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銀の星  作者: 熊野こずえ
3/3

後編


「アル!? どうしたの、アル!」


 我に返ったブランシュは悲鳴のような声を上げて、倒れているアルに駆け寄っていく。

 傍らに屈んで体を抱き起こしてやれば、アルは青白い顔で浅い呼吸を繰り返している。頬や額には汗が滲んでいるが、体は雪に濡れたかのように冷たかった。


「アル、しっかりして!」

「あ……ブラン、シュ……?」


 虚ろな目がブランシュを見上げる。

 意識を取り戻してくれた事にブランシュは少し安堵するも、支えているアルの体に力が戻る気配は無い。泣きそうになるのを堪えながら、枯れ草のベッドに寝かせてやる。

 横になったアルはそっと息をついた。


「ごめん、ブランシュ……」

「謝らなくていいよ。それよりどうしたの? 風邪かな……?」


 心配そうに顔を覗き込んでくるブランシュに、アルは微笑みを向ける。しかしその表情からは隠しきれない辛さが滲み出ていた。


「最近暖かかったり、寒かったりしたから……少し、体調を崩しただけだよ」


 その言葉が、泣きそうな自分を気遣ってのものだと、直ぐに分かったブランシュは首を振る。


「嘘、だって、こんなに辛そうなのに……!」


 自分が辛い中でも優しいアルに、胸が締め付けられて涙が溢れてきた。それでも今は泣くわけにはいかないと、乱暴に目を擦って涙を拭う。

 そしてブランシュは、アルの冷たい手を握った。


「私、何でもするから……だから、だから早く、元気になってね……?」


 握り締めた手に頬を寄せ、願うように目を伏せる。

 そんな恋人のいじらしさに、アルは幸せそうに微笑んで、精一杯の力で小さな手を握り返した。


 ***


 ブランシュは出来る限りの看病をした。栄養のありそうな木の実を擂り潰して食べさせたり、昔両親に教えてもらった薬草を見つけてきては煎じて飲ませたりと、良さそうな事は片っ端から試した。

 それでもアルの容態は回復せず、それどころか日に日に悪くなっていた。特に体の冷えが酷く、寝床の枯れ草の量を増やしても変わる事は無かった。


 そんなある日の夜。

 少しでも体温が戻るようにと、握った冷たい手を優しく擦るブランシュに、アルは力無い視線を向けた。


「ねえ、ブランシュ……お願いがあるんだ」

「何? 私、何でもするよ?」


 掠れ気味の声を一言たりとも聞き逃すまいと、アルの乾いた唇に耳元を近付ける。

 自分の為に必死になってくれるブランシュの優しさに、アルはそっと眉尻を下げ、震える片腕で愛しい恋人の腰を頑張って抱き寄せた。


「わっ……?」


 ブランシュの体がアルの隣に倒れ込む。

 目をぱちくりさせて自分を見るブランシュを、微笑みを浮かべたアルは体を擦り寄せながら抱き締めた。


「……一緒に、寝ててほしいんだ」

「そ、そんな事でいいの?」

「うん、それがいいんだ、……駄目かな?」

「駄目じゃない!」


 不安そうな顔をしたアルに、ブランシュは間髪入れずに答える。

まるで雪のように冷たい体を抱き締めると、青白い首筋に頬を擦り寄せて、そのまま唇を押し当てた。

 少しでも想いと温もりが伝わるように、何度も、何度も口付ける。首筋を伝って鎖骨へ、そこから上がって耳元、頬、額から鼻先、そして最後に唇を重ね合わせた。


「ブランシュ」


 口付けの合間に甘く呼ばれて、僅かに唇を離したブランシュはアルの瞳を覗き込む。潤んだ瞳には、今にも泣いてしまいそうな少女が映っていた。

 そんな彼女の頬を優しく撫でていく氷の手。

 火照った頬には少し冷たかったが、ブランシュは目を瞑って幸せそうにその手を受け入れた。


「ブランシュ、愛してるよ」

「私もよ、アル、愛してる」


 二人は額を寄せ合って微笑む。

 やがて何度も口付けを交わしているうちに、ブランシュはアルの腕に抱かれたまま、ゆっくりと眠りに落ちていった。


 ***


 いつの間にか、空には太陽が輝いていた。

 長い睫毛が震える。目蓋を持ち上げたブランシュはぼんやりと視線を揺らめかせて、そして、次の瞬間には勢い良く起き上がった。


「アル!?」


 自分の隣で寝ている筈の姿が見当たらない。洞穴の何処にもアルがいない事を知ったブランシュは、全身から血の気が引いていくのを感じた。


(あんなに具合が悪そうだったのに!)


