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汚職の魔術師とアルトロモンド  作者: 虹江とんぼ
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シンクレアの青空行軍日誌 一章 汚職の魔術師と没落貴族 7


「はぁ……」

「どうしたのよルイズ、ため息なんて吐いちゃって。気合い入れなさいよ、これから大捕物が待ってるんだから」

「今夜は長丁場です。気長に待ちますニャ」

 何がそんなに楽いのか、嬉々と声を弾ませながらうずうずしている大佐と、道すがらに購入したピクシーの串揚げとエールを楽しんでいるケメット。この場所だけ切り取ったら、何かの試合を観戦する様相と見紛う有様です。けど――。

「これ犯罪ですから。何なんですか? 小一時間毎に法を犯さなきゃならないノルマでも課されているんですか?」

 我々は現在、王立博物館敷地内への侵入を果たし、公園もかくや、というほど広々として緑豊かな裏庭に居ました。三人肩を寄せ合い、植え込みの低木に姿を隠しながら博物館を見張っているのです。

「良いかしらルイズ、連中があんたをはめたのは、何も嫌がらせとか仕返しのためにやった訳じゃないのよ」

 訳知り顔で語る大佐は、ぴんと人差し指を立てました。

「今朝の警官たちは囮。博物館側の警備を弛めるために行われた陽動作戦よ。あたしが怪盗オマールなら、ルイズに濡れ衣を着せたその日の晩に、犯行に及ぶわ。それに連中が欲しがっているらしい宝石……ええと、ブラッディ・メアリーだっけ? それが展示されている箇所から最短で脱出出来るルートが、この裏庭なわけ。そこを押さえる。見取り図があったからね、まあこの線で固いでしょう。どうよ?」

 ふふん、と鼻を鳴らして得意気な大佐でした。

所感としては、犯罪者が言うと説得力が段違いだな、という程度です。

むしろ経験があるんじゃないでしょうか? 

汚職だけじゃなく窃盗の魔術師でもあったのかもしれません。

「ふぁふがたいさふぇすにぁ」

「食べるか喋るかどっちかにしなさい――ああっ! あたしの分まで食べるな!」

「ちょっと少し静かにしてくださいよ……警備の人とかに気づかれたら――」

 言った傍から、博物館の裏手に人陰が近づいてくるのを確認しました。俄に緊張感が走り、大佐の隣で少し出来上がっていたケメットが小銃を取り上げました。

「この距離なら外しませんので、二人は黙って見ているニャ」

「何が黙って見てろよ、警備員だったらどうすんだ馬鹿ネコ。静かにしてなさい」

 辛辣な言葉を浴びせ掛けられたケメットは、聞いた事のない「ひゅぅぃえ~」と息を吸い込みながらの悲鳴を上げて感情を爆発させました。

「ウチは大佐の為にと――ッ、日々努力と献身を惜しまず尽くしてきましたのに! その報いがそんな心ない言葉なのです!? あんまりだニャ!」

「ああもう! うるさい! めんどくさい!」

「二人とも喧しいんですよ! 少しくらい黙ってられないんですかッ! 子供ですか!?」

 今が大事な時だと言うのに、時場所を弁えない彼女達の言動についカッとなってしまいました。いくら多少の距離があっても、これだけ騒げば気づかれてしまいます。

「誰かいるのか!」

 博物館の裏手に回った人陰が、私たちの隠れる繁みに気づいて誰何の声を上げました。

 しまった――慌てて自分の口を押さえて蹲ります。

 いくら夜の暗闇に紛れていると言っても、裏庭にはガス灯が通っており、等間隔に明かりが設けられています。移動すれば彼方からは丸見え。万事休すか――その時です。

「にゃぁあああん」

 ケメットの声真似が炸裂しました。

 まさかそんな――と、超古典的にして局所的処世術を駆使したケメットに、私と大佐は驚愕し、息を呑みました。


「なんだ、猫か……」


「そんな……そんな訳あるかァ――ッ!」

 はッ――っとした時には既に手遅れでした。

 あまりにも常識外れでボケボケな方々に囲まれ、ツッコミに終始していたために、つい我を忘れて立ち上がってこのような事態を招いてしまいました。

 いったい誰が悪いのでしょう?

