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第一章 第五幕

ボクのママは元勇者


 ん~……むにゃ……ねむ……まぶしい。

 カーテン隙間あいてる……たいよう、あさ……起床、する必要、なし。

 もう学校いってねえし、仕事、予定、ないし……寝よ。

 二度寝、さい、こう。

「こら、イーライ! もう朝よ! 起きなさい!」

 うぎゃ~~~! ま、まばゆい! 光よ去れ! 我闇を所望するものなりけり。

 ぐぇええええ! ふとん、ぬくいふとん、かえして、かえして……

「起きなさい! ママのいうこと聞けないの!」

 き、聞き覚えのない、澄んだ、綺麗な声が、俺を強制的苦痛的拷問的覚醒へと導く。

 地獄の悪魔か。

 目を見開く、そこには、言語に絶するほどの、背負った陽光の輝きさえ色褪せてしまいそうな、途轍もない美人が、いた。

 誰だ。

 天界の女神か、ひとびとを救世するために降臨した天使か、癒やしの精霊か。

 いや、違う。

 この美女は、昨日俺が出会ってしまった、女性だ。

 マリエルさんだ。

 彼女はそこに立っていた。

 腰に手を当て、前かがみになり、だぷん、と、うお……おお……感動的なほど美しく、そこらの女が見れば羨望と嫉妬で身をよじりそうな、途方もなく豊満なバストを揺すって。

 めっ、と、不出来な子供叱るしっかりものママの様相である。

 服装も、昨日の、動きやすくかつ、少し色っぽさもある、戦闘服ではない。

 昔亡くなったおかんの服を貸したやつだ。

 セーター、ジーンズ、エプロン。

 前二者は少し、いや、かなり、きつそうだ、特に胸と尻のあたりが……

 やべっ、さっき収まった俺自身が『また』おっきしそうだ。

 昨日はしてなかった眼鏡が、知的に輝く。

 あのときは魔力で矯正してたらしい。

 寝起きの若人を焦らせないで欲しい、俺も男なのだ。

「なんすかマリエルさん、まだ早いっすよ……」

 ぷいと背中を向け、不出来な我が身を隠しつつ、俺は言う。

 その台詞が気に入らないのか、マリエルさんは素晴らしく美しい顔にぷんすこと怒りを浮かべた。

「イーライ! この子ったらまたそんな言い方して! 自分のママにどういう口きくの!」

「あ、いえ、その……すいませんママ」

 そう、そうなのだ。

 彼女は出会ったときからこれだ、俺をイーライと、聞いたこともない名で呼ぶ。

 だから誰なんだ。

 巨大な霊石の中に封印(これも憶測に過ぎないんだが)されていた彼女は、どう考えても錯乱している、赤の他人を息子と間違えているのだ。

 そもそも、この家についた時も、ここはどこだと聞く始末だ。

 それでも俺がここで寝起きしているというと、ここに泊まるという。

 困った。

 困ったもんだ。

 俺は身を起こし、腕を組み、昨日のことを、振り返った。


 早朝から夕刻近くまで、まるまる半日以上を費やした禁足地探索の末、俺は名在り魔族の超鋼武器二振りと、霊石の一抱えある塊を持ち帰ることに成功したわけだが。

 帰宅は夜半になった。

 当然ながら、今から教会騎士団の詰め所や、治安官のところに赴いて、事情を説明するというわけにはいかない。

 いくらなんでも疲れ過ぎた。

 で、問題がある。

 マリエルさんのことだ。

 ぼくは家に帰るんでじゃあねばいばいさようなら。

 というわけにもいくまい、彼女をあんな場所から出しちまったのは俺だし、彼女は俺を息子と思い込んでる。

 俺はうちに泊めることにした。

 なぜかジェリがめちゃくそ怒って反対した。

「だめよ! 絶対だめ!」

 なぜだ。

 なぜお前がそんな顔を赤くし、ムキになる。

「だ、だって、見知らぬ女性とそんな……あ、あんたスケベじゃない! なにがあるかわかったもんじゃないわ」

 ねーよ! そりゃ俺だって若さを持て余してる野郎だ! 健全な少年だ! だからってこんな……うわ、改めて見るとやっぱ綺麗だ……

 いかんいかん、ぽーっとなるのを首を振って邪念を払い、俺は安心しろという。

 マリエルさんはきょとんとしていた。

 親子で一緒にいることのなにをどう心配されるか、分からないといった風だ。

「なにもねえよ、お前俺のこと信じてねえのかよ」

「でも、だって」

「早く休ませてくれ。明日はこのひとを医者に見せるなり、治安官に話すなりしなきゃいけねんだからよ」

「う~……」

 なぜか顔を赤くし、俯き、ちろちろと俺を見上げる。

 だからなぜだ! 俺そんな信頼ない!?

