意思
神の意思と自分の意思
そこがよくわからない
何を言っているのかもわからない、と突っ込まれそう…
そんなこと考えるのは暇だから、と笑われるかな
けっこうやることはあるのですよ、専業主婦でも
でもね
わからないことはわかりたい
あやふやなままにしておくのは性分に合わない
書くことで整理する
話し相手がいないから
こんな話、誰も理解してくれない
いや、きっと付き合ってくれないから
本当の自分は、大いなる全ての一部
そして、唯一無二
自分の喜びは、宇宙の喜び
けれど、宇宙は自由意志を赦している
つまり、大いなる意思は中立
何を選択するかは自分の自由
とんでもない放任主義の子育て
好きなようにしなさい、と
と、言いつつ
身勝手な小賢しさはエゴだからと
自分でその愚かさに気づくような仕組みを作った
自分が出したものは受け取ることになる絶対法則
完全な自由を与え
神の意思に背くと、痛い目にあうという仕組み
幸せは神の意思と一致すること
それ、結局のところ神の意思じゃね?
なんて、反抗期の子どものような気持ちが湧いてくる
それが、神の一部である自分の魂の望みなのだから別にいいのだけど
この世界は神がありとあらゆる姿に変えたもの
私(自分自身)も
上辺や毛色が違うだけで皆同じ
いろんな意思を持ったところで流れていく方向は決まっている
自分の意思なんてあるようで無い
そんな風に思えてしまう
自由であること
それが私の望む意志
でもその自由は、神の中で
宇宙の内でしか存在しない
神の一部である自分だから
神の掌の上の自由
オリジナルの自分を創造しても
全ては神に帰依する
本当の自由、本当の自分になれない
これも、思い込みかな?
こんなことを考え始めた奴が、分離を選択し始めたのだろうか
足搔いて藻掻いて、元の木阿弥
ネガティブ体験をし尽くして、神の膝元に反省して戻る
何処までいっても
神の庭で遊んでる子ども
それがどれほど幸福で有り難いことなのかは理解している
しているのだが…
天の邪鬼
何も願う気にならなくなったりして
答がわかってるクイズなんてつまらない
ネタバレした映画も見る気にならない
そんな気分
不貞腐れた意思には不貞腐れた現実が与えられてしまうかな
素直なバカな子ほどかわいいものだからね
時々起こる反抗期です
考え過ぎはろくなことない
人間は人間らしくいないとね
あ、そうか
だから創造することだけが自分を生きることなのか
自由になるのは創造することだけ
神が私たちを創造したように…