「ウチはベストを尽くしました」

「そうね、これはルイズが悪い」

 はい、私が悪う御座います。

 悠長に反省している場合でもなく、こちらに気づいた人陰の姿ははっきりと見てとれました。

なんとその人物は、ホテルでケンジットと一緒に私を逮捕した警官の一人だったのです。

彼と私の視線が交錯し、様々な展開が予想できました。

 ところが、彼は意外な行動に出ました。

 警官は私に気づくと、拳銃を抜く出もなく警笛を鳴らすでもなく、どうしたことか背を向けて全力で逃げ出したのでした。

「へ?」

 その突飛な行動に私が小首を傾げていたところ、博物館から突如として閃光が――。

 博物館の裏手、一階部分で大爆発が起こったのです。

 思わず繁みに隠れて、何が起こったのかと様子を覗いました。

 博物館の一角にある大きなガラスが粉々に砕け散り、周辺には爆発の残滓として小火が起こっています。ガス管に引火したとか理由は幾つか考えられるものの、このタイミングでそんな偶然が起こる筈もありません。

 犯人は立ち昇る煙を身体に纏わせながら、散乱するガラスを踏みしめて堂々と館内から姿を現したのでした。

「ケンジット警部!?」

 見間違える筈もない、口ひげに、ぼさぼさ頭を押さえつける山高帽。

全身から滲み出る粗野な風体は間違いなく、私を逮捕したケンジットに他なりません。

 なぜ彼がここに? どうして爆発した館内から? 怪盗オマールを待ち伏せしていた?

 そうした様々な疑問は、彼の手中から垣間見える物体が全て打ち消しました。

 周辺に散った炎の明かりを吸って、更にその妖艶な深紅の輝きを増した懐かしの宝石。

 かつて私が口の中で転がし、おはじきの女王として重宝していた真っ赤なダイヤモンド――ブラッディ・メアリー。

「そういうことだったのね」

 大佐はゆらりと立ち上がって、肩に掛かった金色の髪を払い除けると、ケンジットに向けて真っ直ぐ腕を伸ばして指さしました。


「つまり、あたしの起こした事故はノーカン! もう何も怖く無いわ!」


「さすが大佐ですニャ!」

 やっぱり警察車両に突っ込んで逃げたのはかなりビビっていたようです。

 破天荒に見えて人並みの肝を持っている大佐の的外れな戯れ言を仕切り直すべく、私が改めて指さし直しました。

「あなたはケンジット警部なんかじゃない! ケンジットなんてそもそも居なかったんだ。怪盗オマール! あなたの悪事もこれまでです。諦めてお縄に付きなさい!」

 公然と行われる悪事に対し、果敢に立ち向かう構図は様になります。貴い行いというのは須く貴族的であるべきでして、この立ち振る舞いは私の矜持を満足させてくれます。

 しかし如何せん、実力が伴いません。

 赤い閃光が瞬いたと思えば、私の頬を呪いの指先(ガンド)の魔弾が掠めました。

「きゃっ」と悲鳴を上げて尻餅をついた私を見て、ケンジット――いえ、怪盗オマールは天を仰いで高笑いを響かせます。

「ハハハハハッ! 昨日はこんな事になるとは思ってもみなかったぜ。偶然同じ鞄を持っていた鈍くさいデカ尻女とぶつかっちまったばかりに、まさかこれ程手を煩わされるとはな。だが許そう。ブラッディ・メアリーはこのとおり、確と頂いた!」

