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鞘鳴りが響く時

無言

作者: 五部 臨

 北風がさあっと吹き、夕刻の街に白い息がふわりと舞って消えた。

 思わずザハルはコートをぐっと引き寄せる。支給品の薄いコートは寒さに対しては、せいぜい風除け程度にしか役に立たない。普段使っている野外活動用の分厚いマントなら、もう少しマシなのだが、そういうわけにもいかなかった。


 コートに刺繍された“大角の雄牛”、警備隊の印章がその理由だった。

 冒険者である彼が臨時の警備隊員として入ったのは、冬に食いはぐれないためだ。冬は熟練の旅人ですらまともに街道を動けない。危険の売り買いが冒険者の仕事だとしても、冬の旅や探索は無謀だ。熟練者でなくても寒さの恐ろしさぐらいは分かる。


 とはいえ、波乱が無ければ不満は溜まるのが冒険者という生き物だ。ザハルはこの仕事を紹介した宿の親父を恨みながら、市外をゆっくりと見回る。



 もはや、日は沈み、僅かな赤みが空に残っているだけだ。

 夏は長くやっている市場もすでにしまり、皆、家路を急いでいた。

 遅くまで遊び回った子供を叱りつけながら帰る母親や、老躯では考えられない程の荷物を背負った露天商。酒気を帯びた院生らしき青年が杖をつきながら、ふらふらと去っていく。いつも最後まで残る薪売りがのっそりとその大柄な体を持ち上げれば、今日の市はおしまいだ。



 あるべき所に向かっていく人々を眺めると、もう一度、白く染まった息が漏れてくる。

 ザハルの故郷の地は遠い。“骨拾いの丘”を越えて北だ。

 冬にあの丘陵地帯を抜けるのは不可能だ。

 深く雪に覆われた丘を一つ一つ登り下ることは夏には想像出来ない程厳しいものだ。吹雪でも起これば収まるのを待つしかない。そこに地面から持たされるじわじわとした冷えが体を覆う。

 自然だけではない。この城塞都市ラータバーナからも見えるねじ曲がった塔は、大陸に古く住む邪術師のものであり、人の通りを許さずにその力の糧にするという。さらに北には霊峰“骨の天幕”を作り上げた異種族“骨拾い”共の住処だ。その種族の名の通り、骨を集めて積み上げて崇める。死者から、そして生者からも奪うのだ。

 そこから吹いた北風が意識を引き戻す。死者の手のような冷たさがゆっくりと彼の首を絞めた。


 顔に刻まれた刺青をなぞる。故郷にはどうせ帰れない。

 魔術学院にある時計塔が五つ鳴る。もう見回りの時間は終わったのだ。


 時計というもののありがたさを感じながら、報告へ向かおうと北へ足を進めた。人の少ない大通りを足早に過ぎるのは、少しでも寒さを振り切るためだ。腰に帯びた剣ががちゃがちゃと鳴る。余り物を貸し出されたせいか、鞘が大きすぎるのだ。


 その音に文句を付けようとする前に、北門の方から一つの影が駆けてきた。

 知っている少女だった。

 遠目でも分かるラベンダー色の頭髪は彼女自身の魔力によって染まってしまったもので、魔術や呪術を使いすぎた者にはよくあることだった。下げている車輪の形をした首飾りはザハルと同じく冒険者を現す印章だ。

 名はリリアという。年は十四才と自称していたが、もう少し幼く感じる。


 元々、小さな体はもこもことした防寒具に埋もれているから、余計そう見えるかもしれない。荷物を大仰に抱えているせいもある。今日も常宿にしている酒場の手伝いをしているのだろうか。


