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魔術師の庭

魔術師の庭 - 手紙 -

作者: 夕凪

 肺を満たした空気は、やけに重く感じた。

 外は雨が降っているのかもしれない。彼は気を紛らわせる為に、天井付近にある、申し訳程度に付けられた窓へと視線を向けた。赤錆に覆われた鉄格子の先は陰鬱な雲が立ち込めているというのに、やけに明るく見えた。

 彼は視線を変えぬまま、冷たい石積みの壁に背中を預けた。

 男は薄汚れた灰色の衣服を纏う出で立ちだ。頭頂部が薄くなった頭髪は短く刈り込まれており、深いシワのある顔には薄っすらと無精髭が生えている。日に焼けた肌は銅の様に赤く、野蛮な生命力を見る者に与えてくるが、彼の眼差しに光はない。時折、瞬かれるそれはまるで義眼のように作り物めいていた。

 彼は体を動かさぬまま、視線を動かしていった。明るい窓の光を失うと、影の落ちた石積みの壁が続いている。その先には鉄製の扉がそそり立つ。それが彼の身の回りの全てだった。罪人を収容するには十分すぎる部屋なのだろう。ここに来て、そう長くはないが、彼は我が身を踏まえてそのように思った。

 馬鹿な話だ。人生に旨い話なんて、早々転がっているもんじゃないのに。

 彼は近くの壁を蹴り飛ばしながら、ここへ――王都の郊外にある牢獄へ来る前のことを思い出した。この陰鬱な空間に放り込まれてから、まるで発作のように、その事が頭を過ってしまう。思い返した所で、何も変わらない事を自覚していた。

 口の旨い仲間の一言が全ての原因だ。魔術大国リアの北方――未だに魔人族との交戦が続く戦地付近で荒稼ぎをしようと話を持ちかけられたのだ。戦地付近には古都ヴァイスがあり、その周辺にも十分な集落が残されている。その村々を襲い、金品や人間を強奪し売り捌けば良い金になるという。

 気が付けば野盗という身分に落ちていた彼にとって、悪い話ではなかった。もちろん、戦地の付近だから何かしらの危険はあるかもしれないが、少なくとも王都周辺の騎士団による野盗狩りに比べればマシだ。騎士団が勢力を拡大していく中、仕事の幅を狭められ続けた彼は、仲間とともに北方の山の中へ拠点を移した。

 活動を開始した当初は、とても好調だった。戦争に矛先が向いた軍隊は些細な夜盗など眼中になく、襲った村々にも戦闘力を持つ男衆がロクにいなかった。彼らは奪い取った戦利品を競うように見せ合い、浴びるように酒を飲み、手頃な女どもを捕まえては冒していった。

 だが、荒稼ぎにまでは至れなかった。そもそも場所が悪すぎるのだ。戦争が各地で起きている土地で過ごそうという者が、訳ありでないはずがない。この土地の者は騎士団に関わりを持つ者か、何らかの理由――金か罪人か信仰か――により残らざるを得ない者ばかりであった。

 彼らは焦るように襲撃を続けていった。それは成果のない、ただの殺戮に終わることも稀ではなかった。少しずつ先立つものが消えていき、気がつけば彼らもこの土地から離れられない、訳ありの住民と化していた。

 そんな折、彼らの拠点が騎士団により襲撃を受けた。二十余の仲間の殆どが殺され、外へ引きずり出された彼を含め、生存者は数名であった。

 生き残ったことは奇跡なのか。彼は自問した。無意味に生き続けることは、奇跡なのか。自分のような罪人に対する刑罰は絞首刑という名の死が待っているに過ぎない。ならば、あの時に騎士団の手で殺された方が良かったのではないか。

 この牢獄には週に一度、神父が訪れ、罪人に対し説教をしていく。曰く、人はみな咎人である。産まれ、生きる中で背負った罪を知り、その事を悔い改めることで神の愛を受けることができるという。

 神父の言葉に耳を貸し、心を入れ替えれば幸せになるのだろう。処刑が執行される瞬間まで、神の愛を受けることができる。自分にはない何かを心の拠り所にする事は、生きていく上での支えになる。彼は頭で理解はしつつも、それを行う気にはなれなかった。彼は根っからの無神論者だ。神か剣か、どちらか選べと言われたら、迷わず剣を手に取り、それを振りかざすであろう。

 その結果が、相応の暗い牢獄か――荒縄に吊り下げられるモノが収納される場所か。

 彼は壁を蹴るのを止めた。

 シンっと体が冷えるような静寂が広がる。この牢獄には彼のようなモノが多く収納されているというのに、誰彼もが微塵も音を立てていない。

 鉄の扉越しに足音が聞こえ始めた。倉庫番の見回りの時刻だ。日に五回、一回も欠かす事無く行われている。どんな奴が歩いているのか、扉に嵌め殺されている鉄格子から覗こうものならば、警棒を突き出され、打ち据えられた。

 彼の部屋の前を倉庫番が過ぎていく。遠退いて行く足音が反響する。程なくして、どこかの扉が強く叩かれる音に変わった。

 見えないのにもかかわらず、彼は音の聞こえる方へ無意識に目を送っていた。まるで鉄の扉に全身を叩きつけているような重い音だ。時折聞こえる金切り音は爪を立てているのか。

「うるさい、静かにしろッ!」

 男の罵声が飛ぶ。しかし、効果は無く、依然として扉を破ろうと体当たりを繰り返している。

 恐らく、最近収納されたモノが騒ぎ立てているのだろう。彼は自分自身が収納された時の事を思い返した。者からモノへ変わるまでに何度警棒に叩かれたか、もう思い出せない。

 慌しい足音が走りすぎていった。仲間の倉庫番がやってきたのだ。ドスの効いた声を上げながらジャラジャラと音を鳴らして解錠し、蹴り破るように扉を乱暴に開く。

 そして、静かな牢獄に男達の狼狽した声が響いた。

 彼はハッと目を見開いた。埃とカビにまみれたモノ達が一人、また一人とうごめき出し、人の気配を感じさせてくる。彼らは鉄格子から顔を覗かせ、外の様子を伺っていった。

 通路に男の断末魔が木霊する。引き裂かれた肉塊が湿った音を立てて、床に打ち捨てられる。

 彼が顔を出す鉄格子の前を、数人の看守が走り去っていく。彼らは情けない声を上げ、我先にと足を縺れさせている。残り香は死臭だ。錆びた鉄の香りにも似た、血の臭いだ。

 その後、悠然とした足取りで事を起こしたモノが現れた。

 彼は目を剥いた。牢獄のそこら中から震え上がった者達の声が響いてくる。彼は恐怖のあまりに凍りつき、声ひとつ上げることさえできなかった。

 黒黒とした毛並みが蝋燭の炎に照らし出される。強靭な四肢の先端に血塗られた鋭い爪を生やし、冷え切った石床を削る。凛々しさを感じさせる顔には研ぎ澄まされた犬歯が誇らしく姿を見せている。

 眼前にいる狼に似たモノは、見紛う事なき魔獣――魔人族が戦争に用いる生物兵器だ。それがいるはずの無い牢獄にいた。

 魔獣の鋭い眼光が彼の姿を捉えた。

 彼は弾かれるように扉を離れ、反対側の壁に激突した。

 魔獣が吠えた。戦場で狼煙を上げるように、高く高く遠吠えを上げた。


「街へ行こう」

 ある昼休みの始まり、黒目黒髪の学生は声をかけられた。彼は魔術学院[魔術師の庭]指定の黒のローブを身に着け、ひと気が無くなっていく教室の中、ボンヤリとした表情で窓の外を眺めていた。

「外に?」黒目黒髪の男――オリジンは眉をひそめた。「ハルトマン、お前には午後の講義があっただろう? 確か、ミーシャ先生だったか。サボるのか?」

「そうじゃない。その先生自身からの指示なんだ。王都へ行って、手紙を渡してきてほしいと」

 彼と同じ教室の学生――ハルトマンは頭を振り、講師が発行した外出許可証と届け物をそれぞれオリジンへと見せた。オリジンはそれらを一瞥し、直ぐに手で払った。

「そうみたいだな。だが、俺はパスだ。午後にはキリシマ先生の総合格闘術がある。悪いが他をあたってくれ」

「学院長自身も一枚噛んでいるぞ。僕とサーシャ先生とで話しているときに、突然に話へ割り込んできたんだ。行くならば、お前も同行しろって」

「学院長が?」

 オリジンは聞き直すように問い、苦虫を噛み潰すような表情を浮かべた。

 先日、彼らが学院の旧校舎を破壊した時、その尻拭いを全て学院長が引き受けてくれた事がある。その際、学院長――キリシマはオリジンを含む四人の学生へ個人的な罰を与えると告げたのだ。

 その事件から既に半月は過ぎているものの、依然として彼の所へは個人的な罰がこなかった。オリジン自身がこのままなし崩し的に無くなるだろうと考えてしまうくらいに。

「ちょっとここで待っていてくれないか」オリジンは席を立った。「本人に確認してくるよ。本当にそうならば、俺も外出許可証を貰わないと欠席扱いになる」

「キリシマ先生ならば、一階の講師室にいるかもな。さっきまではそこで話をしていたから」

 オリジンはハルトマンの言葉に従い、講師室へ向かった。休憩時間という事もあり、通路のそこかしこで数人組の生徒達が他愛も無い世間話をしている。

 重厚な扉に閉ざされた講師室へ入る。ここは[魔術師の庭]で教鞭をとる講師陣の内、常勤講師達が日々のデスクワークを行う場所だ。事務机が部屋の中央に整然と並び、壁に沿う様に資料を入れるロッカーが置かれている。

 ロッカーの一つが開けられ、その前で三十代半ばの男がファイルをめくっていた。白髪混じりの頭髪を後ろに撫でつけ、精悍な肉体の上に学院の講師の中でも限られた者だけが纏う事を許されるローブを身につけた男――キリシマは、無くし物を探す様に資料を手早に読み上げては先へと進んでいく。

