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第一章 第十三幕

ボクのママは元勇者


「本当にいるんだろうなあ」

 隊の班長、ロッシが、誰に言うとでもなく口にした。

 全員が、薄々感じていたことだ。

 最初に索敵探査陣エリアサーチで、かなり出力の高い魔力反応を発見した魔道士は、眉根をひそめる。

「俺の間違いだってのか? 信用がないね」

「そうは言わんがよ」

 だが、腰や背に吊った武器の重さは、険しい山野の探索に、少しばかり応える。

 おまけに、なかなか獲物らしき影もない。

 獲物――魔族だ。

 今を遡ること五〇年前、人魔対戦の終結、勇者による魔王撃破に伴い、かつて人類を追い詰めたモンスターたちは激減し、むしろ逆に、狩られる側に回ることが多い。

 彼ら、ロッシを先頭にした小隊、個人運営による魔物狩りの狩人が生業なりわいにするほどに。

 魔族の骨や牙、爪、その他様々な器官、あるいは、かなり希少であるが、高位魔族の所有する宝具など、魔導研究のからすれば宝の山である。

 新たな素材、道具、魔法術式、魔族を研究することで進化した技術は数知れず。

 大の大人が六人組んだこの隊も、かれこれ一〇年以上、飯の種に食いっぱぐれたことはない。

 そこに来て、今朝方の、探査術での発見である。

 偶然、この付近で採集をしていた隊が、探査の網に引っ掛けた、巧妙に魔力波形を拡散した反応で、もしかすると、転移魔法で移動した高位個体かもしれない。

 オークやゴブリンのような、肉体の頑健さや繁殖力が売りなだけの雑魚ではない、術を使う高位魔族など、またとない希少種レアだ。

 ロッシ隊はそうして、全員がきっちりと装備を堅め、森と山の混沌に踏み込んでいった。

 禁則の森も近く、多少危険度は高いが、全員がベテランだ。

 勝てない戦いはしないのがプロである。

 だが、行けども行けども、一向に、高位個体どころか、雑魚モンスターさえいないのである。

 これはどういうことか。

 さすがに皆も不審がった。

「出なきゃ出ないでかまわんさ、近場の古代文明遺跡でも漁りに行くってなどうだ」

 隊の中でも、骨と肉の厚みでは群を抜く男が呟いた。

「さすがタン・ロン、言うことが違うな。あそこはけっこう危険だってのに」

 肩に担いだ方天画戟ほうてんがげきも軽々とした、この男は、彼らの中でも一番に敵に切り込む先鋒、西洋系アングロサクソンだらけの隊でも珍しい、東洋系モンゴロイドの様相をしている。

 かつては、退魔の聖殿せいでん白煉寺びゃくれんじ白煉僧びゃくれんそうをしており、一度出家した身であるが、俗世の煩悩絶ち難く、こうして武芸を売りに兵となった男である。

