表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
銀の星  作者: 熊野こずえ
PR
1/3

前編

 灰色の雲が空を覆っている。

 静かな森の中、時折通り過ぎる北風に小さな体を震わせて、その少女はただ一人歩いていた。

 真っ白な髪に透き通るような白い肌。針葉樹の緑色や枯れ木の茶色に囲まれた森の中で、汚れ一つ無い少女の白さはとても目立っている。

 それを隠すかのように、薄灰色の毛皮で出来たケープを羽織り直した少女は、白い睫毛に縁取られた瞳でくるくると辺りを見回した。


「もう木の実は無いのかな……困ったな……」


 落胆の色を浮かべた瞳は、紅玉だった。

 少女ーーブランシュは手に提げた籠の中を覗く。籠には幾つかの木の実が入っていたが、その量は彼女が求めている量にはとても足りなかった。

 諦めきれずにもう一度辺りを見回して、しかしやはり木の実の影も形も無いのを見ると、ブランシュは大きな溜め息をついた。


(やっぱり、皆と行くべきだったのかな……?)


 静かな森を揺らす北風の音を聞きながら、ブランシュは二月ほど前に別れた仲間達を思い出す。


 この森には元々、大勢の兎が住んでいた。

 そしてブランシュもまた、この森で生まれ育った兎である。

 しかし、数年前から森は元気を無くしていき、住んでいた動物達は次々に余所の森へと移っていった。獣がいなくなった森は兎達にとって安全ではあったが、同じように食料も採れなくなっていき、群れ一帯で移住を決めたのが二ヶ月前の話である。

 その時に唯一、森に残る事を宣言したのがブランシュだった。

 仲間達は当然反対したが、幼い頃に亡くした両親達との思い出がある森を離れたくなかったブランシュは、頑なに首を縦には振らなかった。

 そうして、彼女の固い決意に負けた仲間達は、くれぐれも無理はしないようにと言い残して、住み慣れた森を去っていったのだった。


 啜り泣いているような音と共に、冷たさが通り過ぎた。


「ううっ……さ、寒い……」


 ブランシュは自然と震える体を抱き締める。その姿は北風に浚われてしまいそうな程に儚いものだった。

 寒さに顔を顰めながら見上げれば、木々の隙間から見える空は真っ白で、今日はもう太陽は現れそうになかった。


「……帰ろう」


 少しだけ泣きたくなったブランシュは、寝床のある洞穴に向かって歩き始める。誰の気配も無い森の道は寂しくて、踏み締める霜柱の音がやけに大きく聞こえた。

 きしきしと足音を鳴らしながら洞穴に着くと、ブランシュは中へと入っていく。少し歩けば直ぐに最奥にぶつかり、兎一匹が住むには充分に開けた空間があった。

 僅かな収穫が入った籠を隅に置いて、ブランシュは枯れ草のベッドに膝を抱えて座り込む。


「……お母さん、お父さん」


 今はもういない両親を思うと、自然と言葉が漏れた。

 しかし返事は無く、その呼び掛けは洞穴の中で小さく反響して、あとは虚しく消えていくだけだった。

 その所為で孤独がより際立ってしまう。ブランシュは辛そうに唇を噛み締めたが、寸前のところで泣くのは堪え、代わりに抱えていた膝を引き寄せた。


(寂しい、けど。だけど、離れられないよ)


 今の森にはもう自分以外に誰も残っていないだろう。住人を失った森の行く末など、まだ少女であるブランシュにも分かる。朽ち果てて消えていくだけだと。

 それが分かるからこそ、ブランシュは森から離れられないでいる。最後に残った自分が離れて森が無くなれば、両親との思い出も共に消えてしまいそうな気がしていた。


(お母さん、お父さん……)


 脳裏に優しい笑顔を思い浮かべながら、ブランシュは静かに横たわる。冬越えの為に朝から食料を探し回っていた体は、すっかり冷えて疲れ切っていた。


(明日は……もう少し東の方にまで……)


 睡魔の波に意識を持って行かれつつも、明日の計画を立てる。それでも五分と持たず、ブランシュの赤い瞳は目蓋に覆い隠されたのだった。


 ***


「うう、ん……?」


 強い寒気を感じて、ブランシュは目を覚ました。寝る前よりも枯れ草に深く潜っていた体を起こす。


(何か……やけに寒いような……)


 ブランシュは体を擦りながら眉を顰める。


(……まさか!)