「ちょっと宜しいですか」

 遠慮がちにオリジンは言った。キリシマは「ああ」と答え、手を止める。

「ハルトマンから聞いたのかな?」

「ええ。俺も彼と一緒にエーデルへ同行すると聞いています」

「左様。そう言えば君はここへ来るだろうと思い、準備して待っていたよ。私も街へ届け物をしてもらおうと思っていたものでね」

 キリシマは朗らかに言いながら、手にしていたファイルをロッカーへ戻した。懐から外出許可証と手紙を取り出す。

「それは、個人的な依頼というものでしょうか?」

「そう思ってもらって構わない。既にユリアンには北方の戦地へ軍医として赴いてもらい、ディアナには保管庫で魔剣の解読を行ってもらっている。君とボトムはどうしようかと悩んでいたが、ちょうど興味深い事が起きてくれた」

「それが、手紙渡しという依頼につながるのですか」

 オリジンは棘のあるもの言いで言いながら、手紙を受け取った。何の記載もされていない白い封筒に学院長の印で封蝋されている。

 手紙渡しは言わずもがな簡単な仕事だ。この学院において講師が学生へ個人的な依頼をする事は多々あるが、その多くが手紙渡しだと言われている。事件を起こした夜、オリジンは学院長から個人的な依頼を受ける話を聞いた時、よもや手紙渡しではあるまいと心のどこかで期待していた。

 確かに、ユリアンやディアナに比べると、彼は自らが凡人である事を自覚していた。治癒を成せない魔術という特性を用いて治癒を可能にしたユリアンと、魔術に対する天才的な才能を持つディアナと違い、彼には秀でた何かが無かった。

「オリジン。手紙渡しは決してつまらない仕事ではないぞ?」キリシマは言い聞かせるように語る。「手紙とは思いを伝えるものだ。人が抱く意思や感情というものが、物事を動かしていく。動いた物事が、やがて世界さえも変えていく。手紙を渡すという事は難しいものだ」

「別につまらないとか簡単とか、そんな風には思っていません」オリジンは口早に言った。「所で、手紙には宛先が書かれていないようですが、どなたに渡せばいいのでしょうか?」

「エーデルの北側に魔術協会があるのは知っているだろう。そこの地域保安部の部長をやっているマイヤーという男へ直接渡してもらいたい。決して他の者を介してはいけない」

「了解しました。本人へ手渡しします。それともう一点」

「ふむ、まだ何かあったかな?」キリシマは首を傾げた。

「外出許可証が二枚発行されているようですが、これは如何に処理をすれば?」

「ああ」キリシマは綺麗に髭がそり落とされた顎を手でさすった。「君と同じく、まだ依頼を受けていない彼の分だよ。私の生徒達が共に街へ行くのだ。仲良き者は多いに越した事は無い」


 王都――エーデルは魔術大国リアが有する国土のほぼ中央に位置する。以前、王都と呼ばれていた場所は北方の都市ヴァイスであったが、相次ぐ魔人族との紛争を理由に、十数年前に南方の主要都市であったエーデルへと遷都した。その為か、この街では機能を付け加えるように建築が盛んに行われていた。

 オリジンを含む学院の生徒達のほとんどが、この街へ訪れた事があるだろう。講師の依頼か個人的な理由かにより、何かと街へ行く事はある。基本的な私生活は学院内で事足りるが、それを超えた――選択した講義の内容にもよる――行為を行わなければならない時には、この街で資材や知識を調達しなければならない。

 とはいえ、金無し貧乏学生には高嶺の花ばかりである。

 学院を連れだって出たオリジンとハルトマン、ボトムは早々にミーシャの要件を済ました。人混みを避けるように繁華街を迂回し、魔術協会へと向かう。

 街の北側のメインストリート沿いに位置する魔術協会は周囲のビジネス街に溶け込むような雑居ビルの外観をしていた。正門を抜けた先には平坦な灰色の壁が広がっており、一階には光を取り込む為の窓さえ無い。

「玄関、無いな」ボトムは二の腕の肉を撓ませて腕を組みながら、魔術協会の建物を眺めていた。「魔術師ならば壁を打ち抜けるから、その技量がある事を示す必要があるのか?」

「ディアナみたいな破壊衝動で片づけるなよ」オリジンは苦笑いを浮かべた。「お前は初めてなんだな、ここに来たのは」

「ああ、そもそも学校の用事で街に来たことさえ、初めてかもしれない。実は俺って、講師に期待されていなかったり?」

「そうかもしれないな」オリジンは鼻で笑って、正門をくぐった。正門の先に並ぶ灰色の壁の側に立つ警備員に声をかける。

「[魔術師の庭]のキリシマ学院長の命で来た者ですが」

 警備員はジロリとオリジンを見た後、「どのようなご用件で?」と言ってきた。

「地域保安部のマイヤー部長へ手紙を渡しに来ました」

「そうでしたか」警備員は道を開けるように脇へと退いた。「地域保安部はこちらを入って右手方向に部屋があります。詳しくはそこで行くと良いでしょう」

 彼は右手で持つ杖を壁へと当てた。強固な石積みの壁が波のように揺らぎ、消えていく。

「いつ見ても素晴らしいな」ハルトマンは感嘆した。「なんて美しい魔術の構造をしているのだろうか。結界でもハッタリでも無い、物質の構造を把握し得た者のみが到達しうる神秘にも似た魔術の境地だ」

「ヤツの言っている言葉が理解できない。どういう意味だ?」ボトムがオリジンに耳打ちする。

「俺だって知らないよ。そこまで構造魔術は詳しくない」

 オリジンは肩をすかした。

 彼らは警備員の言うとおりに魔術協会の中を進んだ。内装は外観に似合わぬ小奇麗な造りをしている。外からでは見る事が出来なかった窓が等間隔に嵌められており、室内はランプの明りが無くとも明るかった。

 受付に要件を言い、しばらくすると中年の男が姿を見せた。魔術協会職員の制服を着た彼の肌は日に焼けた赤銅色をしている。

「遅れてしまってすまないね。私がマイヤーだ」

「[魔術師の庭]キリシマ学院長から手紙を預かってきた者です」オリジンはローブの内側から取り出した手紙を彼へ渡した。

 マイヤーはおもむろに封蝋を破り、封筒の中身を取り出した。二つ折りにされた手紙へ目を通していく。眉間にしわを寄せた難しい顔をした後、それを懐へと仕舞い込んだ。

「ご足労痛み入る。確かに学院長からの手紙を頂いたよ」

「それでは自分達はこれで失礼します」

 オリジンは一礼の後、その場を去ろうとしたが、マイヤーが止めた。

「私はまだ君達に聞いていない事がある」

「何でしょうか?」

「君達の名前を教えてもらえないか?」

 彼の唐突な申し出に、オリジンは虚を突かれたような顔をした。直ぐに佇まいを戻し、「構いませんが――」と言いながら、自分達の名前を名乗った。

「なるほど、キリシマ教室の魔術師か」マイヤーは何かに納得するように頷いた。「つまらない事で引きとめてしまって、申し訳ないね。また何かあったら、宜しく頼むよ」

 オリジンは釈然とせぬ気持ちのまま、再び一礼し、その場を離れた。

「そんなに俺達って有名なのかな」ボトムは自慢げな顔をしながら言った。「確かに学院の中じゃ、キリシマ教室なんて呼ばれ方をしているけれど、まさか学区外にまでそんな謂れがあるとは思わなかったぜ」

「どうだかな」

 オリジンは首を傾げた。

「少なくとも学院長とは繋がりのある人物だ。学院の事を知っていてもおかしくは無い」

「そうかもしれないけれど、その学院長が俺達の話をしているって事は間違いない」

 ボトムは胸のあたりで拳を握りしめ、鼻息を荒くした。

「つまり、俺にはまだ活路がある」

「ここまでポジティブにしてくれる妄想という名の狂気は、もはや魔術だな」ハルトマンは冷たい視線をボトムに送りながら、言葉にした。「さて、所でこれからどうする? 主要な用事は完了したな」

「そうだな。歩き回って喉が渇いたし、何処かで休憩でもするか」

 オリジンは懐具合をさりげなく確認しながら、ぼやく様に口にした。

 話をしながら目的も無く街をふらついているうちに、メインストリートを離れ、裏路地を進んでいた。王都へ幾度か足を運んでいた彼らは無意識のうちに雑踏の酷い通りを避けていた。

 建物の影に隠れてしまい、肌にまとわりつく様な湿気を感じさせる路地を抜けていく。横眼に映り込む、汚れた外壁。道の隅には戦火で住む場所を失った者が細々と命を食い繋いでいる。

 ユリアンが戦地へと赴いている、魔人族との戦争が一番の原因か。オリジンは遠くへと飛ばされた学友に思いをはせた。最近、この街にも浮浪者が多くなったという噂は学院にいる彼の耳にも届いている。

 彼の心境を知らぬボトムは壊れた蓄音器の様に自分の描いた未来像を口にしていた。ハルトマンはうんざりした表情で、そっぽを向いている。

 いつからだろうか? オリジンは後ろを振り向いた。

 ひと気の無い王都の陰のような場所で、人の視線を感じ始めたのは――

「おっ、どうした?」

 オリジンの不審な行動に、ボトムは釣られるように視線を移した。

 彼らの視線の先――走れば十秒とも離れていない場所に、誰かが立っている。魔術師と相反した薄汚れた白の外套を羽織り、顔には無地の布を巻きつけ、暗い双眸だけを外へとさらけ出している。体格をおぼろげにさせる衣服越しでも分かる、その鍛え上げられた肉体は男のものだ。

 二つの双眸が交錯する。白衣の男が音も無く駆け始めた。

 オリジンはハルトマンの二の腕を掴み、男から離れるように後ろへと飛んだ。掴み損ねたボトムは慌てふためきながら魔術を展開させていく。だが、それが現実となる前に、瞬く間に接近された男の拳に打ちのめされ、地を舐める。

 ――反魔術主義者。オリジンの脳裏に言葉がよぎる。人外の力である魔術を良しとせぬ思想の持ち主は、好んで魔術師と相反する白の衣服を身につける事が多い。魔術大国リアは魔術師の国であるから、そのような輩を見かける事は少ないが、どこからか流れ込んできているようだ。彼らは利害など度外視に、一方的に魔術師を差別し、時には死へと追い込んでいく。

