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お婆の陰気な独り言

作者: 祐喜代

  家族が夕食を終えて、皆それぞれ自分の時間を過ごしに茶の間から消えると、その頃合いを見計らったようにお婆が自分の寝室からそろそろと這い出て来た。台所から瓶のコップに入れた鮮やかな黄色の液体を大事そうに持って来ると、さっきまで親父が占拠していた上座の座椅子にゆっくりと腰を下ろした。ほんのり甘いアルコールの臭いと半日以上寝室に閉じこもっていた寝巻きの生温かい樟脳の臭いが微かに鼻を突く。

「ふぅ……もうみんな晩飯食べて部屋さ戻ったのが? 今日の晩飯は何喰ったや? 何か美味いものでもあったが?」

「ん、今日が? 今日はコロッケだ、コロッケ」

「コロッケがぁ……最近なんだか油っこい物ばっかり続くなやぁ。んだば婆ちゃん喰わねくてもいい」

 お婆はいつも晩ご飯を食べないが献立だけは何か気になるようで、顔を合わせると必ず聞いてくる。そしていつもその献立に何かしらケチをつけると、それを自分が家族と一緒に食事を取らない正当な理由にしようとする。

「揚げたてで美味かったげどな。お婆もたまには一緒に喰ったらいいべや。朝ごはんだげだどさすがに腹減っぺや」

「婆ちゃんはもう充分長生きしたがら別に晩ご飯なんかいらねぇなだ。そのうちお迎えが来るなば待つだげの身だから、晩酌がとにかく楽しみでなぁ。明日ぽっくり死ぬかも分かんねぇし、頼むがら今日も一杯だけ酒飲ませてけろや」

 誰も咎めてはいないのに変な言い訳をしながら、ちびり、と美味そうにコップ酒で喉を潤す。 

八十歳を過ぎたお婆が唯一の楽しみにしている遅めの晩酌。一人迂闊にも茶の間に残ってしまった僕はトランプのババ抜きのババを最後に引かされた気分でお婆を迎える。

お婆が飲んでいるコップ酒の中身は安い焼酎をオロナミンCで割ったもので、長生きする気はないなどと言いつつ、意地らしくも酔いと共にしっかりと栄養を補給しようとしている。矛盾しているようだけれど、それが諦めと辛抱強さを綯い交ぜにして生きてきたお婆の本音なのだろう。

痩せ細った牛蒡が寝巻きを羽織ったようなお婆の身体から退屈そうな深い溜息が繰り返し漏れ、始めのうちは口数少なく、ちびり、ちびりとコップ酒を煽っているだけだったけれど、そのうち顔がほんのり赤くなって来ると、何が楽しいのか一人手拍子を打って自慢の小唄を披露する。古い歌なので上手いのか下手なのかはいまいち判断出来ないけれど、近所迷惑にならない程度の喧しさがとにかく腹立たしかった。

僕はまたか、と思いつつ、それでもあえてその場を退散せずに、機嫌が良くなったお婆からあわよくば小遣いがもらえるかもしれない、と期待して無害な婆ちゃん子を控え目に演じる腹を決めた。

「婆ちゃんはなぁ、いつ死んでも心残りな事なんてねぇよ。だどもオメの父ちゃんにだけはいろいろ苦労かげで済まねがったなぁて時々思うなだっけ。死んだ祖父じいさんがとんだ道楽者だったもんだがら、女手一つでなんとか気ィ張ってオメの父ちゃんの面倒ば見て来たつもりだども、なかなかうまくいがねくてな。オメの父ちゃんさずいぶん不憫な思いさせだべなぁって、昔の事ば思い出すと少しだけ悔しくなんなよ」

 お婆の愚痴はいつも唐突に始まる。酔いが回って来ると、自分の代からこの家にある柱時計や茶箪笥などの古い家具に目をうろつかせ、決まって自分の過去の湿っぽい話をやるのだ。必要以上に背中を丸め、老齢の身体にはきつ過ぎるニコチンとタールの煙草にゆっくり火をつけると、戦前、戦中、戦後と耐え忍んで来た過去の出来事をダラダラと語る。

