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第一章 第十一幕

ボクのママは元勇者


 唸りを伴い吹きすさぶ風の凄まじさよ。

 高く連なる峰々は、天にも届かん地の嘆きか。

 そこは人間の住むことのできない高峰であった。

 薄い酸素、万物を凍てつかせる冷気、酷烈な地形。

 存在を構成するありとあらゆる要素が、ひとはもちろん、生物の生存環境を否定している。

 まだ先史文明が華やかなりし頃でさえ、こんな場に住もうというものはおらず。

 夢見る冒険者、高山を攻略することに命を懸ける粋人たちのみが、気力を振り絞って挑んだくらいだろう。

 その、高い高い山の中腹に、それはあった。

 硬い岩と凍りつく白雪のみが彩る中に――城が。

 まるで、たちの悪い冗談のようだった。

 如何にひとの科学と魔導を費やそうと、こんな場に、立派な石造りの城を建てるのは、酔狂を通り越して悪夢の領域である。

 しかし幻覚でも見間違いでもなく、確固たる物理存在として、城は屹立していた。

 ひとに作れず、ひとは住まず。

 ならばそこに居るのは、ひとであるまい。

 事実、この日この城につどった諸々は、いずれ劣らぬ魔界の超常種であった。

「まったく、来づらくて適わんな、ここは。わしの体では大きすぎて、転移魔法でも運びきれぬのだぞ」

 一騎が、憎らしげに文句を言う。

 言いながら、彼は、ばたばたと羽を上下し、ここへ来るまでに纏わりついた雪を落とす。

 尾も同じく、表面の氷雪をはたき落とした。

 見事な巨躯であった。

 城の上部に、特別にしつらえた、天蓋窓の機構がなければ、決して入ることはできないだろう。

 胴と頭だけでも、一〇メートル、丸めた尾はさらに二〇メートルはあり、大翼は、広げるのであれば、翼長五〇メートルに及ぶのでないか。

 竜であった。

 それも、並の竜ではない。

 魔界に住むもの、人間界に流れたもの、そのどの種、どの個体も、これほどなめらかに人語を話すことはできないだろう。

 よく見れば、体中を覆う鱗、一枚一枚に、古ルーンの術が、しゅを刻んでいる。

 誰かが刻んだのではない、彼自身が編んだものだ。

 魔界に生息する最強種の一角、竜種の中でも、とりわけ屈強な肉体を持ちながら、凡百の魔道士を凌駕する術と知を併せ持つもの。

 その名は――

「文句を言わないで、ヴォルカニック卿。今の人間界で、あまり隠れ家に贅沢は言えないんですもの」

 甘い、甘い、猛毒のような声が、かの竜の名をさえずる。

 魔竜ヴォルカニック。

 二つ名を『大いなる翼』。

 万魔の術と無敵の巨躯を以て破壊の嵐を生む、魔界竜最高位存在。

 かつて魔王ショーシャの名の下に集いし、十二神将の一騎である。

 勇者マリエルとの戦いにおいて、天空を焼く大空中戦の末、海へ落とされたというが、その死骸は戦後数十年を経ても発見されていなかった。

 当たり前だ、ヴォルカニックは生き延び、こうして今ここに在るのだから。

「で、わしを呼んだ理由は……その憐れな畜産牛の報告と、後始末かね」

 嘲り、罵る言葉を、魔竜は軽々と告げた。

 空気を怒りと熱気が軋ませた。

 広い、限りなく広大な城の空間の一角に、竜の視線の先に、もう一個の影が膝を突いていた。

「黙れ、小蝿が」

「ふん、抜かしおる。番人の務めさえ果たせぬ無能の畜生が、どの口で」

「~っ!」

 轟、と、獄炎が立ち上った。

 これがひとの城ならば、石壁さえ爛れたであろう。

