すこしだけ、すこしだけおかしい。
言わなきゃいけない、ことがあるの…
二人のお気に入りのカフェは、午後14時。客数はまばらで、跳ねるようなピアノの音源が流れている。このBGMが有名なのかは分からないが耳障りがよく、一人でいたら、うつらうつらしてしまうだろう。
目の前にいる二歳下の彼女、雪は目を伏せながらぽつりと口を開いた。
言わなきゃいけないこと、から始まる話題で何か素晴らしく嬉しく感じることはあるのだろうか。昼過ぎのコーヒータイムで体はリラックスし、恐らく大切であろう話を聞く体制ではなかった。
彼女の放ったたった一言で、じわりじわりと心臓を握られているような感覚になった、
人生で何度か味わったことのある圧迫感で肺のあたりが苦しくなる。何か後ろめたいことをやっただろうか、と僕の脳みそは僕に問いかける。今現在からの順序良く過去を探る。酔いすぎて日々怒られることに対しては誠実に謝っているつもりだ。彼女が訴えかける愚痴に対して真摯に回答してないこともあるが見逃してもらっている。うだつがあがらないのは人間性だ今に始まった事ではないない。思い当たらないが、なにか大きなことをしてしまったのだろう。あぁ、目が白黒する。
雪は言いづらそうに、伏せた目は右、左と行ったり来たりで中々口を開かない。
「なあに、どうしたの。」
にこやかに笑ったつもりだった。思ったより深刻さがでてしまった声色だ、動揺がでてしまっただろうか。平静を保とうとするのは、まだ僕がやったであろう後ろめたいことにたどりついてないからだろう。
時刻は14時10分。こんなに時間がすぎるのは遅いのか。もう1時間はたっているのかと思った。
カフェはアイドルタイムに入り、お客さんは僕ら以外は1組。遠くでにこやかに笑いあっているのがうらやましい。
気弱な自分が情けない。はやく聞いてしまえ。
雪とまっすぐに目があう。強く握ったままの両手を握りなおした。彼女は、意を決した。
「私ね、万引きをしているの。」
震える声で雪が発した第一声が僕は呑み込めない。人間は全く想定していない言葉を発せられると処理能力がずいぶんおざなりになるようだ。よくわからない。雪の言葉は僕の中で言葉の骨格を得ない。
「私、万引きをしているの。やめられないの。」
よくわからないまま雪は続けた。僕が好きな雪のままだ。本人は無自覚で至って真面目なのだがマイペースなのだ。そこが守ってあげなくちゃ、という使命感を持たせるのだ。こんな時ですら僕が好きな雪のままなのだ。僕はまだよく状況がわからない。
少し冷めたコーヒーを手に取る。ここのカフェは穴場なのだ。コーヒーは美味しいのに、高くない。
お客さんもほぼリピーターのみ。僕たちも入り浸っている。一緒に本を読んだこともあれば、会社の愚痴を延々に言い続けたこともあった。晴れの日も使ったし、雨の日も足を運んだ。一種の走馬燈なのだろうか。彼女はカフェオレに砂糖を入れている。
一瞬が永い。
雪と目が合う。一度、あった目はまた自身の足を見つめ出す。
「それはどういうこと?」コーヒーを飲んだおかげでやっと声が出た。
「だから、お金を払わないで、商品をとってきてしまうの。それをやめられないの。」
「え?え、それは犯罪行為の万引きだよね?」
素っ頓狂な僕の質問に彼女は信じられない!という目をして見つめる。
信じられないのは僕の方だ。
「そう!それ以外に何があるの?」
「いつから?」
「ずーっと前よ。」
「今も?」
「毎日やっているわけではないの。ただ、たまに、ふとした時にやってしまうのよ。」
責められるのは自分だと、鼻から思い込んでいた僕だが、まさか軽犯罪の吐露だとは思わなかった。
まず犯罪に軽いも重いもあるのだろうか。
雪と付き合い始めたのは1年前からだ。出会いは飲み会で、小柄で控えめな印象だったが、優しそうな目元と話し方そして、周りの人を思いやれる人柄を好きになった。それと小動物のような小柄な上背も、くりくりとした目も目も好みだった。
交際は順調だと思っていた。僕自身何人もの女性と交際していたわけではないが、雪といるのは楽しかった。デートを重ね、愛の日々を重ね、意見を重ねあって。一番最初に感じた安心感は変わらなかった。何か特別な大事件もない、揺らがない関係に日々安堵を感じていた。
「昨日はこれ。」