 隊を預かる長のロッシと、このタン・ロンが切り込めば、遅れをとることはまずない。

 ロッシは顎を撫で、伸びた無精髭を確かめつつ、考えた。

「この間、ダイチのやつがあそこで色々漁ってたからな。あそこの兵器恐竜メカニカルダイナソーどもも、まだ気が立ってるかもしれねえ。どうするかな」

 ダイチ。

 フドウ・ダイチという少年だった。

 近くの人里の街に住み、将来は剣士として身を立てたいとして、日々様々な荒事、危険をこなしている。

 彼はひとりで探索や収集に行くこともあるが、たまにロッシたち、大人のプロのハンターの編成に申し込んで入ることもある。

 まだ一四の小僧だが、腕っ節は確かなもので、下手をするとロッシでも遅れを取りそうなほどセンスがいい。

 さもありなん、ダイチの祖父、フドウ・タイチは、このあたりで武芸に生計たつきを置くものなら、知らぬもののいないほどの剣客けんかくであった。

 ロッシたちも、まだ若い駆け出しの頃は、タイチ老の世話になったものだ。

 ダイチを邪険にするどころか、むしろ進んで隊に加えたいと想っているほどだ。

「あいつ、レーザー・トリケラトプスから逃げ回って、周囲を焼け焦がしたらしいな」

「剣自慢にしても、飛び道具が主の古代兵器相手にゃ分が悪いだろうよ。俺らとまた組めばいいもんを」

「戻ったら、どうだい、あいつを本格的に、うちの班員にしないか?」

「ああ、そうだな。タイチのとっつぁんにも、世話になったしよ」

 そんな他愛ない会話を交わしつつ、男たちは、気づかぬうちに、死地にそろりと、足を踏み入れた。

 瞬間、先頭を歩いて、魔導杖まどうじょうかざし、探査術を走らせていた道士の首が、消えた。

 遅れて桃色の断面は真っ赤に染まり、上に向かって、場違いなほど滑稽な風の鳴る音、噴水の血潮を振り撒いてぶっ倒れる。

 あまりに呆気ない、予想だにしなかった死と喪失に、反応が遅れ。

 だが、すぐに全員が、さっと散って武器を構えた。

「これはこれは、まさか我らの位置を探られたか」

「いや、偶然であろう。ヴォルカニックの隠蔽魔法術は確かだ。おそらく、転移時の微細な波動に誘われた小物よ」

「ならば後続の本隊なぞは、おらんかな」

 身構え、恐怖と混乱、怒りに染まる男たちを前に、その巨躯の影たちは、まるで緊張した風もなく語らう。

 今しがた、ひとりの首を刎ねたことも、些事さじも同然であった。

 三騎、巨躯はゆるりと、泰然たいぜんに佇んでいた。

 揺らめく赤い魔力の波紋が、筋骨隆々の肉体よりにじみ出る。

 一騎は馬。

 一騎は猪。

 一騎は豚。

 人間に似た屈強な体の上に、野生獣の頭、獣人である。

 苦もなく人語を語り、それぞれ手には、魔界の超鋼を鍛えた宝具が、ギラギラと凶暴な刃光じんこうたぎらせていた。

「では、とっとと狩るか」

 先頭に立った馬首頭が、飛び出した。

 重々しい風切り音を立て、肉厚を極める長斧が大気を引き裂く。

 当たればまともな人間などひとたまりもあるまい。

「舐めるなぁ!」

 これを、屈強自慢のタン・ロンが正面から方天画戟にて受け止めた。

 曲がりなりにも白煉寺にて白煉拳法を納め、法師の位にまで成った男である。

 練功達者にして法力強く、手にした戟刃げきじんは穂先にて青白い氣を光らせた。

 上背で勝る上位魔族を相手に、真っ向刃軋らせながら、後退しない。

 これには敵も驚いて顔色を変えた。

 背後から、残る二騎の獣人魔族も、遅れて飛び出す。

「来るぞ! 迎え撃て!」

 ロッシが叫び、彼も剣を手に執って突進、仲間たちも、武器を手に躍り出た。

 刃と刃のぶつかり合い、魔法弾の放つ眩い閃光と衝撃、爆発、炎。

 五人の人間と三騎の魔族は、数の差こそあれ、拮抗した勝負を見せた。

 魔族も高位なら、ひとの魔狩人たちも歴戦の勇士である。

 どちらも互いにひけを取らぬ。

 均衡を崩したのは、魔の側に属する、新手だった。

「なにをゴミどもと戯れておるか」

 低い、地の底から響くような声が、ぞろりと転がった。

 恐怖が走った。

 魔族の三騎に、である。

 彼らは、自分たちの長の屈強さを、身をもって知っていたのだ。

 背後の木々を、巨体で払いながら、それは出てきた。

 白煙が濛々と上がる、熱気に枝葉が焦げていた。

 三騎をさらに超す肉厚の、筋肉の塊。

 頭は、牛だった。

 手には、巨大な戦槌が、業火をくすぶらせている。

 声もなく、震え、ロッシは絶望の苦い味を、舌の奥に感じた。

「どけ、我が片付ける」

 そう告げて、かの巨魔は、圧倒的破壊の力で、ロッシたちへ迫った。

 次の瞬間どうなるかを、知ってか、それとも、知らずか、最後まで彼らは勇敢に戦った。

 といっても、時間にすれば、ほんの二分足らずであったが。


 はぁ~~~~~。

 俺は、なんだか、こう、今に、満足している、気がする。

 どうも、フドウ・ダイチです。

 金が入る。

 入りそう、と言うべきか。

 この間の、禁則の森での収穫、マリエルさんを封印していた、霊石の塊いくつかと、ヴィッカーズともう一騎の悪魔の宝具を、治安官のおっちゃんを介して、聖都のオークションに出したのだ。