「くっ……また言ってくれましたね、この性悪ゴブリン! そんなに大きくなんてありませんし! 平均サイズです! ねぇ大佐!?」

 悔しさを少しでも和らげようと、思わず大佐に縋って同意を求めますが、彼女は素気なく私を押し返します。

「なんであたしに振るの。大きい方が叩き甲斐があって男好きするんじゃない? まあ、そんなのどうだって良いわ。さあ、大怪盗さん、正体を見せたらどうなの。いつまでも変装にマナのリソースを割いて、このあたしから逃げ切れると思ったら大間違いよ!」

 オマールの背後から、ひょっこりともう一人の制服警官が現れ、こちらを指さしながら耳打ちをしていました。すると彼は「くっく」と肩を揺らして嗤います。

「俺の部下を可愛がってくれたそうじゃないか。まったく嘆かわしい話だが、中々の使い手だと話は聞いている。本来であれば、正々堂々なんて言葉は怪盗の辞書には無いのさ。だがな――」

 オマールは自らの顔に掌を滑らせると、本当の彼、長い鼻をしたゴブリンの面相が現れ、次にはその着衣や身丈が本来の姿を取り戻しました。

 その、痛めたへっぴり腰と共に――。

「痛むのさ――この腰がッ! 貴様らに痛めつけられた俺の腰が叫んでるんだよぉ!」

 オマールはトンボの杖を支えに何とか立っているといった状態でした。

ぷるぷると震える足腰を見せつけられて、そう言えば腰痛がどうのと言っていた事を思い出します。

 恐らく、大佐の交通事故がトドメとなったのでしょう。オマールが術を解いたのと同時に警官の変身が解けた二人のゴブリンに支えられています。

「親分しっかり! お前達のせいだぞ! 責任をとりやがれ!」

「痛み止めの注射まで打って出て来たんだ! アスリート並の精神に打ち震えろ!」

「突き飛ばしたり追突してごめんなさいくらい言えないってのか!」

 「この人でなしめ!」と口々にこちらを非難するコリゴリンとチョッパ。

「ええいやかましい! お前達は下がってろ!」

 自分の身体を気に掛けてくれる部下たちを一蹴したオマールは、トンボの杖を突き出しました。

《汝 摂理を越えし鉄の意志 大いなる太陽へ挑まんとする者――無謀なる翼!》

 あの手下どもにしてこの親分あり――怪盗オマールはエルードラ魔術の使い手だったようです。自己暗示・陶酔の極地とも呼ばれる妄想の具現、究極のナルシズム。

 どれだけ自分が好きなんだと、少し羨ましいぐらいです。

 オマールの唱えた呪文は、彼の腰に可愛らしい天使の翼を授け、それを持って彼は飛翔してのけたのでした。

「フハハハハッ! 軽い! 軽いぞ! 身体が軽い!」

「す、凄い……空を飛ぶ魔術だなんて」

 夜空へと舞い上がるオマールを見上げ、我を忘れて感嘆の声を上げてしまいます。

 ケメットも驚いた様子で「凄いニャ! ウチも欲しいニャ!」と興奮を隠せません。

 ですが、隣では眉間に皺を寄せた大佐が「どういうこと」と怪訝そうにオマールを目だけで追っています。

「おかしい。飛翔魔術なんて自前のマナだけでは到底不可能よ。こんな事が出来るほどに膨大なマナを体内に宿したら、身体が破裂したっておかしくない。賢天の魔術師(サージオ)にだって出来る奴は居ないわ……おいコソ泥、どんなインチキを使ってるのよ! 種を明かせ!」