 魔竜ヴォルカニックほどでないにしろ、そのものも、人類から見れば十分巨人のような体躯であった。

 見事な発達した筋肉が、おぞましいほど隆起を形成しており、太古の金剛力士もかくやである。

 人間に似た体の上には、湾曲した二本の角を持つ頭部。

 牛の頭であった。

 彼もまた、魔界十二神将が一騎、炎獄大公、ゾブロであった。

 禁足の森と呼ばれる地にて、砦に封印された、魔族の怨敵、勇者を、監視する任を請け負っていたものである。

 その務めが無残に破れたのは、数日前だ。

 配下の炎獄騎一〇騎を伴っての追撃の結果は、またも、彼らに惨めな敗北として残された。

「何騎、残ったんだったかな? ん? 答えよゾブロ。お前の配下は、封印解除されたばかりの女に、何騎破れた」

「七騎……」

 マリエルの手で殺された数が五、別の場で、おそらくはマリエルを封印より解いた人間の戦士に破れたものが二騎。

 ゾブロ自身さえ手傷を負い、追撃隊は敗走を余儀なくされた。

 むしろ、あのマリエルを相手にそれだけで済んだことは僥倖であろう。

 彼女もまだ、十全でないのか。

 ともあれ、その手痛い失態を悪辣に罵られ、ゾブロは歯軋りして怒った。

 まだ治癒しきらぬ、全身の傷から、鮮血がぼたぼたと滴る。

 それを彼の炎が焦がし、城の中に、むっと生臭い空気が立ち込める。

 二騎の超常戦鬼の間で、敵意と殺意が煮え滾った。

 元々、魔界の上位種の間に、仲間意識など希薄だ。

 魔王ショーシャあっての将器であった。

 魔王亡き今、彼らを同軍として構築しているのは、ひとえに勇者という脅威への危機感と、かつての戦意、誇りや意地であろう。

「はいは~い、喧嘩はそこまで。あんまり尖らないでくださるかしらぁ」

 先ほどの、甘い蕩けるような声音の主が、手を叩いて両者の視線の間に、入り込む。

 異形の体を持つ魔界種の中にあって、彼女は限りなく人間に近しい容姿であった。

 白く、美しい、姿だった。

 なめらかな黒髪が、長く、さらりと揺れ。

 男が見れば、むしゃぶりつきたくなるような、乳が、尻が、太腿が、衣類の間から妖艶に溢れている。

 美貌は……嗚呼、その美貌は……天工の作り上げたとしか、言えぬものだった。

 しかし、空気も凍てつくこの山の、この城の中で、肌も露わな黒革の衣装、ボンデージを纏える人間などいようか。

 惜しげもなく晒す谷間も、尻の肉感も、凍傷の気配さえなく。

 むしろ血色がいいほどだ。

 彼女は人間ではなかった。

 黒髪が豊かに流れる頭部には、山羊のような角が生えている。

 妖しい白い背中には、蝙蝠のような羽根が生えている。

 見事なくびれの腰と尻の中間に、尾が揺れていた。

 悪魔。

 誰もがそう思うだろう。

 正確には――淫魔と。

「たしかに、お主の言う通りではある。ウェザビー。だがこやつの失態も許せぬのは事実だ」

 ウェザビー、妖艶なる魔魅はそう呼ばわれた。

 淫魔鬼の二つ名で知られ、かつて人界の様々な勇士を狂わし、王を堕落させ、さらには天界の神々の中にまで、離反者を作った壮絶なる淫欲の権化。

 魔界十二神将が一騎にして、魔王ショーシャの愛人でもあった。

 前線に出ることはなかったが、この淫魔の色香で狂ったもののせいで、出された被害は、むしろ下手に屈強を豪語する魔界戦士のそれを超えているとも言われる。

 そして、彼女もまた、生死を確認されていない、生き延びた十二神将である。

「ええ、そうね。たしかにおっしゃる通りですわ。ですが、過ぎたことを悔やむより、今後の策を講じるのが先決でなくて?」

「うむ、たしかに」