 まだ入札はされてないのだが、見積もりでは、爺ちゃんのこさえた借金のほとんどを支払えるくらいにはなりそうなのだ。

 これでかつかつの生活をせずに済む。

 あの放蕩道楽ジジイのおかげで、学校もドロップアウトして、この歳であれこれやばいヤマをしなきゃならなかったのが、一気に解決しそうなのだ。

 まだ完済でないにしろ、これは朗報だ。

 もうちょい仕事をすれば、またぞろ学校のカリキュラムに戻ることはできるだろう。

 剣士に学歴はいらんかもしれんが、学校には友人らもいるし、なるたけ卒業はしておきたい。

 辺境でも最近じゃ、一八までの学校歴はあるのが普通だ。

 とまあ、それは、ともかく。

 見積もり予想額の手紙をぺらりとめくりながら、俺はテーブルに腰掛けている。

 テーブルの上には、マリエルさんの焼いてくれたクッキーと、淹れてくれたお茶があった。

 もぐ、ふぐ、もぐもぐ、ごく。

 うまい……

 ちらりと視線を横へ流す。

 はうぁあああ~、目が溶けるかと想った。

 マリエルさんは、ソファのほうに腰掛けていた。

 服装は、ふんわりとした生地の、カーディガン姿である。

 当然なのだが、いつものように、胸元だけは、あまりに胸が大きすぎて少し突っ張っている、それが……たまっっっらん!!!

 くぅ、俺、男の子に生まれてよかった、本当にそう想う。

 マリエルさんは編み物をしていた、どうやらマフラーらしい、誰のためにか。

 え? わかんない? えへ、ふひひ、俺に決まってんじゃないっすか。

 まあ、そりゃ、彼女は俺のことを息子と思い込んでるわけで、異性的愛情というものとは違うのだが、あれほど素晴らしい美人に手ずからものを作ってもらうというのは、やはり嬉しいのだ。

 美味しいお菓子を食い、とてつもねえ超絶美人の横顔に見惚れ、漫然と過ごす。

 いい……いい時間だ。

 俺はひたすらに、ぽけっと過ごした。

 そんな時間が無限に続けばいい、誰もがそう想うだろう。

 実際はそう想ってから三〇分で終わった。

 俺がもう一枚クッキーを食おうと手を伸ばした瞬間、家が揺れた。

 というか地面が揺れた。

 どごぉお、と音を立て、爆音がびりびりと窓を震わす。

 俺は間抜けに、口をあんぐり開けたまま、クッキーを落とし、なにごとかと外を見る。

 そのとき、ソファに腰掛けていたマリエルさんが立った。

 思えば、俺なぞより遥かに魔導感覚の優れた彼女は、即座に全てを看破していたのだろう。

「――魔族」

 ぽそりと口から零した言葉と共に、優しげだった顔が豹変する。

 白い手が眼鏡を、日常生活のためにあるそれを外し、あらゆる戦闘行為を完璧にこなすために、魔法術による視力矯正と対魔導探査が、彼女の瞳の黄金色を、刃のように輝かせるのを、俺は遅れて、ようやく見たのだった。