 ハルトマンを後ろへ放り投げたオリジンは男へと接近した。ボトムへ追撃を試みようとしていた男は彼の姿に気付き、振り向く。

 ただの反魔術主義者ではない。正当な戦闘技術を身に付けた戦士だ。数度ほど拳を交わしたオリジンは直感した。

 男の剛腕が鞭のようにしなり、オリジンを攻め立てる。彼の判断を惑わす様に牽制を繰り返し、時に致命的となる一打を叩きこもうとする。

 巨躯を感じさせぬ立ち回りを凌ぎ、オリジンは強く息を吐いた。靴底が爆発に似た音を鳴らすと同時に、右の拳が男の脇腹を狙う。

 男は身を捻り、その拳を避けようとした。

――フェイク。その時には既にオリジンの左の手刀が男の死角へ飛び込んでいた。男のこめかみを貫く――想定を既にされていたのか――男は大きく身体を反らしながら後退していった。手刀の爪先が顔に巻いた布を切り裂いたに過ぎない。

 男はそのまま二歩、三歩と素早く後ろへと下がっていく。懐から何かを取り出し、オリジンへ目掛け投擲した。銀色に輝く投げナイフが空を切り裂く。彼は身体の重心を崩し、その軌道から身体を引いた。

 オリジンは即座に重心を立て直し、戦闘態勢に戻ったが、その時には既に男は遠い。

 彼は消えていく後姿を静かに睨んでいた。徐々に王都の日常が侵食してくる。戦闘の最中には聞こえなかった街の声が何処からともなく聞こえてくる。

「助かったよ」

 ハルトマンがオリジンの所へとやってきた。彼はオリジンが掴んだ二の腕の辺りを擦りながら、路地の先へと視線を送っている。

「この街にも反魔術主義者がいるんだな」

「ああ」オリジンは頷き、「魔術の国で魔術師を憎むなんて、因果な事をやっているよ」

 彼は視線を解いた。汗ばんだ身体から熱が奪われていく。

 二人は隅に転がったままになっているボトムへと近づいていった。彼は大の字になって、失神している。オリジンは呼びかけながら何度か頬を叩くが目を覚ます気配さえ感じさせなかった。

「完全にアウトだな」オリジンは嘆息を漏らした。

「どうする? このデブを引き摺りながら学院にまで戻りたくないぞ」

「同感だよ」オリジンは後頭部をバリバリとかきながら言った。「当初の予定通り、近くで休憩しよう。そのうちこいつも目覚めるだろう」


 喫茶店ルーリン。王都の北門の近くにあるとはいえ、いつもひと気の無い店だ。一階を喫茶店として店を構えつつ、二階は簡易的な宿泊施設を備え、訪れる旅人を迎え入れる。価格もリーズナブルに抑えている為、金欠のオリジンが王都に立ち寄った際には、この店へ足を運ぶ事も少なくない。

「まだ若いのに、災難な事もあるものだ」

 目覚めぬボトムを引き摺ってきた魔術師らに対し、嫌な顔一つ見せずに受け入れた店のマスターの言葉だ。彼はカウンターの奥に腰掛け、擦り傷だらけのグラスをゆっくりと磨いている。

 オリジンは注文したアイスコーヒーに口を付け、唇を潤した。

「全くです。この街にもそういう輩がいるなんて、思いませんでした」

「俺も耳にしないがね、そんな自殺志願者みたいな奴の話なんざ」マスターはグラスを外の光に当てて曇り加減を見た。気に入らないのか、再びフキンで磨き始める。「それで、そいつをふんじばってやったのか?」

「いえ、そこまでは。言葉通り、逃げられました」

「逃げられるきっかけを与えた、が正しい表現だろう。お前の場合」グラスを両手で持つハルトマンが割り込む。

 オリジンは眉をピクリと動かし、表情を変えぬまま首を振った。

「そんな気を使えるほどの相手じゃないよ。この手の事に手慣れた奴だった」

 カウンターの奥から意外な事を聞いたような声が上がった。

「俺は戦争経験も無ければ荒事にもあまり首を突っ込まないから分からないが、お前さんらでもそう思える相手がいるのか。てっきり、ドカーンと魔術を使っちまえばどんなことでも済むと思っていたぞ」

「確かに魔術は非常なまでに強力です。でも、拳が届く距離になってしまえば拳の方が早い。魔術を使うには色々な制限と準備がありますので」

「物は使いようという事なんだな。言われてみれば、喧嘩っ早い奴らは口より先に殴りかかっている」

 マスターは豪快に笑ってみせた。

 古びた木戸が軋み、外の風が舞い込んできた。この近くに住む住人がやってきたのだ。

彼はふら付いた足で進み、マスター近くのカウンターへ座った。

「さっき号外がばら撒かれていたから拾ったが、また化け物にやられたみたいだぜ」

 客はケタケタ笑いながら、握っていた新聞をカウンターへ広げた。マスターは「どれどれ」と言いながら目を通していく。

「これで三回目だったか」

 マスターがうんざりする様な声で呟く。彼は新聞を手早に読み終わし、客へ出す品を作り始めた。

「ああ、全く街も傭兵なんて雇って済ませようとしないで、国にでも依頼すれば良いものを」

 客は出されたグラスに手を付けた。小麦色の酒を煽る。「北の方での紛争が起きているみたいだか、そのくらいの余裕はあるだろうに」

「どうなんだろうな。何にせよ、まだ死人が出ていないだけ、マシなんだろう」

 マスターは話をはぐらかす様に言った。

 アイスコーヒーを飲み終えたオリジンは、氷を噛み割りながら、彼らの話に耳をそばだてていた。

 聞いた事が無い話だ。恐らく、まだ事が起こってから、そう時間が経っていないのだろう。街から離れた所に位置する学院は、その性質上の事もあり、外の情報を耳にするまでに時間がかかる。

 ハルトマンも初耳だったのだろう。テーブルに肘を付け、手を組み、真剣な表情で聞いている。

 彼の口から言葉が漏れる。曰く、「正義を成すべきか」と。聞こえてしまったオリジンは視線だけを動かし、ハルトマンへ向けた。それが非難の視線である事に、ハルトマンが気付く事は無い。

 上の階層で木床が軋む。ベッドを借りていたボトムが目を覚ましたのだ。

 オリジンはグラスに残った最後の氷を口へ放り込み、出発の準備をする事にした。


「何も、僕達が倒そうと言っている訳ではない」

 それがハルトマンの主張であった。

 郊外に広がる森へ彼らは足を踏み入れていた。王都の街中に散らばっていた号外に書かれていた場所だ。ここ最近になって、森には人を喰い殺す化け物がおり、それを討伐すべく街では傭兵を囲っていたらしい。

 ハルトマン曰く、その実態を詳細に知るべきである。学院の指示で街へ来た以上、戦う力を持つ者として、その役目を果たすべきである――云々と。

 森は異様なまでの静けさに包まれていた。生きる者の気配を感じさせぬほどの静寂に、耳が痛い。オリジンは頭痛にも似たそれを感じながら、ゆっくりと先へ進んでいった。

「実は、何もいないんじゃないか?」

 ボトムは囁くように言う。街中での事もあり、荒事から身を遠ざけたいと考えている彼はハルトマンの言葉に賛同しかねていた。

 彼の言葉の心意はオリジンとて理解できたが、ハルトマンの言葉にも頷ける所があった。学院の全判断を下す事が出来る学院長――キリシマ直下の生徒である自分達が報告という形で学院へこの事を伝える事は出来る。その後の判断にまで口をはさむ事は出来ないが、事の収束を早めるきっかけになるかもしれない。

「何もいなくて、わざわざ傭兵を雇うかよ」

 オリジンはそう言うと、ボトムは「――ですよね」と肩を落とした。

「何度も言っているが、僕達は危険な事をやろうとしている訳じゃない」ハルトマンは再三同じ事を繰り返す。「我が身に危険が及ぶ前までだ。何の準備もせず、何の策も講じていない。だからこそ、あくまで必要最小限となる事だけで終わらせるべきだ」

「その為には相手に会わないようにして、知らないとな」

 オリジンは皮肉げに言った。

 そのような芸当が不可能という訳ではない。事実となる痕跡を見つければ良いのだ。眉唾のゴシップ誌を見せられるよりも、そのものに直結した痕跡を与えられた方が信憑性は格段に増す。

 魔術師一行は広大な森の中を彷徨う様に進んでいった。この森を生業としている者達によって踏み固められた道に、それらしいものは何一つとして無い。ましてや戦いの痕跡なども――

 徐々に日が傾き、影の色に濃さが増していく。

 彼らの視線の先で、影が揺らぐ。風の音だ。木々の隙間を走り抜け、高い音となる。

「この中に、品行方正の悪い奴がいるのかもな」

 唐突にオリジンは言った。

 眼前の影が輪郭を浮かび上がらせる。大人の腰ほどもある背丈をどのように隠していたものか。さも森に落ちる影が形を成したように、一匹の獣が現れる。強靭な四肢で地を闊歩する姿は酷く美しく、恐ろしい。

 狼か――見る者は思うだろう。突き出た口には犬歯が生え揃う。黒々とした姿は風を掻き分けるのに適した流線型だ。その姿がただの獣にしか見えぬ事に、些かの疑問がオリジンの脳裏に過ぎる――が、直ぐにボトムの震える声が耳につき、消えた。

「どうする? 思ったとおり、会っちゃったよ」

「計画外だが、推測通りだろう」

 オリジンは手を振り、二人を下がらせた。

 魔術学院[魔術師の庭]では、皆否応無く戦闘訓練を受ける。もちろん、それは必要最低限、自らの身を守る事を目的としている。それ以上の目的については、各生徒を取り纏める教室の講師が――彼らの場合、学院長キリシマが方向性を見出していく。

 この場にいる彼らの中で、戦闘としての魔術師の方向性を与えられているのは、オリジンただ一人であった。ボトムやハルトマンは魔術における理論や構造の方向性が見出されている。最も、ほとんどの場合がそれだけでは済まされないのだが。

