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だだっ広い草原を裸のおっさんが走っている。
それはもう、申し分のない疾走感で。
頭は禿げてバーコード。
「あれが、この国の王様よ」
彼女はそう言い、こちらへ走り寄って来る王様にも動じずに言った。
「ハァッ! ハァッ! これ、あげるよ!」
裸の王様はガリガリにやせていて、風が吹いても飛んでいきそうだ。
そんな彼が持っていたのは水晶のような石だった。
透き通った、水を固めたような石だ。
「よかったね、これはこの国の特産物。鯛のお頭を倒すときに役立つよ」
彼女は笑う。
ヒマワリのような笑顔で。
彼女の長い髪が風にそよぐ。
裸の王様の髪も寂しく風にあおられる。
彼女の白い肌が太陽に照り付けられて、ほのかに桃色へと変化する。
きれいだな、と僕は思った。
そうして夢は覚めるのだ。
○
僕は目覚める。
朝だからだ。
それ以外にない。
これから学校に行って、張りの無い一日を過ごさないといけない。
ベッドから起き上がり、食卓へと向かう。
テーブルには既にベーコンエッグやサラダが並べられていた。
お母さんが作ってくれた朝食を、朝の情報番組を見ながら食べる。
『現在、原因を究明中とのことで――』
テレビの中のキャスターが何かを言っていたが聞きもらした。
さて、野菜ジュースも飲んだことだし学校へ行こう。
通学路は単純だ。
ただ道なりに歩けばいい。
僕の通う高校は歩いて20分くらいのところにあって、つまらない形をしている。
要するに、どこにでもありそうな校舎だということだ。
そのつまらなくて張り合いの無い学校が、今日はどうやら少し騒がしい。
原因は校舎裏にあるグランドが問題らしい。
登校した生徒がこぞって見入っている。
何だ、何が起こっているというのか。
僕も野次馬の一人となって、校舎裏へと行く。
すると、そこには巨大な絵が描かれていた。
目をつむって蛇を描いたような、ぐちゃぐちゃな絵。
シンプルに呼べば、これはミステリーサークルの類ではないだろうか。
グランドの地面は10センチ程にえぐれて、かき出された土はわずかに乾燥している。
とてもひまつぶしにかかとで描くような大きさではない。
誰かが意図的に一晩で描きあげたのだろう。
昨日までは無かったのだから。
「今日の練習どうすんだよ」
野球部か陸上部の誰かがそうつぶやいていた気がする。
だが、僕にはどうすることも出来ない。
無力な僕は、しかたないのでその場を後にして教室へと行くことにした。
「ハル、おはよう」
「おはよう、エミ」
靴を履き替えている途中で声をかけられた。
ヒマワリのような笑顔の女の子だ。
「ハル、あれみた?」
「グランドのあれでしょ。いよいよ迫って来てるって感じだね。本当に現実世界に影響があるなんて」
「早く鯛のお頭を倒さないと、もっとすごいことがおこっちゃうんだよ。自覚ある?」
「あまりないなぁ」
どうして僕がこのような会話をしているのか不思議であろう。
僕も不思議だ。
しかし、こうなっているのだから仕方がない。
こうなった理由を一から説明するとするならば、どこまで戻ればよいのだろうか。
まずは、あの天使の櫛事件から始まることになるのか。
そう、あれは春休みのこと。
二か月前の、まだ僕が一年生で春休みを過ごしていた時のことだ。
○
ある晴れた日の午後、僕は頭がおかしくなっていた。
本当だ。
景色がぐにゃりと曲がり、まるで町がスライムで出来ているかのようだった。
テレビをつければ訳の分からないニュースがやっている。
『今、世界中で天使の暴走が起こっています。原因は依然として不明――』
なんだ、天使の暴走って?
訳が分からない僕は外へと飛び出したのだった。
走っても、走っても足が地面に沈んで進まない。
どういうことだよ、これは。
「それはね、君がこの環境に適応できていないということさ」
「だれ?」
僕はつぶやく。
「私かい? 私はただのホームレスだよ」
横を向くとタキシードを着た男が立っていた。
とてもホームレスには見えない。
「いや、私はホームレスだよ」
「心を読まれている」
「そうさ。私は他人の心が読めるのさ。けどね、今はそんなことはどうだっていいことだ。重要なのは君に使命があることなのさ」
「使命?」
「そう、大切な大切な使命なのだよ」
「なんじゃそら」
「世界中で天使が暴れているのは、君はテレビを通じて知っているだろう?」
「あんなの、おかしい。きっと僕の頭が壊れてしまったんだ。この町の風景もそうだ。ぐちゃぐちゃで気味が悪い」
「大丈夫。次第に慣れてくるはずだ。その変化の途中だからこそ、君はその素晴らしい景色を見ることが出来ているのだよ」
「すばらしい? これが?」
「あぁ、そうさ。夢と現を行きかう人間特有の現象さ。皆最初は戸惑うが、やがて落ち着きを取り戻していく。景色も元通りになるよ。保証する」
「そうだといいけど……」
僕は半信半疑だった。
ホームレスと名乗る男は僕の心配をよそに、上機嫌だ。
「で、あるからして君には使命があると言ったろう?」
「言ってましたね。なんなんですか、それは?」
「天使の櫛を取り戻してきて欲しいんだ」
「天使の櫛?」
「あぁ、そうなのだよ。天使の櫛が無くなってしまったから天使たちは暴れているのだ。それをなだめるためには返してやればいい」
「いや、話がよく分からないのですが」
「分からずとも良い! とにかく、君の使命として櫛を取り戻してくるんだ。ほら、行け。仲間もこの先で待っているから」
「仲間って……」
僕が聞こうとするとタキシードのホームレスは消えていた。
仕方ない。
僕は歩くことにした。
仲間とやらに合うために。
進むのだ、この異次元を。
グラグラと視界が揺れ、焦点は定まらない。
熱に浮かされたように僕は歩いた。
どれくらい歩いたかというと、どれくらい歩いたのだろう。
とにかくわかることは、アスファルトの地面がぽよんとしていることだけだ。
ぽよん、ぽよん、ぽよん。
そして彼女は突如現れたのだった。
「や! 君が天使の櫛を一緒に探すお仲間だね! よろしく……って。ハルじゃん」
「なんだ、エミか」
髪の長い、ヒマワリのような笑顔のエミが立っていた。
言い忘れていたが、僕とエミは幼馴染である。
家は近くないが、幼稚園から高校まで同じなのだ。
「天使の櫛って意味わからないと思わないか?」
「いいや、私は分かるよ。大事な物なんだよ、天使たちにとってはさ。だから、探してあげよう?」
「どうやって?」
「う~ん、それは今から考える!」
エミはニッと笑った。