第三十三話「知らないものを見に行こう」
「うわ~っ! 露天風呂っ。露天風呂がありますよっ! 誰もいなくて貸し切りみたいっ!」
大会の会場で松江国引高校のみんなと別れた後、あまちゃん先生の車で帰路についた。
そのまま出雲の街に向かうと思っていたのに、気が付いたら温泉だった――。
ここは三瓶山のふもとにあるお宿で、日帰り入浴も可能な温泉だ。
屋内には泡がボコボコ出てるお風呂もあるし、窓の外には大きな岩を並べた露天風呂も見える。
先生からは「がんばったからご褒美よぉ~」と言われていた。
スポーツブラを外した胸の解放感がたまらない。
私は気分が良くなって、「ひゃっほ~ぅ」と素っ裸で露天風呂に駆け出していく。
「ましろさん。……体、洗おう」
「そうでしたっ! 久しぶりのお風呂なんで、興奮しちゃった!」
そうだそうだ。
まずは体をきれいにしないとね!
振り返ると、当然のごとく三人も裸になっていて、それを見るだけで鼻息が荒くなってしまう。
ほたかさんと美嶺はしなやかで引き締まったアスリートの体だし、千景さんは恥ずかしそうに胸を隠してるけど、細い腕だと隠し切れずにこぼれ落ちていて、その仕草を見るだけで可愛くてたまらない。
みんなでこうしてるのは学校キャンプの日以来だし、みんなで大きなお風呂に来たのはこれが初めて。
こうなったら、お風呂で定番の洗い合いっことかしたいな。
ウキウキした気分でみんなの元に駆け寄っていった。
「しっかし先生、粋な事をしてくれるっすね! 帰るだけかと思ったら、温泉に連れてきてくれるなんて」
「ね~。あとでお礼を言わないとっ」
私たちは仲良く椅子に並んで、手始めにお湯を浴びる。
「すごいっ。お湯の刺激が新鮮ですよ! あったか~い」
「うん。……三日ぶりのお風呂だから」
「大会中はシャワーも浴びれなかったもんなっ。アタシなんて汗でベトベトだよ~」
美嶺がかゆそうに背中をかいている。
「あ、じゃあ私が背中を洗うよ~」
このしなやかで大きな背中は、たくさんの荷物を背負ってくれたし、私をおんぶしてくれたこともある。
これはお礼を兼ねて、念入りに洗ってあげよう。
タオルを泡立てて、美嶺の背中に触れた。
「うおぉ……。ま、ましろに洗ってもらえるのか……。これは、最高だな……」
「じゃあ、ボクは……ましろさんの、背中」
千景さんはそう言うと、私の後ろに座って背中にタオルを当てる。
はからずして、洗い合いが始まってしまった!
千景さんの細い指が背中をめぐり、首筋や脇、腰にも伸びてくる。
あまりにも気持ちよくて、変な声が出てしまいそうだ。
「えへ、えへ。自分がされると、スッゴクこそばゆいです~」
すると、ほたかさんが迷った顔で私たちを見つめている。
「えっと……わたしは……どうしよっかな」
「梓川さんはアタシが洗いましょうか?」
「ボクとふたりで……洗いっこ、する?」
「えっと、えっと……。じゃあ、わたしはこんな感じっ!」
何かを思いついた顔をしたかと思うと、ほたかさんは私の真横に座った。
「……って、ええっ?」
ほたかさんの泡だらけの手が、私のお腹や二の腕に伸びてくる。
「なんで私っ?」
「ましろちゃんのふわふわのお肌、だ~い好きっ! ムキムキにならなくてよかったよ~」
「ふひゃひゃっ! く、くすぐったいですよぉ~。そこは胸だから、自分で洗いますって~」
ほたかさんの手つきが、なんかエッチだ!
