「色」と「黒」
私は「人」ひとりひとりにそれぞれの「色」が見える。
母は明るい緑色、近所の子どもは眩しい黄色。
バス停で見かけたシワシワのお爺さんは深い紺色だったし、昔お世話になった熱心な先生は暑苦しいほど真っ赤だった。
いちばん驚いたのは、テレビで活躍する大スターは光り輝く黄金色だったことで、眩しくて見ていられなかった。
「色」の見方は簡単だ。
見たい、と思った人をじっと集中して見つめると、じんわり「色」が浮き出てくる。
普段生活しているだけでは、「色」は見えない。
集中した時に「色」は見えるのだ。
このように私は「色」が見えるのだが、最近一つ気になった事がある。
その人自身の特有の「色」を持っている人は勿論いるのだが、ほとんどの人は「黒」なのだ。
「黒」と言っても、闇のような真っ黒な感じではない。
薄い、という訳でもないが、ともかく「黒」なのだ。
しかしある日私は「黒」の真実について知ることになる。
その日、私は少し遠出して買い物をしようと、電車に乗って街へ向かっていた。
視界に入った人の「色」をいつものように見ようと、車内で辺りを見渡していると、三人組の学ランを着た男子高校生が目に入った。
ひとりの「色」は暖かなオレンジ色。
もうひとりは大人らしい紫で、残りの子は若々しい黄緑色だった。
三人は何か真面目に、熱く語っているようだった。
少し強い口調になっていて、喧嘩にならないかと心配してしまうほどだった。
ハラハラしながら暫く見ていたが、私は自分の目を疑ってしまった。
三人のそれぞれの「色」が混ざり合い、「黒」になったのだ。
それと同時に三人は和解したようで、笑いながら電車から降りて行った。
私は何か分かった気がした。
あの「黒」の正体はそれぞれの人が持つ「色」が混ざったものだったのだ。
「色」がその人自身の特有のものだとすると、「黒」は周りに合わせることで個性や自己を失ったものになるのか。
それとも「黒」になることで人間は調和を図っているのか。
それが良いのか悪いのか。
しかし少なくとも、私は「黒」という「色」に好感は持てなかった。