第七話「無理しなくていいんだよ」
ほたか先輩が……バテてしまった。
トレーニングではいつも余裕のある先輩が、地面に顔を向けて息を切らしている。
その姿は悲壮感に満ちていた。
「みんな……ごめん。一つ目のチェックポイント、見落としてたみたい……」
チェックポイントとは、この近くにもぶら下がっている白い袋のような物だろう。
それを見落とすことが何を意味しているのか分からないけど、ほたか先輩の言葉によると、重大なことなのかもしれない。
でも、千景さんは首を振った。
「そんなこと、たいしたことない。……それより、ほたか……。ほたかが……」
「千景さん……」
「ど……どうすれば……」
千景さんはおろおろしている。
無理もない。
私もどうすればいいのか分からない……。
美嶺もそれは同じようで、前後を心配そうに見つめていた。
そうこうしている間に、前を歩く五竜さんの背中はみるみる離れていく。
「千景ちゃん……進んでっ!」
ほたか先輩は絞り出すように言う。
「でも……」
「お姉さんは……大丈夫だから……」
そう言って数歩進んだが、すぐに立ち止まってしまった。
ぜんぜん大丈夫に見えない……。
ほたか先輩は上半身すべてを使って息をしている。
「きゅ……休憩を……」
私は言いかけて、口をつぐんだ。
ここで休憩すれば、前との距離が離れるだけ。
大会の得点配分はよくわからないけど、休んでしまえば間違いなく減点されてしまう。
ほたか先輩が進もうとしているのも、なんとか頑張ろうとしてるからに違いなかった。
無情にも、前との距離はどんどん離れていく。
五竜さんはこちらを振り返っているが、すぐに道の起伏に隠れて見えなくなってしまった。
「千景ちゃん……。進んで……」
再びほたか先輩の指示が飛んでくるが、千景さんは動かない。
当然だ。
ほたか先輩を一人にして進めるわけがない。
その時、千景さんの目から涙がこぼれた。
唇を震わせながら、小さな声で何かをつぶやいている。
私はすぐ隣にいたので、かろうじて言葉を聞き取ることができた。
「ヒカリなら……ヒカリなら、何か、できるのに……」
千景さんはウェストポーチに手を突っ込んでいる。
ポーチの口からは銀色っぽい繊維がのぞき見えた。
(……もしかして、ヒカリさんのウィッグ?)
千景さんはみんなの力になるために、自由にヒカリさんに変身できる特訓を続けていた。
恥ずかしがり屋の千景さんにとって、それは本当に決死の覚悟だったと思う。
でも変身できるようになったのは、あくまでも『誰にも見られない』という条件下だけ。
今、私たちの隊のすぐ後ろには役員の先生がいる。
この状況下では、千景さんは変身できるはずがなかった。
それなのに、小さな手を震えさせながら、必死にウィッグを引っ張り出そうとしている。
頬を赤く染めて、恥ずかしさに耐えようとしているのは明白だ。
千景さんも、ほたか先輩と同じ二年生……。
私なんかでは想像できないほど、責任感に胸を焦がしているに違いなかった。
「ボクは……ボクは……」
千景さんはくやしそうにつぶやく。
どうしてもウィッグを取り出すことができないようだ。
目からはぽろぽろと涙がこぼれてくる。
それを見て、私は胸が締め付けられてしまった。
「千景さん、いいんです。……無理しないで!」
こんな辛そうな千景さんやほたか先輩を黙って見ているなんて、できない。
私は自分に何ができるか分からないまま、坂道を下っていった。
△ ▲ △ ▲ △
ほたか先輩の元にたどり着いた私は、ひとまず今の状態を把握しようと、先輩の様子を観察した。
上半身を斜めに倒しており、とても重そうにザックを背負っている。
それは歩荷トレーニングで高い負荷をかけているときの様子を思い出させた。
「ほたか先輩……ちょっといいですか?」
「ましろちゃん。ま、待って……」
制止しようとする先輩にかまわず、先輩のザックを後ろから持ち上げてみる。
それは尋常じゃなく重かった。
ザックの見た目の大きさは全員同じなので、金属など重い荷物が集中しているのかもしれない。
「これ……私のザックの二倍以上はありそうですよ!」
「マジか」
美嶺も驚いている。
同じように美嶺のザックを持ち上げてみると、私のザックと変わらないぐらいの軽さだった。
「ほたか先輩、ザックを交換しましょう!」
「そうか! アタシに任せればいいんすよ!」
美嶺はさっそく自分のザックを下ろし、ほたか先輩のザックに手をかける。
そしてザックを強引に奪い取ると、背負ってみせた。
「ほら、軽い軽いっ」
美嶺は軽々とザックをゆすっている。
ほたか先輩は自分の失敗を恥じるようにうつむいてしまった。
「ごめん……ごめんね……」
その声を聞くと切なくなってしまい、私はほたか先輩を抱きしめた。
頬と首をこすりつけ、一分の隙もなく密着する。
すぐ後ろで役員の先生に見られていても、気にすることじゃない。
美嶺のような筋力のない私にとって、先輩を元気づけられるとすれば、これ以外に思いつかなかった。
「陽彩さんも、メッセージで言ってたじゃないですか」
「陽彩……先輩?」
「無理に勝とうとしなくていい。危なければ無理しなくていい。……今はきっと、その時なんですよ」
陽彩さんの言葉が、今は本当にありがたかった。
その言葉を受け取ってくれたのか、ほたか先輩はわずかに顔を上げてくれる。
「お姉さんなのに……いいのかな?」
「気にしなくていいっすよ~。バテるときは誰でもあります。余裕のあるヤツが背負えばいいだけっすよ!」
美嶺は元気に笑う。
その笑顔が何よりも頼もしくて、私も元気が出てくるようだった。
ほたか先輩は美嶺のザックを担ぐと、一歩一歩、地面を踏みしめて歩き出した。
△ ▲ △ ▲ △
千景さんと合流すると、千景さんは涙をぬぐいながら微笑んだ。
「ほたか……。よかった」
「千景ちゃん、ごめんね。みんな……ごめんね……」
「ごめんなんて、いらないっすよ。山は助け合いが基本っす」
ほたか先輩がずっと謝ってるので、美嶺は笑い飛ばすようにニコニコしている。
「そうですよ~。いつものほたか先輩みたいに『大丈夫、大丈夫』って笑って欲しいですっ」
「……本当に、ありがとう」
そして、ほたか先輩は申し訳なさそうにうつむきながら、小さく微笑んだ。
……よかった。
ほたか先輩がバテてしまったことはビックリしたけど、私たちが温かくフォローしあえる仲間で、本当によかった。
千景さんも、ヒカリさんのウィッグが入っているウェストポーチに触れながら、ほっと胸をなでおろしている。
「じゃあ、行こう」
千景さんの呼びかけに続き、私たちは再び歩きだした。