 大声を張り上げる大佐を、オマールは悠然と宙を駆けながらせせら笑います。

「カッカッカ! 教えるわけが無かろう!」

 オマールは杖を振りかざすと、夜空に発光する巨大な術式陣が現れました。

「凄い、凄いじゃないか! この力――無限に湧き出るこの力があれば、世界中のお宝を我が物とすることが出来る。まずはお前達で試してやろう! このパゥワァ――ッ!」

 自分に酔い痴れ、狂喜を孕む笑みを浮かべてオマールは叫びます。

《星々よ――来たれぃ!》

 彼の声に呼応するかのように、輝く星々の如く自然界のマナが結集し、巨大術式陣を通して光が流星となって地上へ降り注いできました。

 まるで絨毯爆撃のような面制圧に、私たちは為す術も無く泡を食って逃げだすしかありません。

「さすが親分!」「凄すぎだぜ!」と賞賛する部下達も爆撃に巻き込まれて吹き飛ぶ始末。


「ぶはっ! 死ぬ! 死んじゃいます!」

 爆風に煽られて芝生を転げ回った私は、気が動転する中で大佐の姿を探します。この状況を打破出来るのは彼女をおいて他にありません。

ところが彼女は、どうしたことか、爆撃で捲れ上がった地面に上半身を埋め、死に体ではありませんか。

「た、大佐――ッ! 確りしてください! 賢天の魔術師(サージオ)なんでしょ! 凄いんでしょ! こんな所でへばらないでくださいよッ!」

 地面から突き出る尻をひっぱたいて大慌てで掘り起こすと、土に塗れて汚れ、やる気の無さそうな顔の大佐が発掘できました。

「いやもう、何か無理」

「無理って何ですか無理って!? 大佐以外に誰があいつをやっつけられるんですか!」

 大魔術を目の当たりにして途端にやる気を失った大佐の肩を揺さぶり、私は訴え掛けました。

ですが彼女は首の力を抜いて、糸の切れた操り人形のように脱力してします。

 すると、近くの地面が膨れあがり、ひょっこりとケメットが顔を出しました。

 モグラの半獣人だったのでしょうか。

「ケメット! 丁度良かった、大佐がおかしいのよ。手を貸してちょうだい!」

「説明しますニャ。大佐は格下相手にドヤ顔で力の差を見せつけるのは好きですが、相手が想定よりも強敵だった場合、勝負を投げ出す悪い癖が御座います。では、ご武運を」

 そう言い残し、ケメットはぶるると身体を震わせて土の中へと消えていきました。

「逃げた!? そんな、大佐ァ! 賢天の魔術師(サージオ)の誇りはどうしたんです! 世を治めるほどの力を有するからこそ、その称号と特権が与えられているんですよ! 目を覚まして!」

 胸ぐらを掴んで揺さぶり、頬を幾度も叩いてやりますが、大佐の目に活力はもどってきません。いったいどうしたら――。

 私は一度冷静さを取り戻すことに努め、現状の分析を試みました。

 大佐はオマールの力がおかしいと発言しています。

確かにその通りです。

これだけの魔術を行使できる力量があるならば、彼はどんなお宝も力尽くで奪い取ることが出来ます。

博物館の見取り図や結界の情報を盗み出す必要は無かったことでしょう。

 そうだ――オマール自身も口にしていたではありませんか――『まずはお前達で試してやろう』と。

自分の力に驚くような素振りもありました。彼の力は、後付の物と推測する事ができます。

それも、最近のこと。

 では、その手に入れた力とは何か。

 すぐに思いついたのは『魔導具』ですが、魔術を安定させる補助的な役割が殆どです。

強大な魔導書なども存在するものの、その大半が召喚術に関係すると学びました。

 この他に何か――手に入れたことで、すぐさま賢天の魔術師(サージオ)をも凌ぐ力を身につける事が出来るもの――。

「そうか」

 心当たりがありました。

ですがこの推測はあまりにも突飛で、公然と発言すれば嘲笑を買うような代物。その全てが神話ゆかりの品々で、伝説を持つ大いなる神秘の所産。

「創造器だ……大佐! オマールは創造器を使っているに違いありません!」

 正直な所、自分で言っておきながら半信半疑であるのは否めませんでした。それでも背に腹は代えられず、大佐を焚き付ける為なら何だって構いません。

何よりもこの馬鹿げた神話、幼稚な神秘、子供騙しのお伽噺を語ったのはどの口か。

私をそそのかしたのはいったい誰なのか――あなたじゃないですか、シンクレア!