 ウェザビーの妖しい赤い瞳に見つめられ、かの魔竜も少し迷うように、視線を逸らす。

 匂い立つような淫魔の色香は、古竜にさえ通じるのか。

 ゾブロと、彼の背後に控えていた、生き残りの炎獄騎三騎も、傷ついた体で悔しさを噛みしめる。

 ウェザビーは、まるで、どこか嬉しそうに唇を釣り上げ、艶然と微笑んだ。

「高位魔界戦士が、四騎生き残った。これは十分な偵察ね。以前の勇者なら全員残らず消し炭でしょう。もう一度今の戦力を練り、再度の交戦を進言しますが、どうです?」

「異論はない。次はわしとわしの血族も向かわせてもらう。そこな畜獣どもに任せておけぬ」

「貴様……!」

「なんだ」

 嘲りと侮蔑に、また両者の間で視線が炸裂する。

 ウェザビーは呆れた様子で首を振った。

 そのときであった。

 広大な城の中央区画に、ふっと、魔力光が燦然と輝く。

 魔法陣だ。

 転移術ではなかった。

 次の瞬間、光が像を紡ぎ、黒きシルエットが浮き彫りになる。

 硬質な影であった。

 マントを纏った、鎧姿の騎士、そう思わせる容姿である。

 如何にも屈強な様子から、男、と見えるが。

 不鮮明な映像では、種族が人間か魔族かも分からない。

「これはこれは、貴方ですか」

「ああ。件の報告を聞いた。勇者が再臨したとは、誠か」

 やはり、澄んだ凛々しい男の声だった。

 微笑むウェザビーに対し、魔竜ヴォルカニック、魔牛ゾブロは、どこか不満げな感情を滲ませた。

 彼らの望みと、そのものの望みが両立しえないという、真意の表れであろう。

「その通り、数十年の月日を経て、我らが敵手は再びこの地上に立ちました。戦力を整え、もう一度挑むつもりですわ。もちろん、次こそちゃんと『捕縛』して」

 殺すのではなく、か。

 何をか言わんやとばかりに、ヴォルカニックとゾブロの視線が交錯する。

 決して仲がいいとは言えない、いや、むしろいがみ合うこの二騎が、この意見にだけは別らしい。

 できれば、あの女は始末しよう、そういう意図が垣間見れる。

 謎の騎影は、彼らの意思を知るのかどうか。

 静かに頷いた。

「私も動きたいが、向かうのは難しい。色々と事情があってな、まあ、お前ら如きに仕留められるとも思えぬが」

 明らかな蔑視であった。

 この男、十二神将の二騎を前に、堂々と罵ってのけたのである。

 縦に割れたヴォルカニックの瞳孔が細められた。

 もし、実体を伴って顕現していたのなら、竜はその牙と爪で、男を引き裂いていただろう。

 彼らの敵意と不仲を、もはやウェザビーは気にかけてもいなかった。

 くつくつと笑い、艶やかな黒髪を揺らす。

「我らが王が再びお戻りになるまでに、準備はしておくべきね……皆様にはどうか、それまでのご奉公を」

「ふん」

「委細、承知しておるわ」

「……」

 三騎の反応をそれぞれに見ながら、やがて、妖艶極まる美貌の淫魔は、くるりと身を翻す。

 彼女は、しゃなり、しゃなりとしなを作りながら、魔牛ゾブロの元に、近づいた。

「ところで、ねえ、ゾブロ様。まだお怪我は癒えていないのよね」

 僅かに、言葉が崩れ、細い指が、はち切れそうな、自分の乳の上をなぞる。

 半分以上晒した、真っ白な乳肉の果実を、雌は、男がどういう目で見るかわかったうえで、悩ましく弄った。

 生地がぴちぴちに張って、段差を作る肉に触れ、さらに、広げ、胸をゆっくり魅せていく。

 種族は違えど、男である。

 魔力的な魅惑チャームと、天性の容姿に、ゾブロも生唾を呑んだ。

「そ、それがどうした」

「なら、力を、魔力をもっと蓄えておかないと、いけませんでしょ?」

