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幻日

作者: 石鍋 盥囘し

「なにこれー!すっごくキレイ」

カラオケボックスから出ると、朝日がきらきらと、朝露に薄く煙る大気を照らしあげていた。

「ねえ見て、静駿せいしゅん!掴めそうだよ!ほらほらほらー」

愛莉はステップを数歩刻んでから、厚く張った氷にすべり盛大に転んだ。

微かにうつむいていた静駿は僅かに苦笑してから、バッグの中の絆創膏を取り出した。

「うぅぅ、…すっごくイタイよぅ」

静駿は黙ったまま手慣れた様子で、擦り剥いてしまった掌に絆創膏を貼り付ける。

慰めて欲しい、なんて思いを込めた今にも泣き出しそうな表情で、愛莉は静駿を見上げた。

しかし愛莉は痛みとは異なる理由で、柳眉を歪めなおす。

「もう、いいだろ」

片膝をついて愛莉を見下ろしていた静駿は、膝を払いすぐに立ち上がった。そしてもう持っている玩具をプレゼントされた子供のように、はっきりと冷めた瞳で愛莉を一瞥した。

「俺たちのこと、終わりにしよう」

「え?」

「他に付き合ってる子が居るんだよ。だからもう愛莉とはこれっきりだ」

「嘘でしょ?ねぇ」

ゆっくりとその場で立ち上がり、愛莉は幽鬼のように頼りない手つきで、静駿へと手を伸ばした。静駿はそれを払いのける。

「私に悪い癖があれば直すからさ、嘘だって言ってよ……」

静駿は愛莉から視線をきる。

それは雄弁に終わりを告げていた。

「そっかぁ……そっか。ごめんね、私が……悪かったんだよね」

ごちる。

「私、ドジだし。いつも怪我とかして静駿にも迷惑かけてばっかだし……静駿からしたらこんな私みたいなのより素敵な人を選ぶのは当然で……」

「それだ」

静駿は線の細い身体からはまったく想像できない、腹の底から搾り出す渋い銅鑼めく声で囁いた。

「なんで怒らないんだよ。俺は二股をかけて、俺の都合でお前を振るんだぞ?いつもニコニコして、俺が何しても笑って……」

「それは…」

「気持ち悪いんだよ。もっと普通は……っ!」

静駿の握り締められた拳が、するりと開く。しん、と突き刺さる冬の寒さが静駿の掌を一瞬にして紅色から死人のような白色に染めた。

「もう耐えられないんだよ、お前のそういうとこ……」

「ゴメン」

愛莉は踵を返し遠ざかっていく背に呟く。

「静駿……!」

彼は振り向かなかった。凍りついたアスファルトが、最後に打つ革靴の音を響き渡らせる。

「………私、その……」

愛莉はその背に伸ばしかけた手を握り、抱きしめる。あれほど輝きに満ちていた大気がするりと逃げていく。ただ、染み入る冷たさしか掴み取ることは出来なかった。

「……お幸せに、静駿」

振り向き、一瞬目を剥き更に口を開こうとし、静駿は肩を落とした。

「じゃあな」

今度こそ振り向く事無く静駿は去っていった。

じりじりと、掌の擦り傷のみが熱く痺れていた。





全身が冷え切っていた。とくに関節は、お父さんの仕事柄、何時だったか一緒に見に行った人形展のその人形の、球体関節になってしまったみたいに鈍く軋む。

ぼんやりとしていた。

静駿を見送ってから体が勝手に動き出して、そのままずっと歩き続けていた。もう寒いなんて感覚を通り越して、身体に触れるとその度に音叉を弾いたみたいな痺れが全身を共鳴させる。

思い返すと、静駿が私に声をかけてきた日は私が思っていたよりも鮮やかに脳裏に蘇った。

私はどっちかといえば、のんびりしているんだと思う。いろいろなものと私が見て、聞いて、感じて、交わるときに、穏やかな時間の流れがあって、それを感じるのが幸せだった。

静駿は名前に静かという漢字が入っているのにどっちかといえばせわしなかった。私をいつも連れ出すときも、あれこれ予定を詰め込んで、まるで私が政治家にでもなってしまって、静駿はその秘書にでもなったみたいに次々に次の目的地はどこだ、なんて私の手を引いた。

私は、デートでいろいろなところをへとへとになるほど歩き回って、やっと静駿が「どこかで休憩しよう」と切り出してくるのがいつも待ち遠しくって。

デートがつまらないわけじゃなくって、そのベンチで、公園の木陰で、遊園地の広場で、ジュースとかアイスを食べたりしながらそのあわただしい時間を思い返して、静駿と話せる時間が好きだった。