 彼女の目線が正面からザハルを捕らえた。声をかけようと口を開く前に、リリアは戸惑ったように横道に消えた。また、ザハルの息が白く染まった

 冬になってからは、避けられてばかりだ。


 そもそも、リリアと組むことは少ない。

 冒険者と一言にいっても、同じことをしているわけではない。各々に得意な分野を持ち、その適正によって仕事を受けるのだ。

 街道護衛、怪物討伐といったことを得意とするザハルは荒事担当であり、禍祓いや精霊との交渉を得意とする呪術師であるリリアとは仕事の方向性が違うのだ。


 元から疎遠なのもあった。ザハルの人相も鋭い刃のようで、いい印象は与えないだろう。生活も昼夜逆転の生活のためか、こうしてたまにすれ違うぐらいしかない。

 同じ宿で、長いこと共に過ごすことにも、本来ならなかったはずだった。

 はずだったのだ。


 なんとなしに空を見上げれば、真っ黒な城壁がずっしりとそびえ立っていた。







 到着すると、立ち番との挨拶もそこそこに休憩室に入った。

 北の城門にある詰め所はどの部屋でも暖炉の近くでないと、とにかく寒い。一般的な城と同じように、生活よりも防御に重きを置いた構造だからだ。


 人がいないせいか、火の勢いも随分と弱々しく頼りないものだった。


 暖炉の中に置いた三脚の鍋から、自前のマグカップを突っ込んで湯を掬う。柄杓もあるが、礼儀よりは速度が欲しかった。


 すぐさま啜れば暖かさが体に広がっていく。

 腰が重くなりそうなのをぐっとこらえて薪を少し放り込んだ。静かに火が移っていく様子を眺めると、ぼうっと思考が浮かび上がる。


 炎がリリアへの思考を引き戻した。

 冒険者といっても帰るべき家があるものや、組織に所属しているものも少なくない。武術の師に当たるドワーフは土産話と酒を背負って坑道の奥へ帰って行ったし、よく組んで仕事をする魔術師はあの時計塔の下で今年一年分の論文を書いているらしい。その二人と共に行動する男爵家の三男坊もいたが、南部にある実家に呼び戻された。


 リリアにはそれがない。

 ザハルは、知らない。ただ、宿の親父に向かって、帰る所はない、とだけ小さく言うのを聞いただけだ。


 きっといいことは起こっていないのだろう。どんな技術を持っていようと子供が、親もなく放り出されているのだから。



 ただ秋の終わりから横にいただけだった。

 たまたま、南での仕事が長引き、久しぶりに戻ってみれば、仲間達と別れるリリアがいた。魔術師の薦めで安く済ますために同じ部屋を宿に取った。昼夜逆転の互いに部屋の共有は都合が良かった。


 それぐらいだった。

 ザハルは何をしてやったわけでもない。仲間達がいない、疎遠だから傷つけてはいけない。そう言い聞かせて触れなかったのはきっと、偽善だろう。

 今感じている、痛みを含めて。


 ぼうっと備え付けのベッドに座り込む。

 ドワーフはやたら気にかけていた。彼の人の良さはザハルの昔から知る所だった。魔術師は同性故か、足繁くリリアの元へと通っていたらしい。三男坊は誰に対しても親切なので思考から即座に除外した。アレはああいう生き物だ。


 だがザハルは元々、この冒険者のパーティにとって臨時だった。組んで仕事することより傭兵の真似事をしていた。同じ宿にいた人数の足りない冒険者達に増援として渡り歩いていた。だが、ドワーフの誘いを断り切れず、長い間、引き込まれてしまったに過ぎない。


 誰か、いればいいのに。

 ザハルは、ただの臨時だった。リリア達が積み上げたことは知らない。

 俺が何をすればいいというんだ、みんな。


 火が爆ぜる音に正気に返り、思い出したように薪を入れる。

 微睡むこともできず、ただそうするしか無かった。普段は厚い壁に覆われて聞こえない外の声まで気になる。外を見ようにも閉鎖された石の部屋は窓枠すらない。通気のための穴ですらも夜に暖気を残すために閉じてあった。

