第8話 荒らし
「それでは最後に、荒川慎也社長より――」
と、司会が言いかけたところで、職員のような人が耳打ちをした。そして、司会は大変失礼しました、と一言置き、「最後に荒川慎也代表取締役より挨拶をいただく予定でしたが、急用のため、代わりに成山重雄副社長より、ご挨拶をいただきます」と告げた。
「珍しいですね。こんな重要な会なのに」
「まあなんかあったんでしょ」
遥香は大きな欠伸をした。
副社長が登壇して挨拶が始まった。
宴会場の建物の窓の横には、すでにシイナがスタンバイしていた。シイナは銃弾を入れ、死角に身を潜めた。挨拶も中盤になった。シイナは窓をゆっくりと開け、構えた。
宴会場内に銃声が響いた。碧真や遥香も含めて何が起こったのかわからず狼狽していた。壇上では副社長が倒れていた。そして次の瞬間、再び何発もの銃声が鳴り、電気が消え、シャンデリアがパリンと音を立てて揺れ、机の上のグラスやら皿やらが同じく音を立てて割れた。
あたりは騒然とした。いや、混沌を極めたというべきだろうか。あちこちから悲鳴が聞こえ、出口に向かって参加者が一斉に詰め寄った。ホテルスタッフが非常口へ誘導しようとするが、参加者のほとんどは恐怖と混乱でまったく聞こえてないようで、早く行けという罵声も聞こえた。こういうとき、人間は理性を失って野獣のようになる。もう頭の中には逃げるの三文字しかないのだろう。碧真たちはなんとか宴会場は出たものの、そこからも人がごった返していてなかなか進めなかった。押し合いも発生して、多分何人かは押されて怪我もしていた。
ホテルが大混乱に陥っている一方で、荒川は漸く睡眠薬の効果が切れたようで、目を覚ました。目を覚ますと、手足は拘束され、口にはテープが貼られていた。「んー! んー!」と荒川は激しく抵抗した。目にアイマスク代わりのタオルのようなものが巻かれていたために視界は全く見えず、余計に荒川は必死にのたうちまわっていた。
「うるさいですよ」
いきなり背後でそう呟いた。シイナはタオルとテープを剥ぎ取った。場所はどこか山奥の小屋のようだが、窓にはカーテンのようなものがかけられ外は見えなかった。荒川は「どこだここは! 早よ縄を解け!」と喚き散らかしていた。
「こんなことしてタダで済むと思ってんのか! どこの高校生か大学生か知らねえがな、将来ロクでもないことなっても知らねえからな。親の顔が見てみてえわ。第一な、俺は大企業の社長だからな、お前が誰か知らねえがすぐに――」
「しー――っ」
シイナは荒川の顔面に顔を近づけ、右手人差し指を唇につけ、しーっというポーズをした。目は物凄く凍りついているようで、しかしなんとも不気味な妖麗さを保っていた。荒川は拍子抜けした顔をしていた。
「あんまり大声出さないでくださいよ。熊が起きてしまうんで」
シイナは体勢を立て直し、カバンを漁り出した。
「どどうしたら解放してくれる? 金か? 金なら何万でも何億でも――」
シイナは荒川の命乞いを無視し、鞄からナイフを取り出し、少し研いだ。
「金が無理なら男はどうだ? モノでも――そうだ期間限定品とか、最近流行りのなんかあるんだろそれでもいいし――」
シイナは溜息をついた。
「もういいですか?」
シイナは冷たい視線を送り、刃先を荒川に向けた。
「チェックメイト」
荒川は完全に動けなくなっていた。
「ほんと、とんでもないことなりましたね」
ホテルには警察と救急隊員が集結し、規制線が張られ、あたりは緊迫していた。ホテルでの超大企業の祝賀会で発砲事件があったということで、多数のメディアも集まっており、ホテルをバックにリポートするアナウンサー、聞き込みを行う記者など様々だった。碧真も遥香も聞き込みを受けていた。
「まあ場所と規模が特にね……実際副社長緊急搬送されてるし、未だ社長は見つかってないし……」
警察はかれこれずっとホテル中捜してはいるが一向に見つかる気配はない。どさくさに紛れて拉致されたとかだろう。
「碧真ー!」
と向こうから大翔らが手を振ってやってきた。大翔と茜に加え、シイナもいた。
「大丈夫かお前?!」
「大丈夫大丈夫」
「遥香さんも無事なようですね……」
茜はよかったあ、と胸を撫で下ろしていた。
「あれ、シイナも来てたのか」
「家にいたら茜さんと大翔さんが急に来て、そして事情を聞いたらさすがに心配になって……」
碧真はありがとう、と感謝した。
「三人とも遅いし先帰っといていいわよ。私たちこの後事情聴取あるし……」
遥香はいつ寝れることやら……というふうに呟いた。
「それにしても、これハードネル相当なことになるでしょうね……」
「まあこんなに事大きくなって、しかも副社長撃たれて社長行方不明っていうのはね……」
茜と碧真は、規制線が張られ、騒然とするホテルの方を見上げた。警察官が碧真と遥香を呼び出し、二人はおつかれ様と言って大翔たちと別れた。その後大翔も帰るか、と言って三人は家路につこうとした。
すると、シイナに一本の電話が入った。シイナは二人に先に帰っていてくださいと伝えてビルの影に離れた。
「なんです?」
「シイナ、今ちょうど荒川じゃない方の死体の回収をしようとしているところだが――」
甲斐田と死体回収の数人はオフィスビルにいた。あたりには血が飛び散っていた。壁もデスクも血塗れだった。が、オフィスビルにいたのは甲斐田と、死体回収の数人、それだけだった。
「何処にもいないんだが、どういうことだ?」
「――は?」
「返り血はあるから殺ったんだろうけど、いないぞ。殺しきれてなかったんじゃねえのか?」
シイナは意味がわからなかった。確実に息は途絶えていた。間違いなかった。そもそも頸動脈を切られて死なないなんて前代未聞だった。
「お前がこんな初歩的なミスをしたのは珍しいが――まあいい。次から気をつけろ」
そう言うと、甲斐田は電話を切った。シイナは納得はいかなかった。
「――ありえない」
ホテルの方はなおも騒然としている。野次馬も増えたような気がする。にも関わらず、シイナのいる周辺はまるで洞窟の中のように静かだった。シイナはスマホを握りしめ、すみませんといって茜と大翔のもとに戻った。
その後、荒川は東京から五〇キロほど離れた山奥の小屋の中で、焼死体として発見された。また、副社長は事件から一週間経っても未だ昏睡状態であった。