そう言って雪が差し出したのは黄色のシャープペンシルだ。ネイルも何もしていない小さく細く白い雪の手にはなんの変哲もないシャープペンシルがあった。その黄色のシャープペンシルの首のところによく分からないキャラクターが付いている以外、高級そうでも、珍しいものでも無さそうだ。
「これはとても高級で、どうしても欲しかったっていうこと?」
「ちがうの。なにもかも衝動なの。何故だとかこうだからとかそういう明確なものは全くなくて。
お金がないとかどうしても欲しいものをとったことはないの。ただ、衝動がわーっときて、うずうずして、どうしてもやらないといけなくなって、盗ってしまうの。」
彼女は、それが悪いことということも自分が異常だということも分かっている、直そうと思ったけど直らないということをつらつらと、そうつらつらと述べている。
現実味がない場面に遭遇して、スクリーン越しで雪の話を聞いているようだ。
笑うことも怒ることも気がきく一言をいうことすら何もせずただ彼女を見つめ、言葉を受け入れるしかない。
最低だと分かっている、別れ話も受け入れる。
そう彼女が言った時、初めて口を出すことが出来た。
分かった、一緒に治そうと。別れる気はないと。
思ってもなかった言葉だったのだろう、彼女はポカンとしてとめどなく出てきた言葉がついに止まった。
一緒に治そうなんて随分ロマンチックな言葉じゃないか。どこかの感動映画の物語の主人公になった気持ちだ。
彼女は商品をとったお店を教えてくれた。
そして、黄色のシャーペンを僕にくれた。正確に言うと僕が渡してくれと頼んだ。
とった商品はいらないのだという。自分の彼女ながらあっけらかんと話し、本当に反省しているのか疑いたくなった。なんて最低な女だ、と思い笑ってしまった。
それでも別れようという気持ちは全くなかった。
僕に正直に話してくれたのだ。万引き行為はもうしないと約束してくれ、と。
彼女の返答はノーだった。
「辞めたい気持ちは常にあるのよ。だって最低じゃない。でも辞められないの。たぶんもう無理よ。
だから貴方に正直に打ち明けたの。別れるのを覚悟して。ただ、絶対やめますなんて断言できない。だって、ずーっと辞めたい辞めようを繰り返して今まで来ているのよ。」
言っていることは支離滅裂だが、なんだか納得してしまった。
彼女の万引き行為が始まったのは高校生かららしい。不良が集う高校に入ったわけでもなく、親が何も与えてくれなかった家庭事情があるわけでもない。ただ、なんとなくやってみてしまったらしい。
そして、頻度は多くないが時たまに大してほしくもないシャープペンシルや消しごむ、はたまた油やらのりやらを盗ってしまうと。
つかまったことは高校生のとき一度だけあるが、その際はきちんと謝ったら厳重注意で帰されたらしい。
万引きGメンのテレビを何回か見たことがある。
嬉々として見ているわけでなく、ただ流れているから見るくらいだ。
髪の毛を染めた中学生、小ぎれいにしているおばさん、はたまた高齢のおじいさん、様々な人たちが
出てくるが、毎回どうして万引きなんてしてしまうのだろうと疑問に思っていた。
それこそ、お金には不自由していない一定の層が万引きをしているのだ。
そして今現在、僕の愛する人が当てはまっている。
もっと真剣にテレビを見ていればよかったとぼんやり思った。
*
雪と僕は3つの約束事を決めた。
1万引きを出来る限りやらない 2やりそうになってしまったらすぐに連絡をする 3もしやってしまったら報告をして商品を渡す
という内容のものだ。
本当は、万引きなんて犯罪行為をやっては欲しくはないが、もしやってしまったら店にすぐに戻しに
行く。
店員に間違って持って帰ってしまったと謝ってもいいし、こっそり戻してもいい。
僕から雪には注意すればいい。
今回のこの重大な雪の告白から分かったことがいくつかあった。
僕の彼女が万引きをしているという告白を受け、僕は警察に謝りにいくとか、お店に謝りにいくとか
という考え方を持てなかった。彼女が捕まるのは嫌だった。
そして、彼女自身も僕が彼女を警察に連れていくだろうとまでは考えていなかったようだ。
最悪別れるまでだろうと。二人して犯罪の軽視だ。
それでもそこまでは出来なかった。
そう。たぶん僕は思っている以上に彼女を好きだし、離れたくなかった。彼女に汚名を着せるのも
僕の彼女が万引きの常習犯というレッテルを張られるのも嫌だ。
ずいぶん僕は見栄っ張りで意地汚くエゴイストだったようだ。