 冷めつつある湯をもう一度口に含んでから飲み干した。ただ生ぬるさが広がっていく。

 休憩室回りでこつこつと歩く音が聞こえた。

 まだザハルとの交代には早いはずだったが、部屋の前で止まった。







 使い馴染んだはずの斧槍は意外と重い。

 頼もしく感じながらも、自分の鈍った体に戸惑った。たかだか一ヶ月でここまで落ち込んでしまうとは情けない。

 だからといって急ぎ足を止めるつもりはなかった。


 粗雑な民家と畑の間、溶けた雪が泥になっている農道を駆ける。城壁の外にある貧民や小作農の住む場所だが、冬期の今はただの枯れた畑が広がるだけだ。

 冷え切り暗いこんな場所に不自然な人だかりと灯りの群れがある。

 先に来ていた警備隊の面子だ。正規隊の持つ長槍が一点に向かっていた。


 その後ろに控えていた副隊長が手招きして、静かにザハルを前に呼び寄せた。その意図を理解しながらも指示に従う。

 こういうのは手慣れた人間がいい。それに組織の外部のものなら、万が一死んでしまっても後腐れがないのも良い所だろう。

 皮肉げに笑みを浮かべながら、警備隊の前に出た。


 農道の真ん中で警備隊に囲まれていたのは狼だ。その体の大きさは畜牛ほどあるから、おそらく恐狼と呼ばれる魔獣と狼と中間に位置する怪物だ。

 その身体能力は脅威そのものだ。体当たりは破城鎚めいた威力がある上、城門を跳び越えて中の人間を食い殺したこともよく知られている。


 それが一匹だけ、人間を見ていた。

 風貌は傷が目立つ。人によって傷つけられた後はもちろん、最近、恐狼に傷つけられたであろう咬み痕も生々しくあった。


 ザハルは正面に立つと斧槍をどっしりと構えて、正面から睨む。樽一杯の酒を対価に、仲間のドワーフから教わった大地を味方につける戦闘方法だ。

 目と目が合う。

 野生の獣が持つギラギラとした飢えの視線だったが、外すことなく見続ける。

 狼は冬の旅が嫌われる理由の一つだ。夏ならともかく冬の狼は中々、食料が手にいられない。そのため、多少痛めつけた程度では群れを撤退させないからだ。そうでもしないと、飢えて死せるしか道はない。そこまで、追いつめられた者が恐ろしいのはどんな世界でも同じだ。


 だが、こいつは引くだろう、とザハルは確信していた。

 こいつは一匹狼だ。年の若さから見るに、成人して父母の群れを離れたのはいいものの、寄る辺なく、誰とも群れを組むことができなかった。ただただ生きるだけのために群れと群れの隙間を狩り場にして生きる。

 そんな一匹狼だ。

 仲間がいない狼はもし怪我をすれば、狩りも出来ずのたれ死ぬだろう。そんな選択肢を、頭のいい狼はしない。


 ぱたぱたと斧槍の飾り布が揺れた。北から吹くのはいつだって死の風だ。それを多く受けられるように、飾り紐には不気味に絡まりあった呪印が縫い込んである。

 その僅かに漏れ出す不穏な雰囲気を利用して、ずいっとザハルは前に出た。

 恐狼は唸りながらも、前足を上げた。そして一歩下がる。


 単調な北風が何度も布を揺らせば、紫色に斧槍が輝く。ぐぐっと力を込めるザハルの顔は薄明るい魔力光に照らされて、酷薄に浮かび上がる。

 それに溜まらず狼は跳ねるようにして逃げ出した。


 息を吐いて斧槍を下ろした。

 静かだった。歓声は上がらなかった。副隊長が薄気味悪いものを見るかのようにしていただけだった。

 それもそうだと、自嘲する。冒険者は今逃げたばかり狼と同じく、寄るべきない異邦人なのだから。







 いつもより早くザハルは宿へと戻っていく。今日は疲れているだろうからと、副隊長に追い払われた。狼とやり合ったことの称賛はなかった。だが、給金さえ入れば文句はないので、有り難く帰る。


 一人だけで、冷たい空気を十分に浴びた体を暖めるべく、深夜の宿の扉を開けて、どたどたと入り込む。ちゃりんと開閉ベルが鳴った。


 それに宿の親父が驚いて食器を洗う手を止めた。料理を頼もうと声を上げる前に、親父が口に人差し指を当てた。

 親父の目線に合わせて、カウンター席を見た。


 毛布をかけられて眠っているラベンダーの頭。リリアの回りにはやたらものが散乱している。

 昼間に見た大荷物の正体だった。

 ドワーフの酒、魔術師の書いただろう冬料理のレシピ、林檎の大箱はおそらく男爵家の特産だ。相変わらず送り方が大雑把だ。

 そして編んでいる途中だろう、紫色に染まった布の腕輪。呪術師のお守りで、ザハルの刺青と同じ印章が縫い込んである。


 すうすうと眠るリリアの横に着くと、音を立てず親父が暖かなスープを置いてくれた。

 自分が背負うことはなかったんだ。


 馬鹿みたいだったなあ、と思いながらスープに一口啜れば強い塩気と暖かさが付いてくる。ただのタマネギの塩スープだというのにいやに上手かった。

 お代わりのために椀を差し出すと、親父はそのままは声を出さず笑う。


 リリアのずれかけた毛布をかけ直しながら、目が塩辛くなった。案外、どこにだってあるものだ。リリアはなってくれた。俺もリリアのそれになれるだろうか。


 親父が顎で、もっと椅子を寄せろと言った。ただ横にいるだけでいいのだろうか。

 ふうっと息を吐く。

 誰かがいる暖かさで息はただただ無色だった。 

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