「ま、まさか貴様……」

 ゾブロは、まるで恐れるようにたじろぐ。

 その様子を面白そうに見ながら、ウェザビーは、微笑した。

 そっと近づいたかと思えば、淫魔の美女は、豊かな乳を、硬い魔牛の筋肉の上に押し付ける。

 まるでそのまま蕩けてしまいそうな感触だった。

 甘い吐息が、猛毒のように煙る。

「ええ、そのまさか♥ ねえ、ゾブロ、私を抱いて。抱かせて。ね? しましょ?」

 どんな聖人君子も、この女の美貌と豊かな白い肉を見れば、狂喜して理性を投げ捨てるだろう。

 浅ましきを隠さず、果てしなく淫靡な本性を晒しながら、雌はむっちりとした、肉感の塊の脚も、絡めていく。

 毒蛇の如く。

 毒蜘蛛の如く。

 笑みが妖しくなればなるほど、色香が深まるほど、ウェザビーは奔放な口調となり、全身から甘い香気を放っていった。

「閨房の術、房中の魔技。かつて魔王様に施したわたしの絶技、味わわせてあげるわ……ふふ♥ 私が何千人も、何万人もの男から吸い上げた精気を、体を繋げて貴方に分けてあげるの。効果はお約束するわ♥」

「し、しかし……」

 ゾブロは呻いた。

 したい。

 本音を吐き出せば、その申し出は狂おしい魅力を持っていた。

 ただ魔力を高め、気力を昂ぶらせるという以上に、純粋な肉欲のみでも、今まで数え切れぬほどこの雌を欲しいと想った。

 だが、逆にこの女に、自分の精気や魔力を吸い上げられのではないか、という不安がある。

 それを平気でするのがこの女だ。

 彼女を抱くその対価に、血も精も全てを枯らして死んだ魔族がどれだけいるか。

 そして、なによりも、かつて服従した魔王の愛人を抱くなど、恐れ多いにもほどがあった。

 その全てを見越したうえで、ウェザビーは甘く微笑むのだ。

「あらあら、こんな雌一匹が怖いのかしら? 炎獄大公ともあろうものが、とんだ腑抜けね」

 優しくさえ響く、妖艶甘美な雌の囁きは、なまじその声が澄んでいるぶん、ヴォルカニックになじられる以上にゾブロの脳髄を沸騰させた。

「黙れ! 黙れ黙れ! この売女が!」

 怒号を上げ、丸太のような太い腕が、筋肉の塊の体が、凍りついた床の上に、極上の美を押し倒す。

 普通の女なら上げるであろう悲鳴は、堪らない歓喜の、嬌声として溢れた。

「あんっ♥ いいわ、そう、そういう風にして……乱暴に、殺すくらいの勢いでいいの……さあ、ゾブロ、炎獄大公の覇気を、私にぶつけてちょうだい♥」

「抜かせ、このアマ……いいだろう、抱いてやる。ぶち壊すくらいにしてやるぞ。見ておれ、見ておれ」

 興奮。

 敵意と怒りと、欲情に膨れ上がり、炸裂する感情。

 むちむちとした、長い、白い脚を左右に広げ、凄まじいサイズの爆乳もまろび出し、ウェザビーは黒髪を乱して、目を潤ませた。

 瞳は、血のような真紅であり、縦に割れた瞳孔をしていた。

「お仲間の、炎獄騎たちもいらっしゃい♥ 後で貴方たちもしてあげる♥ ああ、どうしても我慢できないなら、一緒にしてもいいわ♥」

 男と産まれたものには、抵抗不可能の壮絶な魔魅の艶姿あですがた

 息を荒げた魔獣たちは、誘蛾灯に惹かれる虫のように群がった。

 その様子を、ヴォルカニックは忌々しそうに、朧な魔導映像の騎影は、つまらなそうに見ていた。

 冷たく凍りついた、高山の城での痴態と宴。

 とても、ひとの所業ではありえなかった。

 ここは魔の住処であった。


第一章 第十一幕 【ナイト・オブ・ヴァルキプス】

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