エピローグ 高校生活前の生活
帰宅部にしたよという
俺をみて、両親はよろこぶでなく、かなしむでなく、ただ一言。
「そうか」
とだけ言った。ここまではふつうの家族だろう。
しかし、親のにやりとした表情を見逃さなかった。
次の日、両親は、古い自転車をみつけてきた!
じ○てぃーというアプリで、ご近所さんから自転車をもらってきたのだ。
ちょうど中学校を卒業する人がいるらしく、ちと古いが無料でもらってきたのだ。
両親からプレゼントをもらうのははじめてかもしれない。
不覚にも涙がこぼれてきた。
両親は、
「入学おめでとう、あおい!これは入学祝いね!」
ここまでは良い両親だろう。
しかし次の一言がおかしかった。
「そしてあなたに部活をみつけてきてあげたわ!今日から競輪部ね!」
そういって新聞配達用のたすきをわたされた。
そんな経緯ではじまった新聞配達だったが、最初は家をおぼえられずに怒られるだ、
それだけでなく、全身筋肉痛にもなった。
嬉しいことと言えば、新聞配達の際は朝ごはんを作ってくれるのだ。
朝早いので起きてはこないのだが、冷蔵庫にハートマークのお弁当をいれてくれている。
中には鳥の胸肉がはいっていた。
俺は両親のやさしさに涙がでた。
そんな感じで3年もすれば、仕事にも慣れ、筋肉もつき、早起きにもなれていた。
卒業した時に悲しまれたのはここの人くらいかもしれない。
新聞配達の人は、涙を流しながら、
「高校に入ってもバイト続けてくれると思ってたから、さみしい」
と言ってくれていた。
実は中学生だからバイト代が安かったことを俺は知っている。
まあバイクよりも配達件数少なかったし、高校生以下はバイト禁止だから仕方ないのだが。
だからそれを気にして、いつも全力疾走で配っていて、バイクと同じくらいの件数はなんとか配っていた。
細い道とかもあるから、そこでは自転車の方が有利なのだが、うちは田舎だったために、
一軒一軒が距離があるためにどうしてもバイクにはかなわなかった。
おのれ、バイクゆるすまじ。
そんな桃色さがまったくない中学校生活だった。
生活費は俺が稼いでいた。
両親は何をしていたかって?
正直おれもしらない。
おれが朝バイトに行く前は起きているが、バイトから帰ると二人ともいない。
だが、俺が学校から帰ったらいる。
まあ、家は古臭いし、仕事つらたんとか聞かないし、パチンコとかなのではないかとふんでいる。
両親に仕事はなにしているか?ときいたら、
「うーん、その、まあなんだ、そのうちな」
なんて奥歯になにかつまったような話し方をしていたから、ろくな仕事じゃないのは間違いない。
そんな両親を見たせいだろう、おれはバイト先では、
働き者ねーって言われるのが多かった。
さて寂しさもあるが、明日から高校生活だ。