガラスが割れるような音と共に、空間は崩れ去った。代わりに現れたのは、教室のような場所。
明らかに見覚えのある場所だった。中華料理店で使われるかもしれないほど大きい円卓。綺麗な字で書き込まれたホワイトボード。
もっとも、その場にいる人物が答えを出していた。
「……あ? 辰っ!?」
「ネズミよ。貴様だけが吾輩に振り回されず行動していたな。褒めてやろう」
子音さんの手元からマーカーペンが落ちる。彼が動揺するほどまでに、龍堂辰幻という存在は、絶大な影響力があるのだと思った。




