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歴史とDNA

秦氏と遼河人

作者: とびうお君

 日本の中華系の遺伝子の大半はおそらく漢民族ではない。もちろん歴史時代に帰化人が多かったのは事実だと思う。要するにそれが日本全体に遺伝的に影響を与えるものじゃなくて微々たる物だった。この結論に至ったのはHLAハプロタイプで、漢民族の最も重要な遺伝タイプが日本人に受け継がれて無いから。


 これを話すのに以前書いた話がある。どういう経路を辿ったか?分からないが、O2はやや西よりの傾向がある。その西よりのO2系の民族がチベット人と中国人に別れて最終的に東にやってくることになる。その西方発祥の遺伝タイプこそが漢民族たらしめてる証しになる。もっと言うと、黄帝が率いた華族の証しになる。以前から私は黄帝は実在の人物じゃなくて、華民族の象徴じゃないか?と見ている。


 何故中国語がシナチベット語なのか?そこにチベット人は固有の遺伝子である父系D系ばかり注目されるが、華族最大のハプロM134がO2系を持つ民族で最も高いのは漢民族以外ではチベット族になる。人種的にはDが混血したほぼ同族だと見て良い。華族=M134は西の機嫌であるのはここから分かる。


 この下位系統であるM117が日本に多い系統。中国の調査で徐福の系統ではないか?と言われている。ただそれは重要じゃない。M134とその下位系統であるM117はチベット以外では中国東北部に偏って多い。


 日本に多い漢民族の秦人ではなくて、M117系は遼河人なのじゃないか?とここで私は推測する。おそらく西方起源の漢民族の系統じゃない。


 じゃ秦氏は嘘をついたのか?秦氏のハプロが何か?はまだ確定的じゃない。多くのネットの話しは秦の末裔と言う事で中国で調査された名家の調査から出された始皇帝のハプロをそのまま書いてるだけだ。そもそも始皇帝の末裔なんて大丈夫か?と言う問題も秘めているが。日本にとても多いのできっと秦氏が増えたせいじゃないか?なんて事であまり深く考えられてない。


 そもそも新羅の秦人は秦と言う大帝国の人達であって秦という戦国国家の住民と限らない。ようするにただの中国人でしか無い。ただそのコミュニュティを頼って秦の始皇帝の末裔が亡命してきたとの話があり、それが秦氏の先祖になる。


 秦という国は、黄帝発祥の地でそこから来た人達が日本に影響を与えたなら、日本に中国の華族HLAハプロが出ないはずだが無いんだ。新羅の秦人はおそらくただの中国全土の逃亡民でしかない。秦という地方にルーツがある人達じゃない。


 例え徐福が来ていても、その住民は5000年前のただの中国人の南下の時期に遼河地域の北部から南下した系統でしか無い。全く華族と無関係となる。これがおそらく日本にM117が高く出るのに、華族のHLAハプロが全くでない理由だと見ている。


 日本人に遺伝的に影響を与えた中国人は黄河人華族などの漢民族と無関係な遼河人に偏っている。O1B2=弥生人に囚われてしまっているが、おそらく日本のM117の大半は秦の末裔じゃなくて弥生人だと思われる。


 日本におけるO系は、華族と全く関係ない中国南方人と遼河人と見てほぼ間違いない。


 何故日本語と中国語がかけ離れてるか?の理由がコレになる。人工的に黄河文明の中国語を話すような人達じゃなかったからになる。もちろん日本語には中国語の影響が強く出てる。だがそれは人種的なものじゃない。他文化との接触による影響だと思われる。日本語の成立に中国語が深く関わってるのはおそらく山東省が原因だと思われる。


 ここは古くから黄河文明と遼河文明と長江文明の3つが深く関わってきたため、華族として中国語の話者にならなかった東夷の異民族といえどもその影響が強く出たためだと見ている。


 さて秦氏のハプロが何か?は不明だが、本当に秦系である可能性がある。その理由は秦の王族が魯にいたという伝承が残っているからになる。そしてそれが出鱈目だとは思えない。


 全くの偶然で、西方に多いM117の人達が、東海岸に多いM117の地域に行ったとなる。本当にコレ全くの偶然になる。秦の話がややこしいのはこれがある。


 どういう事情か?は分からないが、秦の王家と遼河人は繋がりがあったのじゃないか?と見てしまう。始皇帝の子孫は詐称だったとしても、秦の王家であるはあながち嘘じゃないのでは?と見ている。神話にもこれを支持するものがあり、秦の王家の起源神話で神の使いである鳥と卵生がある。


 これは遼河地域やそこから南下した東海岸で多い伝承になる。卵生は扶余の神話と同じなる。元々はNしか山東省(魯)にはいなかったが、そこに5000年前の北方民の南下によって北部のハプロが後の時代には増えてくる。そうなると山東省のM117のルーツは扶余族がいた辺りになる。鳥は長江系かもしれない。山東省ではポピュラーな神話の動物になる。


 秦の戦国時代の地域から広がったのではなく、西方以外に全く別系統の遼河にも多いM117が南下して広がったんじゃないか?と見ている。この場合華族の遺伝系統が出るわけが無い。長く西方に居た秦から広がった人達ならこれは矛盾している。


 もちろん、現代の山東省には華族の遺伝子が強く出るだろうと思われる。だが日本の稲作伝来の時期なら多分日本にきた中華系の民族からその遺伝子は出ないだろうと予想される。


 なおかつ満州人ですらない。おそらく扶余とは満州=ツングース、内蒙古人=トルコとも違う遼河人だと思われる。遼河人が何者か?と言うとNが主体となる民族の様々な周辺民族との混血となる。


 弥生人はその中で長江を北上した稲作民との混血比率や黄河文明が混じった言語的影響が強かった民族と思われる。


 O1B2ばかり注目されるが、おそらくこの遼河北部と長江の間の東海岸を含むO系の子孫が縄文後期から弥生期に入ってきたと思われる。仮に日本の父系のO系ハプロが帰化した漢民族の系統だったとしてもそれは、過剰に出てるだけで、実際は名も無き中国東部に偏った遺伝の方が日本人にとっては重要だと私は見ている。


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