file:7脱出
「何か聞いて欲しいこと、ある?」
雅の口から出たのは、そんな言葉だった。目を丸くしているケイの横で、フィンが声を荒々しくさせる。
「ふざけるなよ。貴様がわたしたちに用があるんだろうが!」
「いや、もうわたしの用事は終わったから」
「なんだと!?」
「だからさ、ほら、よく犯行声明とかあるじゃない? 盗んだものを返してるぐらいだから、そういった信念みたいなものがあるのかなと思ってさ」
フィンをわざとらしく無視して、雅は話を進めていく。
「信念なんてないよ。ただせっかく特別な力があるんだから利用しない手はない。ちょっとしたスリルが味わいたいだけさ」
「へえ……そうなんだ」
ケイが答えるものの、雅はなぜか半笑いだった。すかさずフィンが食ってかかる。
「言いたいことがあるなら、はっきり言ったらどうだ? 無能警官」
だが、雅は席を外すことなく、フィンに言い返していた。
「じゃあ聞くけど、スリルを味わいたかったら、警察に予告状を送った方が効果的じゃないの? でもあんたたちは目的の家にしか予告状を送らない。これっておかしいわよね?」
フィンのふざけ半分の表情が、フッと消える。
「フィン、雅さんは無能じゃないな」
「……ちっ!」
フィンは舌打ちをして、そっぽを向いてしまった。
「どうやら図星ってやつみたいね?」
「雅さん結構鋭いね。といっても、本当の目的を伝える気はないけどね。ゴリさんとは一味違うみたいだ」
「ゴリさん?」
「権田原警部だよ。権田原利助だからゴリさん。見た目もちょっとゴリラ入ってるし」
うつむき加減で、プルプルと肩をふるわせる雅。
同僚を罵倒され、怒っているのかとケイは身構えだが、雅の口から漏れたものは反論ではなかった。
「ぶはははは! ゴリさんか! いいよ! ケイちゃんいいね! そのネーミングセンスにお姉さん脱帽だよ!」
腹を抱えて笑い転げる雅につられて、ケイも少しずつ、確かに笑い出していた。
空気の読めないさゆりは落ち着きがなくなり、フィンはあきれたのか大きく嘆息する。
敵同士とは思えないほど楽しげに笑い続けたケイと雅は、笑いが止まってもしばらく動けなかったほどだ。
「ケイ、いつまではしゃいでる」
ガツンとゲンコツを食らって、ようやくケイが真剣な面もちに戻った――口元がまだ少しほころんでいたが――。
雅も笑いを止めたかと思うと、今度は不適に微笑みだした。
「さて、そろそろ話は終わりかしらね? だったら、こちらも仕事に移らせてもらうわ」
懐へと手を入れて、内ポケットをまさぐる。取り出したのは光輝く真新しい手錠だった。
「逮捕はしないって約束だったろうが! やっぱりだましたのか!」
もともとつり目だったフィンの目が、さらにつり上がって雅を威嚇する。
だが、雅は平然と否定してみせていた。
「そんな約束してないわよ? 約束したのは警官隊を配置して待ち伏せしないってことだけ」
「そういえばそうだったなあ」
「感心してる場合か!」
妙に納得して頷いているケイに、すかさずフィンが後頭部をはたく。
「さあ大人しくお縄につきなさい!」
気合いを入れる雅の横で、さゆりが大きく飛び跳ねる。
「がんばれぇ〜、雅ちゅあ〜ん!」
ガクッと体制を崩す雅に、思わずケイとフィンも同情してしまっていた。
「大変だな、雅ちゅあん」
「う、うるさい! さゆり、出口を塞ぐのよ!」
「えぇ〜、怖いよ雅ちゃん……」
「扉を閉めて、外から押さえとくだけでいいから!」
雅の真剣な指示が伝わったのか、頷いてから外へと出ていく。
「年貢の納め時ね。抵抗しなければ悪いようにはしないわ……って、こらぁ!」
人差し指を突きつけたポーズで勝ちゼリフを放っていたにもかかわらず、二人はなにやら言い合いをしているようで、まったく聞いていない。
「やっぱりわたしがいてよかったでしょ?」
「おれ一人なら別にどうってことなかったけどな」
などの会話が、雅の耳に届いてくる。
「ちょっと、わたしを無視してなに話してるのよ!」
二人は顔を見合わせると、クスクスと笑いだしていた。
「なにってもちろん」
「脱出の方法だよな?」
「なんですって!」
雅が叫ぶとほぼ同時に、フィンが中指を床へと叩きつけた。
刹那、ビシビシッという大きな音と共に、コンクリート製の床へと亀裂が入る。
「こ、これは……」
思わず一歩下がった雅の前で、次の瞬間には床が大破していた。
「うああああ!」
ガンゴラゴガッシャン!
