第8話 殲滅
その爪が振るわれるたびに、アリが千切れ飛ぶ。
その脚が振り下ろされるたびに、アリが押しつぶされ、弾け飛ぶ。
尾で薙ぎ払われ、牙で噛み砕かれ、紙細工のように呆気なく吹き飛んでいく。
戦闘用のAWをもってしてなお、油断できない相手であるはずの『クリーチャー』が、まるで相手にもなっていないその光景は、その恐ろしさを知っている者ほど、信じられないものとして目に映るだろう。
だが事実として、両者の間には、ある意味見た目通り『恐竜とアリ』とすら言えるほどの、圧倒的という言葉すら生ぬるい差があった。
その鋼の竜の体内……コクピットで、全天モニターを通して周囲の光景を見ながら、操縦者の片割れが悪態をついていた。
「あ~……どんだけいるんすか、こいつら!? 黒光りする虫は1匹見つけたら40匹いると思え、って昔の人は言ってたらしいけど、明らかに桁が1つ違うっすよ!?」
「お前それ多分違う虫だから。けど実際コレ、キリがねえな……まあ、アリなんて群れてなんぼの虫だから、大勢いるのは当然っちゃそうなんだろうが……」
既に100を超えるアリを蹴散らしているにも関わらず、穴からは絶え間なくアリが出てくる。
さらに、周囲にAWの残骸や、銃火器による戦闘の痕跡があるところを見ると、自分達が出てくるまでに、親方たちの率いる私兵や作業員達が、既に一戦交えていたのであろうことは、戦いには素人のハルキ達でも容易に想像できた。
その段階でも少なくないアリを殺していただろうに、一体このアリたちはどれだけの数がいるというのだろうか。これだけの数のアリが、一体どれだけの大きさの巣に潜んでいたのだろうか。
「考えても仕方ない……とりあえず、連中との能力差からしてこっちは死ぬことはないんだから、このまま打ち止めか、あるいは連中が撤退するまで続けるしかないか。……にしてもコレ、時間も手間もかかりすぎるな……何か手はねーもんか」
「……! あるかもしれないっすよ、ハル」
と、複座の座席に座っているアキラが、何かに気づいたように言う。
『ちょっと失礼』と軽い調子で言うと、彼女は、思考で機体を動かしているハルキの邪魔にならないよう、機体の駆動自体には触れないように、自分も思考を送り込んで指示を出し始めた。
何に気づいたのか、何をする気なのかと不思議に思いつつも、ハルキは今までと同じように、爪で脚で、尾で、牙で、向かってくるアリを迎え撃ち続ける。
そうしている間に、アキラの方の準備が整った。
「よし、いける! ハル! ちょっと踏ん張ってっす!」
「? お、おう」
言われた通り、一旦迎撃を止め、両足に力を込めて地面にしっかりとつけ……体を安定させる。
仮に正面から何かぶつかってきたり、上から何か振ってきても、どっしりと構えた祖の姿勢なら、簡単に押し倒されたり吹き飛ばされるようなことはなく、その場で耐えられるだろう。
それを確認して『よし!』と満足気に言ったアキラは、
「そんじゃ行くっすよ……! 主砲……発射!」
言うと同時に、機体の背部についていた、砲台とブースターを合わせたような武装ユニット……そこから突き出し、4門そろって前を向いている砲塔が火を噴いた。
発砲音を思わせる、金属質で重厚な音ではなく、もっと高く澄んだ音を響かせて……砲口から放たれた赤い光が、着弾と同時に炸裂。周囲のアリたちを木っ端微塵に吹き飛ばした。
突如として放たれた、高威力・広範囲の砲撃に、驚いてあんぐりと口を開くハルキ。
それを見てニヤニヤと得意げに笑いつつ、アキラは再び思考操作を迸らせる。
「よっしゃ次ぃ! 横にいるからって油断しちゃダメっすよォ!」
続いて、その武装ユニットの側面にあるスリットから、正面を向いているものに比べれば幾分小ぶりな砲身がせり出し、そこからも赤い光の弾丸が放たれる。