 獣は優雅に地を駆ける。刹那の間に彼我の距離を殺し、その鋭い犬歯をオリジンの喉元へと向けた。

「抜剣、虚ろな刀身」

 オリジンは動じることなく、囁くように魔術を発動させる。空を握る手から白刃が伸び、一振りの剣となる。

 すれ違いざまに狼の開かれた口へ刀身を当て、横に薙ぐ。相手は自らの勢いのまま、口の裂け目から胴体にかけて深く切り裂かれていく。力を失った四肢は自らの重みを支える事が出来ずに、頭から大地へと転がった。

 その姿の通り、ただの獣だ。それなりの戦闘技術を持つ者であれば殺す事など造作も無い。

 オリジンは地に伏す気高き獣へと目を向けた。黒々とした毛並みは未だに活力を宿している。死んでなどいない、切り裂かれた傷は何処か。そんなものどこにも無い。傷跡さえ存在しない。

 ゆらりと立ち上がった狼がオリジンへ視線を向ける

 オリジンは「ほぅ」と息を漏らした。未だに手には血肉を切り裂いた感覚が残っている。その手で魔術の剣を握り直した。

 街の傭兵達は相手の強さゆえに倒せなかったのでは無く、純粋に倒せなかったのだろう。オリジンは不死の狼へ太刀を浴びせながら、思う。動きそのものは獣と変わらない単調なものだ。しかし、頭を切り落とそうと、両目を潰そうと、心臓を抉りだそうと命それ自体を奪うに至れない。

 もはやこれは生物なのだろうか。魔人族の生体兵器である魔獣でさえ命を失えば、事切れる。致死に等しい傷を負いながらも、生きていられる生物など思いつかない。

 彼はじりじりと後退させられ、森の出口へと近づいていった。オリジンはそのことを薄々感じ、撤退するタイミングを計っていた。不可思議な相手が持つカラクリを知らなければ、暖簾に腕押しだ。

 ――刹那、森の奥から高い遠吠えが響き渡った。静寂に見ていていた森が一気に泡立ち、ざわめく。息を殺して身を潜めていた小動物はあわてて巣へと潜り込んでいく。高い木々に身を隠していた鳥達は鳴きながら大空へと逃れていく。

 不死の狼の仲間か。オリジンは生唾を飲んだ。自分達は知らぬ内に獣が繰りだす罠にかかっていたのか。

 対峙していた黒き獣が忽然と姿を消していく。蜃気楼であったのかと疑わせるように、細やかな光の粒となってオリジンの周囲を通り過ぎていく。何が起こっているのか、彼の理解が及ぶ間もなく、眼前に生える太い樹木が音を立てて倒れていく。

 同時に女の金切り声が聞こえた。

 オリジンは土埃が立ち上る光景を注視する。何本もの太い幹が折り重なる上に一頭の獣がいた。そして、その近くの地面には小さな少女が倒れている。

 シンッと空気が冷え渡る。まるで夜の訪れが早まった様に影の色が増していく。

 先程まで彼が攻めあぐねていた狼に似た獣が赤色の瞳を向けて、彼を見下ろしている。その雄々しき姿は先ほどの比では無い。四足で立っているというのに、オリジンの背丈に勝るとも劣らぬ位置に眼光が輝いている。

 彼は首を少しだけ反らし、後ろにいた学友の様子を窺った。生憎、視界の隅に入り込まない。都合良く撤退してくれたのだろうと、勝手に判断した。

 狼は声を上げ、魔術を発動させた。オリジンは乾いた唇を舐めて潤し、身を守る為の魔術を思考で構築する。魔獣を中心として風が戦慄き、空気を凍りつかせる。草木は寒さにやられ、命を失っていく。

 その魔術に脅威が無い事を悟ったオリジンは素早く駆け、倒れている少女を小脇に抱えた。街に雇われた傭兵だろうか。旅をするには軽装で、腰に細身の剣を下げている。

「全く、どうして俺の近くにいる女というものはこうも手を焼かせるんだ」ショートボブの黒髪の女性を脳裏にちらつかせながら、呟く。

 緑が豊かであった森が見渡す限り冬景色へと変貌する。吐く息は白く、手足が悴む。

 魔獣の魔術が終わらぬ内に、彼は足早に後ずさる。そうして出来た彼我の距離など、容易く殺されてしまう。

「膨張、銀糸の檻」

 彼の言葉に呼応し、周囲には針金に似た銀色の糸で綾組まれた障壁が紡がれていく。躍りかかる魔獣が繰りだす鋭い鉤爪が障壁を削り、酷い火花を散らした。

 何処まで立ちまわれる事が出来るだろうか。オリジンは少女を抱えている状況に舌打ちした。己以上に肉体的に優れた相手から身を引くには、些か無理が生じている。撃退する事など、もはや絵空事だ。

 オリジンの精神を摩耗させるように、魔獣は一撃離脱を繰り返す。その巨大な身体を彼の死角へと潜り込ませながら、銀糸の障壁を鉤爪で舐める。整然と編まれていた銀糸が解れ、その剣先を隙間から覗かせてくる。

 魔術の障壁は、ただの時間稼ぎに過ぎない。とはいえ、その後の事を見出すだけの余裕が彼には無かった。この場を一歩たりとも動けず、壊されていく魔術が完全に無きものとならぬように意識を送り続ける。

 パンッと弾けるような音を立てて、障壁が瓦解した。踊りかかる巨躯を逃れようとオリジンは無理矢理に横へ飛んだ。眼前に艶やかな黒の毛並みが通り過ぎていき、すんでの所で魔獣の繰りだす暴力を避ける。

 着地に失敗したオリジンは背中から地面に転がった。強かに打ち据えた背筋の痛みに意識が奪われる。それが回復する頃には、既に魔獣は踵を返し、彼へと襲いかからんとしていた。

 間に合わない。魔術で障壁を打ち立てるよりも早く、相手の爪が肉を切り裂き、質量が骨を潰しているだろう。身動きさえままならぬ状態の彼は、唯一、自由に動かせていた視線さえ、魔獣の動きに拘束される。

 どこからか――高鳴りする一陣の風のように射られた矢が魔獣の体へと突き立った。魔獣は動きを止め、オリジンへ冷たい眼光を向けていたが直ぐに矢が射られる方へと向き直る。

 二度、三度とたびたび空を切り裂くそれを掻い潜り、魔獣は森の中へと駆けていった。

 街の傭兵が来てくれたか。オリジンは魔獣が向かった先へ視線を向けた後、慌しく立ち上がった。地面に突き刺さった矢尻を引き抜くと、彼は気を失っている少女を背負い、早々に森の出口へと走っていった。


「俺達、御土産付きだな」

 魔術学院[魔術師の庭]の正門で立ち止まったボトムはぼやいた。

 森の出口で待っていた彼らと合流したオリジンは、そのまま真直ぐに帰路についていた。

「ならば、その場に置き去りにしてくるべきだったとでも?」

 オリジンは背中で眠る少女を背負いなおしながら、半眼で言った。

「誰もそのような非人道的な事は言わない。むしろお前の行為は称えられるべきだ。だが、それとは異なる局面で問題になるかもしれない」

 ハルトハンは腕組みし、正門に備え付けられた警備室へ視線を送った。外部からの侵入者の排除や内部からの情報漏えいを防止する為に設けられている関門だ。外出する魔術師はそんなに注視される事も無いが、少しでも不可解な事があると質問攻めの標的にされてしまう。

 オリジンが森の中で助けた少女が問題だ。街の傭兵であれば街へ送り届ければよいと考えていたが、そうではなかった。

 気を失っている少女の風貌は、幼さを連想させる体つきと相反する大人びた気品あふれる面影をしている。なにより人間ではありえない、突き出た様な耳の形をしている。

 彼女は人間ではない。人々が語る、帰らずの森に住まうエルフだ。

 エルフという種族は人間を忌み嫌っている。自然とともに在る事を信条とする彼らにとって、自然を湯水のように穢していく人間という種族は相いれない存在なのだ。またその美しい容姿が人間の一部の愛好家の中に求められ、商品として売買される事を知っているからだろう。

 魔獣が出る様な危険な森へ置いてこれず、かと言って人間の街へ預けてくる事も出来なかった魔術師達は、最後の選択として魔獣でも純粋な人間でも無い魔術師の学院へと連れてきた。

 だが――

「どう警備室の目をかいくぐるべきか」

 オリジンは呟いた。

 魔術師は純粋な意味での人間ではない。魔術を扱う事が出来る他の――主に神獣種と言われる、既に滅んでしまった種族との混血によって世に産み落とされた異端児だ。だからといって、人間という枠組みを完全に捨てている訳でもない。

 彼らの推測できる限り、この学院の中でさえエルフを見たというものは指で数えられる程度の数だろう。なんせエルフからしてみれば、ここは紛れもない人間の領域なのだから。

「やっぱり、この娘が目覚めるまで森で待つべきだったんじゃないのか? 考えてみれば、今はユリアンだっていないぜ」

「森にとどまる選択は危険が付きまとう。それは難しいものだ」

 ボトムの言葉にハルトマンが切り返す。ボトムは「それはそうだけれども」と言葉を濁した。

「お前達、正門付近で何をやっている?」

 ゆっくりと背後から近寄っていた男が問い尋ねた。魔術師とは相対する白衣に身を包む初老の男だ。この学院へ医師として勤務している男――ゴートは往診の帰りなのだろう。片手に往診の小道具を詰め合わせたバッグを提げている。

「ウッ!」ボトムは反射的に声を漏らし、身体を後ろへ反らした。相手は学院の中でも生徒に嫌われている講師陣の内の一人だ。学院の規則に煩く、些細な事でも重箱の隅を突きながら口喧しく言う事が趣味だと、生徒達の間で囁かれている。

「なんだ。まさかお前らは部外者を連れて来たのか?」ゴートは顔をしかめ、ノシノシと近付いてきた。「忘れたのか。この学院の内部には学院が認めた者以外は認められないのだぞ。どうせ街の者だろう、直ぐに帰してこい」