 ふと一つの可能性を思い付いたブランシュは、慌てて洞穴を飛び出した。そして、其処に広がっていた光景に目を瞬かせて、がっくりと肩を落とした。


「雪が降るなんて……」


 目の前に広がる銀世界を睨みつける。冬越えの支度が充分に出来ていないブランシュにとっては、美しい雪景色も邪魔でしかなかった。

 足を踏み出せば、雪が重くて上手く歩けない。昨日よりも濃くなった冷気は容赦なく肌を刺す。


(これじゃ、木の実を探しにも行けない……)


 ブランシュは洞穴の前で呆然と立ち尽くす。その間にも雪は静かに降り続けている。

 予想しなかった事態に戸惑い、泣きそうになるブランシュだったが、その時ふと視界の端に『それ』を捉えた。


「……えっ!?」


 雪に埋もれている『それ』は、よく見ればどうやら生き物のようだった。急いで近付いたブランシュは『それ』の姿を確認して更に驚いた。

 真っ白な髪と肌をした少年。自分と同じ白雪色。薄灰色のマフラーを首に巻いて、雪の中で倒れていた彼は、紛れもなく兎だった。


(ど、どうして兎がこんな所に……!? ああでも、今はそれどころじゃない!)


 ブランシュは動揺しながらも、少年を雪の中から何とか引っ張り出す。

 自分よりも一回りは大きい背丈に苦戦しつつ、どうにか洞穴の奥まで運び込むと、枯れ草の上に寝かせてやった。


(良かった……生きてはいるみたい)


 浅い呼吸を繰り返す姿に、ひとまず胸を撫で下ろす。

 そして、服に付いていた雪を払ってやり、冷えきった体が少しでも暖まるようにと枯れ草を上から掛けてやる。


「……う、ううん」

「!!」


 すると、少年の白い睫毛が震えた。ゆっくりと持ち上げられる目蓋の下から現れた瞳は、やはり真っ赤だった。

 少年が自分と同じ兎だという確証を得たブランシュは、少し緊張しながらも声を掛けてみる。


「あ、あの……大丈夫……?」


 思ったよりも小さな声になってしまったが、少年には届いたらしい。ぼんやりと宙を眺めていた瞳をブランシュに向けて、不思議そうに首を傾げた。


「……ここは?」

「私の寝床。貴方、雪の中で倒れていたんだよ」


 久々にする他人との会話に、ブランシュが胸を高鳴らせながら言えば、少年はまだ少し虚ろな目で辺りを見回した。

 そして、周囲を見終えた少年の視線は、再びブランシュに戻される。赤い瞳は穏やかに細められていた。


「助けてくれてありがとう、えっと……」

「私はブランシュ。貴方は?」

「僕はアルジャンテ。アルでいいよ。宜しくね、ブランシュ」


 そう言ってアルは手を差し出した。

 自分よりも大きな白い手をブランシュが遠慮がちにそっと握れば、アルは優しく握り返してきた。


(わ、冷たい……)


 握り返された手の冷たさに思わず目を見開く。雪に埋もれていたからとはいえ、アルの手はまるで氷のような冷たさをしていた。

 そのあまりの冷たさに心配になったブランシュは、アルの手を両手で包み込んだ。それをアルはきょとんとした顔で見ている。


「ブランシュ?」

「アルの手、凄く冷たいから……」


 そう言うとブランシュは、両手で包んだアルの手を優しく擦り始めた。するとそのうち、少しずつだが暖かさを感じるようになった。

 健気に自分を暖めようとしてくれている彼女の姿に、アルはゆっくりと頬を綻ばせる。


「ありがとう、ブランシュ……暖かいよ」

「そ、そう? それなら良かった……。これ、私が小さい頃にお母さんがよくやってくれてたんだ」

「優しいお母さんだね。今は一緒に住んでないの?」


 その言葉に、ブランシュは擦る手を止めた。

 そして眉尻を下げて、力の無い笑顔を浮かべる。


「私が小さい頃にお父さんといなくなっちゃったの。皆は『遠いところに行った』って言ったけど、きっと猟師か何かに殺されちゃったんだと思う」


 予想外の返答だったのだろう、アルは目を見開いて、直ぐに申し訳なさそうに顔を顰めた。


「……ごめん」

「ううん、気にしないで。それよりもアルはこの森にどうして来たの?」


 自分の所為で暗い空気にしたくなかったブランシュは、首を振って笑ってみせる。そしてそのまま話を変えようと尋ねてみれば、アルは僅かに眉根を寄せた。


「それがよく覚えていないんだ……。気付いたら雪の中で倒れていて、ブランシュに助けられてた」

「じゃあ……帰り道とかも?」

「……うん、分からない。帰る場所も」


 そう話すアルは落ち込んでいるように見えた。

 それを見ていたブランシュは少し考えて、握ったままだったアルの手を再び握り直す。そして自分を見上げたアルに、にっこりと明るい笑顔を浮かべた。 


「それなら此処にいたらいいよ。この洞穴なら二人でも大丈夫だし、せめて雪が溶けるまではさ。ねっ?」


 ーーなんて、本当は私がいてほしいだけなのに。

 ブランシュは内心で自嘲する。森から出る勇気も無い自分が孤独に負けない為にと、引き止める言葉がつい口から零れてしまった。自分勝手にも程がある。

 しかし、そんな事を知る由もないアルは握られた手を見て、優しい微笑みを浮かべながら口を開いた。


「……じゃあ、そうさせてもらおうかな」


 まだ大分冷たい手が、小さな手を握り返す。


 洞穴の外では、雪がしんしんと降り続いていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