「どうしようもねぇ親でも一応は自分の父親だからな。ケンカするほど仲が悪いわけでもねぇなぁべげども、オメの父ちゃんは正直あまり祖父さんさ寄りつかねがったな。祖父さんの方もオメの父ちゃんばあまり可愛がらねがったし」

撲の親父と祖父の間に確執があった事は前にもお婆から何度か聞いた。祖父は僕が生まれる前に亡くなっていたから特にお婆に肩入れするわけではないけれど、多少親身になって話を聞いてやると、お婆は性懲りもなく同じ話を延々と繰り返す。まともに耳を傾けていたらきりがなくなるので僕は意識を半分テレビ番組の方に向けながら適当な相槌を打ってお婆の陰気な昔話に対処した。

動物のドキュメンタリー番組なのか、テレビには群れを作った野生の猿たちの姿が映っている。

(猿の群れは食糧を求めてひたすら移動し続ける。特定の場所に棲み着いて縄張を持つ事は稀だ……)

「この話は何回もしゃべったがすんねぇげど、婆ちゃんはな、オメの祖父じいさんの本妻ではねぇなよ。……婆ちゃんがまだ若かった頃になぁ、婆ちゃんは河町の料亭で女中してた事あってな。オメの祖父さんはそこに毎晩酒飲みに来てた客だったのよ……」

 テレビ番組の活舌の良いナレーションと酒焼けして低く濁ったお婆の告白が交互に響く。一方は要領を得ているけれど、もう一方はいつも通り要領を得ない感じの展開になりそうだった。

(猿たちは厳密に確立した順位制の社会を持っており、一匹の優位な雄の個体がその群れを預かる。それ以外の猿は……)

「オメの祖父さんだば、とにかく女癖悪くてよ、あっちゃこっちゃの女子おなごさ手ぇ出してな……」

 交差する情報に翻弄されて集中力を欠いてしまった僕はテレビもお婆の話も断片的にしか把握出来なかった。ぼんやり眺めていたテレビ画面の中では体格の良い雄猿が自分より小さくて力の弱い猿に牙を向いて威嚇していた。

「ほらほら負けねぇでかかって行けっ」

ふと自分の話を中断してテレビに気を取られたお婆が縮こまって怯える弱い方の猿をけしかける。すっかり酔ったお婆の顔は威嚇している雄猿よりも赤かった。弱い猿に同情したお婆はしばらくテレビに見入ってからまた思い出したようにウダウダと話し出す。

「まともに働いた事のねぇ人間が、ひょんな事から財産なんか手にすっと、ホント碌な事がねぇもんだ。あの祖父さんは一人で何も出来ねぇくせに家でも他所でも威張った顔して、ヒマさえあれば遊び回ってな……」

お婆が晩酌の度に愚痴っぽい話をする原因は、死んでからも道楽者と罵られる祖父という人にあるんだろう。これまでのお婆の話によると祖父は先祖代々この土地で地主をしている家柄の人だったらしく、祖父の先代に当たる人が早くに亡くなった事から、ずいぶん若いうちに家督と財産を受け継いだようだった。

いくつかの蔵と使用人を抱える大きな土地と屋敷。それに加えて譲られた金銭の具体的な額までは分からないけれど、若くて器量の小さい祖父には有り余る金額だった事をお婆はいつもほのめかしていた。

祖父がまだ若くて未熟だという理由から、家督の細かい実務に関しては先代の時から使用人だった者が代行する形を取った。祖父はただ代々続いた名家の顔として、繋がりのある小作人の家を回ったり、他の地主連中との会合や村の行事に参加したりと、表向きの体裁だけを繕う役を担った。早々と近隣の村から妻を娶ってどっしり構えると、他にも懇意にしていた女性たちを使用人として雇う名目で屋敷に囲い、主の権限を振るって好き勝手な生活を送っていたらしい。

そんなわけだから自分の代でも永続的に名家の威厳が保たれると勘違いした祖父は変に気が大きくなって、お婆が道楽者と罵るとおり、大して価値も分からない骨董品集めに手を出したり、日が傾けば毎晩のように河町辺りの料亭に入り浸って酒と女遊びに夢中になった。