「ゴート先生。ちょっと街へ連れて行けない訳がありまして」

 オリジンは彼の方へ歩み寄った。学院の救護室に行く以上、この男との衝突は避けられないと腹をくくった。

「まさかお前達が危害を加えたのか? そもそも正式な外出許可を得て行ったのだろうな? 場合によっては退学だぞ」

「ええ、もちろんです」

 オリジンは皺くちゃになった外出許可書をゴートへ手渡した。彼はそれをじっくりと眺め、「学院長が連れて来いと言ったのか?」と問い尋ねた。

「そう言う訳ではありません。これは自分の意思で連れてきました。貴方に診て頂こうと思いまして」

「私に?」ゴートは訝しげに言った。「ならば怪我か病気か。それならば街に医者がいるだ――」

 彼は少女を見て、言葉を失った。彫りの深い顔へさらにしわを寄せ、目を見開く。その後、囁く。

「何処で拾ってきた?」

「王都近くの森です。色々経緯はありますが、そこで敵と交戦している最中、倒れている彼女を発見しました」

 オリジンの話を聞き、ゴートは唸る様に声を上げた。そして、羽織っている白衣を脱ぎ、彼女を覆い隠す様にオリジンへと掛けた。

「馬鹿者がッ!」ゴートは雷の如き怒声をオリジンの上から叩きつけた。「まっとうな教育を受けた魔術師であれば、もっと人種間の問題に配慮を持てッ!」

 言い終えた初老の男は踵を返し、正門を離れて行く。

「裏門へ回るぞ。ここは人目が多すぎる」


 陽光を思わせる暖かな光は、精霊が動く軌跡だ。

 精霊が住む世界と自然が住む世界との境に位置する[我らが母なる森]には、いつもその光が満ちている。

 常に絶える事が無い、揺らぐ軌跡を眺める事は、この森に住まうエルフにとって日常を象徴するものであった。過度な感情に左右されやすい精霊がその場にいるという事は、何も起こっていない事の証明なのだ。

 この森で数十年という時を過ごしてきた、未だ幼さを面影に残す娘――ヤニーナもまた彼ら同様にエルフの日常を愛していた。不死にも近い長い年月の中で自然が住む世界の様相が目まぐるしく変わりゆく事を知っているからこそ、変らない光景に自分達を重ね合わせてみているのかもしれない。森の中では、まだ経験の浅い彼女なりの見解だ。

「ヤニーナ、まだこんな所にいるの? 村へ戻った方が良いよ」

 ぼぅとしていると、頭上から女性の声が降り注いだ。ヤニーナは身体を反らして上を見ると同い年くらいの少女がいた。

「どうして?」

「どうしてって、貴方は聞いていないの? また森の入り口付近に人間が現れたんですって」

「そうなの、懲りないのね」

 ヤニーナは立ち上がり、身体についた土を払い落した。

 森の入口に人間が近づいてくる事は良くあることだ。その度に村の自警団が追い払っているという事を耳にしている。そうしなければ、人間が村へ押し寄せ悲劇が起こるという。

 人間を含む他の種族と相見えた事が無いヤニーナは村の古株連中が語るそうした話を話半分に聞いていた。子供相手ならば怖い話になるのだろうが、ヤニーナはそんなに幼くないと自分では思っていた。最も古株から見たら殆どの者が子供同然か。

「所で、今度はどういう人間がきたの?」

 村へ戻る途中で、ヤニーナは興味の赴くままに言葉を紡ぐ。

「なんでも子供らしいわ。最近、人間の動きが活発ね。危険な獣を放ったり、大勢で騒いでいたり。そんな事をしていて楽しいのかしら」

「子供? 街の?」

「さぁ、そんな所まで知らないわ。騒ぎ立てている連中から聞いただけだから」

「そうなの」

 ふーんと鼻で相槌を打つ。ヤニーナははたと足をとめた。

「ならば問題なさそうじゃない」

 ヤニーナの軽い口調に、女は「何が?」と問い返した。

「私が追い払っても問題ないと思わない?」

「何を言っているの、危険よ?」

「そうかしら」

 ヤニーナのとぼける態度に、女は咎めるように視線を送った。

「長老から聞いているでしょう? 人間につかまったら最後、村へは戻ってこれないのよ」

「大丈夫よ。会わないように幻覚を見せてあげて追い払うから。それに――」

 ヤニーナは素早く腰にぶら下げている細身の剣を引き抜いた。

「いざとなったら子供くらいどうとでもなるわ。私の剣さばきに光るものがあるって、その長老が言っていたもの」

 音を立てて刀身を鞘へと戻した。

「村の人には言わないでね。大丈夫、バシッとやる事やって戻ってくるから」

 ヤニーナは踵を返し、人間が出たという森へと向かっていった。


 ヤニーナが目を覚ますと、世界には光の届かない夜が広がっていた。

 体にかかっていた毛布を剥ぎ、半身を起こす。クラクラと頭が揺さぶられるような感覚を覚える。静かな夜には相容れない耳鳴りが遠くから聞こえている。

 ここが人間の家なのだろう。視線だけを動かして周囲の様子を伺うが、酷く殺風景に感じられた。窓から望む景色も闇と灰色が混濁した様な色合いをしており、自然の温かさを感じる事が出来ない。

 今なら、この夜に紛れて逃げ出せるかもしれない。間抜けな事に――拘束さえされていない手足を動かして、窓をじっと眺めた。遠くに赤い炎が揺らめいている。外には見張りがいるのかもしれない。

 窓ガラスを椅子で叩き割って出て行けばいいかと考えていると、ふっと風が流れるように人の気配を感じた。物音は無いのにも拘らず、扉の向こう側に誰かがゆっくりとドアノブを回そうとしている。

 ヤニーナは慌てふためきながら寝ている振りをする事にした。勢いよく半身を戻していく時、ヘッドボードに後頭部を打ちすえ、苦悶の声を上げた。痛みを紛らわそうと悶絶しているうちに、毛布と一緒にベッドからずり落ちて行く。

 彼女がはっと目を開いた時には、既に開かれた扉の先から黒の双眸が彼女を見下ろしていた。その男は首筋に手をやり、困ったような表情を浮かべる。

「エルフという種族は敷布団の方が良かったのか。知識不足で申し訳なかったね」

 歳の頃は三十半ばの男が詫びを入れてくる。

 それを本気で言っているのか。彼女は思念を射出するように睨み返すと、男ははにかむような笑みを浮かべてきた。

「冗談だよ、怒らないでくれ。この場を少しでも和ませようかなって思っただけだから」

 男は入室し、後ろ手で音をたてないようにドアを閉めていく。

 彼女はベッドの上へ這い戻り、毛布を引きよせて身体の周りへと巻きつける。見る見るうちにミノムシの様に丸くなり、毛布の隙間から顔だけを覗かせる様な姿へと変わっていく。

 近くの椅子を引き寄せて座った男は肩のあたりに両手を上げて、ひらひらと振る。

「見ての通り、私は君に危害を加える様な物は何一つ持っていない。もちろん心さえね」

「そうかしら? では何故、私の所へ来たの?」

 ヤニーナは不安を陰に潜ませた瞳で男を睨みつけた。

「君へ忠告にきた。ここにいる者は皆、君をどうこうしようとは思っていない。だから穏便に事を済ませるべく、明朝までここにいてもらえないだろうか? 日の昇る頃には、私の教え子達が君を必ず森まで送り届けると約束しよう」

「もし私が先に出て行ってしまったら?」

「そうだな……夜警に出ている者が君の生死を問わずに捕らえるだろう。そして、それによりこの学園に被害が生じ、私は頭を悩ませながら資金繰りに策を練らねばならなくなる。つい先日、生徒達に破壊された所もままなっていない現状じゃ避けたい事だ」

 男の言葉を計る様に、ヤニーナは静かに聞いていた。この男が腹の中で考えている事は何か探り出そうとし、じっくりとその瞳を睨み返したが、判断材料になりそうなものは何も見出せなかった。

 ただ感じたものは、彼女が村の仲間たちと話をしている時と変わらないという事だった。

「信じられないわ」彼女は冷たく言い放つ。「私を村の入り口近くまで連れて行って、場所を知ろうとしているようにしか思えない」

 男は声を出さずに頭を振った。

「それじゃ、教えて貰えるかしら。最近、森に貴方達が放った獣の事を」

「――獣」男はピクリと眉を動かし、反応した。

「ええ、今まで平和だった[我らが母なる森]の出入り口付近に獰猛な獣が現れるようになった。貴方達でしょう?」

「どういうものか、教えてもらえる事は出来るかな?」

「構わないわ。幻覚を見せてあげる」

 ヤニーナは視界の先に魔術を発動させた。窓から差し込む月明かりに浮かび上がる様に、漆黒の狼が輪郭を見せてくる。黒き獣は相手を威嚇するように低い声をあげて唸り、今にも男へ向けて飛びかからんとしている。

「素晴らしい魔術だ。精神支配では無さそうだから、光を用いた錯覚か」

 男は臆する事無く、冷静な声で言った。飼い犬を触れるように手を伸ばし、獣の毛並みを撫で上げてみせる。精巧な作品の一つ一つを確認し、息を漏らした。

「まるで現物に触れている様な錯覚を覚える。生命を持つモデルを構築しているのか。是非、私の教え子もここまで出来るようになってくれると感無量なのだが」

「一人で満足していないでよ、人間。どうなの?」

「おっと、失礼。久しぶりに素晴らしい魔術を見る事が出来たから、興奮していた。ちなみに、答えはノー。こいつは人間じゃ飼い慣らす事が出来ない、もっと獰猛な奴だ」

 ヤニーナは男の答えを否定も肯定もせずに沈黙した。発動させた魔術へ向けていた意識を解き、男に見せていた幻覚を消失させる。黒き獣は分解し、魔力の結晶となって輝き、中空に霧散した。

