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第2話「関所封止」

変わらない夕焼けに影を伸ばす道中、大きな建物が道を塞ぐよう建つ。左右は深い森で車は通れなくて、足を使えば進めるだろうけど道は塞がれてる。


「関所?」


というには、ちょっとボロすぎる。腐った門を見れば半開きであり、閂も果てていた。関所としての役目は、随分と昔に終わっているようだ。


「誰だ?」


鋭い声。腐った関所の影から、死んでいるような武者に声をかけられたけど驚きはない。肩にかけられた紐が、片側ひとつしかない、関所と同じく錆びた武者だ。かぶる鉄の陣傘から垂れる髪は白く、歳召いた老侍か。


「一葉は……一葉。この先に進んでも?」

「行きたければ進めばいい。関所が開いているなら止める必要もない」

「自堕落。お前は関所で勤めているのではないの?」

「いかにも。賊と戦い、草を払い、この地を守護してきたのは、ここにいる溢れたひとりで間違いはない」

「ならどうして、無為に通す?」

「通したいか通したくないかではない、それを問うことにすでに意味がない」

「よくわからない」

「いずれわかる。あぁ、わかるとも」

「……」


気狂い、か。


「良い装備を持っている、南蛮か、果てより来た女人。気をつけることだ。例え死ぬことがなくても、心は折れることもあろう」


“死ぬことがなくても”