けたたましい音ともに、ケイの悲鳴が響く。
立ち上った砂煙が落ち着いてから、雅は目を開いた。部屋の奥――先ほどまでケイ達がいたところに、直径五メートルほどの穴が、ぱっくりと大きな口を開けていた。
穴を覗きこんでみると、ケイとフィンの姿が一階にあった。
どうやら二階を突き抜けて一階まで落ちていったらしい。
「いてて……フィン! ちょっとは力加減ってものを考えろ!」
「仕方ないだろ! だいたい二階が壊れたのはわたしのフィンガーのせいじゃなくて、落ちた瓦礫の衝撃でだ!」
「二階の床に直撃する威力で、フィンガーを使ったからだろうが!」
もめ合う二人に、思わず雅の口がにやけていく。
視線を感じたのか、二人が口論をやめて上を見上げた。
瓦礫によって舞い上がった砂煙によって、顔や服がほこりで真っ黒になっている。
「フフッ、じゃあな、無能警官」
「雅さんとは敵ではなく味方として出会いたかったかな!」
ケイは手を振りながら、フィンは無愛想ににらみつけてから、角谷ビルから出ていってしまった。
「ちょっ、待ちなさい!」
当然待つわけもなく、二人は視界から消えていく。
慌てて下に降りようにも、一階まで飛び降りる勇気と実力はさすがにない。
「逃がさないわよ、N.F.S!」
部屋の入り口に駆け寄り、ドアノブを回す。だが、扉はびくともしなかった。
「ちょっと、さゆり! 開けなさい!」
ドンドンと扉を殴るも、開く気配は全くなかった。代わりに、
「本当に雅ちゃんですかぁ?」
といった、事態を把握していない、のんきな確認が聞こえてくる。
「そうよ! だから早く開けて!」
「だったら合い言葉を言ってぇ!」
「はあ!? 合い言葉なんて決めてないでしょ!?」
「簡単だよぉ! わたしの問いに答えればいいんだからぁ!」
イライラしながらも相づちをうち、さゆりの言葉を待つ。
「では、第一問!」
「……問?」
「コップに入るのに、出すことのできないものはぁ?」
頭を抱えつつ、どうにか怒りを押さえ込む。
「……さゆり」
「なぁに?」
「それ、合い言葉じゃなくてナゾナゾじゃないの?」
あっけらかんと、さゆりは雅の問いに答えた。
「そうだよぉ、雅ちゃんなら分かるでしょお?」
ついにブチ切れた雅は、扉を殴打しながら絶叫していた。
「ふざけてんじゃないわよ! さっさと開けなさい!」
「ピギャー! 怖いよぉ! やっぱり雅ちゃんじゃないぃ!」
「ちょっ、ちょっと、なにも泣くことはないでしょう!」
「ピギャー、ピギャー!」
結局雅がさゆりを説得してからナゾナゾを解き、部屋から解放されたのは、ケイとフィンが去ってから約一時間後だった……。