第一章 第一幕
ボクのママは元勇者
ボクのママは、元勇者です。
ボクが産まれる前の話です。
人間の世界を滅ぼし、征服しようと暴れまわった魔王の軍団と戦いました。
ボクはそれを見たことはありません、けれど、今でも残る戦いの跡で、それがどんなに大きな戦いだったか分かります。
形の変わった山、流れを変えた川、呪いを受けて毒に変わった土地、近づいていけない禁則の域。
学校では先生たちも、歴史で昔のことを教えてくれます。
そのときは、少し恥ずかしいです、だってボクのママは勇者だったから……
昔語りに聞くママの活躍は、物凄いものです。
魔道士、聖騎士、大天使様、武術家、頼もしい仲間四人を引き連れて、その四人より、さらに、もっと強い勇者だったママが作った英雄譚。
伝説の剣二振りを手に、立ちはだかるどんな魔物にも負けず、ついに最後には、魔王ショーシャをも倒して、世界を平和に導いて。
ママには、王様や貴族様たちから、色々と誘いがあったみたいです。
王子様のお嫁に来てくれ、とか、お城で爵位を受けて騎士になってくれ、とか、色々と。
でも、ママは全て断って、この町に、故郷に戻って来ました。
パパと約束していたからです。
二人は結婚して、店を出して、ボクが産まれました。
ボクのママは、元勇者です。
そして、今は、ボクのママです――
うひょおお! すげ、レーザー! レーザー飛んでくる! やべ! 焼ける! 燃える!
あ、おっす! 俺ダイチ! フドウ・ダイチ、フドウが姓でダイチが個人名な、よろー!
今絶賛ピンチ! ピンチであります! レーザーが次々と飛び交い俺を狙っております! 相手はレーザ・トリケラトプスです!
は? レーザートリケラトプスを知らない? ははぁん、さてはお前さん、神聖ヴィルドバッハ公国とその周辺地域に疎いね? では軽く説明を。
えー、おほん、レーザートリケラトプスてえなあな、恐竜だ、それも、ただの恐竜じゃあねえ、なんでも大昔に滅んだ文明が、さらにさらにも~っと昔に絶滅した動物を遺伝子、操作? だかで蘇らせて、それを改造したもんらしい。
まずでかい、角のさきっぽから尻尾の末端までで軽く四メートルはある、おまけに頭の回りのへんてこなめくれたエラやら角やらが分厚い骨格でごっつい。
んで、人間を襲う、支配地域、つまりは、古代文明の遺産のあるようなあたりを守護している。
おまけにレーザーを出す。
ぶっとい胴体に装着されて、脊髄と直結して駆動するレーザー砲ユニットがどばどばと射撃してくる。
とんでもねえ、古代人とんでもねえ、なに作ってんの、なに考えてあんなの作ったの、どうかしてる。
俺は今そのレーザー攻撃を回避している。
走って転げて、ダミー熱源デコイの玉を放り、遺跡の石壁に隠れ。
「ちっきしょー、ボケナスアホンダラクソタレ。たかだか遺跡遺物の一個二個でめくじら立てんなよ。まだ一四の餓鬼相手だぞ、コンチキショー」
ぜえぜえ息を切らしながら、俺は腰の佩剣を抜きながら、汗みずくの額を拭う。
仲介屋のおっさんから貰った仕事で、この古代遺跡の遺物、ぱあそなるでじたるたぶれっと、とかいう、古代遺物を回収してくる仕事だ。
初めてじゃあねえ、今までになんべんもやってる、こういう古代遺物は都なんかの専門研究者がいい値で買い取ってくれる、らしい。
だが今日は運が悪かったぜ。
レーザートリケラトプスのやつが毎日巡るルートを、偶然か、それとも意図的にか、変更しやがった。
脳髄と脊髄に直結してる砲ユニットのせいか、遺伝子操作だかのせいか、あいつらそこそこ知恵が回りやがる。
きっと遺物が減ってることや侵入痕跡に気付いてやがんだ。
「畜生の分際で生意気だぞ……しかし、どうすっかなこれ。っと! っぶねー!」
ひょい、と物陰から顔を出した瞬間、頭のすぐ上を高温のレーザーが掠めて溶かしやがった。
俺の身長が一七〇センチ以上もあったら貫通してやがったぜ。
あ? 今の身長? 一五七、センチっすけど……ああ? うっせ、ちびとかいうな! いうなよ! まだ成長期っすから! 伸びますから!