「魔獣という存在を御存知かな、エルフのお嬢さん」男は教科書を読み上げるように語る。「魔獣には様々な姿を持つと言われているが、その原型となるものは日ごろ我々の身近に生息している動物達だ。あらゆる動物達は生命活動をしていく際に一定量の魔力を大気中から取得し自然放出させているが、それが何かしらの事情により体内に蓄積されすぎてしまった場合には、泥酔と呼ばれる魔力による肉体的な負荷か、変質と呼ばれる肉体と魔力の融合が生じてしまう。今回、君らの森を脅かした獣は後者――魔人達によって作り出された生体兵器だよ」

「見知った様に言うけれど、何か証拠でもあるの?」

「証拠か」男は言い淀み、顎へ手を当てた。「君もなかなか疑り深いね。強いてあげるならばこれだろう」

 彼は一本の棒を取り出し、彼女へ手渡した。彼女はそれを光に当て、じっくりと眺めるとエルフの戦士が用いている弓矢だと分かった。日ごろの狩猟に使われるそれでは無い。ある樹木を削りだし作りだされた特別品だ。

「聖樹ユグドラシルの役割はご存知かな、エルフのお嬢さん?」

 男は問う。

 彼女は「ヤニーナよ、私の名前は」と言い返し、記憶の片隅にある村の言い伝えを思い出した。

「聖樹は私達の森の心臓であり、大地から魔力を吸い上げ世界へ放出する神の化身」

「ああ、正しい答えだ。君が手にしている弓矢はその樹木を削り出して作られている。だから、突き立った相手から魔力を奪う為に用いられると、私は耳にした事があるよ」

「これをどこで?」

「君を連れてきた者が持ち帰ってきた。話によれば、君の仲間が魔獣に向けて放ったものの一つらしい。これは私の推測だが、君の仲間の一部は相手が人間の手に負えない魔獣だって気付いているんじゃないのかな。ただ村全体を不安にさせないように口にしていないだけで」

「うーん」ヤニーナは唸った。これまでエルフの村で言われてきた人間というイメージ像と目の前の男とでは酷いギャップがあった。

「貴方は、人間の中でもおかしい方だったりする?」

 彼女の質問に、男は「どうかな」と肩をすくめた。

「人間は本能のままに生き、野蛮に森を汚すと聞いてきたわ。そして、私達を捕まえては何処かへ連れ去ってしまうと」

「それは否定できないな」男はやや俯きがちになり、腕を組んだ。「人間も一枚岩じゃない。確かに君が語る様に行動をする者もいるだろう。またそれとは別に、君を困惑させる様に話す者もいる。ヤニーナの村でもそうじゃないかな?」

「――そうかも、しれない」

 ヤニーナは呟くように言い、微笑を浮かべた。

 男はその表情を満足そうに眺め、「そろそろ納得して頂けただろうか?」と尋ねた。

「ええ、貴方を信じて待つ事にします。ただ一つだけ、疑問があるわ」

「何か?」

「貴方は私の名前を知っているけれど、私は貴方の事を知らないわ。これは不平等じゃなくて?」

「名乗る程の者ではないと思ってね」

 男はゆっくりと腰を上げ、出口へと向かっていく。

「私はシズオ・キリシマという。君がいるこの学院[魔術師の庭]で学院長という御目付役を押しつけられた魔術師の一人だ」

「シズオ・キリシマ――神獣種の末裔」

 ヤニーナは彼の名前を復唱し、その二つ名を唱えた。人間を代表する魔術師の名として、エルフの村でも聞いた事がある。

 人間を超越し、今は絶滅してしまった神獣種の生まれ変わりを意味した二つ名だ。

 男は――キリシマは扉を開き、外へ出て行く。途中、首だけ反らし言った。

「おやすみ。明日は早い。今度はベッドから転げ落ちないように気を付けるんだぞ、エルフのお嬢さん」

 ヤニーナはむっとした表情になり、たまたま掴んだ枕を彼の後姿へ向けて全力投球してあげた。


 早朝、キリシマに叩き起されたオリジンはその腹いせにボトムとハルトマンを叩き起し、学院を出る事となった。無論、昨日に連れてきたエルフの少女を送り届ける事を言い渡されている。

 合流した彼女は目深に黒のフードをかぶり、エルフを象徴する突き出た耳を隠していた。寝つきが良くなかったのか、眠そうに瞼をこすり、欠伸を噛み殺す。

 医師――ゴートの計らいで裏口から出た彼らは、近くの森へと伸びる街道を進んでいった。爽やかさを感じさせる新鮮な空気が肺に澄み渡る。時間帯が早いせいか、街道には誰一人として歩いていない。

「このまま真直ぐに森へと向かうと考えているけど、身体の方は大丈夫なのか?」

 オリジンはエルフの少女へ声をかけた。彼女は話しかけられた事に驚いた表情をしたが、暫らくして「ええ」と答えた。

「そいつは良かった。結構距離があるからね」オリジンはぼやいた。「先生も馬車の一つでも出してくれれば楽だったのに」

「――先生って、シズオ・キリシマの事?」

 彼女は言葉を選ぶように、ゆっくりと口にした。

「ああ、そうだけれど。君は会ったのか?」

「昨晩に少しだけ話をしたわ。人間らしくない、人間だった」

 オリジンは沈黙を返した。彼女の言葉がどのような意味を成しているのか、心中で察した。

 彼女からしてみれば――エルフという立場の者からすれば、人間という存在は害悪以外の何者でもない。本当は些細な違いしか持っていないのだが、お互いが持つ価値観の違いもあり、種族という言葉の間に壁を生み出してしまっている。

 人間と神獣種の混血である魔術師という、何処の枠に属すのか分からない者だからこそ、種族の間に生じている壁を認識する事が出来る。人間以外の種族から人間として指を指され、他方で純血な人間からは混血であることに指を指される。

 全ての種族に疎外された立場だからこそ、種族差別が如何に有意義なものであり、かつ無意味なものかを感じずにはおれない。何処かの種族に属する事が出来ずに、自らが集団を形成した経緯がその現れだと彼は感じていた。

「我々人間は、世界における役目が無いと良く耳にする」ハルトマンは神妙な面持ちで言葉を紡ぐ。彼とて、オリジンと考えは同じだ。「貴方がたは――エルフという種族は世界における自然の調和を求められている。自然を調律し、善なる方向へと導き、それを恒久なものとする事を世界に求められていると聞いている」

「ええ、暗黙のうちにそれが守られているのでしょう」彼女は頷いた。

「一方で、我々は――人間は世界に何を求められているのかが誰も分からない。だからこそ自由に振舞い、間違いを起こす。それが人間だと言われれば否定はできないが、それが全ての人間じゃないと感じて欲しい」

 彼女は不思議そうな眼差しでハルトマンを見ていた。いや、むしろその先か。彼の言葉の先にあるものを見ているようにオリジンは感じた。

「人間の魔術師というものは、結構変っているのかしら?」

 彼女は肺の中を空っぽにするように息を吐き、おもむろにフードを脱いだ。いままで隠れていた耳が跳ねるように伸び、サラサラの金髪が風になびく。

 絡まり合った髪を解す様に、彼女は両手で髪をかき上げた。太陽の光を反射し、キラキラと輝く。その見慣れぬ光景に、オリジンは息を飲み見とれていた。

「おい、どうした」

 オリジンはハルトマンに肩を叩かれ、我を取り戻した。気がつけば釘づけになっていた彼の瞳を、光を閉ざす漆黒のフードから出てきたエルフの少女が覗き返している。オリジンはそれを自覚すると、かっと顔が熱くなり、胸のあたりがドギマギした。

「いや、これは――違うんだ」

 オリジンは考えが纏まらぬままに、思いつく言葉で否定した。彼女から遠ざかる様に後ずさり、「そう――!」と手を打ち、続ける。

「――アレだよ。驚いたんだ。まだここは街道で、森にさえ近付いていない。こんな所でフードを取っちゃダメだよ」

「まさに口先だけで取ってつけた言葉だな」

「ハルトマン、お前という奴は失礼な奴だな、俺は彼女の安全を第一に考えていたんだ。そうなんだよ」

 自分自身に言い聞かせるように頷き、「そう言う訳だから、お前も早くフードをかぶった方が良い。見える範囲には誰もいないけど何処に人がいるかなんて分からないから」と、周りをキョロキョロとせわしなく見まわしながら言った。

「なんかなぁ、何なんかな」

 彼女は首を傾げ、戸惑う様な声を上げた。嘆息を漏らす。

「貴方達といると、なんか私がおかしく思えてくるわ。私が今まで聞かされてきた事が、どれもこれも歪んでいる様な気がしてきて。まるで身を隠していた私が馬鹿みたいじゃない」

「自由奔放な人間だからこそ、皆が一様じゃない。見てみると良い、こいつが君に見とれていた時、後ろのデカブツは鼻血を垂らしていたぞ」

 ハルトマンは苦笑交じりに、後ろ手でボトムを指差した。

「だから、俺は見とれてなどいない」

 オリジンが懸命に弁明する背後では、ボトムは静かに鼻をつまんで天を仰ぐように見つめていた。


 彼らは森へと足を踏み入れた。逃げる際に進んでいった道を踏み直す様に戻っていく。

 一度、森の入り口でヤニーナは彼らと別れる事を告げたが、オリジンは頭を縦に振らなかった。曰く、「森には魔獣がいる。もう少し奥まで同行させてくれ」

 誰もが押し黙ったまま足を進めて行くと、昨日の戦いの爪痕が残る場所までやってきた。通行人を隔てるように倒れた巨木と踏み荒らされ足跡の残る土。大地に突き立つ聖樹の弓矢をヤニーナは引き抜き、それをじっと眺めていた。

「君の仲間のか?」

 オリジンの言葉に彼女は頷いた。

「君を見つけた場所もここだ。魔獣と戦闘している最中、君を発見した」

「知っているわ」ヤニーナは嘆息を漏らす。「だって、貴方達人間を追い払おうと思って、私はこの場にいたのだから」

 オリジンは眉をピクリと動かし、声を出さぬまま彼女の言葉を待った。ヤニーナは魔術を発動させ、彼らの前に幻影の魔獣を作り上げる。徐々に輪郭をはっきりさせていき、黒々強い毛並みを逆立て、獰猛な牙をむき出しにした狼が顕現した。