「夜中の真っ暗な時間にな、酔っ払った祖父さんば本妻のいる屋敷まで送り届けたりしてな、あの頃の婆ちゃんはホント惨めで辛い思いばさせられたんだぞ」

感情に火が付いたお婆の恋愛話ほど聞いていてむず痒い思いをさせられるものはない。かといって露骨に耳を塞ぐわけにもいかず、仕方なく聞かされる事情によれば、河町の料亭で女中をしていたお婆も祖父の不倫相手として遊ばれた一人だった。そしてお婆と祖父の度重なる過ちから産まれたのが撲の親父だという。

(力のある猿に群れを追い出された若い雄猿は、しばらくの間たった一人で生きて行かなければならない……)

 お婆の話を小耳に何気なく眺め続けていたテレビ画面にはリーダー格の猿と闘って破れた猿が、夕陽を背にして一匹だけ群れを去って行く映像が流れていた。野生の猿たちを追って何ヶ月とか何年にも渡る撮影を続けてようやく得られた演出なんだろう。夕陽を遮って地平に長く伸びた猿の影とか俯き加減の薄暗い猿の表情が見事に物悲しかった。

「ああ……猿って言えばなぁ。この話しは今まで誰さもした事ねぇなだども、あの祖父さんが早くに財産ば受け継いだのにはちょっとワケがあってな。この辺のオナカマ連中しか知らねぇ“サルの遊び”っていうのがあるんだども、あの祖父さんはどこからかそれを覚えて来て、こっそりと蔵の中でやってだっていう噂があんなよ」

 僕がテレビに見入ってお婆の話しから遠のいていると、お婆が急に声音を変えて謎めいた打ち明け話をし出した。

オナカマ連中? サルの遊び?

お婆の口から忍び出た、これまで一度も聞いた事のない言葉が妙に撲の気を引く。チラッとお婆の顔を覗くと、お婆はどことなく愉快そうに煙草を燻らしていた。

「聞きてぇか? 誰さもしゃべんねぇって約束するって言うんだったら聞かせてやっぞ」

 話に引っかかった僕を見てお婆が焦らすようにそう言った。僕ははっきりとした返事をしなかったけれど、少しだけお婆の方に体を傾けて内心ではお婆に話の先をせがんでいた。

 暗黙の同意を察したお婆が一度座を外し、空になった瓶のコップを持ってよろよろと台所に向かう。そして新しい杯を並々と酌んで戻って来ると「まぁ……婆ちゃんの独り言だど思ってぇ聞けやぁ」と、多少呂律の怪しくなって来た口ぶりで話を進めた。

お婆の話は祖父よりももっと前の代まで遡ったところから始まった。

「秋頃になってぇ、山さ充分に獣たちの食い物ねぇど、熊っ子なり猿っ子なりが食い物探しに里さ降りで来てなぁ。田んぼや畑の作物ば散々ど喰い荒らしていくわげよぉ。そうすっとこの辺の地主連中はみんな困っぺ? だがら自分のとこで面倒見てる百姓さんたちば集めて田んぼや畑さ罠作ったり、鉄砲持たせで山さ追っ払ったりするんだげどもよぉ……」

 時折酒で口を湿らせながらお婆が遠い記憶を手繰り寄せる。僕は時折まどろんだ目つきになるお婆が話の途中で不覚にも眠ってしまうような事態を懸念しつつ、のろまで間の悪い話の展開を辛抱強く待った。

「地主の家ならどこでもそうだぁ。祖父さんの家でも、使用人の中がら寝ずの番立てて田んぼや畑ば見張るんだども、たまに生け捕りして来た子猿ば案山子みたいに田んぼさ吊るしたりしてな、他の獣たちが人間ば怖がるように見せしめにしたりするわげよぉ」

山間部の田舎の方では、収穫の時期になると山で餌にありつけなかった野生動物から田畑の被害を受ける報告が毎年のようにある。奥地にあるダムなんかに釣りに出かけると役場から連絡を受けた地元の猟友会の人たちが害獣を探しに山へ入っていく姿をよく見かけたりする。人と動物は昔も今も生きる糧を巡って共存の手段を持たないまま、然るべき時期が来ると繰り返し争う宿命を背負っているのかもしれない。

