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第3話「逆行時計」

胸のフリントロックを悠長に抜く余裕は、一葉にはない。一葉にガンマンのような早撃ちは不可能だ。何よりの雨、火花が起きない。


「ヤマトからの迷い他人でありながら、南蛮のいでたちとはやはり妙であるな」

「一葉は日本の乙女」

「怖い乙女だ愛に狂っておる」


鞘は、抜かれた。


降り注ぐ雨が肌を、鎧が押しのけ刃が斬る。一葉は先手をむざむざ渡す気はない。刀身に力を込める十全の刻があった。上段からの渾身の一閃。振り上げ、そして振り下ろす、ただそれだけの力押しこそが最たる凶刃なのだ。


理解されている。だがそれよりも先を、刻を刻む。後ろへ下がれば拳ひとつでも剣先を伸ばす。抜いた刀で防ぐのならーー


一葉の一閃が、老侍の刀と触れた。老侍は両の手で迫る巨岩を受け止めんと刃を水平に支える。刀を寝かせて受け止めれば、刀は曲がるだろう。


ーー諸共圧する。


「!」


ミシリ、と受けて答えた老兵の鍛えた筋が、骨が、果てた。力を失った腕に持つ打刀は押し返され、それそのものが凶器と化し、鍔が陣笠を食い破り頭蓋にめり込む。砕かれた鉄片、割られた頭蓋の骨片は脳にいたり致命の傷を穿つ。


「ウガァッ!」


それは、獣の咆哮だった。


一葉が気がついたときには、老侍は陣傘と頭蓋、それに脳一部をこぼしながらも、一葉の一閃を逃れ、己に食い込む己の打刀の鍔をむさぼり抜いていた。


胸のフリントロックを抜いた。石を剥がし、手で直接叩きつけることで無理矢理に火花を起こす。雨の中で起きたか弱い火は、湿りを食らった火薬にともり、白煙のガスで鉛玉を放つ。


鎧を食い破った鉛玉は、散々砕け散り老兵のハラワタに食らいつき、貪欲にかき回し貪っただろう。であるのに、老兵は潰れたハラワタからこみ上げた血を口と鼻から流しながらも、立っている。


「不死人……貴方も起きあがっていたのか」

「言ったはず、超人ではないと。であれば死んだものであろう」


水が浮かび泥と化す土を踏みだす。跳ねた泥が昇り服を染めた。血混じりの、雨でも流せない汚れ。老侍は、狂気が、肉を散らしながら腕として打刀を振って見せた。


獣の一閃を、一葉は受け止めなければいけない。


鎖骨を断つ斜め斬撃という単調な線ーー違う!フェイント、衝撃の直前で打刀の剣先がひるがえり、肋骨に守られていない、鎧より下の腿に食い込もうと迫る。垂れた鎧がなく剥き出し、血管も多い肉だ。


一葉は、両手剣の頑強で長く張り出した二つの鍔を下から跳ね上げ、片割れで斬撃を受け止めることで、老侍の打刀を天へ逸らす。。


老侍が草履の足裏で一葉の膝を砕くよう抜くつもりか片脚の膝を曲げたが、一葉の脚が長い。横から払う蹴りで足首を打つ。効いた。痛み、平衡を失い打刀にかかる力が弱まった。両手剣から右手を離し、籠手で老侍の鼻を打つ。籠手越しの軟骨、そして顔面の骨に達した感触に血が加わった。


ごひゅ、と老侍の顔から血が吹く。


老侍が息をするたびに、鼻から血泡が湧いた。雨の中でも流されない血……血は、水に浮く。


ふひゅー。


ふひゅー。


構えを直す。剣先を下げ、腰を少し落とす。老侍は中段のオーソドックスな構えだ。上から下から問わず対応しやすい。


出血のぶん、老侍は時間と一緒に失う体力と集中力は著しく削られるはず。不死人にどこまで持久戦が通用するかはわからないけど。


一葉が蹴り砕いた、左の足首は軽くない傷らしい。重心が大きく右にズレ、明らかに砕けた左の足首をかばっていた。


ならばーー構えをとき左腹部への突きと見せるフェイントをかけた。対応しようとした老兵が左足のせいで、左にひねる腰の動きが遅くなった。胴鎧から露出した二の腕から肩を狙う。


打刀の鍔に跳ね除けられ、両手剣の剣先は老兵の籠手をわずかに火花散らせただけだ。だが、鍔の長さが違う。打刀は丸く全周に短い鍔。一葉の両手剣は、二箇所に伸びる、刃と柄を十字にする鍔だ。打刀の刀身を滑らせ、鍔で割れた陣笠の隙間、頭蓋を砕くことを狙う。


ーーガッ!