「ど――どういう事なんだ?」

 ボトムが震えた声で言う。魔獣とヤニーナ、魔術師へ視線を送り、回答を即す。

「どうもこうもないだろう」

 オリジンは昨日の記憶と合致させる様に目の前の魔獣へ向いた。魔術で光の剣を作り上げ、斬り付ける。両手に肉を切り裂く感覚を覚えるが、断たれた肉が復元していく。最後には傷口など何処かへ行ってしまった。

「これが不死の魔物の正体か」

「貴方達の存在を知った私はね、この森から追い払おうと思った。この獣はイメージ。今、この森に住み着いてしまい、森の住民たちを脅かしている黒い獰猛なオリジナルを元に作りだした幻影」

 彼女は魔術を解いた。精巧に組み合わさっていた魔力が解かれ、魔獣が解体して行く。オリジンは自らが戦っていた虚ろな存在が消えていく様を見届け、自嘲する様な表情を浮かべている彼女へと向き直った。

「それがまさかオリジナルの乱入によって、貴方達に助けられるとはね。感謝はするわ、ありがとう。けれどもそれを素直に受け止める事は出来ない」

「その言葉だけで十分だ。エルフ達からすると、俺達人間は侵入者だ。この場にあってはならない。俺らがこの場に来なければ、そっちもそうなる事は無かったのだろうし」

「そう、もう行くわ。ここから先は一緒にはいけない」

 ヤニーナは一人、前へと進み出た。先程まで一緒にいた彼女が、やけに遠く感じてしまう。それは眼には見えぬ、人間とエルフとを隔てる境界線か。

「貴方達も早く森を出た方が良いわ。さもないとエルフの戦士達が来てしまう――いえ、もう近くに来ているかもしれない」

「そうだな、そうする事にするよ――でも、少し寄り道する必要があるかもしれない」

「どうして?」

 ヤニーナが聞いてくる。オリジンは言葉を返す事無く、森の奥の方へ睨むように視線を送っていた。ハルトマンが代弁する。

「この森には絶対悪が住みついている。僕達人間からも、君達エルフからも嫌悪された存在を、この世界から排除しなければならない」

 森の奥から、地を駆けるものの音が息遣いの様に聞こえてくる。逃げ惑う動物達の声と薙ぎ払われた木々の砕けていく音が少しずつ近付いてくる。

「ハルトマン、空間を構築してくれ。ボトムはその補佐を頼む」

 オリジンは静かに告げ、戦闘態勢を取った。森の深奥から殺意を剥き出しにする魔獣を睨み返し、続ける。

「リベンジの開始だ」

 瞬く間に距離を詰め、飛びかかってきた魔獣に向けてハルトマンは構造的な空間を展開した。魔獣とオリジンがそれに飲み込まれ、消失する。ぽっかりと穴が開いた様に静けさが遅れてやってきた。

「えっ――消えた」

 ヤニーナが困惑気味に呟く。

「これが構造魔術と呼ばれているものだよ」ハルトマンは森の奥へ視線を送り続けながら語る。「僕達の先生――キリシマ学院長が生み出した神秘とも呼べる魔術。微細な空間を拡張し、仮想空間を作り上げる空間構造の魔術」

「キリシマ――構造魔術」

 ヤニーナは昨晩の事を思い出した。見た目はそこまで年老いていない人間が、その身に余る程の魔術を生み出す事が出来るのであろうか。

 仮想空間を構築する術は世界に干渉する術を持つ種族であれば扱う事が出来る。実際、エルフの国は彼ら人間が住む世界から隔絶した、魔術によって構築された仮想上の空間に築かれている。もちろん、それが可能なのもエルフという種族が世界に干渉する術を知っているからだ。

 だが、彼らはどうなのだろう。世界から何も求められていない種族が、いかにしてその術を知り得たか。

 キリシマ――神獣種の末裔。全ての神秘を――魔法を知り得た種族の名を二つ名として持つ者。他の種族からさえ語られる謂れは確かなものなのだろう。

 記憶の中では、そこまで人間を超越した雰囲気は残っていないが。

「ところで、彼は大丈夫なの?」

 ヤニーナはこの場に残された二人の魔術師へ問いかけた。

「貴方達がここにいるって事は、彼は一人で魔獣と戦おうとしている事になる。一人でなんて無理よ。危険すぎるわ」

「そうでもないんだよなぁ」

 返答したのはボトムだ。彼はどっかりと腰をおろし、背中を木に預ける。

「あいつほどの戦闘技術を学んだ者がこの場にいたとしても、あいつは一人の方が強いよ。なんせそれがあいつの取り柄だから」

 

 クラリ、と意識が揺れた。

 仮想空間に取り込まれた事を自覚したオリジンは身を投げ、眼前に迫っていた魔獣の軌道からずれた。

 二度目の交戦となる。すぐさま体勢を立て直し、己の身軽さを知った。

「抜剣。虚ろな刀身」

 彼は魔術を発動させ、手中に現れた剣を振るった。相手の追撃を刀身で弾き、距離を取る。間髪をいれずに、魔術の剣を解き、唱えた。

「破砕。静謐な宝石」

 魔獣へと突きつけた指先から無数の光弾が放たれた。視界を真っ白に焼きつくし、魔獣を中心とした大地に突き刺さり、爆ぜた。荒れ狂う熱波が大地を舐める。

 メリメリと音を立てて、巨木が倒れる。酷い土埃で視界が利かない中、彼は神経を研ぎ澄ませていた。前方から遠吠えが鳴り響く。遅れてやってくる、酷い冷気が体温を奪う。

 以前、対峙した時の記憶が脳裏をよぎる。オリジンは薄らと見える相手のシルエットへ向けて駆けた。

 開けた視界の先には、死んだ森が広がっている。寒さにやられた草木は変色し、地に落ちている。

 植物たちの水分を奪い取った可能ように、魔獣は姿を変えていた。黒々とした毛並みは氷の鎧に隠れ、さもハリネズミの様に棘がそそり立っていた。氷によって長さを増した爪を大地に突き立て、跳ねる。

 瞬く間に彼我の距離が殺される。魔術で防ぐには遅すぎる。そのように思考が叫ぶよりも早く、彼は身を投げた。剣先に触れた衣服が切り裂かれ、皮膚に走る赤い筋が血を滴らせる。

「クソッ、賞金があったら服代に変えてやるからな」

 オリジンは唾棄するように言い、魔術を展開した。

「破砕。静謐な宝石」

 再び光熱波を放つ。歪曲するように飛来し、魔獣へと着弾する。爆発音が轟き、鮮烈な閃光が走る。

 立ち上がる粉塵を薙ぎ払い、魔獣は躍りかかる。

「嘘だろう。無傷か――」

 オリジンは毒づき、それをいなす。すれ違いざまに見た相手に外傷は見られない。

 やはり対魔術師用の生体兵器と言われるだけの所以はあるようだ。ぱっと見、水分を凍らせた氷に過ぎない。だが、魔術の熱波はおろか、魔獣自身の躍動的な動きによってさえ、それは壊れる事が無い。

 ならば装甲が無いであろう真下へと潜り込めというのか。戦いが終わった最後、力尽きた相手の重みに潰され、相打ちになれと――。

 彼は舌打ちした。立て続けに熱波を放ち、踵を返す。凍りつき死に絶えた森へと入っていく。

 背後には重い足音に続き、森をなぎ倒す破壊音が響いてくる。足を止め振りむこうものならば、その時には身体に爪痕が刻まれているだろう。

 全速力で木々の隙間をくぐり抜ける。魔獣の肉体が作り出す人外の速度は、森の障害物によって抑え込まれている。荒れた息をどうにか整え、叫ぶ。

「飛翔。紫電の槍」

 障害物の多い森の中では取り扱いにくい槍を作りだし、それを地面に突き立て跳んだ。

 槍先を中心に弧を描き、我が身を高みへと到らせる。眼下にみえる魔獣の背中には氷柱を思わせる氷の棘が無数に生えている。

 その装甲を魔術程度の力で除去する事は不可能だ。彼は口の端を歪ませ、魔獣の頭を指差す。

「破砕。静謐な宝石」

 集約した光が魔獣の鼻先の大地に突き刺さった。爆風が大気を揺るがし、彼の体がもみくちゃな格好になりながら地面に落下する。受け身を取ったつもりが地面に叩きつけられ、意識が飛びそうになるがどうにか持ちこたえた。

 彼は動きの鈍い身体に喝を入れ、筋肉のバネを弾かせた。濛々と濃さを増す土埃の中、内袖からナイフを引き抜く。視界が殺されて、探る様に赤い双眸が揺れ動く。白銀の刀身を一閃させ、赤々に輝く片方を抉り取る。

 魔獣が苦痛に嘆く悲鳴を上げる。それさえ耳に届く間もなく、オリジンは叫んだ。

「抜剣。虚ろな刀身!」

 フッと左手に重量がかかり、魔術の剣を握りしめる。それを反対の瞳めがけ突き入れた。肉を断ち、骨が砕かれていく感触が柄越しに伝わってくる。魔獣は断末魔に似た声を上げながら、森の中へと逃げていく。失った瞳から血か脳漿かを思わせる液体を垂れ流しながら、視界の先に広がる闇の中へと駆けていく。

 オリジンはガクッと膝を折り、その場にへたり込んだ。

 意識が朦朧としている。連続して魔術を使いすぎたのだ。体内から失われた魔力を取り戻そうとして、身体が睡魔を呼び寄せる。

「まだ、だ」

 彼は身体に鞭を打ち、立ち上がった。魔獣が逃げていった方向へ視線を向ける。

 森の奥から、声が聞こえてくる。おーん、おーん。泣き声にも似た苦痛の叫びが響いてくる。

 地面に残る体液を頼りに後を追う。足取りは重い。気がつけば魔獣の声さえ聞こえなくなってしまった。それでも痕跡を頼りに進んでいくと、魔獣は力尽き、地面に伏していた。

 彼は警戒しながら、その巨躯へ忍び寄る。魔獣にはまだ息があった。穿たれた両目や鼻、口から血を噴き出しながら、呼吸している。だが、死期は近いうちに必ず訪れるであろう。