「婆ちゃんもちっちゃい時に何回か見た事あるけどな、捕まって縄でぐるぐる巻きにされた子猿が暴れてキィ、キィと鳴く姿なんかはホント痛ましくて可哀そうだったぁ」

 お婆の話に同調するようにテレビ画面に映った猿たちが一斉に鳴いた。同じ方角を向いた猿たちの視線の先には深い森がある。森は一見静かだけれど、猿たちは敏感にそこから迫り来る大きな脅威を察して、皆一様に興奮していた。

(我々が猿だった頃……)

 番組のナレーションに被さってすぐにお婆の話が割って入る。

「吊るされた小猿は水も何も与えられねぇままだんだんど弱っていって、そのうちに死んで骨と皮だげさなる。他所の地主たちは皆きちんと土さ埋めて供養したりするんだげども、祖父さんの家ではなんでかその猿ば蔵の甕の中さ閉まっておいでな……」

 自分の先祖とはいえ悪趣味な話だなと思った。作物を荒らされた恨みというよりかは、先祖に動物を虐待して喜ぶ性癖みたいなものがあったのではないかとつい勘繰ってしまう。

「祖父さんの代になってもまだその蔵の中の甕さ猿の骨残ってたりしてよぉ。婆ちゃんが酔っ払った祖父さんば屋敷さ送りに行った時に見たのは、丸っこくて小さい木乃伊になった子猿が、七匹くらい甕の底の方にちょこんと座ってだっけなぁ。祖父さんは「うちの守り神だぁ」って言ってニヤニヤ笑ってだっけげど、婆ちゃんはなんだか気味悪くてな」

 暗い甕の底で身を寄せ合うように縮こまっている七匹の猿の木乃伊を想像する。絶望の果てに骨と皮だけになった猿たちの黴臭い無念が、ふいに茶の間の中に漂っているような気がして背筋が寒くなった。

(リーダーの猿が自分の権力を行使するのは、自分の群れに反乱の気配があった時だけである……)

 お婆の話の途中で突然テレビの音量が大きくなった。わっ、と仰け反るくらいに驚いて足下を見てみると、姿勢を崩そうとした撲の足がテレビのリモコンを踏んでいた。

慌ててリモコンを拾い音量を下げると、お婆が何事もなかったように話を続けていた。

「うちの祖父さんは真夜中にこっそりと蔵さ忍び込むと、その猿の木乃伊が入った甕ば覗きこんでな。猿の木乃伊に何か話しかけるようにブツブツとおかしな文句を呟いたりしてたんだよ。それがサルの遊びだ」

 お婆がいうサルの遊びというのは一種の願掛けのまじないのようなものらしい。それはこの地方で“オナカマ”と呼ばれている、生まれつき目の不自由な巫女たちのごく一部の者しか知らない秘密の行為で、その念願成就にはそれなりの代償が伴うという禁断の呪いで、オナカマ以外の目に触れる事は決してなかったという。

お婆は死んだ祖父がどういう経緯でその“サルの遊び“を知ったかまでは話さなかったけれど、お婆が時折見せる苦々しい表情から察する限りでは、おそらく戒めを破って祖父と懇ろになったオナカマの誰かがそっと枕元で祖父に囁いたのだろう。

「願いをちゃんと叶えるにはなぁ、まず絶対に怖気づかねぇ事が大事なんだど。そして一切の嘘偽りなく、ホントに心から叶えたい事だけば口さ出さなきゃなんねぇんだぁ。それが出来ねぇと後々必ず悪い事が起こる。先祖代々の名前ば借りて威張ってみたところで、やっぱりうちの祖父さんは根が小心者だったんだべな。結局蔵だけ残して後は全部なくなってしまったもの」

 祖父が亡くなったのは撲の親父が成人になる前だった。寝屋の蝋燭の消し忘れから出た失火で屋敷が焼失し、その時に祖父一人だけが逃げ遅れて焼け死んでしまったらしい。

「婆ちゃんはなぁ、オメの父ちゃんば育てんのに、あの祖父さんからなんか一銭もお金なんて受け取らねがったよぉ。河町の料亭やめてがら、それまで働いてコツコツと貯めて来たお金で安い家ば借りでな、そこで山で働く男連中相手に小さい飲み屋ば始めて、それでなんとか遣り繰りして来たんだがら」