 てか、もし俺が妙齢の美女とそれはそれはおかしなことになったとしても、お前には関係ないのではないか。

 という俺の諸々の疑問をよそに、ジェリは家路についた。

「いい!? へんなことしちゃだめなんだからね! したらぶっ殺すわよ!」

 と息巻いて。

 へとへとの俺はそれ以上深いことは考えたくなく、我が家に帰る。

 そこでまた問題が浮上する。

 まず、マリエルさんは、俺が俺の家に帰ったことに、釈然としないらしい。

「ここ誰の家?」

 俺のうちっす。

「私達の家には帰らないの?」

 だからそれどこっすか。

「ええと、どこだったかしら……」

 まだ記憶が戻ってないか、とにかく明日まで彼女にはこの家で泊まってもらわないかん。

 ここが新しいうちっすよ、といっておく。

「そう」

 案外納得は早かった。

 とにかく、着るものは昔の、死んだおふくろのやつとか、婆ちゃんのものを引っ張り出す。

 捨てずに取っておいてよかった。

 胸のところと尻のあたりが窮屈そうだが、仕方ない。

「似合うかしら」

 そういって、彼女は首を傾げる。

 微笑して。

 いや、しかし、本当に……綺麗だ。

 胸がドキドキしてしょうがない。

 俺、もしかして初恋しちゃった?

 実を言うとこの歳になるまで恋というやつに縁がない、なにせいっつもジェリのやつがくっついてたし、女の子といい感じになる機会はなかった。

 辺境の人間が性に盛んだというのにだ。

 着替えると、マリエルさんは魔導冷蔵庫に入っていた食材から、すぐに料理を作ってくれた。

 見事なもんだ、伊達にママを名乗ってない。

 問題はその後だった。

 俺が風呂に入ろうとすると、彼女も一緒に入って洗ってやるというのだ。

 断固拒否! うん、たしかに、たしかに、男としてあなたの裸は、見たい、正直めっちゃ見たい! でもさすがに、その、恥ずかしいっすよ! 昨日だって上着を剥がされ、肩やら腕にキスされたのだ。

 マリエルさんの美貌と色香の前では、まだまだ成熟の足りないガキの俺だってどうにかなっちまいそうだ。

 必死に拒絶し、せめて風呂は別々に入り、なんとか就寝した。

 マリエルさんは「パパも早く帰ってこないかしら」と言っていた。

 なんとか彼女の身元を明らかにして、家族の元に戻さないと、俺はそう想った。


 んで、一日経った。

 俺はのそりと起きて着替え、飯を食った、マリエルさんの作った朝食だ。

 うん、美味い。

 それに……

 それにだ……

「――」

 俺はまた彼女に見惚れていた。

 後ろ姿である。

 素晴らしい。

 実に、素晴らしい。

 最高だった。

 まず、ケツだ。

 ジーンズを、ぱつぱつにしている、尻だった。

 超絶極上のデカ美尻。

 すらりと伸びた脚線美と、腰のくびれが、それを余計に強調している。

 うなじも、凄い。

 真っ白な肌、微塵の汚れもくすみもない。

 髪はポニーテールに結っていて、後れ毛が壮絶に色っぽかった。

 キッチンで動くたび、輝くような桃色の髪が揺れ、甘やかな匂いが伝わってくる。

 あと、なんといっても……おっぱいだ!