 爛々と夜闇に踊る猫科獣のように目を輝かせながら、マリエルさんは、笑ってた。

 恨みを晴らせる喜びに、童女のように、だが、凶悪に、魔人と化して。


 転移魔法で敵対存在に近づく場合、いきなり相手方の目の前に出る、ということはない。

 まず、最低限条件として、正確な向こうとこちらの、空間的座標の把握。

 そして、転移の方法、これは空間にゲートを開け、そこを通って目当ての場所に行く。

 ふっと姿を掻き消し、次の瞬間には目の前に、とはいかない、何故なら転移先の空間には既に『物体』が満ちているからだ。

 尖った剣先はもちろんのこと、大気中にも様々な分子が浮遊している、そこに物体を直接送って置換すると、危うくすれば体内に異物が挟み込まれてしまう。

 ゆえに、転移魔法とはまず、空間にトンネルを開通し、そこを通る。

 トンネルの出口も、敵から離して設置する。

 何故ならば、空間を歪曲させて門を開ける際、術に覚えのある魔道士は探知できるからだ。

 大都市ならば常に魔導波動感知装置マギリンググラフが設置されており、敵国、犯罪者、反政府主義者テロリストによる遠隔転移攻撃に備えており、また、ジャミングをかけることもできる。

 最低でも一~二キロは離して設置し、そのうえで、気配と魔力の隠蔽魔術もかければなお良い。

 まさにこの定石を、ひとならざる魔族が実行していた。


 誰も見定めるものない、天空。

 その日は快晴だった。

 どこまでも、果てしなく、突き抜けるほどに蒼き大空。

 雲は陽の光を浴びて燦然と白く輝き。

 これほどに美しく、これほどに広く、これほどに心地よいものがあろうかと。

 そこに、突如として異物が出現した。

 魔法陣だ。

 卓越した人間の術者でも、転移魔法で広げられる門の大きさは、そう大きくない、せいぜいが一メートルか二メートルほどだ。

 開けていられる時間も短ければ、転移魔法を行える術者など、世界でも数えるほどしかいない、これが、魔導の発達した現代においても、転移魔法が交通や運搬の主流足り得ず、各国の王宮や軍お抱えの、切り札として温存される所以ゆえんである。

