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今回は「意識」である

作者: 又野克明

 僕達は生きている。当たり前のことだが、息をして、酸素を吸って、二酸化炭素を吐く。それは「意識」というものを伴う。そうだ、ものを感じ、味わい、嫌がり、苦しみ、考え、行動すること。その「生きている」という実感、それが「意識」だ。


 思春期に「なんで生きているんだろう?」と思うことがよくあった。それは要するに「自分にはなぜ『意識』というものがあるのだろうか」ということだ。つまり、「なぜ、(自分は)生きて在るんだろう?」と言いかえても同じことだ。


 僕はこの疑問を思春期に自分に問いかけた。そして、友達に訊ねてみたが、チンプンカンプンな様子であった。私は今ではその問いに対する答えを明確に答えることは、自分なりにということであっても到底、及ばないものであるのだが、当時の僕にはその問いに対する答えの進み具合(明確さ)には、自分で言うのも難なんだけれども優秀なものがあったように思われる。


 その時のメモは今は一つも残ってはいない。だが、しかし今現在においてそのことについて何かを言わなければいけない気がしてきた。


 つまり、人間は「意識」を持っている。その「意識」というのは「自分」を感じているということでもあるのではないか。人は「自分」を持っており、他人も「自分」を持っている。そして、当然ながら、他人の「自分」は自分の「自分」ではない。別のものである。


 しかし、ここからが私独自の考えになるけれど、自分が生まれる前に「自分」という意識を持った自分がいても良いのじゃないか。おかしくはないのじゃないか。それが輪廻転生ということになったら、困るのだけれども、自分としての「自分」の「意識」というものは人生が重ならない限り、三つも四つもあってもいいもんじゃないか。


 それはしかし、今現在の「自分」と似た人間性とは限らない。幸せかもしれないし、めっぽう不幸かも知れないのだ。ただ、それは先ほども言った通り、自分の生きている間だけは「意識」は一つしか持つことはできない。もし、輪廻転生というものがあるとしても、人間は一つだけの意識しか味わうことができない。これは不思議なことだが、考えてみるとそうであることはハッキリと分かる。だから、輪廻転生などには重要性などないけれども、ところが、「意識」が互いの人生と重なり合わないように存在しても、一つ一つの「意識」に対してはバレることがないし、やはり、あってもおかしくはないと断言できやしないだろうか。


 例えば、そこにはこんな批判も存在する。「意識」が仮に三つや四つも完璧に離れて存在することがあっても、それは今現在の自分の「意識」だと確信して、断言することが、可能であるのだろうか、と。あるいは、三つや四つの「意識」がその人と同じ「意識」だと科学的に証明できるのだろうか、とも。


 なぜなら、一つ一つをとってみても、やはり、「人格」が違うし、関係性も全くないではないか。つまり、関係性がないものを、同じものだと科学的に証明する方程式は存在するのか。しかし、私はそんな問いを立てて「意識」を論じようとしたのではない。科学的に証明できなくて、正しい意義を持つ主張や思想を、ずっと発言してきたし、そのような証明は科学者に任せれば良い。それは科学者が一番よく知っているのだから。


 最後に「意識」についてもう一度考え直してみたい。なぜ、「世界」というものが自分の目の前に広がっているかというと、それは「眼」で視ているからであり、それは結局は「意識」とも関係しているのである。つまり、「世界」の存在は我々にロマンティシスムを与えたが、それは「意識」の存在のありがたみのようなものを示そうとしていることでもあるのではないだろうか。ただ、私は「意識」というものが必ずしも人間に幸福なロマンティシスムを与えるなどと言いたいわけではない。だが、しかし少なからず「意識」は、「世界」や「意味」を、視覚したり、感覚したりすることによって、できているのだということは言っておいた方が良いだろう。

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― 新着の感想 ―
[一言] 「意識」については、古から人々の頭を悩ましてきた(主観的に見れば、『悩ましてきたらしい』)問題であるからこそ、こうして他人の意見を目にすることができるのは、嬉しくも楽しくもあることであります…
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