 珍しく僕の興味を引いたお婆の怪談話は結局要領を得ないまま酩酊した怒気を含みながらまた愚痴に戻っていった。

「オメの父ちゃんは祖父さんど違って真面目な人だがら、学校終わって家さ帰って来ると、婆ちゃんが頼まなくても店の手伝いして、それから夜遅くまで起きて勉強するがったよ。学校でも成績優秀でな、中学の時は生徒会長なんか任せられだべし、高校の時の先生の話だど東京の有名な大学さ入れるくらい、とにかく頭は良かったなぁ」

 これまた何回も聞いた若い頃の親父の自慢話。愚痴ばかり零して常に眉間に皺を寄せていたお婆がその時だけは誇らしげな顔で回想に耽っていた。

お婆が親父に寄せていた期待がどれほどのものかは分からないけれど、撲の親父自身は大学に入りたいとは一言も言わなかったらしい。

気立てが良くて実直な性格の親父は、一流の大学を受験させる事で将来を有望視する周囲の声をやんわりと断わり、高校を卒業すると迷うことなく公務員の試験を受けた。それから地元の町役場に勤務してとにかく真面目に堅実的な人生を歩んだ。女性にだらしなく生きた祖父の血が自分の中に流れている事を嫌悪するように、女性との交際もおふくろ以外にはなかったらしい。

「オメの父ちゃんほど人間の出来た人はいねぇよ。あの道楽者の祖父さんの子とはとても思えねぇ。多分婆ちゃんの血の方ば濃く受け継いだんだべな。血は荒そわねぇっていうげども、あの家は祖父さんだけでなくて、先代もその前の代の主人も女癖が悪かったそうだがらなぁ。ホント困った人たちだ。……昔の百姓の家は皆貧乏なもんだがら、余計な子供ば孕ませられた女子おなごたちは食い扶持ば減らすために泣く泣くその子供ば間引きしてよぉ……」

 僕はもうお婆の話をまともに聞いていなかった。テレビのドキュメンタリー番組に意識を戻して取り止めのないお婆の話をやり過ごす。

(ある種の霊長類では、優位な雄猿が年を取ってリーダーの地位を保てなくなると、より若くて逞しい雄の個体が彼を倒す。リーダーの地位を奪った雄の個体は長いマントのような毛を生やし、それを後継の印として群れに君臨するようになる)

「……ホントのところは婆ちゃんにもよくわがらねぇ。んでも都合の悪い物ば隠すのに、蔵ほど便利な所はねぇなぁ……骨だけさなってしまえば、小猿だか人の赤ん坊だかわからなくなってしまうもの……」

 壮大な音楽と共に新しいリーダーを迎えた猿の群れが、新天地を求めて森から森へ移動する映像が流れる。お婆の話はただ耳を素通りし、相変わらず陰気な独り言として宙を彷徨った。撲の意識はテレビの猿の群れに固定され、その行方をじっと見守っている。群れは乱れた隊列を組んで深い森の中を前進し続けると、やがて取材班が踏み込めない更なる奥地へと姿を消した。暗くて深い巨大な森を背景にエンドロールがゆっくりと流れ、番組が終了する。

「ハァア……また長々と退屈な話ば聞かせて悪かったなぁ。婆ちゃんもう眠ぐなって来たはぁ。何度も言うげどなぁ、婆ちゃんはもう充分長生きしたからあとはいつ死んでも悔いねぇよ。多分そろそろお迎え来るべがら、また今日みたいにヒマな時にでも婆ちゃんの話ば聞いてけろなぁ。この晩酌だけが婆ちゃんの楽しみださげよぉ」

 番組の終了に合わせ、ようやくお婆の話も終わったようだ。わりと機嫌は良さそうだったが期待していた小遣いはなかった。お婆はわずかばかり残ったコップ酒を舐めるように全部飲み干すと「それじゃあ、おやすみなぁ」と呟いて、ふらふらと自分の寝室へ戻って行った。

柱時計がぼぉーん、ぼぉーんと鐘を打ち、九時ちょうどを告げる。寝るにはまだ早い時間だった。

テレビのチャンネルをかえながら思わず欠伸をする。そして徒労感と解放感を綯い交ぜにした気分で背伸びをすると、「そろそろお迎え来るから」と言い出してもう十年になるお婆の口癖に一人苦笑いした。


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