今度のそれは、マシンガンのように数を放つ様式になっているようで、ピュピュピュピュン! と甲高い音を響かせながら、あたりに深紅の光弾をまき散らす……しかも、砲身が向きを変えて、隙間なく薙ぎ払うように。
今までとは射程範囲が全く違う攻撃によって、周囲を取り囲みつつあったアリたちが一気に減っていく。
その光景は、肉弾戦でアリたちをバラバラにしていた先程までよりも、はるかに『蹂躙』という言葉が似合っているように思えた。
「すげー……って、おいアキ! 大丈夫なのかコレ? あれ見た限り非実態弾だぞ? ビーム系か粒子系かは知らねーけど、さっきからこんだけ景気よくぶっ放して、エネルギーは……」
「大丈夫っすよハル。ほら、モニターの右端の方にきちんと残存エネルギー量は出てるっす。むしろまだまだ余裕あるみたいっすね。なんならもう少し弾幕厚くすることもできるっすよ」
「ならいいんだが……いや、現状もう足りてんだから別にいいだろ。……ってオイ、よそ見してる間に!」
「うん? おわ!?」
2人が話している間に、いつの間にか何匹ものアリが足元にわらわらと集まってきて、機体を登ってきて……体中に取り付いている。獲物にたかって、一斉攻撃で絶命させようとしているのだ。
黒光りする虫が無数に集まって蠢いているその光景は、その牙は通らないとはわかっていつつも、生理的・本能的なおぞましさや不快感をを感じさせた。
「鬱陶しい……! はたき落とすか」
「それならこっちの方が手っ取り早いっすよ」
と、言うが早いか、三たび思考を飛ばすアキラ。
それに応え、今度は背中のユニットから、真上に向かって複数の光の玉が吐き出された。
先程までの主砲や連射型の銃撃に比べて、かなり遅く……むしろ、放り投げて上げたかのような挙動で飛んでいくその光球は、次第に減速し……やがて、重力に従って落下を始める。
そして、ハルキ達の乗る鋼の竜の周囲の地面に、取り囲むような形で着弾し……爆発した。
どうやら、あの光弾は機雷か、グレネードのようなものだったらしい。
着弾点から半径十数mに広がる爆発は、当然のごとくハルキ達を巻き込む形で爆発したが、その強靭な装甲には、それでも傷一つついていない。
体中にへばりついていたアリ達だけが、キレイに吹き飛んで散らばり、壊滅した形となった。
「きれいに剥がれたっすねー……まるで殺虫剤」
「いや、虫に限らず粉々になんだろ、こんなもん……つか、こういうことやるなら事前に言え。さすがにびっくりするだろ」
「ごめんっす」
『てへ』と、あまり深刻に受け止めてもいないように思える反応をするアキラだが、ハルキもハルキでそこまで気にしてはいないようだった。
やれやれ、とでも言いたげな表情でため息をつくと、すぐに正面を向いて、なおも向かってくるアリたちを見据える。
「効率はよくなったが……まだまだわらわら出てくるのには変わりねーな」
「真面目にどこにこんなにいたんすかね……あの山ってひょっとして中、空洞とか?」
「危ねーなおい……そんなん何かの拍子に山崩れまったなしじゃねえかよ。……それも大変だが、この際置いといて、あいつらどうする? このまま砲撃で蹴散らし続けるって手もあるが……いやまてよ? 確か、炭鉱アリには『女王アリ』ってのがいたな……」
「ボスってわけっすか。そいつを仕留めれば、こいつらも退散するっすかね?」
「可能性は高いと思うが……その女王がどこにいるかだよな。アリとかハチの女王って言えば、巣の奥でジッとしてて子供を産むのが仕事って感じだと思うが……」
ハルキがそう言って、全天モニターを操作し、360度全方位を見渡せるようにするが……見渡す限り、それらしき個体はいない。
やはり巣の奥にいるか、あるいは、普通のアリと見分けがつかない見た目をしているのか。
後者はさすがに勘弁してもらいたい、と心の中で2人は思う。
それでは、この数のアリたちを残らず討伐しなければならないのと同じだからだ。戦いの中、偶然女王アリを踏み潰していた、などということになるのは考えにくい。