 まだ、ひとは馬や汽車などのものに、頼らねばならないらしい。

 だが『それら』は違った、『そいつ』は違った。

 複雑な形状と文様を描く魔法陣は、優に数十メートルの直径を誇る。

 ぱっくりと奈落のように広がった穴は、一瞬で消えるようなこともない。

 深淵より、かのものはいづる。

 轟っ、と。

 天の陽もかげらんとばかりの巨躯、象どころか、鯨ほどもある太い胴、長い尾。

 逞しく雄々しい角と、全身を覆う鋼鉄以上の硬度の鱗、仔細に見れば、その上に刻まれた古ルーンのしゅの式を読めるだろう。

 なんと巨大で神々しい、翼はためかす様相であろうか。

 久方ぶりに自在に自慢の羽根を広げ、高高度の薄い大気を捉え、揚力に転じて飛翔する心地よさに、魔界最強竜は咆哮を上げた。

 自由の雄叫び。

 かつて、我はこの世界の天を求め、魔の王の家臣となったのだ。

 と。

 泣きたいほどの気持ちよさ、怒り狂いたくなるような憤り。

 魔界の澱み汚れた空気でない、清浄な酸素と、美しい空。

 もしかすると、不浄の人類などよりも、世界には彼らのほうが相応しいのかもしれない。

 大いなる翼の二つ名を持つ、巨竜、ヴォルカニック卿は、その身に満ちる魔力を解放する。

 全身のルーンが輝き、翼の後面、尾の先端から、魔力の熱がプラズマ放電と成り、ヴォルカニックの巨躯をさらなる加速へと導いた。

 彼は自分の通ったもの以外にも、無数の転移門を開けた。

 竜の長に続き、人界の各地に落ち延びたもの、魔界に潜み雌伏していたもの、翼持つ空の支配者たち、竜種の群が、続々と出現した。

 人間からすれば、それは悪夢に等しい光景だったろう。

 だがその悪夢は、なんと神々しく、美しかったか。

 自由に大翼を広げ、咆哮を上げ、天を駆ける竜たちは、人類への敵愾心を除けば、さながら芸術の如く映る。

「主! ヴォルカニック卿!」

「下知に応じ、我ら馳せ参じた次第!」

「今日こそあの化物に、報仇の息吹を浴びせてやりましょうぞ!」

 都合一〇匹以上にもなる上位竜たちは、口々に、人間の言葉でヴォルカニックに叫ぶ。

 ひとの言葉、人語、これを人間たちが独自に編み出したなどというのは、これは、人間たちのおこがましい慢心だ。

 言霊も魔導の術のしゅも、鉄も霊も月も空も、この世に在る様々な諸々は、かつてまだ世界の形がこう成る以前、創造神を始めとする上位存在が手を加えたものである。

 知恵も回らず、個の寿命も短い人間どもは、今やそんな太古の事実を知らぬ。

 唯一、魔界の上位存在と、かつてその神霊の力を以て君臨した竜種は、先代らより万古の事象を伝え聞いている。

「よくぞ集った我が同胞はらから。神の玩具の化物、やつの命も今日潰ついえようぞ。待っておれ、勇者」

 怒りを炎の息吹と零しながら、ヴォルカニックは加速する。

 遅れて配下の竜たちも、稲光のような輝きを翼に孕み、轟々と大気を引き裂いた。


 のどかな日和。

 何ごともない日常の一幕。

 そういう日であるはずだった。

 そういう常識であるはずだった。

 まず最初に出た被害は、やはり最速にて天空を駆け巡る、万象自在ばんしょうじざいの超越種、竜の力だった。

 田舎の辺境であるが、それなりに、大きさだけはある街だ。

 外壁には小型の魔物を遠ざけるような、破邪の術が書いてあり、そうそう来ない、まず見ない脅威を廃するべく、兵があくびをして目をこすっている。

 彼が一番初めの獲物だった。

 狩った相手からすれば、獲物と呼ぶほどもない軽いものだったが。

 いきなり頭上を覆った巨大な影に、あんぐり口を開けた男は、そのまま見上げ、自分の頭に被さる爪と足を認識した瞬間に、思考を脳髄ごと粉砕された。

 被っていた鋼鉄のかぶとなぞないも同然だった。

 竜の爪と牙は、並の錬鉄れんてつなぞ紙くずに変えてしまう。

 外壁、門上もんじょうに立っていた歩兵を軽々捻り、竜は門の上に、彫像の如く美しく立って叫んだ。

「竜族、飛竜種が末裔、ヴァルトロ! 一番乗りであるぞ! さあ、誰でもかかって来るが良い!」

 完璧な人語による、古式ゆかしい戦の名乗り口上。

 門の周囲にいた、兵たち、検問所の職員が、あまりにことに、なにも認識できず、ただただ唖然と口を開ける。