 せめて安らかな死を与えるべきだ。彼は魔剣を作り、振りかぶった。装甲の無い首を落としてやれば、この魔獣は永遠に苦しむ事は無い。永遠に目覚める事も無い。

 彼はその姿のまま、動く事が出来なかった。剣を握る両腕が震え、荒い息をつく。

 声が聞こえるのだ。

 タスケテ――シニタクナイ――――

 これは幻聴か。否、聞こえるのだ。魔獣が、人間の言葉を話している。その犬歯が見え隠れする突き出た口から血を吐きながら、言葉を出している。

 クライ――イタイ――サム――イ―――

 果たして、人間の言葉を交わす魔獣などいるのだろうか? 彼の知りうる限り、言葉を理解する魔獣はいる。しかし、人間と言葉を交わす事が出来るものは知らなかった。

 知らなかったのでは無く、いない――と思う。

 彼は柄を握り直した。乱れた呼吸を整え、眼前を見据える。

 もう、声は聞こえない。荒い息遣いだけが、嫌に耳に残る。

 彼は叫んだ。魔獣が放った断末魔より大きく叫んだ。それは戦場に上る狼煙の様に、何処までも何処までも響き渡り、そして消えた。


「オリジン・ウォーロックはいるか?」

 退屈な魔術理論の講義中の事――ゴート医師が不躾に講義室へとやってきた。突然の乱入者が学園の面倒者だと知ると、講師は苦虫を噛み潰したような顔を一瞬見せたが、直ぐに取り繕って対応を始めた。

「はい、自分ならここにいますが」

 講義室の窓際に席を陣取っていた彼は立ち上がった。講師の手招きのまま彼は壇上へと向かい、疫病神として追い出されるようにゴートへ預けられた。ピシャリと音を立てて、講義室の扉が閉められる。

「今すぐ学院長室へ向かえ。学院長が呼んでいるぞ」

「キリシマ学院長が、ですか――」

 オリジンは思い当たる所がありすぎて、自ずと頷いていた。

「全く、どうして私が伝書鳩などせねばならない」

 ゴートは機嫌の悪い声色で毒を吐きながら、ノシノシと廊下を歩いていく。

 オリジンは彼が振り向いて文句を言われでもしたら堪らないと思い、そそくさとその場を離れた。真直ぐに新校舎の学院長室へと向かっていく。

 一体、何の件で学院長に呼ばれたのだろうか。彼は最近起こった事を脳裏に過ぎらせた。学院にエルフの少女を連れてきた件だろうか。確かに学院の規則には違反しているが、その事は以前に学院長に話し済だ。渋い顔をしていたが、理解してもらえただろう。

 では、魔獣討伐の件だろうか。あれから二日ばかり経っている。魔獣討伐の任務は受けていないが、その報奨金はどうやら学院が受け取ったらしい。それなのに責め苦を受ける筋合いなどあるのだろうか。

 叩けば叩くほどボロが出てくる我が身にうんざりしながら、彼は学院長室の扉を叩いた。

「失礼します」

 学院長室に設けられた応接間に学院長――キリシマがいた。彼は足を組み、気さくな感じにオリジンを呼んでくる。

「おお、来てくれたか。こっちに来なさい」

 彼に即されるまま応接間へ向かおうとしたが、足が止まった。

 キリシマが応対している男に――その格好に見覚えがある。来客は白の外套を羽織り、顔を隠す様に布を巻きつけている。

 以前、街へ行った際に襲撃してきた反魔術主義者その者だ。

 オリジンは警戒した足取りでゆっくりと男の正面に向かった。顔に巻かれた布の隙間から見える視線が自然と交錯した。

「学院長、どういうことで?」

「どうもこうも無く、彼に君を会わせようと思ってね」

 キリシマは当然そうな口ぶりで言った。もちろん、彼には反魔術主義者に襲われた事を話している。それを承知でなお、このような形で面会させてきたのだ。

 キリシマの意図が掴めず、オリジンの瞳に困惑の色が差し込んだ。相対する色の服を着る二人を盗み見ながら、どのように対応すべきか検討していた。

 突然、白の外套を着た男が笑い始めた。

「キリシマ学院長、悪ふざけが過ぎますぞ」

 男は身体を震わしながらひとしきり笑うと、顔を隠していた布を取り払った。赤銅色の地肌が白昼の下にさらされる。

「オリジン、私を覚えているかな?」

「――ええ。大陸魔術協会の地域保安部部長マイヤー殿」

 オリジンは視線を動かさぬまま、ゆっくりと頷いた。先日、学院長の手紙を渡した相手が反魔術主義者めいた格好をしている。何かのいたずらかとも考えたが、いやに背恰好が記憶のそれと一致していた。

「まず、私は君に詫びねばならないだろうな」

 マイヤーは頭を下げて、続けた。

「突然、あのような形で襲いかかって申し訳なかったね。君達の力が見たく思って、あのような形を取ってしまった」

 彼の言葉にオリジンは眉をひそめた。その表情の変化を察したキリシマは「怒るでないぞ。明確な理由があるのだ」と言葉を語り始めた。

「先刻より、彼から学院へ協力要請が来ていたのだ。無論、大陸魔術協会の活動に協力する旨をね」

 マイヤーは頭を上げ、椅子に座り直しながら口を開く。

「左様。北方の魔人族との戦争が勃発する中、多くの職員が引き抜かれ、こちらの活動が困難になってきた。そこで我々の元へ人員を融通してもらえないかと学院長へ話を持ちかける事にした。するとなんと下級魔術師の学生を寄こすと言ってきた」

「当然であろう。学院の上級魔術師の多くも戦地へ派遣されている。学院外へ過剰に流出してしまうと、学院自体の存亡に関わる事だ。それを踏まえると君達――学生諸君から選抜するしかないと私は考えたのだ。だが、彼は快く思わなかったようでね。実力を見たいと言ってきた」

「ええ。我々の仕事は場合によっては危険に身を投じる事もある。教育の行き届いていない下級魔術師では対応しきれず、命を失う可能性も否定できない」

「それで実力を見せてあげる事になったのだが、それは秘密裏に行う必要があった。表面上は学院側もあまり人を出したくない。余裕があるのならば戦地に送れと国やら大陸魔術協会のお偉いさん方から達しが来るだろう。誰にも悟られず、公然と行う必要があった」

 彼らの話を聞いたオリジンは、頭の中でこんがらがっていた糸を手繰り寄せていった。

「それで、手紙というキーを用いたのですね。学院長の手紙を渡すという目的の為に街へ向かった私を反魔術主義者が襲いかかる。一方、手紙を受け取ったマイヤー殿はすぐさま反魔術主義者の格好に扮し、魔術師を襲う。一見すると、私情に飢えた反魔術主義者が魔術師を差別しているだけにしか見えない。そして仮にメインストリートで起こそうが、裏路地で起こそうが、その構図は変わらない」

 一気に話したオリジンは酸欠にも似た眩暈を覚えた。彼らの考える事が理解しようにも理解できず、疲れにも似た感覚が全身に廻っていた。

 キリシマは真意を掴んだオリジンへ拍手を送った。

「その通り。面倒な経緯だったが、どうにか丸く収まってくれた。一番、恐れていたのはマイヤー部長が警備隊に囚われた時のことだが、それも起きずに済んでくれた」

「確かに、学院長の言葉通りだ」マイヤーは笑いながら、相槌を打った。「彼と戦闘を交えてみて、歳の差というものを感じたよ。私も鈍くなったって。もし人通りの多い所を君達が歩いていたら、私は間違いなく牢獄送りだろうな」

 マイヤーは身体を震わしながら、大声で笑ってみせる。

「さて、そう言う事で本件は総て問題がすべて解決した」

 キリシマは話題を纏めるように声を一段大きくして話し始めた。

「当初の予定通り、内密に彼を街へ派遣できるように手筈を進めようと思う」

「賢明な判断、痛み入ります。しかし、学院長。当初の予定は一つだけ崩れてしまった」

「はて、それは如何に?」

「学院より派遣された魔術師には、近くの森に住み着いてしまった魔獣を討伐してもらうという理由があった。そのことを理由に協会は受け入れる予定だったのだよ。ところが、勇敢な魔術師によって討伐されてしまったのだよ」

「ふむ。確かに、そんな話は耳にしている。私もどの魔術師がやったのか知らないが、報奨金が学院に振り込まれたからね」

 キリシマはチラリとオリジンへ視線を向けた。彼の口元に笑みが浮かんでいる。

 そんなキリシマの様子には気付かないマイヤーは話を続けた。

「ええ。でも、我々としては猫の手も借りたい思いは変わらない。そこで、今度は職場体験学習など如何かと考えている。下級魔術師であれば、協会での実地活動を通して学生を育成するという名目が出来上がるのだが、どうだろうか?」

「なるほど、そう言うことなら我々も職場体験学習先でもこれから探すようにしようか。学院としては初めての試みだから、そう多くの学生を送り出せないだろうし」

 キリシマは何かを理解する様に数回頷いた後、オリジンへ視線を送った。

「そう言う事で、魔術協会の手伝いをやってもらえないだろうか?」

「それは、先生の個人的な依頼というものでしょうか?」

 オリジンの問いかけに、キリシマは肯定の意を示した。

「そう思ってもらって構わない。何、心配しなさんな。毎日やるような事もあるまい」

「ええ、学生は学業が優先。魔術師としての力が必要な時に声を掛けさせてもらうよ」

 ――と、マイヤーが言葉を続ける。

「そうだ」キリシマは何かが思いついたように手を叩いた。「オリジン、お前も一人じゃ不安だろう。ボトムも一緒につけたらどうだ?」

「ご自由に。どっちだっていいですよ」

 オリジンは身体の疲れを吐き出す様にため息をし、投げやりに答えた。


読んで頂き有難う御座います。

次の短編は3月半ばを予定しています。

もし気が向きましたら、検索をお願い致します。

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