実際は、『女王アリ』は、その地位に見合っただけの特徴的な容姿を持っており、少し前までAWの軍団を相手に猛威を振るっていたのだが、それを知らないハルキとアキラは、頭に思い浮かべた懸念に、渋い顔をしている。
その『女王アリ』はというと、異変に気付き……すなわち、鉱山から何かが出てくることに気づいた段階で、素早く地面に潜り、隠れてしまっていた。
ゆえに、ここでその姿はどこにも見られない。
しかし、『女王』は1つの失敗を犯してしまう。
それは、つい数十分前に自分が取って、人間達の軍勢を壊滅せしめた、ある作戦を……非常に有効な手段であると考えてしまっていたこと。
今度もコレで勝利を呼び込めると考えて……ハルキ達の乗る機体に、それを仕掛けてしまったことだ。
結果は……
――かきん
「「ん?」」
他のアリたちと何ら変わらぬ、物悲しいほどに軽い音を響かせて……その顎は、通らなかった。
その体格ゆえに、他の兵隊アリたちよりもさらに強力な顎の力も、強靭極まりないこの装甲の前では、誤差に過ぎなかったようだ。
二度、三度とその足を噛みちぎろうとするも、結果は変わらず……
「……おい、何かこのアリ、でかくねえか? 普通のより」
「これは……ちょっとあたしらに運が向いてたのかもしれないっすね」
むしろ、自らの姿をさらしてしまうというだけの結果に終わった。
何度目かの攻撃を経て、自分の顎が通じない、と女王は悟ったが……その時にはすでに遅い。
女王アリが地面に飛び降り、離れるよりも早く……装甲に覆われた超重量の尾が振るわれ、鋼の鞭のようにその体を捕らえる。
そのたった一撃で女王の体は吹き飛び、同時に半分以上が粉々になり、前半身がどうにか残っているだけという無残な有様になっていた。
もっとも、兵隊アリが例外なく一撃で全身粉々になって絶命していることを考えれば、それでもかなりの強度であるというべきなのだろうが。
満身創痍の女王アリだが、一撃で殺されなかったことで――この傷でこの後助かるのかは疑問ではあるが――命を拾った形になった。
そして、まだ生きていることに感心しているハルキ達の目の前で……最初に、AWに襲撃をかけた穴に、しゃかしゃかと走り寄って……飛び込んだ。
「あ!? 逃げた!?」
「っち……油断した!」
それを皮切りに、兵隊アリたちも、周囲にある他の穴や、鉱道の入り口に向けて一目散に撤退していく。いつのタイミングでかはわからないが、女王から撤収の命令が出たのだろう
十数秒の内に、アリたちは残らずその場から姿を消し……後には、いくらかのAWの残骸と、無数の炭鉱アリの死骸(ほとんどが粉々)だけが残った。
元々、『女王』を倒すことで兵たちを散らせ、戦いを終わらせるという目論見だった。
ハルキ達からすれば、意図せずして、一応は望んでいた結果になった形である。
しかし、数十秒前には確かにそう思っていたはずの彼らは……それを忘れていた。
というより、今のあんまりな展開を前に、頭から抜け落ちた、というのが正しいかもしれない。
戦いが終わったのはいいが、彼らからすれば……恐らく食べる気でだったのだろうが、いきなり襲い掛かられた上に、こちらが不利と見るや尻尾を巻いて逃げられた形である。あらためて言葉にしてみると……動物、ないし怪物のやったこととはいえ、中々に腹立たしい所業だった。
ゆえに、
「……ンの野郎……」
「逃がしゃしないっすよ……!」
1も2もなく、2人はほぼ反射的に『追撃』に動いていた。
加えて、もともと女王とどうにかして『倒す』つもりだったことをあり、やや『不完全燃焼』を感じてしまったがゆえの、一時のテンションの悪戯だったのかもしれない。
女王アリが逃げ込んで消えた穴の縁に近づき、そのすぐ入り口横に立つ。
その状態で、地に足を2本ついてじっと待つ。