 当たり前だ。

 上位魔族など、見たこともない、付近に出没する魔物で、脅威になるものなど、最近ではめったに見ない。

 それが、いきなり、なんの予告も察知もできず、上位種の竜が出たのである。

「あ、ああ……うわぁあ!」

 数秒の遅滞を経て、ようやく、なんの抵抗の力も持たない、事務職員が、持ち場を放棄して駆け出した。

 それを合図に、悲鳴のような声を上げながら、番兵たちが、剣を抜き、銃を構える。

 反応を悠々見ながら、竜、ヴァルトロは口を開けた。

 禍々しい牙が並ぶ口腔の内から、体内器官に蓄えられた、可燃性ゲル液が、高出力で噴出する。

 そこに、酸素の供給と、着火を魔力で行った。

 遥か太古から、あらゆる文献と記録に恐怖の象徴の如く語られし、竜種の火炎息吹ドラゴンブレスであった。

 兵も、その詰め所も、瞬く間に高熱の赤い下にねぶり尽くされた。

 生きながらの火葬は文字通り地獄だったろうが、数秒で炭化して死に至ったのは、ある意味で慈悲深い。

 もがきながら砕け崩れる焼死体を満足気に眺め、ヴァルトロは咆哮を上げた。

 僅かに遅れて到着した、他の竜種たちが、次々に降下し、背の高い建物に爪を立てて着地、火炎の吐息で街を舐める。

 またあるものは、上空を旋回しながら、火炎弾を射出して爆撃。

 主たるヴォルカニックは、何処で翼をはためかせているか。

 そう考えていると、ようやく、愚鈍な牛と配下どもが来た。

「これはこれは、失礼をしましたな、ゾブロ大公殿。我ら竜種はいささかに、気が短いもので」

 本来ならもう少し、襲撃のタイミングを合わせる手はずだったが、竜たちは先んじて一番乗りの戦功を上げた。

 燃え盛る炎獄の主、ゾブロ大公と、配下三騎は、怒りも露わな視線をめつけつつも、ぐっとこらえて、低い声を呟いた。

 今は同軍で相争あいあらそうときではないのだ。

「やつはまだ来ておらぬか」

「居場所が分かれば、真っ先に我らが爆撃を行っておりますぞ。気配は薄く感じるのですがな。なにぶん、人間の数も多く、日常生活程度では、かの勇者もさほど魔力は発露せぬようだ」

 構わない、どうせ街全てを火炎地獄に変えてでも、いぶしだすつもりだ。

 かつて同族を数え切れぬほど『駆除』された竜もまた、怒りと憎しみに煮えたぎっていた。

 ゾブロもそこは等しいが、先日の敗北のためか、はたまた、淫魔鬼ウェザビーと閨房けいぼうにて契り、溢れそうなほど力がみなぎる影響か、くぐもった低い声で、答えた。

「なに、どうせ、すぐ来る。あれはそういうものだ」

 巨大な鉄槌を構え、配下の三騎と連れ立って、彼もまた、索敵とは名ばかりの蹂躙を開始した。


「ちょ、ま、マリエルさん! マリエルさんってば!」

 いきなり、カーディガン姿のまま、サンダルをつっかけてベランダから外に出たマリエルさんを、俺は慌てて追いかけた。

 忘れそうになった爺ちゃんの愛刀は掴んでいる。

 マリエルさんはふらふらと、外を見る。

「ママでしょ」

 そぞろな声がぽつりと答えた。

 やばい、なんか、やばい。

 ぴりぴりと、このひとから、とてもひとと思えない鋭い気迫が伝わってくる。

「ま、ママ……あれは……」

「魔族ね。ふふ……あの蛆虫ども、わざわざ私のところに来るなんて。面白いわ。イーライ、おうちで待ってて。ママ、すぐ戻るから、隠れてるのよ。いいわね」

 振り返り、マリエルさんは、しゃがんで、俺に視線を合わせて、微笑む。

 いつもどおりの、綺麗で優しい笑顔。

 なのに、なのに――目だけがやばい。

 やばい。

 正気の光を失っていて、彼女自身も、かろうじてひとの姿をしている『なにか』のようだった。

 その『なにか』がなんなのか、俺にはとても見当もつかない。

 彼女をひとりで行かせるわけにはいかない。

「俺も行くよ」

 皮の刀帯スリングで剣を腰に吊るし、慌てて穿いた靴の紐をきつく締めた。

 魔族の襲撃、きっとマリエルさんを狙って来たんだと思う、魔王が死んだとはいえ、まだ上位魔族を根絶はできていないと言われている、マリエルさんを封印したのがやつらなら、また襲いかかって来てもおかしくねえ。