鍔競り合う。


ギチギチと音をたてているのは、鍔か、刀身か、肉か、骨か……。


「!」「!」


硬く、重い。一葉は乙女だ。並みの男なら力負けするだろうが、老侍の体重と筋肉量を見誤ったわけではない。だがそれでも、この老侍の力……強い。


半身分体を捻り、老侍の打刀に寄せた力を利用してバランスを崩そうとしたが、それは単に鍔を離れさせ仕切り直させる効果しかなかった。


侮っていたわけではない。


だが、思っていたよりも長引く。


一葉は、両手剣を棒切れとした。打って、打って、打つ。老侍の打刀よりも多く振り、老侍の一閃よりも重く。速度に追いつけない老侍は平押しに守護を崩し、守護の上から胴鎧、喉輪の隙間を滑る一閃に鎖骨に達する皮と肉の傷を斬る。


喉輪の紐が断たれ、ずるりと泥に落ちた。


鎖骨を断った両手剣を、まっすぐ引き抜けば血があふれる。老侍は氾濫する血潮を片手で抑えるが、とても止められるものではなかった。


ーーまだ続けるか。


一葉は……そう口にしそうになった自分を恥じる。なんてことを紡ごうとしている!一葉!


頭蓋を砕かれ脳漿をこぼし、鎖骨を断たれ腕も上がらず、傷を抑える手からは止めどない血潮を漏らし……しかし……しかし老侍の面頰で包まれた顔は、笑っている。


……そうか。


振るえる、そのことが不可能と知っても老侍は体を捻り打刀を上段から叩きこまんと一閃した。片腕は致命の傷から流れるものを出来うる限り抑え、断たれた腕で、打刀を振ったのだ。


両手剣の一閃。


籠手先の指を両手剣が削ぎ、打刀の茎にまで至る。幅広の両手剣、その真っ直ぐな剣先に迷いを知らせずーー喉輪の落ちた老侍の首へと吸われ、折り重なる頚椎を絶った。


屈した老侍の膝は泥を飲み、頚椎から引き抜いた両手剣から流れた血は雨が流す。


老侍はここに、雨の中、泥へと沈んだ。


「……」


両手剣についた血が、雨に流された。もう次はない。血があったことさえも残らないだろう。雨に打たれ、冷えこみかじかむ手で両手剣を鞘におさめる。


老侍の死体は、泥の中で雨と混じり、流れる血は……流されていた。


「不死人の最後、か」


一葉は手を合わせましょう。名前を知らず、ただ関所の老侍としか呼べないそれに祈りを捧げ、消えゆくものを見届けた。


老侍の屍に緑の火が起こり、燃え尽きた後には砂と流れたものは僅かとして残されない。不死人の死とは、存在の消滅にも等しく、消えてしまうということなのだろう。


雨が降り続く。


ひとりとなった関所で雨宿りは、どれほど続くのだろうか。あの老侍は何を考えて待っていたのだろうか。


崩れかけた関所の柱には、老侍のいきどおりがいくつも刻まれていることに気がついた。


〈すまぬ〉


ただその一文の下に、何人もの名が刻まれている。忘れた同胞の名前か、あるいは討った相手の名前か。一葉にはわからない。わかる人間も果てた。


「後悔しているのか?人間を斬ったことに」


一葉は自問した。摩天楼の高層ビルディングが乱立していた世界では、人間を斬る機会など許されるはずがなかった。


だが、と一葉は思うのだ。


彼を人間として斬れてよかった


ーーと。


もし愛しいあの人が見ていたなら、怪物として斬っていれば酷く落胆したはずだ。例え不死人であろうとも、それは人であった。人でない人こそが溢れている中で、人とは貴重。


だから……斬れてよかったのだ。


一葉が果てる未来もあった。だが次に進められるのは、人として一葉が強かったから。


強くなろう。


先に進むために。


瓦の崩れた天井からのぞく空では、雨雲が千切れ始めていた。


雨が……あがる。

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