 ああ、くそ! なぜ男はこんなにもおっぱいに惹かれるのか。

 纏ったエプロンの生地を突き破りそうなデカメロン。

 俺は、思わず、はふう、と魅入る。

 見たこともないマリエルさんの旦那さんが恨めしくなってくる。

 俺も将来は、あんなおっぱいのでかい美人と付き合ってみたいもんだ。

 下品な話だが、男として、持て余す少年としての素直な気持ちだ。

 さて! そんなこんなで朝飯も食い、一日を始める支度ができたわけで、俺は早速、マリエルさんを外に連れ出した。

 まずは、病院へと、向かった。


 まだ魔導技術も確立されていなかった昔(そりゃもう考えられないくらい昔だ)ならまだしも、今時は治療魔法の発達で、ひとりの医師で外科も内科も様々に治療が可能だ。

 精神までその領分に入るのは、俺がいうまでもないだろう。

 辺境の街ではあるものの、いや、むしろだからこそ、魔導医療機関はそれなりのものがある、でなきゃ、モンスターなんかとの交戦、あるいは狩猟で、命を落としかねない。

 この街の先生も、おおよそ住人の罹患するありとあらゆる疾病と外傷を相手に、見事な施術をしてきた実績がある。

「おや、ダイチじゃないか。こちらの……じょ、女性は」

 一瞬、堅物で真面目な先生が、マリエルさんのあまりの美貌にぽかんとし、はっと意識を取り戻して、言った。

 ま、しゃあねえわな、まともな美的感覚のある男なら、いや、女でも、彼女を直視すればそうなっちまう。

 俺はどこから説明するべきか迷ったが、順を追ってきちんと説明した、こういう場合、なにか伏せてしまうとそれが思わぬ病の起因になっているかもしれない。

 ああ、当然、マリエルさんには一度席を外してもらい、先生だけに、言ったんだ。

「なるほど」

 先生は頷き、まず、マリエルさんを椅子に座らせた。

「では、ミス……いえ、ミセスマリエル、質問をよろしいでしょうか」

「はい。でも、先生ドクター。私どこも悪いところなんてありませんよ?」

「ダイ、いや、イーライくんが心配してるんです。どうか少しだけお時間を」

「まあ、そうですか。なら構いませんわ」

「どうも」

 最初に、状態観察と確認の魔法を発動し、マリエルさんの肉体状態を見る。

 どうやら、そちらにはまったく問題はなかったらしい。

 むしろ逆に、良すぎて先生がびっくりしたほどだ。

「凄いですね。これは。ここまで健康体の方は、初めて見ました。血流、魔導変換、内臓状態、経絡活動……あらゆる部分の生体状態バイタルパラメータが最高のものですよ」

「ふふ。どうもありがとうございます」

 次に、今度は問診に移る。

「お名前を、改めて伺ってもいいですか、ミセス」

「マリエル・シモノフです」

「女性に、あまりしていい質問ではありませんが。年齢は?」

「三五です。これは、ちょっと恥ずかしいですね」

 うっすら頬を染め、手を添えるマリエルさん。

 三五! まじか! まだ二十代で十分通用するぞ。

 こんな美人で、三十代半ばなのか。

 世間の奥様が聞いたら卒倒しそうだ。

「ご主人のお名前は」

「クロード・シモノフ」

「息子さんのお名前は」

 俺を、先生の視線が見る。

 マリエルさんも、俺を見た。

「イーライ・シモノフ」

 先生は俺を見ながら、なんとも言えない顔で眉根をしかめた、俺はなにも言えずに、続きを促す。

「お住いはどこですか」

「それは……えっと……あれ、おかしいわ……覚えているはずなのに、出てこないわ」

「そうですか。ミセス、こちらを見てください」

 そう言うと、先生は手を顔の前に出し、指の先に小さな魔法陣を形成した。

 俺も実際には初めて見るが、精神感応系魔法ということはわかる、催眠作用で相手の記憶や意識にアクセスする術だ。

 これで、マリエルさんの錯乱した意識も、ようやく戻るのか。

 彼女が去ることを考えると、少し寂しい気もするが、でも、やっぱりひとは自分の家に帰るべきだ、俺はそうあることを願った。

 だが、マリエルさんは――

「すいません先生ドクター。私、催眠魔法ヒュプノスは効かないんです。それくらいの術じゃ」

 目を剥いて先生が仰天した、俺もした。

 催眠魔法で意識へアクセスされるのを、防ぐ術は、たしかに存在する、たとえば戦闘中に無防備にされたらたまったもんじゃない。

 だがそれには防護呪符を用意したり、精神防御魔法を展開しなきゃいけない。

 彼女はそんな術を使う素振りさえなかった、ただありのままそこにいるだけ、それだけで人間の作った魔法術の効力を打ち消している。

 そんな人間が……いるのか? 存在するのか?