 マリエルさんがいくら強いといっても、封印の術の仕様によっちゃ、まだ全力は出せないかもしれない。

 まだ未熟のガキとはいえ、俺だって男だ、こんな美人をひとりで危険な場所に行かせられない。

 だが、マリエルさんは困ったような顔をした。

「ダメ。危ないわ、あなたは隠れてなさい。ママの言いつけよ」

「それこそダメだ! その……あんた、いや……ママだって危ないだろ。俺は戦えるよ、この間だって、連中の仲間をひとりでやっつけたんだ」

「……っ」

 俺が強く言うと、マリエルさんは、柳眉を歪めて顔色を変えた。

「ママのいうこと、聞けないの?」

「こればっかりは――」

 俺は重ねて、マリエルさんに抗議しようとした。

 そのときだ。

 視界の隅で、なにかがふっと霞んだ像を刻んだのを、見た。

 今から思えば、きっと、それはマリエルさんの手だったんだと思う。

 俺の顎先に、それは当たった。

 脳みそを揺さぶられた俺が、意識を手放す。

 俺は自分が気絶することさえ気付かず、その場でくずおれた。

 ジェリがやってきて俺を起こすまで、それから、何十分も必要だった。

 そして、マリエルさんは、俺を横たえ、カーディガンを上から被せて、その場を後にした。


 隣町にまで行く主要道路の、大門から、凄まじい魔族の大襲撃は、次々と家屋やひとを焼き、悲鳴と絶望を生んでいく。

 空からは火炎の息吹が降り注ぎ、気まぐれな破壊の雨として爆音を刻んだ。

 教会司祭、タロン・ブラックは、久方ぶりに剣を腰に差し、胴当てを纏って馬を駆った。

 その道すがら、対魔獣用の大口径四番ゲージ散弾銃を担ぎ、背には肉厚の破砕斧を吊るした、治安官のダニエル・ハーリントンが、部下を乗せた馬車に同乗した姿で、急ぐのに、合流する。

「おお、これは司祭しさい。勇ましいこって」

「あなたもだ、治安官。未だに現役というのは本当のようで」

 被り慣れ、頭に同化していそうなテンガロンハットをひょいと上げて、禿頭を見せて挨拶する治安官。

 これから死地に赴く気負いはどこにもない。

 司祭も司祭で、さながら茶飲み話の如く応えるのだ。

「いつ以来ですかな。こうしてわしらが一緒に魔物退治に行くなんて。司祭様パードレ

「まだタイチ氏が存命の頃でしょうか。ざっと、二〇年以上は前だ」

「魔族の数が、今よりもうちっと多くて、凶暴だった頃ですなあ。いやあ、懐かしい。タイチのとっつぁんがおれば、楽だったんですが」

「ないものはねだれませんよ」

「ですなあ」

 やがて、轟々と、破壊と殺戮の音色と、禍々しい気配が近づいてくる。

 若い部下たちは、皆、等しく冷や汗をかいていた。

 年配の指揮官ふたりだけは、なおも軽口を興じた。

「やっぱり、あのお美しいご婦人を狙って、でしょうか」

「でしょうね」

 マリエルの素性を、司祭は治安官には話していた。

 この地の平和を守る司直しちょくでもあるし、気心の知れた友人でもあり、また、彼も若い時には、マリエルの武勇を聞いて研鑽に励んだ戦士でもある。

 治安官がマリエルの顔に見覚えがあったのも、訓練校時代の教育で、かの貴人の肖像画を見ているからだ。

 本来なら、マリエルにまず助けを求めたほうが良かったのかもしれない。

 だが、彼らはこの街と地域を守るために鍛え、編成され、糧を得ている戦闘階級なのである。

 最初に偵察と応戦をする義務を有する職種なのだ。

 正義は、悪を前に、退くことを許されていない。

 それが誇りであり意地だった。

 命よりなおも重い。

「いやあ、わしぁ誇らしい。あの伝説の勇者様を守るために戦えるんだ。腕の振るい甲斐があるっちゅうもんですわ」

「無理は禁物ですよ。命を捨てるのが任務ではない。まずは市民の避難と誘導、そして守護。その為に戦うのです」

 それが、命懸けであっても、だ。

 ついに、馬車の眼前に、ゆらゆらと陽炎で霞むシルエット、焼け付く熱気と魔力を纏う、猪頭の魔獣が、超鋼にて拵えたハルバードを構え、出現する。

「さあ、野郎ども! 我が街の治安官事務所の底力見せてやろうぜ! 無駄飯食いじゃねえってとこ見せてやんな!」

「皆構えろ! 射撃魔法! 銃撃! 掃射開始! 撃ってから斬りこめ!」

 散弾銃を構えた治安官が吠え、司祭が騎士の本分を取り戻し、腰の佩剣を抜く。

 最初の遭遇戦は、壮絶な爆炎と銃撃、剣戟の彩り、刃と死に、彩られた。


第一章 第十三幕 【皆殺しの雄叫びを上げ、殺戮せんそういぬどもが野に解き放たれた】

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