「……なるほどね。賢いわルイズ。だったら、ちょっと頑張ってみようか」


 度々水漏れを起こす私の胸中が聞こえたのか、それとも想いが天に通じたのか、大佐はふらつきながら立ち上がりました。地べたを這うしかない私たちをあざ笑う怪盗オマールを見据え、彼女は小さく呟きます。


サンレオン城の物真似(サンレオン・ミミーク)オバケ》


 聞き慣れない言葉と共に大佐の影が生き物のようにうねり、幾重にも枝分かれして静かに地面を奔り出します。ホテルで見たあの影です。何処へ行くのかと視線だけで追いますが、じきに暗闇に紛れてわからなくなってしまいました。

 ちょうどその時、大佐がそれを嫌うような顔を一瞬だけ見せました。

 それが魔女シンクレアの魔術であることはわかりますが、どの学派に属すものなのか検討がつきません。卓越した魔術師は、マナを体外に放出する課程で術式を完成させてしまうため、肝心の式が表に出ないことが多いのです。

 賢天の魔術師である大佐も例に漏れず、第三者に気取られない戦術を駆使するようです。

 若干の後ろめたさが有りながらも、大佐がどのような魔術を見せるのか興味があったのですが――。

「ルイズ! とりあえず時間を稼ぎなさい!」

 そう言うや否や、大佐は私に丸投げして駆け出しました。

「へ? えっ――そ、そんな、私には無理――ぅわッぶッ!」

 目の前でマナの塊が炸裂し、衝撃で後方に吹き飛んでしました。

 あまりの痛みに目の裏でチカチカと光が瞬きます。痛みに耐えてどうにか身体を起こすと、少し距離を置いた位置から大佐が叫んでいました。

「ルイズ! 魔術を使いなさい!」

「なっ、何を言うんですか! 私の魔術なんか大した役に立ちませんよ! っというか、どうしてそんなに離れるんですか! 助けてくださいよ!」

 まさか見捨てられるのかと、半ば泣きそうになりながら助力を懇願するが、大佐は口だけで「信じろと」告げてきました。

 何を信じろと言うの。

 自分の実力は自分が一番理解している――けれど、何か策が……?