 先生はもう一度、今度は強めに術を編むが、結局なんの効果もなかった。

「ミセスマリエル。施術は、これで終わりです。待合室でお待ち下さい」

「ええ、ありがとうございました」

「それと、私は彼と少し話があります」

 施術室には、俺と先生だけが残された。

「どうでした」

「わからん。私もあんなひと見るのは初めてだ。大角熊でも一発で眠らせる私の催眠がなんの役にも立たん。ありゃ……聖都の大学病院レベルでないとなにもできんぞダイチ」

 辺境でも有数の名医で知られる先生が、匙を投げる、俺も初めてお目にかかる姿だった。

「どうして俺を息子なんて呼ぶんですかねえ」

 分かるはずもない問いを、俺は呟いた。

 先生は腕を組み、俺をじっと見つめた。

「もしかすると、タイチさんの昔の『相手』なのかもなあ」

「ええ!?」

 俺だって、その言葉の意味くらい分かる。

 タイチ、俺の、この間亡くなった爺ちゃんの名前だ。

「お前も聞いてると思うが、あのひと、昔は結構な男前でな。モテたんだ。あっちこっちで放蕩しちゃあ、お婆さんがそりゃあもう怒りに怒ってなあ。背中にでかい傷あったろ?」

「ええ」

「ありゃお婆さんがとうとうブチ切れて、これ(上段斬りのジェスチャー)よ。傷を塞いだのも、当時駆け出し医だった私だ」

「うへぇ、まじすか」

「まじまじよ。ダイチはタイチさんの面影あるからなあ。それで、自分の息子なんて思い込んでるんじゃないか」

「えええぇ!?」

「ただの憶測さ。君の親父さんは血の繋がりはタイチさんとないしな。どういう経緯かわからんが、森で封印されてしまって、それで錯乱して……魔法がかからん理由は、わからん。ともかく、私にできることはもうないよ。大学病院に行くなら、紹介状を書く。あとは治安官か教会騎士団で相談したほうがいい」

「そっすね……」

 俺はため息をつき、待合室に行った。

 マリエルさんは、ニコニコと笑顔で待ってくれていた。

 なにも役に立たなかったからと、治療費はロハにしてくれたことくらいが、せめてもの慰めだ。


「おう、どうした不良少年。このくらいの時間は、お前みたいな小僧は学校に行くもんだぜ。まだ学校にゃ戻らないか」

 治安官のおっさんは、そんな調子で、コーヒーとドーナッツを手に挨拶した。

 辺境の街じゃだいたいみんな知り合いか家族みたいなもんだ、気軽なもんよ。

 俺の爺ちゃんが狩りや魔物退治なんかで、昔から地域に貢献してたのも、でかい。

 お陰で助けられることもあるが、おせっかいも多い。

「学費がありゃ、しますよ」

「前から言ってるが、それくらい俺らがカンパするぞ。タイチのとっつぁんにゃ、俺ら治安官事務所も世話になったしよ。どうしてもってんなら、学校協会に散弾銃シャッガン持って交渉に行ってもいいぜ」