 洞穴の中にいないのなら、あとは外に行ったとしか考えられない。ブランシュは洞穴から飛び出すと、少しでも手がかりになるものはないかと辺りを見回してみた。

 しかし、溶けかけた雪の地面には足跡も無く、北風が吹く森にも誰かがいるような気配は無かった。


(でも、きっとそんな遠くには……)


 あんな状態で遠くまで行けるとは思えない。そう判断したブランシュは目尻に浮かんでいた涙を拭って、アルを見つけるべく森の奥へと駆け出した。


 しかし、どんなに森の中を探し回ってみても、アルは何処にもいなかった。

 青かった空は藍色に染まり、太陽は月に変わっている。

 ブランシュは夜の森を一人で歩く。愛しい名前を呼び続けた喉は痛み、愛しい姿を求めて走り続けた足は傷だらけになっていた。


「アル、アル……どこに行ったの、ねえ……?」


 それでも一番痛いのは、小さな胸の奥だった。

 雪が溶けるかのように消えてしまった愛しい存在。

 白い髪も肌も薄黒く汚れたままで、ブランシュは暗い夜道を歩いていく。涙を流すことも忘れて、消えてしまった恋人の面影を必死に追いかける。

 するとそのうちに、広い場所に出た。

 たどり着いた此処が丘だと気付いたブランシュは、他にもう探す宛もないからと思い、ふらふらと力無い足取りで丘を上っていく。

 なだらかなその丘は、簡単に頂上に着く事が出来た。

 雪に覆われて何も無い頂上で、抜け殻のような顔をしたブランシュはぽつんと立ち尽くす。


「……アル」


 痛々しく掠れた声が白い地面に落ちていく。


「どこに、いっちゃったの」


 傷だらけの手足が強ばっていく。


「ずっと、いっしょだって、いったのに……!」


 赤く腫れた目蓋が微かに震えて、涙が零れた。

 すっかり枯れたと思っていた涙は次々と溢れ出して、ブランシュの頬をたちまち濡らしていく。

 それでもブランシュは拭うこともせず、誰もいない丘の上で泣き続けた。喉が裂けても構わなかった。自分の泣き声を聞いて、アルが戻ってくればいいと思った。

 そんなことはもう、ある筈が無いと分かっていたけれど。


 不意に強い北風が吹いた。


「きゃっ……!?」 


 すると、何かがブランシュの頭に降ってきた。

 突然の事に短い悲鳴を上げると、思わず頭上に手を伸ばす。一体何が降ってきたのかと見れば、そこには信じられない物があった。


「ーーうそ、これって、アルの……」


 それはよく見覚えのある、薄灰色のマフラーだった。

 此処にある筈の無い物を目の前にして、ブランシュは赤い瞳を零れ落ちそうな程に見開く。


「どうして、これ、上から……」


 泣いていたのも忘れて、顔を上に向ける。

 そして、其処に広がる光景に言葉を詰まらせた。

 

 深い藍色の夜空に瞬く、幾万の星。

 透明な音が聞こえてきそうな神秘的な煌めき。

 

 あまりにも広大な美しさに、呆気に取られながら星空を見上げていたブランシュだったが、ふと一点に視線を奪われた。

 それは、三つ並んだ星の少し下に見えた、小さな銀色の星。普通なら見逃してしまうような儚い光だった。


「ーーあ……」


 しかし、その煌めきをしっかりと捉えた途端にブランシュは瞳を潤ませた。小さな肩を震わせながら、愛しい面影の残るマフラーを胸に抱き締める。


(ああ、そっか)


 銀の星を見つめたまま、大粒の涙をぽろぽろと零していく。


(アルは、あの星になったんだ)


 分かってしまった。雪が溶ければ水になり、水はいつしか空へ還るのが当たり前のように、すんなりと心で理解してしまった。

 何よりも愛しくて堪らない彼は、もう自分の手が届かない所に行ってしまったのだということを。

 それでもブランシュは微笑んでいた。溢れる涙は止まらないままだったが、心はもう苦しくなかった。


(ねえ、アル、貴方はそこからずっとーー)


 星が降る丘の上で、薄灰色のマフラーを巻いた兎の少女は、今夜も一人静かに目を瞑る。

 夜空に浮かぶ銀の星は、そんな彼女にまるで愛を囁くかのように、優しく淡く煌めいていた。



END.

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