 上空であざ笑うオマールを睨み付け、私は自棄になるしかありません。

《イル・ラ・クオーツ・ルゥム・リール・アジェス∴コバルトォ!》

 力の限り、憤懣やるかたない感情を乗せて精霊言語を叫びます。

 いくら私がへっぽこでも、無才という訳ではありません。魔術は使えるんです。

 だってほら、ちゃんと一匹のコウモリが私の頭上を回っているじゃないですか――。

「ぶははははははっ! 何だそれは! 魔術のつもりかね!」

 あまりにも不甲斐のない結果に終わった私の〈口寄せ〉を見て、オマールは腹を抱えて大笑いしていました。

「ほらぁ! こうなるんですってば! 大佐ァ!」

 耳障りな馬鹿笑いをするオマールを憎々しく見上げ、やはり自分には無理なんだと――大佐に泣きつこうとした時です。

 大佐が私を見据え、地面を指さしていました。

 その仕草に釣られて下を見てみてると、細長く黒い筋が……外灯に照らし出された私の影に、大佐から派生した影がくっついていたのです。

 再び視線を上げた時、私は夜空よりも濃く流れる黒い川を目撃しました。

 黒い川の正体はすぐにわかります。コウモリの大群です。

 コウモリの大群は、レースの生地のように空を覆いながら蛇行し、そして一気にオマールへと襲い掛かりました。

「な、なにぃ!? 待て、待て待て、ちょっと待てぇえええええ!」

 唐突の出来事に対処が遅れたオマールは、コウモリの濁流に飲み込まれてしまいます。

「大佐、これはいったい……私の魔術なんですか?」

 もしやここに来て眠れる才能が覚醒してしまったのでしょうか。

「半分正解。あんたの魔術を真似して、あたしが喚び出したの。影が無いと、〈物真似(ミミーク)〉が出来ないからね、とりあえずの急場しのぎよ」

 合点がいきました。大佐は私の魔術に背乗りして、魔術を再現してのけたのです。

 しかも、何倍も良質なものへ。喩えるならば、同じ素材を使って同じ料理を作ったようなもの。

 料理人の腕の差は歴然で、少し複雑な心境でした。

 しかし、これで謎が解けます。

 ホテルでゴブリンの襲撃に遭った際、大佐が彼らの魔術を真似したり、干渉したりする事ができた理由は、この影を使うことで相手の魔術に介入していたから。

 大佐の魔術は、ネシム学派でもエルードラ学派でもない。

 自然界や他者の力を利用する術に長けた、数ある魔術学派の中でも特に特異な存在――ドラドの魔術。

 神々すらも打ち破り、一時代を築いたとされる魔王ドラドが編み出した秘技です。

 習得が大変難しいとされる希少魔術であるドラドを修めているのなら、賢天の魔術師(サージオ)の称号を戴くのも頷けます。

 だったら――。

「だったら、オマールの魔術を真似したら良いじゃないですか! どうして私が――」

 そう言いかけると、空気を揺さぶる振動と共に夜空が真昼の様に明るくなりました。

 爆風と共に紅蓮の炎が放散され、焼け焦げたコウモリの死骸がそこら中に降り注ぎます。

「いやはや――少しばかり驚いたが、大したことは、ないな。それで、もう終わりかね? ならばそろそろ、決着を、つけようじゃないか」

 オマールは自分にまとわりつくコウモリの群れを、自分ごと爆風に呑み込ませることで吹き飛ばしたようです。全身を煤で汚し、肩で息をして非常に辛そうですが、彼は勝ち誇った顔をしていました。

「それにはあたしも賛成だけど、最後に一つ聞いておきたい事があるの」

「許そう。冥土の土産に答えてやる」

「あなた、創造器を使っているの?」

 大佐がオマールの力の秘密に探りを入れると、彼は何が面白いのか再び癪に触る笑い声を響かせます。

「ハハハハハッ! いかにも、俺は創造器を持っている! あれは寒さの厳しい日の――」

「オーケーわかった、もう良いわ」

 得意そうにこれから長々と語りに入りたかった様子のオマールでしたが、用済みだとばかりに大佐は彼の台詞をばっさり切り捨ててしまいました。

「やれ! ケメット!」

 遠くで「はいニャ!」という返事が聞こえました。

 敵前逃亡していたずのケメットは、博物館の外周に佇んで頭上に何かを掲げています。

 それからすぐに「パシュン」という音が聞こえ、同様の怪音が四つほど続き、やがて音の正体が明らかとなりました。夜空に眩い光を放つ発光体が突如現れ、博物館全体を照らし出したのです。

「照明弾?」

 煌々と光を放つ照明弾の明かりは、地上にいる私から見ても目を覆いたくなる光量を持っていました。それが同じ上空ともなれば、まともに目を開いているのは不可能でしょう。

「くっ――この……小賢しい真似をしおってッ――こうなったら、博物館ごと吹き飛ばしてやる! 俺の腰をぞんざいに扱ったことを後悔するがいい!」

 激昂したオマールは私たちに向かってトンボの杖を振り向けると、杖の先端に可視化されたマナの光を凝縮させて来ました。大魔術が執り行われる予兆であることは明白ですが、何が起こるかわからないと対処のしようがありません。