 でぶちん治安官は冗談かマジかもわからんことを言いながら、壁にかかっている、対魔物用四番ゲージ散弾銃を指差した。

 ここいらの荒事に慣れた田舎治安官ならやりかねねえな。

 俺は肩をすくめておっさんの言葉を聞き流す。

 そんないつものやりとりをして、おっさんは、先生と同じように、ぽーっと目を丸くし、頭の芯まで蕩けるように見惚れた。

 言うまでもないが、マリエルさんを直視してしまったのだ。

 うっかり手にしていたマグカップを落とすかと想った。

「このひとが、例の?」

 いったいどういう話の広まりかたをしているのやら。

 これが辺境だ、田舎だ。

 マリエルさんを連れてきたのは昨日の夜だが、もうきっと街中の人間が彼女のことを噂してるし、うちに泊まったことも把握してるだろう。

 先生は医療者の守秘義務を守るかもしれないが、受付のおばはんなんかは音速で隣近所に言うだろうしな。

「いやはや、こんな美人お目にかかったのは、初めてだ。ミズマリエル、さんでしたかな。ここの治安官をやっとります、ダニエル・ハーリントンっちゅうもんです」

「ええ、はじめまして。マリエル・シモノフです」

「どこかで、お会いしたことありませんかな? どうにも、そのお美しい顔を、なにかで拝見したことがある気が」

「まさか、初対面ですわ」

 にっこりと微笑み、首をかしげるマリエルさん。

 おっさん、あんたたしか結婚してたと思うが? どういう陳腐な口説き文句を言うのだ、奥さんに言いつけちゃるぞ。

「治安官」

 俺はかしこまった口ぶりで、促した。

 治安官のおっさんは慌てて帽子を被り直し、居住まいを正した。

「おっと、失礼。では……ダイチ、どうすりゃいんだ」

 俺に近づき、耳打ちする治安官。

 俺はとにかく、先ほどの話、そして、昨日あったことを諸々話した。

「お前、禁足地の森に行ったのか。俺は職務上お前から罰金を取るか、一日の拘置か社会奉仕活動を強いなきゃいかんぜ」

「そのことは後で話そうぜ。罰金なんて軽いよ、昨日の森で魔族の上位武器と霊石の塊を手に入れたんだ」

「まじか! おい、いい仲介業者に口をきく、俺に買い取らせろ」

 これだから田舎の治安官は品がねえ、でも俺よりいい値で取引できそうだ、候補に考えておこう。

「それより、まずはマリエルさんを頼むよ」

「オーケイ」

 ぐっと親指を立て、治安官は振り返り、装置を取り出した。

 装置といっても、小さいものだ、薄い金属板の上に、水晶ディスプレイがあり、操作用のパネルが横にくっついてる。

 テーブルのうえにそいつを置き、治安官はマリエルさんを正面に座るよう告げた。

「なに、すぐ済みます。そいつの上に手を置いてくださいますか、美しいご婦人」

「まあ、お恥ずかしいです。こうで、いいかしら」

 マリエルさんは、言われるままにした。

 一瞬、光が走り、マリエルさんの手の平を照らす。

 指紋と静脈パターンを読み取ったのだ。

 さらに、空中に浮かんだ魔法投影ディスプレイの光が、マリエルさんの、澄み切った黄金瞳も捉える。

 網膜パターンってやつだ。

 よほどの超々ド田舎の、それこそろくな魔導技術もない、ド辺境でもない限り、住民は登録している。

 人魔大戦から魔族の数は凄まじく激減したとはいえ、まだ繁殖力のある魔族は人間の世界のあちこちに生息しているし。

 犯罪の被害というのもある。

 遺体が出たさい、あるいは、捜査や探索の過程、犯人検挙など、身元を検める手段はあるに越したことはない。

 治安官は早速、データを照合する。

 魔導回線は引いてないが、光通信が『そら』を介して、聖都の大魔法回路にだってアクセスできるご時世だ。

 そして、治安官は……さっきの先生と、同じような顔をした。

 目を丸くして、首を振り、もう一度、自分の手元のディスプレイを見る。

「も、もう一回いいですかな。いやぁ。ポンコツはこれだから」

 同じ手順をした。

 同じ結果だった。

 信じられないという顔をした。

「ダイチ、いいか」

 マリエルさんが、俺をダイチと呼ばわれることに、不思議そうな顔をするのをよそに、俺は治安官と、彼の専用デスクの個室へ入る。

「なんちゅうことだ、彼女の個人パーソナルデータはどこにもないぞ」

「あ、ありえねえだろ、今時どんな人間だって少しは登録されてるはずだぜ」

「ああ。たしかにな、でもそいつは、ここ一〇年くらいの話だ」

「まさか……」

「彼女、もしかすると一〇年以上眠ってたのかもしれないぞ」

「まじかよ……」

 俺は、悲しくなった。

 もし、一〇年も行方不明だったら、家族は当然、生きてるなんて思わないだろう。

 もしかすると、彼女の家族のほうが亡くなってるかもしれないのだ。

 あんな綺麗なひとが孤独になるなんて、つらすぎる。

 治安官は腕を組む。

「どうしたもんかなあ。とりあえず、俺ぁ本局のほうに行方不明者の特徴を当たって、探してみる。何年も昔じゃ情報が消されちまってるかもしれない、今日明日ってわけにゃいかないぞ」