静駿は休憩も時間を刻んでいて、私がアイスを食べきるのを今か今かと待っていて……食べちゃったらすぐに立ち上がってしまったんだけど。

今思うと、静駿が私を嫌いになったのはそういうところかもしれない。

私は少し皆と違った。

例えばさすがに高校生になってからは一緒に入らなくなったけど、お父さんとずっと一緒にお風呂に入っていたし、皆が言うみたいに反抗期っていうのがなかった。

ユキのお父さんなんかかっこいいし凄腕の弁護士で素敵だと思うけど、そんなユキだって父親がウザイっていってたし、ヒロミも口には出さないけどパパさんのこと疎ましがっていたっけ。

手が冷え切って痛い。掌の擦り傷だけが熱くて、そこ以外凍ってしまっているみたい。手を合わせて握り合わせ、その手の中に息を吹き込んだ。

零れた白が流れて消えていく。

足は勝手に家に向かって歩いていた。

長くなだらかなカーブを描く上り坂を越えると、公園橋と呼ばれる巨大な橋にたどり着いた。小高い対岸から街へと坂になっている公園橋に沿って、うつむいていた視線をゆっくりと上げた。

開けた視界一杯に街並みが映る。

街全体が薄く朝霧に包まれ、太陽光を乱反射してぼんやりと輝いている。

橋の中心から伸び全体を支えるそのハープの弦は、幻想的に輝きを放つ街並みを閉じ込めて……見上げるその弦の中心、橋を地面に繋ぎとめるコンクリートの(かすがい)の丁度真正面から、朝霧のヴェールに包まれた太陽が私を照らしている。

ジリジリと、掌が熱い。

私が悪かったのかもしれない。

私の静駿へと想いは静駿が求めるものと違ったのかもしれない。

私に嫌気が差したのかもしれない。

けど。

私は私の通りに、太陽のように活発な静駿を包み込もうとしていた。この朝霧のように。

橋が曲がる。光り輝く朝霧が私の視界をすべてプラチナ色に眩しく染めた。

「ばかぁぁぁぁぁ!!!二股……とか!せーしゅんのばかぁぁぁぁ!!」

頬が熱い。体が凍り付いて押しつぶされそうで、その分自分でも驚くほど声が出た。体温と、涙と、声と一緒に、何か胸の閊えまで身体からとんでいくような気がした。

「じぇ、ぜぇったいいい女になって……なってみせるんだからぁぁぁぁぁ!!!」

浸とする早朝の静寂に、湿った声は少しばかりの余韻を残してすぐに溶けていった。


《一週間後》


「あの、さ」

二人っきりで話がしたい、と、愛莉を屋上まで呼び出しておいて、所在なさげに静駿は身体をゆすった。だいぶ汗をかいて、微かにうなり、そしてだいぶ間を空けて、口を開く。

「都合が良いとは思う。最低な男だって言われてもしかたないかもしれない……けど」

愛莉に向けて、頭を下げた。

「わかったんだ、愛莉じゃないとやっぱり俺、駄目なんだって……俺みたいなのを優しく支えてくれるのは愛莉しかいないんだって……だから」

愛莉は視線を落として右掌を指でなぞった。この間の擦り傷の痕。うっすら赤みが差しているけれど、もう傷口はふさがって、新しい薄皮はつるつるしている。

「静駿……」

愛莉の優しい声に静駿はゆっくりと頭を上げた。

「ごめん、もう二度と迷わないから、また俺と…やり直してくれないか」

真剣なまなざしを受けて、愛莉はゆっくりと慈愛に満ちた笑みを浮かべた。

そして、ばちん、なんてビンタの音が屋上から階段にこだまする。

「お幸せにね、静駿」

あっけにとられた顔の静駿をそのままに、愛莉はふわりと踵を返した。頬をなぞり、髪を遊ばせる風が温かい。随分早いけれど、春が待ち遠しく感じる。

体が軽い。

そして掌が、じりじりと熱かった。



―――――完



んー、未熟ですねぇ、先に反省点を挙げるなら、特に、エピローグ扱いの一週間後、へ繋げるワンクッション扱いの部分をなんとかしたかったかなぁと思います。


あとは、そこここに見られる拙さに絶望です。


じぇったい、もっと凄いの書けるように精進してやるんだかりゃぁぁぁあああ


とか、書いてみて後悔しつつ、終わります。


最後までお付き合いいただき、ありがとうございました〜

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