待つ間に、コクピットの中にいるアキラが思考を迸らせ……つい先程その存在に気づいた、ある意味『龍』らしい武器の準備を始める。
機体中心部の『炉』で生まれる莫大なエネルギーを変換・収束・伝達し、口元から喉にかけて、大量の熱エネルギーその他を溜めていく。
恐らく、エネルギーの充填量なのであろう、全天モニターの表示が、徐々に変わっていく。数字が大きくなり、目盛りは赤く染まっていく。牙のずらりと並んだ口元から、赤い、力強い光が漏れ出して迸っているのが見えた。
漏れ出した光があたりを不気味に赤く照らし、熱気が周囲を熱地獄に変える。
余波と呼べる熱だけで、足元に転がっている小石のほとんどは赤熱していた。
そして、モニターに映るメモリが全て赤く染まったところで、
「98……99……100%! エネルギー充填完了! いつでもいけるっすよ!」
「よし! それじゃあ……正規名称がわからんから……『火炎ブレス』、発射!!」
アキラからGOサインが出た直後、ハルキが機体を動かし、穴を覗き込むような姿勢にすると同時に……大きく口を開いて、そこから凄まじい勢いで、灼熱の炎を吐き出した。
鉄砲水か何かのように吐き出される炎が、注ぎ込まれるがごとく、穴の中に消えていき……
女王アリは、困惑していた。
自分達は、少し強めの地面の揺れと、なぜか起こった轟音に伴う衝撃により、巣穴の一部が崩れ……それは悲劇だったが、その向こうにある別な空間と、それを登り切った先に、新鮮で手頃な餌が大挙して待っていたことは、運がよかったことである。
彼ら『人間』は、最初こそ徒党を組んで兵隊アリ達を防いでいたものの、自分が奇襲で出てきてからは総崩れとなり、無様にも逃げていった。
だが、同じようにして攻撃した結果……今回は自分は、体の半分ほどを失うという重症を負い、さらに先程までの人間以上の勢いで兵隊たちが殺しつくされていっている光景を見て、女王はこの闘いの敗北を悟った。
早く切り上げて撤収しない限りは、このまま叩かれ続け、殺され続け……いつかは1匹残らずあの凶刃にかかってしまうと。
ゆえに女王は、兵隊たちにも撤退の指示を出し、自分も、自分達の巣から一直線に繋げた穴に逃げ込んで、あの巨体では入って来れないであろう場所へと退避することに成功した。
……と、思ったのは甘かったと言わざるを得ない。
逃げ伸びたと思った女王に……上方、自分達が今まさに話していた位置から、灼熱の炎が吹き込んできて……女王アリを飲み込んだ。
爆炎の直撃を受けた女王アリは、その強靭な甲殻でも防ぐこと叶わなかった、超のつく高熱によって、甲殻を、中身を、焼き尽くされる。
そして、それでもなお勢いを止めぬ爆炎は……そこを中心に、アリの巣全体へあふれ出し、燃え広がっていった。無数の炭鉱アリの軍団を焼き払いながら。
当たり前ではあるが、アリの巣は全体が一続きにつながっている。扉などももちろんない。
結果、穴から吹き込まれた火炎のブレスが、まるで水が注がれたかのように巣のほとんど端から端まで広がる。なすすべなく飲み込まれるアリ達。女王同様、強靭な甲殻を持っていても、水没ならぬ『炎没』してしまった巣の中では、アリたちが生き残ることは不可能だった。
巣を満たした炎と熱はさらに氾濫し、中にある全てを焼き払いながらあふれ出す。
地上につながる穴という穴から、まるで間欠泉か何かのように、収まりきらない爆炎が地上にまで噴き出していた。
それは、アリの巣の中が端から端まで、完全に爆炎によって焼き払われたことを意味していた。
それだけの勢いで灼熱の炎を浴びせられて、巣の中に生き残りのアリがいられるはずもなかった。
半ば八つ当たりで放った最後の一撃によって、この鉱山周辺のフォートや小さな町などを脅かしかねない懸念事項だった『炭鉱アリ』の巨大な巣は、女王もろとも1匹残らず駆逐される結末をたどったのである。