念入りに胸の下を洗ってくれる。
確かにそこは蒸れるし汗ばむけど、石鹸のツルツルした感触がたまらなく恥ずかしい。
すると、急に千景さんの手が止まり、美嶺もこっちを振り向いた。
「目の前で仲良し……。胸がムズムズする」
「梓川さんのアピール、ストレートっすね……。じゃあ、アタシもっ」
「ええ? えええ~っ?」
そう言って二人も私の体をゴシゴシ洗い始める。
「ちょっ……待っ……! くすぐったいです。なんか……へ、変な気分になるぅ~」
どの手が誰の手なのか、分からなくなるぐらい。
私はなすすべもないまま、体が泡だらけになっていった――。
「あらあら~。みんな、仲がいいわねぇ~」
聞き覚えのある声に、みんなの手が止まる。
なんと露天風呂に向かう扉に、バスタオル一枚のあまちゃん先生が立っていた。
すでにお風呂に入っていたのか、ゆるい巻き毛のロングヘアを頭の上にまとめ、全身から水を滴らせている。
……その顔はニヤニヤしっぱなしだ。
「あまちゃん先生……! い、いつの間に入ってたの?」
「最初からいたわよぉ~。露天風呂の岩陰にいたから、気が付かなかったのかしらぁ?」
「全部……見てたんすか?」
「うふふふふ。えっちなことも程々にねぇ~」
またしても、恥ずかしいところを先生に目撃されていたのであった。
△ ▲ △ ▲ △
「空木さんと剱さんは、初めての大会、どうだったかしらぁ?」
みんなで露天風呂の湯につかっていると、あまちゃん先生が聞いてきた。
「私は……」
その問いに、しばし考える。
そう言えば、登山部との関りはあまちゃん先生から始まったのだ。
女子登山部の顧問で、部員減少を憂いていた。
部活に入れようとする先生との追いかけっこが、遠く懐かしく思えてくる。
「……私って元々、部活っていうものに入りたくなかったんです。負けるとツラいだろうし、ギスギスする可能性があること自体、怖くって……。でも、なんか不思議。大会に負けた悔しさはあるけど、知らなかったことにたくさん触れられて……楽しかったなぁ」
「ああ。……すごく楽しかった。アタシは人付き合いが苦手で、一人でいる方が楽で好きだったんすけど、この部はなんか居心地がいいんすよ」
美嶺もしみじみとつぶやく。
ほたかさんはとてもうれしそうだ。
「そう言ってもらえて、うれしいよ~。なんだろう……お山に関わると、みんな心があったかくなる気がするの~」
「その気持ち、わかりますっ!」
私は身を乗り出してしゃべり出す。
「特に私が凄いなって思ったのは、助け合いの心なんです。山の中だとライバルも、すれ違う人たちでさえも、思いやりをもって助け合う。……そんなの、私の知ってる競争の世界にはありませんでした! ……登山って、凄いですね!」
そして、これだけは言わなくてはいけない。
今までの私だったら「負けたくない」、「もっと頑張りたい」止まりだった想い。
大切なみんなの努力に報いるためには、自分の想いが後ろ向きだとダメだと思った。
「私、今度はちゃんと勝ちたいです!」
勝ちたい。
初めてその言葉を口にした。
ふと周りを見てみると、みんなが止まっている。
「……アタシの言いたいこと、全部言われちゃったよ……」
「ましろさん、凄いです。……山の大事なことを、そんなにも分かって」
「そ、そうでしょうか……? ……って、ほたかさん! また泣いてるっ?」
ほたかさんは嬉しそうに笑い、目をぬぐっていた。
「うれしいのぉ~。ましろちゃんが、こんなにうれしいことを言ってくれるなんて……」
「うっうっう……。梓川さんの気持ち、わかるわぁ……」
「あまちゃんまでっ?」
なんと、あまちゃん先生まで鼻をすすりながら目頭を押さえているではないか……。
「部活に入りたくな~いって逃げてた空木さんが、こんなに立派になるなんてねぇ……」
「うれしいですよね……」
そこまで大げさに感激されるなんて、私って今まで、どれだけ後ろ向きだったんだろう。
嬉しいやら恥ずかしいやら、複雑だ。
「そうだ! わたしたちのインターハイはこれで終わっちゃったけど、夏休みが自由になったとも言えるのっ。合宿では何がしたい?」
ほたかさんがウキウキした気分を隠せないように肩を揺らす。
千景さんと美嶺も肩を揺らし、湯船の水面が大きく揺らぐ。
「ボクは……星が見たい。山の夜空、きれいだった……」
「アタシはやっぱり肉っすね! 加工した肉も美味かったっすけど、生の肉を使った焼肉でお腹いっぱいになりたいっす!」
二人の言葉は、なるほど二人らしい。
千景さんの言う山の夜空って、私と一緒に見上げた、あのロマンチックな夜空の事だろう。
あの夜を思い出すと、ドキドキしてしまう。
「ほたかさんの希望は……聞くまでもなく、わかります」
「えへへっ。えっとね……北アルプスの森林限界にいきた~い!」
「そうだと思いましたっ!」
ほたかさんは岩山が大好き。
そして『森林限界』とは、高い木が生えない場所で、すごく見晴らしのいい場所のことだ。
北アルプスの森林限界の魅力について、ほたかさんは部活の説明のときから熱く語っていた。
「うん。ほたか、岩山に飢えてる……よね?」
