彼の背中に死に別れた奥さん(幽霊)がひっついているのですが
夏のホラー2023参加作品です。
「この先誰も愛さないと墓前で泣かれた時は、私のことは忘れて今を生きてと思いましたけど、いざ忘れられると悲しいものなんですよ」
(そんなこと私に言われても)
彼にしがみつくようにおぶさっている彼女に少しのやきもちと少しの優越感を感じながら私は肩をすくめる。
彼女は幽霊だ。それも彼の死に別れた奥さん。彼から一度だけ話を聞いたことがある。10年前に結婚したけれど一年も経たないうちに事故で死に別れたと。それから33歳になる今までずっと1人だったとも。
奥さんの姿は、彼が私との将来を口にした日から見えるようになった。私達の邪魔をしにきたわけじゃないと言うけれど、いつも彼の背にひっついている存在を邪魔だと思わない人がいるだろうか。
「ごめんなさい。ちょっと意地悪を言いました。心配せずとも目的を果たせばすぐに消えますから安心してください。
あとこうしてくっついているのは飛ばされてしまわないようにしているだけで、見せつけているわけではないんです」
(目的を果たすってなんか怖いし、飛ばされるってなんだろう。守護霊的なものからとか?)
そんなことを思いながらも私はわかってるという返事のかわりに頷く。
彼女の姿は私にしか見えず、声も私にしか聞こえないようだ。でも私の声は彼女に届かないので会話はできない。だから一方的に聞くだけ。
「佳乃さん、体調悪い? 暑かったからかな」
恋人の大志が心配そうに私の顔を覗き込んできた。大志の顔の横に彼女の顔も並んでいるのでどうリアクションしてよいか迷う。とりあえず苦笑いを浮かべる。
「う、ううん、ちょっと考え事してただけ。仕事でトラブルがあったから……」
「トラブル?」
「大したことじゃないから。ごめんね、2人で会ってる時に仕事の話なんて」
「そんなこと気にしなくてもいいけど、大丈夫? なんか力になれることがあれば言ってよ?」
「うん。ありがとう」
ありもしないトラブルを言い訳にしたことに後ろめたさを感じながらも、大志の優しさに触れて温かい気持ちにもなる。
「佳乃さん、もう少し明るい表情をしていないとダメじゃないですか。今日はプロポーズされるんですよ?」
少し高めの声が私にダメ出しをする。彼女が言うには、どうやら私は今日プロポーズをされるらしい。デートの日にホテルのディナーを予約したと大志から聞いているから、シチュエーション的にはプロポーズをされてもおかしくない。
――でも正直複雑。結婚を前提にと言われてからそんなに日が経ってないし、何より相性が良いかもまだわからないのに……もしかして私の方が焦ってると思われてるのかな。そんなことないのに。
仕事が楽しくて充実していたから結婚を考えたことはなかった。子どもについても同様。出産に適齢期があることは知っているけれど、そのために相手を探すほどの熱意もなく気づけば33歳。
大志さんはそんな私の気持ちを理解していて、ゆっくりと関係を育んでいこうと話していたのに。
それがなぜ急にプロポーズなのか。
デートは楽しかった。途中の道の駅で足湯に浸かったり、海では砂浜を裸足で歩いたり。慣れれば彼が背負っている奥さんも大きいリュックサック程度にしか感じなかった。今も二人で並んで海を眺めているだけで幸せな気持ちだったのだけれど。
「疲れちゃったかな。今日は帰る?」
大志の声に我にかえる。だいぶ考え事に集中してしまった。
「ううん、少しぼうっとしてただけ。心配させてごめんね。それに帰るって言うけどお店を予約しているんでしょう?」
「それが……予約は昨日キャンセルしたんだ。ちょっと仕事でトラブルがあって、今日のデートも無理かと思ったけどなんとか来れたんだ。言おう言おうと思いながらなかなか言い出せなくて……ごめん」
大志が申し訳なさそうに眉を下げる。
「時間をつくってくれたのは嬉しいけど、そういうときは今日は無理って言ってくれればよかったのに」
「今日は大事な話があったから」
「大事な話?」
自分でも白々しいと思うが小首を傾げてなんだろうという表情をつくる。
大志は私に心配させないためなのか、誰が見てもわかる作り笑いを浮かべて頷いた。