「その間、マリエルさんはどうすりゃいいんだよおっさん」

「ん~……こんな事情の案件は、初めてだからなあ。マニュアルもくそもねえ。教会にはまだ相談してないんだろう? 司祭様パードレのほうにも聞いてみるのが手だが」

 教会、この国、というか、人間世界で最も権威と歴史のある宗教組織、聖十字教会騎士団の、この地域での施設だ。

 他国でもそうだが、このヴィルドバッハ公国も例に漏れず、警察組織の治安局と、騎士団を有する教会とは個別に存在する。

 治安局は魔物の出現でも、人間の犯罪でも、あるいは、迷子の猫探しでも、動くが。

 教会騎士団は退魔討伐などの、魔界由来、霊的、呪術的な脅威に対して動く組織であり、同時に、洗礼や浄化、もちろん、結婚や葬式なども執り行う。

 だから、行方不明者、身元不明者の捜索では、俺はあまり教会には期待していなかったし、行くのも考えてはいない。

 それに、だ

 個人的なことを言えば、司祭様に、会いたくない。

 またどうせ、俺の普段の素行、学校を休学してることなんかを口酸っぱく言われる! 説教は嫌だ!

「でも、教会っつったって」

「じゃあ、ダイチ。お前んちでしばらく面倒見てやれよ。どうせタイチのとっつぁんが亡くなってお前も寂しいだろう」

「えぇ~!? お、俺がっすか!?」

「彼女、お前を息子だと思ってんだろ? 無理に教会に引き渡しても、渋るかもしれないぜ。なら一番穏便な方向で済ますのが手じゃないか」

「でも俺……」

 あ、あんな、とんでもなく綺麗で、しかも、しかも……どんな男もよだれを垂らしそうなむっちむち爆乳ボディの美女と、同じ家で生活する。

 とんでもねえ。

 幸せなのか不幸なのか。

 たしかに魅力的だが、手なんて出せない(そもそも俺は童貞だ!)し、気恥ずかしいにもほどがある(童貞だしな!)。

 俺が赤くなっていると、治安官はむっと目を細めた。

「でもなあ、おめえもタイチのとっつぁんの孫、だからなあ」

「またそれっすか」

「おう。俺はあのひとの若い頃は分からんが。ああ、初めてあのひとに会った時ぁ、たしかえ~っと、二〇、三〇年前だったかな、とにかくそれくらい昔だからな、あのひともまだ現役バリバリで戦える剣客でな。お前と年はまだ随分開いてる。でもな、もしあのひとが若かったら、おめえ、そっくりだぜきっと。髪の色、佇まいなんかもよ」

「はあ」

「だからおめえ、あのとっつぁんみてえな、女癖の悪さも血筋で引いてるかもしれんからなあ」

「またそれっすか!?」

「とっつぁんのやつ、こっちに来る前の傭兵時代にも同じ隊の女に手出したりしてるらしいしよ、それこそおめえ、婆さんが亡くなった後も娼館行くしよ。いやはや、お前があんな美人を手篭めにしたら、俺ら婆さんの亡霊に絞め殺されるぜ」

「しねえっすよ!」

「ん、そうか。なら、いいな」

 げ、ここまで誘導された!? と思いきや、治安官のおっさんは、にっと笑った。

「おめえなら信じてるぜ。間違いなんか起こすなよ。俺も探してみるからよ、それまで頼むわ」

「へい」

 上手いこと丸め込まれた気分がして癪だが、頷くしかねえ。

 とにかく、俺は踵を返し、事務所を後にした。

 せめてもの反撃に「あんま太るとベルト締まんなくなりますよ」と、もうパンパンになって、一番外の穴までバックルを下げてるガンベルトを指差すのだった。

 