 あわあわと浮き足立つ私の横で、大佐は「そういえば」と、視線を寄越します。

「ルイズの歓迎会をちゃんとしていなかったわ。あたしの部隊ではね、新入りにはちゃんと歓迎会を開いてあげるの。」

「いやいやいや、何の話ですか! そんな悠長なこと言ってる場合じゃないですって!」

「部隊の規模が三人じゃ、大したことは出来ないけど、サプライズなら用意できるわ。何が良い? くす玉? 花火?」

「何でも良いですから前見てください! あれ! あれ! どうみたってやばそうなの来ちゃいますよッ!」

「何よ、ビクビクしちゃってさ。このあたしを誰だと思ってるの?」

 大佐は「もう捕まえた」と呟き、悠然とオマールに歩み寄っていきます。

 その言葉の答えは、地面にありました。

 照明弾に照らし出され、オマールのぼやけた影が大地に投影されているのです。

 大佐の影は、確りとオマールの影に食らいついていました。


 歩を進める大佐を見留めたオマールは、顔面に喜色を湛えていました。

 彼が突き出した杖の先端では、凝縮されたマナが充ち満ちて、その力の総算は計り知れません。

 光の集合体から放射状に稲光が発生し、吹き下ろしてくる威圧的な風が凶暴さを隠そうともしません。それもそのはずです――。

 神々の遺物である創造器。

 これを持ってして得意にならない者など居ましょうか?

 己の欲望を満たすために、人々は大昔からこの神秘を巡って争いを続けていたのです。 

 オマールの瞳は狂喜に歪み、杖は引き絞られた矢の如く、十全に役割を真っ当する瞬間を今か今かと待ちわび――その時は訪れました。

 オマールは声高に叫びます。


「さぁ! これで終わりにしてくれる――

《汝、終焉なる者 汝、誕生せし者 破壊と創造の化身よ 我が敵を討ち滅ぼせッ―― グラン・エクスプロージョン!》」


 迸る輝きが全てを白亜に染めてしまいます。

 閃光弾とは比較にならない輝きと熱は太陽の様で、神の裁きを思わせます。

 身体はもう動きません。動いたところで逃げることも叶いません。

 この光と熱は博物館全域を覆っているのですから。

 ですが不思議と、恐怖や憂いといった不安の感情は無くなっていきました。

 光に包まれていく魔女シンクレアの背中が、そうさせるのです。


「花火にしましょう。お祝いだしね」


 第三代魔王ドラド。

 神の前に敗れ去った先代の魔王たちに代わり、神話に終焉をもたらした悪名高き王。

 彼は神々の絶大なる力に畏怖を抱き、魔族陣営の版図拡大という悲願を一度捨て去りました。

 勝利した神々が栄華に酔い痴れる最中、彼は神の力を逆手に取る研究に没頭し、ドラド魔術の基礎を築き上げたと伝えられています。

 迫り来る力が強大であればあるほど、彼の魔術はその真価を発揮し、ついには神々の時代を終わらせてしまった。創世神話と共に語られる魔王ドラドは、『力に傲ることなかれ』という教訓を後の世に示すものとして有名でした。

 この神話が物語るとおり、ドラド魔術の使い手とは――カウンターの名手を指す。

 

 左手をポケットに突っ込み、輝きの根源を見上げる大佐の姿は妙に様になっていて、ポスターに写った不敵な印象を想起させ、やおら光に向かって右手を掲げる立ち振る舞いは、決して届かぬ物に手を伸ばす冒険譚の主人公と重なって見えました。

 けれど彼女は、それが決して届かない物だなんて思っていない。

 だから手を伸ばすのです。


「――――バァン」


 掲げた右手が拳銃を形作り、悪戯っぽくそう言いました。

 その後の出来事は良く覚えていません。

 凄まじい熱気と衝撃、弾け飛ぶ色とりどりの光たち。

 意識が遠退く直前に見た光景を、私はきっと生涯忘れることはないでしょう。

 大輪を咲かせた大きな花火を背景に、大佐はどうだ見たかと、私に笑いかけていました。

 私の歓迎会とやらは、こうしてド派手なフィナーレを持って幕を閉じたのです。




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