「なんかプロポーズする雰囲気じゃないね」
しばらく黙ってなりゆきを見ていた奥さんが口を挟んできた。なんとなく癇に障る。
「大事な話も気になるけど、大志さんが心配。力になれなくても弱音とか愚痴なら聞くよ?」
生きている者の特権とばかりに、私は大志の腕に軽く触れる。「佳乃さん優しーい」という奥さんからの野次のようなものは無視。
大志は「ありがとう、でも大丈夫だから」と言いつつ、何か言いたげな表情をしている。私はもう一押しという気持ちで彼の手に私の手を重ねる。大志は「わかった」と言って小さく息を吐いた。
「実は……共同経営していた奴が金を持ち逃げして」
「え? 共同経営?」
「そう、飲食店の経営。言わなかった?」
「うん……サービス業って聞いただけ」
「そっか、出会った時はこんなふうに親しくなると思わなかったから詳しく言わなかったのかな。ごめんね」
なんとなく奥さんを見る。奥さんは彼にしがみついたまま、目を閉じている。この人は余計なことは話してくるけれど肝心なことは何も言わない。
「あ、謝らないで。人数合わせの飲み会で隣の席になった人に普通はそこまで言わないよ」
「そう思ってくれるならよかった」と彼は少し笑みを見せたけれどすぐに真顔に戻った。これから本題だと思い、私は小さく深呼吸をする。
「持ち逃げした奴に連絡はついたけど、ギャンブルでつくった借金の返済で全部使いきってしまったあとだった。
とりあえず従業員の給料は自分の貯金でなんとか間に合わせたけど、取引先への支払いはどうにもならなくて……会社を畳むしかないかもしれないんだ。
やっと夢を叶えたのにこんなことで終わるなんて悔しい。
それよりも君との将来を望んだのは僕なのに、今の僕にはその資格がなくなってしまったことがなにより悔しい」
大志は一気に捲し立てるように話し終えると拳を固めて俯いた。
チラリと背後をみれば、退屈そうによそ見をしている奥さんの姿。この態度はどう捉えればいいのだろう。
「……そう、なんだ。夢を叶えたのにつらいね。大事な話って私との将来の話は白紙にしたいということ?」
(プロポーズどころか別れ話?)
「いや、まあ、そうとも考えてしまうか……だから、えっと、僕はまだ君との将来を考えているけど……君はどうなのかなと……」
突然しどろもどろになる大志の様子に、自分が思い違いをしていることを察し先程の話を反芻する。
――まず会社を畳みたくないことはわかる。そのためには取引先への支払いができれば凌げることも。でもすぐに会社を畳むという結論をだしているなら、そもそも自転車操業だったのかもしれない。
ふと大志を見れば、縋るような目で私を見ていた。
――仕事はまた始めればいい。お金だって二人で働けばまた貯まる。それに私の貯金もそこそこあるからしばらくは……て、あっ!
そこまで考えてようやく大志の言いたかったことを悟る。
「まさか、私に金を出せと言っているの? なんかこういうの、結婚詐欺の手口で聞いたことあるけど」
「詐欺!? そっ、そんなわけないだろ! ほ、ほら、こうして指輪も用意してる!」
大志は慌ててポケットから指輪のケースを取り出し、「それでもよければ結婚してほしいんだ!」とパカリと口をあけた。シルバーのリングがキラリと光る。
嬉しくないわけがない。
好きな人からのプロポーズだ。
ただ、奥さんが静かすぎるのが気になる。
でもそれがなくても、彼の話が本当だとしても、これは違う。
私は気持ちを落ち着かせるためにゆっくりまばたきをする。言うべき言葉は決まった。
「ありがとう。その気持ちは嬉しい。
でもごめんなさい。プロポーズはお受けできません。結婚するのだからお金を出してもらえると思われていたこともそうだけど、指輪は自分で選びたかったし、私がどんな人間かもわかっていないのにプロポーズされても信じられない。だからあなたとの未来は考えられません」
そう告げると大志は、
「だから違う、誤解だ。話を聞いてほしい。お金はなんとかして取り返す。今だけ少し立て替えてほしいと――」
と開き直ったような笑みを浮かべ私に手を伸ばしてきた。
「馬鹿にすんな!!」