 ど~するかな。

 俺は、マリエルさんを伴い、街をぶらり、ぶらりと歩いた。

 そのまま直帰するにはちと早いし、帰ってもやることがない。

 最善は、マリエルさんが記憶を取り戻し、身元が判明し、無事に帰れればよかったんだが、そのどれもが解決しなかった。

 なにも判明せず、宙ぶらりんのまま。

 なんだか歯に詰まったものが取れない気分だ。

 彼女を解放しちまった責任もあるし、しばらくは面倒を見るべきだろう。

 いや……うん、別に、それが嫌というわけじゃあねえんだ、むしろこんな綺麗なひとと一緒に生活するなんて、素晴らしいことだが。

 こんな(もう一度、ちらりと見上げ、その超絶な量感にごくりとする)でっかい、お、おっぱ、おっぱの……

 あー、ひとりで『する』ときどうすっか、悩ましい。

「ねえ、イーライ、今日の晩御飯ななにがいい?」

 市場を巡りながら、彼女は問う。

 なんでもいっすよ、と、そぞろに返す。

 また、だ。

 また俺は、ぽーっと彼女に魅入った。

 微笑みながら、歩くマリエルさん。

 格好は相変わらず、ジーンズとセーター、エプロン。

 別段驚くことのほどこともない、格好だ。

 けれど、それを纏っているひとの美しさが圧倒的だ。

 俺がこんな年上の美人と歩いていれば、いつもならば、見知った市場のおっちゃんおばちゃん連中が、ひやかしを入れようものを、誰もしない。

 あんまり綺麗すぎて言葉もでないのだ。

 さらさらとなびく、透き通るような薄桃色の髪は、太陽の光を浴びて、一種黄金のように。

 瞳は、これはもう、完全に琥珀のような色をしている。

 肌は新雪。

 いったい、こんな綺麗なひとを、どんなひとが射止めたんだろうかと、俺は見たこともないマリエルさんの旦那さんを想像した。

「あー、マリエルさ、いえ、ま……ママ」

「なぁに?」

「そのー……パパって若い頃、俺に似てた?」

「そうね、少し雰囲気は違うけれど、似てるわ」

 わお! まじっすか! 俺もあなたが若い頃に出会いたかったです!

