あの人がやってきましたっ
ほほう。
これがあの小娘が作っているという街か。
立派なマントを身に羽織ったサイバイン卿は颯爽と馬車から降り立つと、ヴィヤード家の屋敷の裏手にある宿屋と食堂を見る。
すぐ近くには広い花畑があり、いろとりどりの花が風に揺れていた。
不思議に郷愁を誘う良い場所だな。
子どもの頃、休みのたびに訪れていた乳母の実家と似ているからだろうか。
あまりに長閑な光景に、サイバイン卿は、うっかり、ぼんやり景色を眺めてしまう。
おっと、こんなことをしに寄ったのではなかったな。
婚約破棄したにも関わらず、王子がひょこひょこあの娘の許を訪れているというから、近くまで来たついでに覗いてみようと思ったのだ。
お付きの者をひとりだけ連れて、宿屋に近づき、窓から中を覗くと、王子がアリスンの手を握っているところだった。
「お前のために、あの悪魔たちを捕らえてくると誓おう、アリスン」
いや、あんた、婚約破棄した女の手を握って、なにを誓ってるんだ……とサイバイン卿は思う。
「王子、無理はなさらないでください。
国際紛争とか起こったら困りますから」
「アリスン……。
もしも、私がこの交渉に打ち勝ち、戦利品を持ち帰れたら、お前に言いたいことがある」
いや、その一言はぜひ、言わないでいただきたい、と窓枠にかじりついたまま、サイバイン卿は思っていた。
っていうか、王子は一体、なにをこの娘のために持ち帰ろうとしているのだ。
悪魔とか言ったな。
そういえば、あそこにいる、地味だが、派手な奴はなんだ?
サイバイン卿はノアの横に立つ、黒髪長髪、黒マントで王冠を被った男を見た。
身につけている物の色合いは地味なのだが、王冠のせいだけでなく、なにか目に付く男だった。
その整いすぎた顔のせいかもしれない。
いや、そんなことより、今は王子だ。
サイバイン卿は足早に入り口に回ると、その扉を開けた。
「王子っ。
その娘にたぶらかされてはなりませぬっ。
このままではあなたはまた、ヴィヤード家の傀儡っ」
「サイバイン卿」
と王子は、自分の言いなりに婚約破棄したときとは違う、覚悟を決めた瞳でこちらを見て言った。
「アリスンは私のせいで王都を追いやられ、苦労している」
いや、なんか前より、つやつやしてますよ、その娘……。
「アリスンのために、せめて力になりたいのだっ。
サイバイン卿、これ以上、私の邪魔はするなっ」
と言って、王子は、
「行くぞ、ノア!」
とノアを伴い、出て行こうとする。
だが、
「行きませんよ」
とノアは言った。
「行きませんよ。
私は此処でお嬢のお世話をしています」
……簡単に幼なじみに見放されている。
この王子を婿にと思ったが、大丈夫だろうか。
「王子、王子はお嬢にいいところを見せたいんでしょう?
じゃあ、おひとりで頑張られた方がいいですよ」
簡単に言いくるめられようとしている……この王子で大丈夫だろうか。
「無事に交渉成立させて戻ってきた暁には、きっと、お嬢が、
『うむ、苦しゅうない』
と言って、ねぎらってくださいますよ」
そして、舐められている……。
いっそ、第二王子に切り替えようか、とサイバイン卿が思ったとき、アリスンがこちらを見て言った。
「ところで、サイバイン様はなにしにいらしたのですか?
ああ、お部屋なら結構空いてますよ」
と呑気なことを言う。