考える先に手が出た。
大志は一瞬固まり、数秒してから目をパチパチさせ信じられないという表情で私を見た。
そして平手打ちされたことに気がつき、やり返すつもりなのか手を思い切り振り上げた。その殺気立った表情に、
――あ、私死ぬかも……
と目を閉じた瞬間、
「うおっ」と大志の驚く声とドンッと地面に何かが落ちた音がし、
「佳乃さん、グッジョブ!」
と奥さんの声がすぐ隣から。
目をあければ地面に仰向けに転がっている大志と、大志から離れて私の横に立つ奥さんがいた。
「え? なに?」
「な、なんだ!?」
私と大志が思わず声を上げた。
「この人、今はろくでなしですけど昔は優しい人だったんです。私が事故で死んで保険金をもらってから金の亡者になってしまって。働いて稼ぐことをせず、人を騙して稼ぐようになってどんどん堕ちていきました」
奥さんが憐れむように大志を見下ろす。
大志は起きあがろうとしても何故か起き上がれないようで、なんでだなんでだと喚いている。
「誰かの強い気持ちが必要だったんです。許さないという気持ちが。ほかのかたは騙された自分も悪いって弱気になるかたが多くて。佳乃さんのおかげでやっと願いが叶いました。あとは私が責任をもって連れて行きますのでご安心ください。佳乃さん、ありがとうございました」
奥さんが深々と頭を下げたので私もつられて頭を下げる。そして彼女は背を向けて歩き出した。いつのまにか黒くてモヤモヤした紐を手にしている。
なんだろうと紐をたどると仰向けに倒れた大志に繋がっていて、彼の両足首に蛇のように巻きついていた。それをまるで犬の散歩のように奥さんが引っ張ってゆく。ズリズリとイヤな音を立てながら。
「なんだ? なんだこれっ! 離せ! いたっ…痛い! いだっ痛いっ痛い痛いいたいいたたたたいたあああぁぁぁ……」
大志は身をよじったり頭を上げたりしていたが、最後はなすすべもないという様子で闇にのまれていった。
残されたのは静寂。
辺りを見回せば四方が闇だった。あれ、と思ったと同時に夕陽の光を反射した海の風景に戻った。
彼が座っていた場所にはあの指輪が落ちていた。なんとなく拾ってポケットにいれる。広い道路に出て通りかかったタクシーを止めた。最寄駅までいって電車で帰ってもよかったけれど、面倒だから自宅まで送ってもらうことにした。
シートにもたれ、目を閉じる。
不思議と騙されたことへの憎しみはない。ただむなしかった。
「あの黒いモヤは大志さんへ向けられた負の感情の集まりで、呪いみたいなものですね」
突然の真横からの声に、驚いたりする気力もないので小さく頷く。声の主はわかっている。こんなすぐに現れるとは思わなかったけれど。
「佳乃さんの強い気持ちがあったから、呪いが形となって拘束することができたんです。これで騙されて泣き寝入りしてきた人たちの気が晴れるわけではありませんが、痛い目に遭わせたいという願いだけは叶えられそうです。あ、死なせはしませんよ。ただ戻ったら別人ですけど」
彼女がクスリと笑う。
その声にはじめてゾワリとした。姿を見ている時は怖いと感じなかったのに。
聞きたいことは山ほどあるけれど、私からの言葉は聞こえないからただ頷くほかない。
「あと、その指輪は私のものなんですけど、彼が人に渡すのは初めて見ました。こんなことなんの気休めにもなりませんね。それはともかく、指輪をそのまま持っていてもいいですけど、縁起の悪いものだし早めに処分した方がいいですよ〜じゃあご縁があればまた」
ゆっくり目を開ければ隣には誰もいなかった。
「気休めどころか傷をえぐりに来ただけとか」
思わず口にだした言葉に運転手が「何かおっしゃいましたか」と声をかけてきた。
私は「いえなにも」と答えながらポケットの指輪に触れる。
――ご縁があればなんて言っていたけど、きっと近いうちに私の家に来るに決まってる。そのときは幽霊に愚痴を吐きながらお酒を飲もう。私の声が聞こえなくても関係ない。そして私を煽って傷つけたことを謝罪したら指輪を返してあげよう。それできっと立ち直れる。それまでは付き合ってもらうからね。
書き方が曖昧でしたけど
大志の共同経営の話は真っ赤な嘘です。