「うん! うずうずしてて……。それに、みんなに北アルプスの魅力を体で感じてほしいの~」
「体で感じるって……なんか、上級者向けのプレイっぽい響きっすね。北アルプスって、どこがいいんすか?」
「それが問題なんだよぉ~。ぜ~んぶ歩きたいけど、何日かかるか分からないし、ましろちゃんは初心者だから、どこか一か所がいいかなぁって思うんだけど……。どこにするのか迷っちゃう~」
そう言って、ほたかさんはクネクネしながら困り始めた。
まるで「スイーツ全部食べたいけど、お腹いっぱいになるから迷っちゃう~」みたいな口ぶりだ。
その時、私はふと思った。
「あ。……じゃあ、穂高はどうですか?」
「ましろ。先輩なんだから『さん』ぐらいつけろって」
「違うよ~。穂高連峰! ほたかさんの名前の元になったお山だよ~」
ほたかさんのお部屋に行ったとき、一番目立つところに飾られていた山のポスター。
そして、ほたかさんが幼少の頃からなじみ深かった、思い出の山。
……それが穂高連峰だった。
「高いお山で星を見て、お肉を食べて、岩山に登るんです。なんと一石三鳥! お得!」
私はビシッと三本の指を立てて、ほたかさんに示す。
ほたかさんはウンウンとうなづいてくれた。
「いいと思うっ!」
「あらあら。大丈夫かしらぁ? 難易度、高いわよぉ~」
「え、そうなの?」
難易度が高いと聞いて、ひるんでしまった。
しかし、先生のツッコミにも、ほたかさんの表情は揺らがない。
「大丈夫です。わたし、計画を練ってみます!」
「ボクも……協力する」
ほたかさんの熱意に千景さんの協力が加われば完璧だ。
私は私で勉強し、がんばって体力をつけよう。
ほたかさんが熱く語ってくれた『森林限界の世界』や『雲海』をこの目で見たい。
アウトドアになじみのなかった自分が、こんなにも山でワクワクしてるなんて、本当に驚きだった。
「ところで、ましろはどうしたいんだ?」
順番の最後となり、美嶺が聞く。
実は、もう私には心に決めた場所があった。
それは、この部に興味を持つきっかけになった話に関係ある。
「……私はねぇ~。アキバ!」
そう、東京のオタクの聖地・秋葉原だ。
島根から遠く憧れの地へ想いを抱くのは、ほたかさんだけではない。
夏合宿といえば、その憧れに手が届く最大のチャンスなのだ!
「はぁ? 合宿だぞ?」
「行きたいったら行きたいの~っ! 去年だって東京観光をしたって聞いたもん。赤石さんのビデオメッセージでも『やりたいことを主張していい』って言ってたんだよ!」
「そういや……そうだったような……」
「ほたかさん。行っていい? 行きたいよぉ~」
「わたしとしては応援したいけど……。先生、予算は大丈夫ですか?」
ほたかさんは心配そうに先生に視線を送る。
しかし、あまちゃん先生はケロリとした表情をしていた。
「問題ないわよぉ」
「……ほんとにっ?」
「校長からはがんばったご褒美をあげたいって言われてますからねぇ~。そ、れ、に、先生も秋葉原には憧れがあるのぉ~。去年も楽しかったわぁ」
あまちゃん先生はうっとりとした表情で宙を見つめる。
そう言えば、先生は守備範囲の凄く広いオタクだった気がする。
大人の同志の存在は心強い!
「マジか……。オッケーなのか……」
「そういう美嶺も、顔がニヤケてるよ~。本当は行きたいくせに!」
「ぐぬぬ……。行きたい。行きたいさ!」
美嶺も同志。心強い!
ほたかさんと千景さんを見ると、心なしか不安そうだ。
「アキバ……。去年初めて行ったけど、圧倒的だった……」
「苺さんは一人でどっかに行っちゃうから、放置されて大変だったね~」
なんと……。
卒業した元副部長・赤石 苺さんの被害者がこんなところに!
赤石さんの奔放な様子は何度か聞いたことがある。
そんなガッカリの思い出に染まっているなんてもったいない!
せっかくの東京観光ならば、お二人にも楽しんでもらわなくては……と、私は心が引き締まった。
「千景さんとほたかさんが楽しめるように、完璧に研究します!」
私は力いっぱいに宣言する。
旅先でどんなことが待っているんだろう。
これからの部活でどんなことが起こるんだろう。
自分の部屋に閉じこもるだけのインドア人間だった私が、こんなにもアウトドアが好きになるなんて、思わなかった。
世界には知らないものがいっぱいだ。
知らないものに触れたい気持ちがわきおこる。
それもこれも、大好きなみんなのおかげ……。
友達が欲しかった私にできたのは、友達以上の関係の仲間でした。
「穂高連峰へのチャレンジと秋葉原観光……! あぅぅ~楽しみになってきた!」
「うん。楽しんでいこっか!」
「お~~っ!」
五人の声が露天風呂にこだまするのだった――。
第六章「そして山百合は咲きこぼれる」
完
ここまで読んでいただき、誠にありがとうございます。
ましろさんたちの日常はまだまだ続きますが、ここで一つの物語の区切りとなります。
ここまでの長い物語にお付き合いいただき、感謝してもしきれません。
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