妖3 ようかいの寮
まぬけが怪我の功名となったのか、珠依姫の警戒は解かれたらしく、一日のスケジュールが終わるまで最初のような拒絶感は感じられなかった。かと言ってあれ以来一言の会話もない。休み時間のたびに相葉よろしく女子が好奇心丸出しでおれを質問攻めにしたからだ。放課後は気がつけばとなりに誰もいなかった。護衛としては失格もいいところだろう。
寮の自室で、おれは荷物をほどくよりも先に通信機の電源を入れた。
「准将! やっぱりおれには無理だ!」
『なんだ。一応聞いてやるから言ってみろ』
画面に現れた三十路は、いつものように表情が読めない。
「対象とコミュニケーションがとれない。むしろおれ自身が食われないよう気を配るので精いっぱいだ!」
『まったく、お前はとんだへたれだな』
「それが妖怪どものど真ん中に放り込んだ元凶のセリフかおらぁっ!?」
『落ちつけ。寮の壁はうすいぞ』
「くっ……」
『愚痴を言いたいだけなら通信を終わる。任務は変わらないぞ』
だれだ、学園生活をおれに味あわせたい親ごころなんてことを言ったのは。血も涙もないぞ。
「待ってくれ。対象に近づけない以上、おれがガードであることを了承してもらった方がいいと思うんだ」
珠依姫の態度を見るに、本人にはなにも伝えられていないようだ。休み時間にもふらっといなくなっているし、親しくもないおれがいちいち追いかけるのも不自然だろう。
『それはやめたほうがいい』准将の声が低くなる。『八つ裂かれるぞ』
「動詞!?」
『自身に護衛が付けられるなど、珠依姫のプライドが許さないだろう……と、依頼主は言っていた。あくまでお前は仲のいいクラスメイトだ。ちなみに、それ以上の関係になると依頼主に八つ裂かれる。常に監視の者を入れてあるから、忘れるなとのことだ』
「だから仲良くなれそうにないんだってば! 依頼主にはそれ以上なんてもってのほかだと伝言を! オチオチ寝れない!」
『通信を終わる』
「あっ、ちょっと、ねえ!」
画面が真っ暗になる。おれの気分もダークだ。
依頼主について詮索しないのがマナーだが、たぶん宮之内家の当主あたりだろう。過保護に決まってる。
だいたい、妖怪の能力ってのはほとんどの場合血統で決まるのだ。ご大層な血筋なら、その力もご大層なもので間違いない。ただの人間が護衛する意味が理解できない。
『あ、言うの忘れていた』
「おわっ」
突然画面が復帰した。
准将はポーカーフェイスだが、声に真剣身が帯びた。
『お前の転入で、均衡を保っていたバランスが崩れることになる。状況が動き始めるぞ』
「は?」
『以上だ』
本当に通信は切れた。
「動き始めるつっても……」
なにを、どうしろと?
狩りのノウハウなら持っているが、あいにく護衛なんてどうすればいいのやら。なにせ対象の部屋がどこにあるのか、そもそも寮住まいなのかも知らないのだ。
ため息を吐いたところで、大事なことを忘れているのに気がついた。今日一日、こいつなしで過ごしてきたことに、自分でびっくりだ。
荷物の封をほどいていくと、そのうち使い慣れた鞄が見つかった。
一見、ただの学生鞄に見えるが、こいつにはさまざまな暗器が仕込まれ、おれが狩りで必要とする道具すべてを収納してある。おまけに特殊鋼と特殊繊維の力で、ライフルの狙撃だろうが日本刀の一撃だろうがはじくことのできる、たのもしい相棒だ。
「あぁ~、一日手放しただけなのに、すっごくさびしかったよぉ」
思わずすりすりと頬ずりする。これが一日千秋ってやつか。
抱きしめたまま部屋を転がって道具への愛を再確認してから、おれは着替えを鞄へ詰め込み、風呂へ行くために部屋を出た。
部屋に個別の浴槽はない。汗を流すには地下の大浴場を利用するしかなく、あまり裸体をさらしたくないおれにとっては不利な環境だ。だけど、風呂からはじまる男の付き合いもあるかもしれない。今日一日、まったく男子とはしゃべれてないからな……。
「あ、やっほー。しまりんじゃん!」
地下への階段から、なぜか相葉が上がってきた。しまりんとはだれのことだろう? 視線がまっすぐおれを向いているけど。
「相葉さん、なんでここに?」
「言ったでしょうが。私も寮生なのよ」
「それは知ってるけど……。え、なに? もしかして男女共同なのかここは!?」
「うん。……しまりんが気になってるあの子も、ここに住んでるのよぉ~?」
「まさかとは思ってたが、しまりんっておれのことなのか。気になってる子って、珠依姫のこと?」
「やけにあっさり認めるじゃない。もっと焦ってよ」
そんなことはない。相葉はおれの挙動を逐一観察してたってことだ。気を抜いていたら、すぐに人間だとばれてしまうだろう。
「なんだか、他の人と感じが違うから気になってただけだよ。それとしまりんは気味が悪いから灘って呼んでくれ」
「やーん。それって、お互いを下の名前で呼びましょう的な?」
「うん。そうだ」
護衛のためにも外堀を埋めた方がいいだろう。仲良くなって損はない。まっすぐ見つめて返すと、からかうような表情だった相葉が一瞬止まって、ゆで上がったみたいに真っ赤になった。
「どうしたの?」
「え、あ、ちょ、ちょっとお風呂でのぼせたみたい。あははは。な……灘くん、は、どうしてここに?」
「ん? この先は風呂しかないだろう?」
「え、灘くん、女の子だったのっ!?」
「はぁ!?」
話がかみ合わない。
「ど、どうりで……きれいな顔をしてると思ったら……」
「いや待って。おれは男だからちゃんと。証拠だってある」
「ぎゃーっ!」
「ぐぼふぉっ!」
ズボンに手を持っていくと、目にも留らぬ速度でツインテールが腹に打ち込まれた。よ、避けられなかった……。
「信じるから! 見せなくていいから!」
「ポ、ポケットの学生手帳を、出そうとしただけなんだ……」
これは誤解させるような仕草をしたおれが悪い。
お互い、数瞬黙って呼吸を整える。
「――なるほど。焦っちゃって頭が回らなかったけど、そう言うことか」
「なにが?」
「この寮にはお風呂がひとつしかないんだよ。それで、男子の時間と女子の時間で分けて使ってるの。いまは女子の時間ってわけ。寮長から説明されてない?」
「いや、なにも。寮長の存在すらはじめて聞いたよ」
「そっか。なら殴っちゃったお詫びに、寮長のところ案内してあげる」
「そう言うことなら、二海に甘えよう」
「…………」
「どうした二海? また顔が赤いようだけど」
「う、ううん。その、けっこう、クるなって……。なんでもない! さ、行くよ」
なんでもないと言いつつ、ツインテールの牙がガチガチ鳴っている。腹でも減ってるのか?