なんてちびを嘆いてる場合じゃねえ、俺はとにかく走る。
自慢じゃねえが遠距離戦闘であいつに勝てる装備じゃねえ。
手持ち武器は、爺ちゃんからもらった東方風の剣一振りと、先込め式小銃一丁、煙幕やデコイ、炸裂系の呪符が十枚くらい。
どれもこれもレーザートリケラトプスの分厚い外皮と筋骨をぶち抜くには、きついぜ。
そもそもあのレーザー光線の弾幕を切り抜けられねえ。
うひょおお! あばばば! 来た! 壁をぶちぬいて追ってきた! うぎゃー! 死ぬ死ぬ! やめて殺さないで!
家で待ってるボケ老人の爺さん残して死ぬなんて終わり方いやだー! 彼女もまだいないのに! キスもしてないし童貞なのにー!
ひいこら言いながら俺はとうとう、遺跡の窓枠から身を乗り出し、外に飛び出た。
遺跡の外は深い森と山々の領域だった、眼下の地面まで一〇メートルあまり。
俺は空中で身を捻り、体内練気。
魔力、霊力、言い方は様々だが、生命が宿し巡らせる力に違いはない。
魔法術として術式を編むのは苦手だが、体内で運用完結する練気と気功は多少心得があった。
なきゃ、いくらなんでもガキひとりでこんな遺跡にゃ来れないぜ。
足腰を内功で強化して、どしんと地面に着地。
んぎぃいいい! いでええ! 頭のてっぺんまで衝撃が染み込んでいく……
そもそもの気功術の才能が乏しいのだ、一流の武芸者ならば軽くできる技も俺には遠い。
しかし、これでなんとか危機は脱したろう。
いくらあのバケモンでもここまで追っては……
ひーー! 来た! あのボケ! なにそこまでブチ切れて……あぎゃー! 壁ぶち抜いてどがーん! って、うひょー! 逃げろ! ひえ、いやー!
ひい……ひい……なんすかもう……勘弁してくださいよ……
俺は森の中をさまよい、さまよい、背後を見る。
遠くで怒りの雄叫びよろしく、高温レーザー光線が森を焼く衝撃が轟いてくる。
なんとか逃げたはいいが、いつものルートで帰れない状況だ。
魔法が、せめて魔法が俺にも色々使えたら。
本職の魔道士なら飛行魔法を使えたり、周囲の索敵や地形把握もお手の物だろうし、いや、そもそもあのデカブツ相手にひいこら逃げることもなかろうに。
不甲斐ない俺には体内完結する気功くらいにしか運用できねえ、複雑な術式が編めねえんだ、血筋かねえ。
懐から出した天地精霊の護符を出し、周辺地形と照合、現在地は……まじかよ……き、禁足地じゃあねえか。
俺が産まれるより前に起こった、魔族との大戦争【人魔大戦】で形成された危険地帯で、未だに大気中の魔素が濃くて魔族魔物がうじゃうじゃしてるやべえ場所だ。
ひぇ、そういえばなんか肌にざわっとするというか、むずっとするというか、脆弱な人間の細胞がやべえと告げているわけですよ。
ろくな遺物回収もできないうえにこんな場所まで来るはめに……ついてねえ。
地図を出してにらめっこ、よし、帰還はたぶん、できる、したい、しよう! せねば!
