『働いたため、きたなくなるということはない。仕事から帰ってきた労働者に向かって「きたない」などと決して言ってはいけない。』
『クオーレ』より
『働いているときにつけるものは、きたないものではない。ほこりであれ、石灰であれ、そのほかなんであれ、きたないものではない。働いたため、きたなくなるということはない。仕事から帰ってきた労働者に向かって「きたない」などと決して言ってはいけない。』(原文ママ)
まんまだと著作権問題もあるから、この文章の精神を私の文章に織り交ぜて使わせてもらいました。
ファンタジー路線
冒険者ギルドでの会話
「職人ギルドのドワーフを怒らせたんだって?」
「怒らせたも何も、鉄くずまみれだったから、それを払い落としてやっただけさ。そしたら『出てけー!!』って目ん玉ひんむいて怒りだして、わけわかんねーよ。」
「職人の誇りを傷つけたってわけか。」
「いやいや、誇り傷つけてないし、むしろ、ホコリを払い落としてやった側だし。」
「よく聞け、若造。ドワーフの職人たちは、毛ほどの誤差も許さない集中力で全身全霊をかけて素材と向き合っている。仕事と言うよりも信仰に近い熱心さでだ。そんな彼らにとって、作業している間についたものは、鉄くずだろうが、ホコリだろうが、汚いものではないのさ。そいつを払い落としたってことは、汚れてるという目で見たも同然だ。」
「わかるような、わからないような…」
「戦士に傷はつきものだよな。その傷を醜いものでも見るような目で見られたらどう思う?それも全身全霊をかけた戦いの傷跡だったら?」
「何も知らない奴に侮辱されたように思うかも…!?」
「おまえさんはそれと同じことをやっちまったんだよ。あのじーさんは偏屈な職人ではあるが、誇り高き職人でもあるのさ。」
文芸路線
「編集部の牧野でーす。お邪魔しまーす。うわっ!なんだこの散らかりよう?!」
「ちょうど良かった、牧さん!これ読んで感想聞かせてよ。」
「そりゃ、構いませんけど、いつになく部屋が汚いのはどうしてですか?」
「これは汚いのではないのだよ。エドモンド・デ・アミーチスの『クオーレ』の一節に次のようなものがある。『働いたため、きたなくなるということはない。仕事から帰ってきた労働者に向かって「きたない」などと決して言ってはいけない。』とな!」
「先生は自宅で仕事してるじゃないですか?」
「だからこそだよ!牧さんっ!私の場合、執筆に没頭すると部屋が散らかってしまうのさ。しかし、働いたために汚くなるということはないのだよ。だから、この部屋は汚くない!」
汚いんじゃなけりゃ、なんて表現するんだ?カップ麺の残り汁くらい捨てなさいよ… この人、自分を甘やかすことにしか名言を使わないよな。それも使い方おかしいし…
「この部屋の様子だと、さぞかし筆が進んだんでしょうね。」
「あ〜、その、なんだ。君のところの原稿は待ってくれ。新作のアイデアがとめどなく湧いてきて、そっちはまだなんだ。ハハハ」
「ハハハじゃないですよ!」
このフレーズに対する私の考え
『クオーレ』は児童文学で、子どもに対する道徳的な意味合いが強い作品だったと記憶している。労働者に対する敬意の啓発がこのフレーズには込められているが、今の時代、共通認識にはなり得ないとも思う。
ただ、強い信念を感じさせる言葉で、登場人物にこんな信念を持たせたら、どんな風に振る舞うのかなーなんて思って、とりあえず文章にしてみました。