第19話 恐怖
十二将学園、廊下。さて、勢いよく部室を飛び出してしまった俺だけど、とりあえず1年5組に向かうとして……その後、どうしよう。
持ってきてしまっていた生徒名簿をパラパラとめくる。1年5組のページを見ると、思った通り。
蛇平巳乃、猿爪申弥。巳申の2人だと思わしき名前があった。
しかし我ながら、勢いだけで考えなしだと痛感する。仮に、1年5組で巳申コンビを見つけたとして、素直に子音さんを返してくれるだろうか……説得、してはみるけど、うまくいくかは不安だ。
「セレン様ー! 危ないので避けてください!」
「へっ?」
突然の警告に振り向く……が、時すでに遅し。亥寧さんが眼前に迫っており、俺は何の反応もすることができず、飛びつかれて体勢を崩してしまった。
「わは!」
「イノシシ! 少し落ち着いたらどうなんだ! 今は人間なんだ。セレン様も君も、怪我をしたらどうする!」
「えぇ〜、だってさ、セレンに元気出してほしくて!」
「そ、それなら僕も同じ気持ちだ……こほん! セレン様、僕たちはいかなる時も、あなたに協力します。艮さんたちはらしくもなく弱気なので、僕はあなたを頼りにしています」
「……ありがとうございます、2人とも」
ああ、こんな不甲斐ない俺なのに、着いてきて、頼ってくれるんだ。2人は前向きで、真面目で、その姿を見ていると、励まされる。
期待に応えたい。精霊として、何もできていない俺だから。
「あの、2人にお願いがあるんです」
まあ……そうは思っても、今は、協力するというお言葉に甘えるしか手段はない。
2人は元気よく返事して、キラキラとした瞳でこちらを見ている。眩しいなあ。
「思念伝達をやってみてほしいんです。亥寧さんが戌慈さんにできていたということは、他の十二支相手でも、可能……ということですよね?」
恐る恐る聞く。2人は顔を見合わせて、自信満々に笑う。例の変なポーズをして、準備万端です、とでも言いたげだ。
「では、子音さんに思念伝達できるでしょうか……?」
「念のため、イノシシからやった方がいいか?」
「わは、そだね! よし、それじゃ! ネーズーくん! どこですかー!」
うん。前と一緒だ。声が大きすぎて、もはやそのままでも聞こえそうだ。戌慈さんは耳を塞いでいる。
「……あれ? なんだろ、この感じ?」
「どうかしたか?」
「……イヌくん。思念伝達、絶対やっちゃダメだよ! なんかおかしくなってる……から……」
「イノシシ!」
「亥寧さん!」
一体、何があったんだ。いつもの元気が奪い取られているようで、亥寧さんは段々ぐったりしていく。
俺は、余計なことをしてしまったのか? 俺が、思念伝達をしてほしいなんて言わなければ……
「思念伝達をすれば、わかるのか……?」
「あっ! ダメです! 戌慈さんっ!」
戌慈さんがこめかみに付近に手をかざすのを見て、俺は焦る。
この状況が、さらに悪化する。そう予感して、彼に向かって両手を伸ばしていた。
しかしその手が届くことはなく、代わりに戌慈さんが吹っ飛んだ。
え、なんで。亥寧さんは床に伏しているから、彼ではない。
「あーあ……ウサちゃんやりすぎや……」
後ろから聞き馴染みのある声がして、振り向く。
「寅琳さん!? それに……」
可愛らしいピンク色が視界に映る。戌慈さんが吹っ飛んだのは、李卯さんのせいだったのか。
「トラ、イノシシ連れてウシのところに戻って」
「へいへい。ほどほどにやるんやでー」
李卯さんの言葉を聞いて、床に伏していた亥寧さんを肩に担ぎ、寅琳さんは何事もなかったかのように去って行こうとする。
「い、寅琳さん! 一体どういうことなんですか!」
「ん〜、まあウサちゃんに聞きや〜。イノシシは眠っとるだけやから、気にせんといて〜」
「あ、ちょっ……」
怪しい。貼り付けたような嫌な笑顔だし、話す口調が間延びしていて、何か企んでいる様子だ。
亥寧さんが大量のヨダレを垂らしながら寝ているのを見て、ホッとしたものの、さっさと去ってしまった寅琳さんの様子から、気を抜くことはできない。
それに、どうして李卯さんがここにいるのだろう。
「そんなんだからサルにバカにされるの。陰が異変を感じたら、陽は何もしてはいけない。鉄則だって何度言ったらわかるわけ?」
「すみません! 居ても立っても居られなくて。でも、ありがとうございます。助けに来てくれたんですよね」
「ふん……まあ、イノシシのおかげでハッキリしたね。人間界でも呪いは使える。ウシの感知が鈍っているのが……妙なところか」
「あの……!」
「何?」
鮮紅の瞳が俺を認めて鋭くなる。相変わらず警戒心の強さが伺える。
対して戌慈さんの表情は明るくて、先ほど吹っ飛ばされていたとは思えない。
「この状況で言うことでもないんですけど……李卯さんは、俺たちの仲間に加わることにしたんですか? 先ほどは寅琳さんと行動していましたし、戌慈さんを助けてくれましたよね」
俺が気になるのは、なぜこの場に李卯さんが来てくれたのか。なぜ寅琳さんと行動していたのか。
亥寧さんのこと、呪い云々も気になるが、今はとにかく、目の前の李卯さんのことしか考えられなかった。
「…………仲間? 思い上がらないで。僕は僕のやるべきことをやりにきただけ。イヌ、いくよ」
「ウサギさん……」
「俺が、いるからですか?」
「は?」
「あなたは、俺に不信感を抱いている。でも、戌慈さんや亥寧さんに対する眼差しは、とても優しげなものだ。俺という存在が、あなたにどんな不安を与えているのか。それはわかりません。でも、わかってほしい。俺は元十二支のために生まれた精霊。あなたに危害を加える存在ではありません」
ああ、まただ。またひとつ、頭で何かが弾ける感覚。体温が上昇しているような気がする。頭に血が上る、という言葉とは違って、思考は酷く冷静だった。
このような状態になるのは、元十二支と向き合うとき。そして、相手と感情が呼応するのだ。
怒り、困惑、期待、寂しさ……様々な感情があったけど、李卯さんから読み取れる感情は、根深い「恐怖」だった。
「李卯さん……どうしてそんなに……」
赤い瞳が揺れて、伏せられる。戌慈さんが異様な雰囲気に困り果て、視線をあちこちと彷徨わせている。
昨日言っていた戌慈さんの話とは……もしかしたら、この李卯さんの恐怖に関わるものなのかもしれない。知りたい。
彼が何に対して、この果てしない「恐怖」を感じているのか。
李卯さんの様子から、素直に話す気はないだろう。そう思って、戌慈さんに向けて話そうとした瞬間だった。
「へえ、やっぱり神様の片鱗が見えるねえ。うん、決めた。やはり君を連れて行こう」
「へ?」
「まずい! セレン様っ! 今すぐ離れてください!」
戌慈さんが叫んで、手を伸ばす。その手が触れるより先に、天井から伸びてきた男の手が俺に触れる。途端に目が回り、目の前が暗くなった。
「……お前も連れてこられちまったのか。まったく、アイツらは何してやがんだ?」
暗闇の中、聞こえた声。
それはまさに、俺が探し求めていた声であった。