 などと考えつつ、俺とマリエルさんは、市場で買い物した足で、牧場へ向かった。

 牛乳の買い置きも欲しかったし、チーズも買いたい。

 これが、ひとつの転換だった。

 遠景にのどかに放牧される牛や豚を見ながら、広い広い囲いの柵沿いの道を歩き、進む。

 そのとき、轟音が響いた。

 見れば、特別頑丈にこしらえてある畜舎が、鋼鉄のドアをひしゃげさせ、土煙を撒き、ひとの悲鳴と、太く低い獣の叫びが木霊する。

 基本的に、人里で飼われるような動物は、いわゆる『普通』のものだ。

 畜獣というやつだ。

 牛、豚、羊、鶏。

 だが、そうでないものを、飼育することもある。

 交配のためだったり、専門の研究機関に、売ったりするために。

 魔獣、魔物、魔界の地に生まれ血脈を宿す、化物を。

 うちの街のこの牧場でも、たまにそういう商いをしているのは、知っていた。

 それでも、今目の前で、のそりと動く巨獣の姿を見て俺は「まじかよ」と唸った。

 岩毛牛がんもうぎゅうだ。

 名前通り岩のような硬い体毛に全身を覆われ、高密度の筋肉と骨格を持ち。

 牛とは名ばかりの雑食性で、たまにほかの動物も食う。

 当然、凶暴で危険な生物だ。

 体格が小さければまだしも、そいつは、角の先から尻まで、優に六メートルはあった。

 体重は目方で二トンは超えていそうだ。

 華奢な鉄扉をひん曲げ、近くにいた人間を前足で振り払った衝撃でふっ飛ばす。

 ぎらぎらした目が、こちらを向いた。

「マリエルさん! に、逃げないと!」

 武器なんか持ってない、今は丸腰だ、とても素手でどうこうできる相手じゃない。

 ブチ切れた魔獣、それも、特別大きく屈強な個体は、昨日相手にした魔族のヴィッカーズほどでないにしろ、相当に厄介だ。

 なまじ知恵がないぶん、一度火がつくと死ぬまで暴れたりする。

 だが、そんな俺の言葉も、考えも、まるで届いていなかった。

「まもの」

 本当に、それはマリエルさんの声だったんだろうか。

 見上げた。

 長身の、彼女の顔を。

 別人の顔だった。

 見開いた目、虚ろな目。

 ぞっとするほど冷たい気配。

「魔物、魔物……魔物、魔物魔物……魔族」

 ぷつんと、なにかが切れた。

 ぱちりと、なにかが入った。

 そのなにかがなんなのか、俺にはまだわからなかった。

 マリエルさんは、その場で、市場で買った諸々を、地面に落とした。

 そして、ゆらりと、前に出た。

 死んだ。

 俺は、自分が、死んだかと思った。

 全身の細胞が悲鳴を上げた。

 鬼気、殺気、殺意……目に見えない気迫が、想像を絶する魔力とともに、放射される。

 なんだ、これ、なんだ、このひと。

 なんだ、なんだ、なんだ。

 よく、小便を漏らさなかったものだ。

 震える俺を残し、彼女は、進んだ。

「まってて、すぐ、おわるから」

 消えた。

 マリエルさんの姿が。

 俺の目の前で霞んだのが、彼女の残像と気づくまで、何秒かかかった。

 地面を刳り、一定の感覚で路上に土煙を生むものが、彼女の足跡だった。

 距離は、およそ五〇……いや、七〇メートルくらいだったかな。

 いくら魔力強化するにしたって、一瞬で詰められる距離じゃない。

 それが零になっていた。

 マリエルさんが、長い髪をひるがえし、エプロン姿のまま、岩毛牛に躍りかかるのを、俺はようやく認識した。

 絶叫が上がった。

 ひとじゃない、魔物が上げた声だ。

 鳴き声だ。

 泣き声だ。

 まず、一撃。

 拳だった、んだと思う。

 距離があったし、あまりに速すぎて、自信がない。

 顔面を捉えていた。

 角が折れ、特大口径ビッグボアライフルや、魔力力場を纏った騎士剣でも簡単に傷を与えられない、岩毛牛の骨格が、冗談みたいに抉られた。

 紙箱みたいに。

 血と唾液と恐怖の雄叫びを上げ、転げ回る魔物。

 虐殺ショーの始まりだ。

 次にマリエルさんは悠然と歩み寄り、蹴った。

 下段の回し蹴りだ。

 大木のように太く、大木よりも頑丈な魔物の前足が、膝から下を消失させた、どれだけの速さと重さを持った打撃がそんなことを可能にする?

 もはや戦闘などでなかった。

 マリエルさんは、いったいいつ見咎めていたのか、近くにあった、作業用スコップを拾い上げた。

 輝く。

 魔力光だ。

 彼女の瞳と同じ、黄金の光を纏い、ただの鉄製の、ありふれた道具が、魔導騎士武器以上の兵器になった。

 一斬。

 初手で牽制、二撃目で動きを封じ、微塵の躊躇も隙も無駄もなく、彼女はそれで魔物の首を刎ね飛ばした。

 もの凄い量の、シャワーみたいな血飛沫が散る。

 笑い声が、聞こえた。

 クスクス。

 クスクス。

 と。

 まるで、楽しいお遊戯を覚えた、小さい女の子みたいに。

 聖母のように優しく、天使のように可憐なひとは、俺の『ママ』は、くるりと振り返った。

 全身をなまぐさい血に染め上げて。

「ほら、もう大丈夫。安心して。ママがやっつけてあげたから、ね? もう大丈夫、怖くないわ、イーライ」

 震えていた。

 地面が、地震を起こしているのではなかった、俺の足だった。

 怖くて泣き出しそうだった。

 なんだ、これは。

 なんだ、こいつは。

 こんな力は、人間じゃ、ありえなかった。

 俺は尻餅をつき、生まれて初めて目にする、想像を絶する『存在』に怯えた。


第一章 第五幕【ビッグ・マッド・ママ】

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