「一葉を知っているのか!?一葉が何かを」

「どこにでもいる起きあがったひとりであろう?珍しくもない」

「……そうか。起きあがった人間が、また眠りにつく手段を何か知っているか?」

「さぁ?儂はただ、この関で止めるものをしていただけだからね。上のほうではわからんが」

「ありがとう」


道の先を行く、それだけだな。


ぽつり、ぽつり、雨が降り始めた。怪しい雲が緋色の空を覆っていて気にもしたが、降られるとはついていない。


「関所で雨宿りをお願いしたい」

「ボロ屋でよければいくらでも。懐石も茶も、酒の一献もないが」


雨は滝となり、昇ることも沈むことも知らない世界に僅かばかりの夜を届けている。流れる雨が打ち、泡末と消える様を見ながら、


「関所があるということは、ここは国なの?」

「無論。ナバラの国よ。ナの国と誰もが言っていた」

「ナバラ……初めて聞いた」

「外から来れば、内まで見るのに時がかかるは定めと言ってよい。迷いこめばなおさらなおさら」

「貴方はナバラの国の侍、てことかな」

「左様。ナバラの黒い目、十人足軽将として勤めた」

「小さな将だ」

「はっきり言いおる。だが事実、事実」


かっかっかっ、とそれは笑ったのか、木を折ったのかわからない声を聞いた。


「かつては、立派な関所だったんだろうね」


一葉が見るかぎり、沢山の人が確かに此処にいたのだろう。ずっと昔のことだろうが、人を感じられる。


「ナの国南方の小要塞である。蛮族数千よりも価値ある関所だったのよ」

「それがどうしてこんな酷い状態に?」

「儂は話が好きだ。この時間も好ましい」


老侍は脇差を抜き腰を落とした。鞘で地を打ち始めるが、それに意味はなさそうだ。一葉も対面に座した。


「守護る必要を無くせば、不要というもの」

「ナバラの国は滅びたのか」

「左様、然り。それだけであればどれほど幸せであったことだろう」

「詳しく」

「ナバラは大崩壊の残照、まどろみに飲み込まれた。目覚めえぬ夢にとらわれ、朽ちることなく忘れはてた。もう思いだせん。許せ、許せ、我が友よ、我が……」

「狂うな、目を見ろ、界を見失うな」

「そういうお前さんは、自分を見れているのかい?」

「無論。一葉は彼の見た形」

「ほう……彼か。思い人がいるとは重畳。見失わずにすむ。儂は全て忘れてしまった。よければ話してくれ。良い人間か、その彼とやらは」


一葉は答えるべきだろうか?だが嬉しくないとは嘘だ。一葉は素直に嬉しい。先生との関係には一切の恥はないもの。


「良い人間か悪い人間かで言えば、人誑し」

「ほう、人誑しか。なるほど、なるほど」

「一葉は誑かされた女のひとり。だけど悪い気はしない、不思議のある男が先生だ」

「面白そうな男だ」


口角から笑いがこぼれる。


「先生は、人間を愛した怪物だ。強く、弱くもある」

「矛盾しておる」

「そうだ。だが人間とは元来矛盾を孕んでいるだろう?」

「たしかに。愛すると言う一方では、嫌う一面も抱く。矛盾、人間らしい言葉だ。儂も嫌いではない。一個の完成された岩では面白くない」

「悪魔のように冷淡で、同時に誰よりも慈愛を守ろうとする。自らの血を流すこともいとわず、その背中に傷がつくことも恐れない」

「惚れてるな」

「一葉にそれは常識」

「男が羨ましいと、これほど感じたのは久しぶりだ」


どこかの雨漏りが砕ける音が聞こえる。土の匂い、霧のように立ち込める白い壁。腐った木に混じってこれは……死臭?


「貴方にはーー」と言いかけて一葉は思い出す。そうだ、この男は忘れていたのだった、と。


「ーー此処で何を続けているの?」

「何を、とは?」

「幽霊でもあるまいし、此処にこだわるものがあるから、此処にいる。違う?」

「さぁ……なんでだろうね。儂にももうわからん。なにかがあった気がするし、なにもない気もする。きっとそれはどうでも良いことなのだ」

「……そうか」

「すまないね。代わりにナバラの国について話そう。さぁ、なにを求めてこんな忘れられて線を越える?」

「一葉を人間に戻す方法、それと死者を起こす者の居場所」

「さっきも言ったが、それはこの道の先にある。都でわかることだろう。ふむ、ふむ……ではこんな話を紡ぐか」


一葉は、寒さにかじかむ指先を温めた。腰の得物に手を当てれば、凍らず動くことがわかった。


「男が夢を見た。男が言うに、竜を見たのだそうだ。空の果て、それは宇宙と呼ばれる天よりもなお高い場所へ至れる物の怪だったそうだ。

男は魅入られ、男自身が竜になろうとした。竜に会う為には、竜にならなければいけない。人が虫と話さないように、竜は人と話さない。ナバラの国は、竜に至る力を欲した。竜はより強く、岩の鱗をもち、雷を吹き、たったの一騎は一国以上の力であるからだ。

男は竜になろうとして、ナバラは滅びた」

「竜になった男に滅ぼされた、から?」

「違う。竜は、人と対話しない。例え月に人が立っても」


関所の老侍はゆっくりと首を振り、被る鉄の陣傘から雨粒の筋が流れ落ちた。


「長話がすぎたかな?」

「いや、一葉も面白かった。それに雨はまだ降りそうだ」

「雨に感謝だな。今少し話せる」

「関所にはもう、貴方しかいないのか。他の武士らが。ひとりで守っていたわけではないだろう」

「まさかだな。儂はそんな超人からは遠い。そう、多くの侍がかつてはここで誇りしていた」

「どうしたと訊くのがおかしいか。死んだな」

「左様。皆んなーー果てた」

「未練はないだろうに。何故まだ縛られている」

「もはや帰る場所も忘れたのだ。今の儂に残されたのは、この血塗られた土地のみ。帰る方法も、死にどきの境もわからなくなった、哀れな白髪を殺す存在を待っていた」

「そうか」

「つれんのぉ」


笑う。


「……」

「……」


指先は充分に温まっている。


「一献と、いければよかった」

「またがあれば」


老侍が脇の鞘をあげた。彼の手はすでに柄を握っている。鯉口がカチリと切られ、鞘から刃がほとばしる!


「ーー」


音を置き去る打刀の、老侍の斬撃。刃は下向き、床を刺す寸前の跳ね上がる弧が、一葉の脇を裂き臓腑をこぼす線ーー見えた。抜くまでもなく、鞘の端で老侍の一閃を圧する。打刀は腰を折り、腐った木片を撒き散らし深々床に沈む。


「驚いた」

「まだ、一葉は抜いてもいない」

「で、あるな」


一葉も、老侍も組んでいた胡座を崩す。立ち上がりを狙う真似はしなかった。


雨は、いまだ晴れる気配なし。




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