家ではボケ老人と化した唯一の身内の爺が帰りを待っているしな。
俺は一途、街の方角に向けて歩きだした。
禁足地の森を、南へ向けて闊歩する。
魔素の濃さに引き寄せられて来た魔物の気配が周囲に散見されるが、なんとか生きているわけで。
運がいいのか悪いのか、遭遇するのは小型の肉食トカゲやら化けコウモリなんかの、俺でも対処できるやつばかりだった。
そういえば、まだ陽がある、魔獣なんかの活動時間は原則的に夜が多い。
人間のガキひとりの気配には、さほど過敏に反応しないのかもしれねえ。
えっちらおっちら俺は一刻も早い帰還目指して森を行く、行く、行く。
そんなときだ、はたと気づいた。
「お? なんじゃあれ」
腰の剣とは別に、バックパックに挿していた薄刃のマシェットで藪を漕ぎ漕ぎ払っていたときだ。
禁足地の森の、茂った木々の向こうに、陽光を浴びて輝く、なにかを見咎めた。
俺は、近くの木の幹に、枝を蹴ってよじ登る。
すかさず小型望遠鏡を構えて、確認。
恐ろしく古臭い、苔むした、石造りの建材。
おぞましい魔界語の呪文を刻まれ、異形の魔獣を象った造形、きっと戦争時に残された魔族の城か砦だ。
いや、んなもんはどうでもいい。
とにかく俺の目を引き付けたのは、石造りの砦の、あっちこっちを粉砕破壊された壁やら門やらの、奥にあった、それ。
輝きだ。
きらきら陽の光を浴び、反射せ、輝いている、巨大な半透明の物質。
宝石? 魔石? 霊石? さだかじゃないが、とにかく、とんでもなくでけえ。
もしかして、魔族の残したお宝か!? もしそうなら、回収できれば稼ぎになる!
俺はすかさず脳裏に、大量の金貨を握り、豪遊する自分を夢見た。
ひゃっはー! 金だ金だー! 大金持ちだー! やっほー!
その場でジャンピング、着地、奇声発生。
なんと馬鹿なやつなのだろう俺は。
俺が阿呆な妄想で狂喜するや否や、その気配に、そいつが反応した。
ぶぎゃー、だか、ぶおー、だか、とにかく物凄い低さと全細胞を萎縮させる気迫に満ちた雄叫びが轟いた。
さっき相対したレーザートリケラトプスなんぞ比じゃあねえ。
本当の、本物の、魔獣の咆哮だ。
廃墟と化した砦の、一番高い塔の上に、シルエットだけが見えた。
遠景じゃ正確なサイズや容姿はわからねえが、人間以上の巨躯と頭に生えた角、手にした長柄の武器だけは判別できる。
「やっべ!」
向こうがこっちの距離と位置を掴む前に、俺は今度こそすたこら逃げ去った。
きっとあの砦の主だ、あんな場所をテリトリーにしてるようなやつだ、下手すりゃ大戦時の生き残りの、正真正銘の魔界産まれ、爵位級上位魔族の可能性がある。
そんなもんが相手だと、勝つ負けるの問題じゃねえ、生きて逃げ帰ること自体困難なレベルだ。
宝石の輝きに後ろ髪を引かれながらも、俺は脱兎になって逃げに逃げた。
そんなこんなで、帰宅。
呪符やら護符やら食料やら、消耗品だけ失って、体力も気力も削られて、目当ての遺物をなにひとつ回収できないままの、帰宅。
泣けるぜ。
「おーい! 帰ったぜ爺ちゃん! いるかー!」
それでも声は元気に張り上げ、俺は威風堂々ドアを開けた。
半痴呆でよぼよぼの色ボケ爺ではあるが、俺に残された唯一の肉親だ、しょげた顔なんぞ見せられねえ。
お! 爺ちゃん! いたな! おいおいどうした、可愛い孫の帰宅だぜ、おかえりはどうしたい。
ん? なんかいつも以上に顔色わりいじゃねえかどうしたい。
目なんか濁っちゃってさ、まるで死んだ魚みてえだぜぇ。
つか臭くね? うんこ漏らした? いつも以上に蝿とかたかっちゃって、よだれ垂れてんじゃねえか、あっはっは! まるで死んだみてえだ!
いや、死んで、るし。
脈ないし、呼吸してないし、心臓、当然動いてねえわな。
あ、あー、まじで、え? ほんと? これ嘘とかじゃないよね。
あー、あー……役所、行ってくるわ、死亡、届け? そういうの? 市役所の官吏に言うんだっけ、だよね? うん、いってきます。
帰ってこない相手に告げて、俺は家を出た。
泣けるぜ。
第一章 第一幕 【天涯孤独になりまして】